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サイバークオリア ――人工知能はアイを得るか――  作者: 黒河純
第三章 アンドロイドは青空を見て何を想うのか
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和佳菜の過去

 コンソールカフェをあとにしてから俺と和佳菜で周囲を探索したが、特に手がかりは得られず仕舞だった。ちなみに、準備中のコンソールを勝手に使ったことにより、俺と和佳菜はあの店から出入り禁止処分を喰らった。もう行くことはないだろうから別にいいが。


「――ん? アガットから何か送られてきたな」

「わたしにもです。何でしょう?」


 不意にアガットから送られたデータを確かめる。どうやら、フィリップカンパニーの詳しいデータらしい。

「向こうも無事に仕事を終えたみたいだな。和佳菜、アガットに通話するぞ」

「はい」

 早速アガットに通話をかける。和佳菜も同時にかけているので、今回は三人での通話となる。


『さすがだな。わざわざ社内に潜入したのか?』

『そうだよ。感謝しろ。――で、送ったデータの従業員情報なんだが……見てみろ、つい最近会社をクビになった男性社員が居る』

『ですね。今から一ヶ月ほど前になりますか……。名前はジャック・ローン。三十五歳の男性ですね。所属もSVシリーズの製造課ですし、怪しいですね』


『クビになった理由は……ああ、勝手にセクサロイドを作って、お楽しみしていたわけか』

 セクサロイドとは、夜の相手を務めることに主眼を置いたアンドロイドのことだ。もちろん使ったことはないし、使おうとも思わない。

 人形との行為が違法というわけではないが、あまりいい趣味とは言えないのが一般常識となっている。

 彼がクビになったのは、セクサロイドを使っていたことよりも、自社のパーツを使って、秘密裏に製造したからだろう。まあ、セクサロイドは普通のアンドロイドより高価という話だし、タダで手に入れようとしたんだな。もしくは、自分好みの女を自分の手で作り出したかったとかいう、歪んだ性癖だろう。


『女性の敵ですね……絶対に捕まえましょう』

 性別とアンドロイドへの関心を考えると、和佳菜が怒るのも無理はない。

『それと、SVシリーズを所有している顧客情報も手に入れた。祈崎市には合計で二十体存在するようだな』

『俺と和佳菜が一体潰したから、合計は十九体……結構多いな……アガット、どうするべきだと思う?』

 犯人はその二十体すべてを意のままに操れると考えた方がいいだろう。対してこちらは三人。電脳戦に持ち込まなければ、勝ち目は薄い。

『そうだな……面倒だが、すべてに網を張ろうじゃないか』




 SVシリーズに網を張る――要するに監視の目を付けると言うことだ。

 アンドロイド本体には干渉をせず、外部から何らかのアクセスがあればそれを察知し、逆探知する――というのが作戦だ。操られたアンドロイドがどこにいるのかではなく、犯人はどこから操っているのか、を探り出すのが目的となる。アンドロイドのAIにハックを仕掛けるわけでもないので、時間もかからずリスクも少ない。アガットが入手した顧客情報があったため、行える方法だ。あんパンと牛乳持った刑事が行う、由緒正しき張り込みのデジタル版だな。


『網は張り終えたな……和佳菜、少し休憩するか?』

『そうですね。三人掛かりとはいえ、さすがに疲れました』

 軽食屋で少し遅い昼食を食べながら作業をしていた俺たちは、揃って大きく伸びをした。妹と一緒に取り組んだ自由研究が、ようやく一段落付いた気分だった。


「あとは待つばかりだが……どうなると思う?」

「自分を捕まえようとする集団が居ることは犯人も把握していますし、もう同じ手口は使わない可能性もありますけど……」

「逆に、俺たちを完全に排除しようとする可能性もあるわけだな。アンドロイドで襲ってきたあのときみたいに」

「ですね。すでに一度アンドロイドを差し向けていますから、それで諦める人物なのかどうか……もしかしたら、二体同時に襲撃という可能性もあります」

「それは勘弁してほしい」


 ま、気にしていても仕方ない。とりあえずは脳と体をゆっくり休めよう。

 追加で二人分の飲み物とデザートを注文し、疲労のこもったため息を一つ。疲れた脳が、唯一のエネルギー源であるブドウ糖を欲しているのがわかる。


「――青葉さん、せっかくなので少し話しでもしませんか?」

 珍しく、和佳菜の方から話を切り出してきた。もう特にやることもなかったので、俺もそれに乗っかる。暇つぶしと休憩にはちょうどいい。

「ああ、別にいいぞ。確かに、和佳菜と二人きりって状況あんまりなかったからな」

『あら、私が居るから、二人っきりとは言えないんじゃない?』

「んで、何か訊きたいことでもあるか?」

『ちょっと、無視しないでよ』

 ソフィアのことは周囲を飛ぶ羽虫だと思い込もう。気にしない気にしない。

「そうですね。――祈崎市にはもう慣れました?」

「おかげ様で。色々な物が混ざり合った、退屈しない街だよ。疲れることも多いけど、嫌いじゃない」

 大なり小なりの事件が発生しては消えていく祈崎市にも、ようやく親しみを覚えられる時期にはなっていた。


「そう言ってもらえて嬉しいです。他の街に行ってみたいとは思いませんか?」

「うーん……旅行とかならいいかもしれないけど、便利屋で働くのも悪くないし、住むのはここがいい。和佳菜は?」

「同じくわたしも、生まれ育ったこの街がいいです。清潔(クリア)でも安全(セーフ)でも静か(クワイエット)でもないですけど、ここがいいです。――昔、師匠に連れて行かれて別の都市も行ったことあるんですよ。どこもかしこも綺麗な都市だったり、電脳化率がすごく低い町だったり……でも、わたしはここの少し淀んだ空気が一番馴染みます。愛郷心ってやつかもしれませんね」

「どんなところだろうと、故郷は特別ってか。……はぁ、俺の故郷は一体どこなんだろうな」

 やってきた紅茶で喉を潤してから、どこにあるかもわからない土地に郷愁を馳せる。


「そういえば青葉さんって記憶失っているんでしたね。最近あまりにも普通に生活しているんで忘れていました。まだ戻らないんですか?」

「残念ながら。医者に行ったり、自分の名前を手掛かりに過去を探し回っているんだが、進展はゼロ。自然と戻るのを期待するしかないかもな」

 記憶を失ってからもう長い時間が経っているし、このままぱっと戻る可能性は低そうだ。まあ、これからも地道に自分を探っていこう。……いつか取り戻せると信じて。


「そうですか……怖くないんですか?」

「怖く? 記憶がないことが、か?」

「はい。もしわたしなら、怖くて外にも出られないような気がします」

「そうだな……平気そうな顔してるけど、当然怖いさ。過去ってのは自分を構成するすべてだ。これまでの経験を(もと)に、感情や性格が確立するだろ? 今までどんな環境で育ったのか、どんな経験をしたのか、両親はどんな人だったのか……そういった事象が複雑に絡み合って、自己というものが形成される。――それなのに、俺は一切それがない。だからこそ、今感じている『自己』というものが本物なのか仮初めなのかわからない。今ここに居るはずなのに、自分という存在が希薄に感じられてならないんだよ」

 まるで薄氷の上を歩くような気持ちだった。少しでも歩き方を間違えば氷は砕け、深海に真っ逆さま。――そんな心境で俺はここまで来た。これからもだろう。


『……マスター』

 ソフィアが、心配そうな声で小さく俺を呼んだ。

『平気だ、心配ない。俺の精神グラフを見ろ。異常値はない』

『……ええ、そうね』

 それっきり、俺の相棒は壊れた楽器のように沈黙した。


「そう、ですよね……少し無神経でした。ごめんなさい」

「気にしてないって。……もし嫌じゃなければ和佳菜の昔話を聞いてもいいか?」

 いい機会だとばかりに、前から気になっていた昔の話を尋ねてみることにした。自分に過去がないからこそ、他人の過去が気になる……のかもしれないな。

「別にいいですけど、そんなに面白くはないですよ。――ええと、十六年前にこの祈崎市で生まれて、貧しいながらも比較的穏やかに過ごしていたんですけど……小学生のときに両親が離婚したんです。そこまでならどこにでもある話なんですが……両親はどちらもわたしの親権をほしがりませんでした」

「それって……」

「はい。父親からも母親からも『お前はいらない』と言われました。その理由は今でもよくわかりません。両親の連絡先も知りませんし、一生知ることはないと思います。……知りたいとも思いませんしね」

「…………」


 いつも通りの口調で話す和佳菜が、

 なんてことないという空気を懸命に作り出している和佳菜が、

 泣きそうなのにそれを悟られないようにしている和佳菜が、

 俺にはSOSの鳴き声を上げられない捨て犬のように思えた。


「遠い親戚に預けられる予定だったわたしを、師匠が拾ってくれたんですよ。で、今に至ります。――なんでも、預け先だった親戚なんですが、あまり評判のいい人じゃなかったらしいです。もしかしたら、人身売買にでもかけられていたかもしれません。師匠には感謝しないとですね」

「そうか……大変だったな」


 この若さで学校にも行かず、親も居ない時点で、何らかの事情を抱えているとは思っていたが、相当根の深い問題だったな。これ以上掘り下げるのはやめておこう。

「いえ……この街には、わたし以上に不幸な目に遭ってる子なんて山のように居ます。――青葉さん、祈崎市で一番命を奪っている要因って、なんだかご存じですか?」

「ん? いや……何かの病気か?」

「いえ、違います。病気でも、事故でも、殺人でも、自殺でもありません――中絶です」

「…………」

 技術の進歩により、人間本来の愚かさが顕著になったわけか。なんとも皮肉な話だ。


「この世に生まれる前に死んでしまった人が大勢居るんです。……それに対して、わたしはここで生きています。歩くことも、食べることも、しゃべることもできます。それだけで嬉しいんですよ」

 まっすぐでどこまでも力強い和佳菜の言葉に、俺は彼女の評価を改めていた。俺なんかとは比べものにならないくらい、強い自我を確立している。そのことが嬉しくもあり、うらやましくもあった。

「そうか。――まあ、アガットに拾われた時点で十分すぎるほど不幸に思えるがな」

「そんなことないですって。なんだかんだ師匠は優しいですから。そのことは、青葉さんもわかっているんじゃないですか?」

「……悪いやつではない、と思うぞ」

 認めるのが(しゃく)だったため、そんなひねくれた言い方になる。当然俺も、アガットには感謝している。……同じくらい恨んでもいるが。


「もう、師匠といい青葉さんといい、なかなか素直になれませんよね」

 まるで保護者のような顔で俺を見つめる和佳菜。その童顔とは裏腹に、案外頼りになるのがこの少女なのだろう。

 

『――談笑しているところ申し訳ないけど、獲物が網にかかったわよマスター』

 唐突に聞こえるソフィアの声を契機に、俺は頭を切り換える。

『本当か!? よし、すぐに向かう。場所を案内してくれ』

 正直あまり期待はしていなかったのだが、どうやら今回の犯人は諦めが悪い人物のようだ。

『場所はGPSに表示しておいたわ。――どうやら犯人、今度は銃器を盗ませるためにアンドロイドを操っているみたいね』

『俺らを殺す準備ってわけか……先手を打つぞ』

 銃器を用意させたということは、犯人の手元に武器はないということだ。急いだ方がいいだろうな。

「和佳菜、犯人の居場所が分かった。場所は……ここからさほど離れてはいないな。すぐに行こう」

「は、はい!」


 どんよりとした雲の下、俺は和佳菜のためにも、雨が降らないようにと祈り続けた。

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