祈崎市へ
「ここが祈崎市か。暗くなる前に到着できたな」
生物と緑がほとんど存在しない火星のような荒野を歩き続け、俺とソフィアは何事もなく祈崎市の土地を踏むことができた。
市に入るに当たっては検問を必要としておらず、俺の素性を怪しまれるのではないかという心配も杞憂に終わった。
「少しブラブラするか」
観光というわけではないが、歩きながら辺りを見渡す。
アスファルトの道路が直線に伸び、そこを無数の車が我先にと走っている。等間隔の交差点から、車がひょっこりと顔を出していた。遠くには四角錐の摩天楼が物々しく鎮座しており、監視されている気分だ。
薄汚れたコンクリートジャングルをグルリと見渡す。背の高い建物が多いので、首が痛くなりそうだな。
「……なんとも面白そうな街じゃないか」
祈崎市の第一印象は『雑多』という言葉に尽きるだろう。おもちゃ箱をひっくり返したような都市だ。
どこもかしこも人だらけ。客引きや罵声などの大声が飛び回り、奇抜な格好の若い女が煙草を片手に舌なめずりをしている。春を売る相手でも探しているようだ。
「路地裏を覗けば、使用済みの避妊具で山ができていそうだな」
『最近はナノマシンで卵子のコントロールができるから、昔ながらのゴムは少ないと思うわよ』
「素敵な情報をありがとうソフィア」
できるだけ面倒そうな女とは視線を合わせず、ゆっくりと歩き続ける。
まだ昼過ぎだというのに、路上でテーブルを広げ、ポーカーと飲酒を楽しむ男たち。店からこっそり野菜を盗もうとしている子供。キャタピラの調子が悪いのか、ぎこちなく移動するアタッシュケースみたいなロボット。
『……いい街じゃない。住人のほとんどが、世間体という言葉に無頓着みたいだし』
「まったくだ」
今立っているメインストリートの脇には、様々なビルや商店が並び、どこもかしこも賑わっている。まだ仕事をしていないネオンの下や、ビルの間なんかで、露店を広げている商人も見受けられる。恐らく無許可だ。
「自由な街だ。警察とか自警団とか居ないのか?」
『マスター、気がつかなかった? さっきの路地裏で、警察みたいな制服を着た男がお楽しみ中だったわよ』
「マジかよ」
『しかも相手は男』
「わぁーお。見なくてよかった」
その後も、店や露店なんかを冷やかしながら、祈崎市を堪能する。
ここらで売っている物は生活必需品や食材が主らしい。他にも機械の部品らしき物から、合法かどうか怪しげな瓶詰めの薬なんかも売っている。色とりどりのホログラムが輝く下で、人々は思い思いに生を謳歌している。
「賑やかだな。まるで城下町だ」
人通りの多い道をのんびりと歩く。さりげなく住人のうなじをチェックするが、成人のほとんどに人間型接続子が確認できた。ソフィアの言う通り、電脳化率は高いようだ。
「さて、まずは……」
ポケットの中身を確かめてみるが、飴一つ入ってない。物理的な物は、何も落ち合わせていないことになる。まさに着の身着のままだ。
「……仕方ない、Dケーブルを買おう」
700ゴールドで足りるかどうかは、祈崎市の物価事情によるだろう。
◆ ◆ ◆
人間型接続子――人間用の入出力インターフェース。有線で情報のやりとりを行う場合などに使われる。電脳化した人間はうなじにジャックが埋め込まれているめ、電脳処置を受けているかどうかを判断するにはうなじを確認するのが早い。
人間型接続子と区別するために。機械のジャックは機械型接続子と呼ぶことが多い。
Dケーブル――電脳と電脳・電脳と機械などを有線接続するために必要なケーブル。有線で 接続した方が無線に比べ安全性が高くなるため、重要なデータを取り出すときや機密性の高い通話をしたいときなどは、Dケーブルを利用するのが一般的である。
◆ ◆ ◆
「毎度ありー」
一メートルの青いDケーブルを500ゴールドで購入。残金は僅か200ゴールド。
「はぁ……」
少なくなった所持金を網膜内で確かめてから、俺は再び歩き出す。物が増えたというのに、身軽になった気分だ。
『買ってよかったの?』
俺にしか聞こえないソフィアの声が頭に響く。
『電脳者にとって、Dケーブルは必須アイテムだろ。祈崎市は治安がいいとは言えそうもないし、通話が盗聴されるかもしれない』
人通りが多いこともあって、ソフィアとの会話は電脳内での通話形態にしている。彼女は電脳の内部に居るため、わざわざ声を出さなくても意思の疎通は可能だ。
『心配しなくても、マスターに通話する相手なんか居ないでしょ?』
『あー……』
言われてみるとそれもそうだ。祈崎市に着く前に確認したが、電脳内のアドレス帳は空っぽ。第三者によって消されたのか、記憶を失う前の俺はコミュニケーション能力に多大な障害を持っていたか、そのどちらかだろう。
『まあ、あって困るものではないだろう』
そう自分を誤魔化しながら、俺は買ったばかりのDケーブルをポケットに入れた。
『それでだソフィア、残った200ゴールドで何ができると思う?』
『お金の使い道をAIに訊くのはどうかと思うけど――そうね……あの屋台で売っている焼き鳥を買ってから、無料で泊らせてもらえる宿でも探しましょうか?』
前方には、古びた移動式の屋台と『焼き鳥一本50ゴールド』という鮮やかなPOPのホログラムが光り輝いていた。
「――四本買えるな」
『あ、本当に買うのね』
空腹だったこともあり、俺は投げやり気味に、屋台のおっちゃんへ声をかける。丸い顔が印象的な、気のよさそうな人だった。
「四本くれ」
「まいど! 200ゴールドだ! 支払いは有線で頼むぜ」
おっちゃんは炭で黒くなったDケーブルを取り出す。片方を自分の人間型接続子に差し込み、もう片方を俺に差し出してきた。
有線での支払いとは……ずいぶんと用心深い人だ。
代金の支払いは、ほとんどの場合電脳内の電子マネーを使用する。支払い方法は無線が主だが、悪意ある第三者に通信を嗅ぎつけられ、金を強奪されるケースが稀にある。そのため、支払いは有線に限っている人間も少なからず存在する。有線なら誰かに金を横取りされる心配もないからだ。特に宝石や大型機械などの高額商品を買うときは、ほぼ確実に有線だ。
まあ、紙幣や硬貨などの物理的な貨幣を使うのが安心な気もするが、今時そんな前時代の物を使う店は少ない。二百年続いている老舗のスシ屋なんかなら、貨幣での支払いを行える場合もあるらしいが。
「悪いんだが、さっきDケーブルを買ったばかりなんだ。調子を見たいから俺のを使ってもいいか?」
「ああ、そういうことなら構わんぞ」
お礼を言ってから、俺は先ほど買ったDケーブルを取り出す。
一方を自らのうなじ――人間型接続子へと繋げる。反対側を屋台のおっちゃんに手渡す。
有線接続が開始され、俺は電脳内の200ゴールドをおっちゃんに送る。特に通信障害もなし。粗悪品ではなかったようだ。
「確かに。――ほいよ、焼き鳥四本」
「どうも」
Dケーブルを回収し、再びポケットへ。うまそうな匂いが自己主張している焼き鳥を受け取る。右手に二本、左手に二本だ。
『これ喰いながら、宿を探すぞソフィア』
『焼き鳥食べてる無一文の人間を、善意で泊めてくれる宿があればいいわねマスター』
夜の帳が下り始めてきたことを、焼き鳥の湯気でようやく気付かされた。