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サイバークオリア ――人工知能はアイを得るか――  作者: 黒河純
第二章 ナノマシンの境界線
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ナノマシンの正体

 鈍重そうな見た目に反して、勢いよく扉は動いた。間髪容れずに、俺は転がるようにして身を滑らせる。

 手にした銃を部屋の中へ構えたところで、


「っ!」


 俺はほとんど無意識に真横へと転がった。第六感とでも言うべきか、虫の知らせのような直感が足を動かした。

 受け身なんて考えず強引に跳んだせいで、俺は芋虫のようにごろごろと床を転がる。


 色の混濁した世界が視界を埋め尽くす。どちらが上で、どちらが下なのかすら判断できない。

 僅かに遅れ、背後で硬い何かがぶつかり合うような音が響く。


 ――何かが……飛んできたのか?


 音から察するに、凶器らしき物が俺目がけて投擲されたようだ。音の重さから言って、銃弾ではない。銃弾よりも質量があり、銃弾よりは速度が遅い。


『トラップよマスター! まだ来る!』

 心の中で舌打ちをして、体勢を整える間もなく地面を強く蹴る。


 跳ね上がる身体。すぐ後ろから響く乾いた音が、俺の毛穴から嫌な汗を噴き出させる。リアリティの伴った死の恐怖が、一歩また一歩と死神のように近づいてくる。


「くっ」

 変な体勢で跳んだからだろう、俺は着地に失敗し、硬い床をごろごろと転がる。

『一か八か――ソフィア! 視覚を強化しろ!』

電子的加護サイバーエンチャントね、了解!』


 俺は全身義体(サイボーグ)ではないため、本来五感や身体能力の強化は行えない。電脳化とは、文字通り『脳』と『電子』を融合させる技術だ。肉体を機械に置き換える義体化とはわけが違う。

 そのため、電脳化しただけでは、ネットにアクセスはできても、今まで以上に速く走ることはできない。これまでより頑丈になることもない。身体は生身のままなのだから。


 ――ただ、一つだけ例外がある。


 電脳化は脳にナノマシンを注入して行われる(詳しい手順やどんなナノマシンが使用されるかまでは知らないが)。要するに、ナノマシンが電脳者と非電脳者の境界線となる。

 しかし、脳だけに処置を施しても電脳化は完成されない。もう一カ所――網膜にナノマシンを打ち込まなければ、電脳化は成り立たないのだ。


 どれだけ情報を処理できても、それを視覚化できなければ意味がない。ありとあらゆる情報が、目の前でホログラムとして浮かび上がるのは、眼球にもナノマシンを組み込んでいるからに他ならない。

 つまり、電脳はコンピュータ。目はモニターの役割を果たす。ちなみに、電脳を動かすエネルギーも、網膜に打ち込まれたナノマシンが太陽光から得たものだ。

 それ故に、視覚だけはある程度電子の恩恵を受けることが可能だ。純粋な視力だけではなく、動体視力も補強される。俺はそれに賭けてみることにした。


「――っ!」

 ジン、と、目の奥が熱くなるのを感じた。熱されてドロドロになった鉄を流し込まれるような感覚。痛みはないが、限りなく不快だ。

 顔を上げ、正面を見据えると同時に銃を前方に突き出す。


 飛来するのは一本のナイフ――というよりはただの刃物だ。柄がないため、人間が使用するようには設計されていないのだろう。専用の機械(マシン)で射出されているはずだ。

 俺は全神経を迫り来る凶刃に注ぎ込む。コンマ数秒で狙いを定め、瞬く間に覚悟を決める。


 体は自然と機械的に動き――引き金(トリガー)を引く。


 銃声が鼓膜を振動させ、マズルフラッシュが強化した視界を埋め尽くす。

 慌てて体勢を立て直し、その場で身構えるも、何かが突き刺さるような痛みはない。


「……銃弾で刃を撃ち落としたか……まるで漫画に出てくるガンマンだなキミは」

 迫り来る脅威がないことを再度確認してから、俺は周囲に視線を走らせる。

 壁と床は相変わらず真っ白だ。ここにもアナザーフラットという素材が使われているらしい。

 部屋の広さは学校の教室と同じ程度。ただし、所せましと機械やコンソールが密集しているため、かなり圧迫感を感じる。


「それで……キミは誰だい?」

 機械の中央――まるでこの小さな世界の王であるかのように、(そう)(しん)の男がちっぽけな椅子に座っていた。年齢はおそらく四十代。よれよれの白衣とオイル汚れの付着した眼鏡が、不潔感を引き立てている。

「その扉のロックを外すなんて、結構名の知れたハッカーか何かかな? 動きを見るに、全身義体(サイボーグ)のようにも見えたけど……」

 銃を突きつけられているというのに、男は気にしたそぶり一つ見せなかった。不気味なほど柔和な笑みを張り付かせ、不健康そうな目で俺を眺める。ナメクジみたいに粘着質な視線を受け、俺は唾を吐き出したい衝動に駆られた。


「祈崎市で便利屋をやっている者だ。依頼で来た。悪いが後ろのコンソール、少し調べさせてもらうぞ」

 捜査令状なんてものは当然所持していないが、有無を言わせぬ口調で話を進める。

「……ここまで入られているということは、すでに組織の人間は大多数が機能していないのだろうね。トラップも無駄だったとなると……いやはや、お手上げかな。ここまできたら腹をくくろう。好きにするといい」

 両腕を広げ、降伏のポーズを取る男。言動は素直だが、どうにもきなくさい。


「…………」

 慎重に、部屋の奥へと進む。一歩を踏み出す度に、心臓の鼓動が速くなるのを感じる。汗で銃が滑らないように、腕に再度力を込める。


 余計なことができないように、まずは男を気絶させてからデータを拝見しよう。

「…………」

 銃を突きつけながら、ぐるりと後ろへ回り込む。先ほども使用したスタンキャンディを取り出そうとしたところで、


「さよならだ、便利屋さん」


 男が右手を無造作に挙げる。その瞬間、赤子の産声のように、背後で駆動音が聞こえ始める。おそらくは先ほどのように刃を投擲するための代物だろう。トラップは複数あったということだ。


 俺は背後を振り返ることもなく、サポートAIに指示を出す。


「――ソフィア、止めろ」


『仰せのままに』

 この部屋に入ってから、俺が指示するまでもなく、ソフィアはこのコントロールルームのハックに入っていた。こういった気配りはオンリーワンAIの特権といえよう。


『室内にあった端末から侵入したわ。この部屋の壁に通信遮断機能があったみたいで、外からのアクセスは難しかったけど、一度中に入ってしまえば案外楽だったわね。防壁破りのウイルスも役に立ったわ』

 そう言えば、まだ一個残っていたな。

『防壁破りか……いざってときに便利だな。アガットに頼んで、今度からはウイルスの一個や二個は電脳に常備しておくか』


 一度動き出した背後の機械は、ソフィアの指令で再び眠りについた。

「自身の警備を人間ではなく機械に任せたのがお前の敗因だ。俺が言うのも何だが、機械を頼りすぎたな」

 敏腕の用心棒でも雇っておけば、やられていたのは俺の方だっただろう。


「こ、ここまでやるのか! 畜生!」

 男は慌てて椅子から立ち上がろうとするが、いかにも虚弱体質な研究者よりも、俺の方が速い。

「眠ってろ引きこもり。次に起きたときは豚箱でくさい飯が待ってるぞ」

 男の首根っこをつかみ、人間型接続子(ヒューマン・ジャック)にスタンキャンディを装着。そしてすかさず起動させる。一度奇妙な悲鳴を上げてから、男は体を痙攣させて気絶した。案外呆気なかったな。


「ふぅ……終わったか……。ソフィア、ここのセキュリティーは突破してるな? 必要そうな情報を俺の電脳に送ってくれ」

 部屋の中心――メインと思われる大きなコンピュータにDケーブルで有線接続する。すると、次から次へと様々なファイルが電脳に送られてくる。有線だからすぐに終わるだろう。

『とりあえず、ナノマシン関係の情報と、顧客情報を引き出しておいたわ』

「顧客ってことは、やっぱりナノマシンは販売目的で製造していたのか」

『みたいね。……ちなみに、どんなナノマシンなのか知りたい?』

「それを知るためにここまで来たんだ。もったい付けずに早く教えろ」

『はいはい。――で、ナノマシンなんだけど、かなり面白い代物よ。簡単に説明すると、電脳化できなくなるナノマシンね』


「…………」

 電脳化ができなくなるナノマシン。俺はその意味をかみ締め、ため息をつきながら首を横に振った。

『人間は生まれながらにして電脳が備わっているわけじゃない。自身の脳に専用のナノマシンを打ち込み、ネットにアクセス可能となる。ドレックが作っていたのは、電脳化に使うナノマシンと競合する物よ。電脳者と非電脳者の境界線を、壁に変化させてしまう代物ね』

「体にいいナノマシンのはずはないと覚悟していたが……こいつは酷いな。そのナノマシンを打ち込まれた人間はどうなる?」

『実験結果からすると、非電脳者は電脳化することが不可能になる。すでに電脳化している人間には効果がないみたい。だから電脳化前の子供ばかりが狙われていたのね』

 命は奪わず、手足を()()させるようなものだ。今の時代、電脳が使えないということはかなりのハンデとなる。ナノマシンに関する疑問が氷解したというのに、なんともすっきりしない気分だ。


『被害者の情報の中に、依頼者の息子の名前もあったわ。これで確定ね』

「そうか……。このナノマシン、人体に害はあるのか?」

『実験データがまだ少数だからなんとも言えないけど、今のところ実害らしきものは出ていないわね。あくまでもナノマシンに反応するナノマシンなのよ』

「不幸中の幸いか。――結局、ナノマシンを投与して、そのまま解放していた理由はなんなんだ?」

『顧客への信頼のためっぽいわね。被験者をずっと監禁しておくと、データの(かい)(ざん)を疑われるから、わざと解放していたのよ。顧客へ被験者のデータを渡し、ナノマシンの効能を証明しようって腹積もりね』

 自分たちの製造したナノマシンが効果的であることを、組織の外で証明しようってことか。確かに、作った本人が『効果があります』と話すより、実際に電脳化できないことを病院などが証明した方が信頼はある。


『ただ、ナノマシンの構造を複雑にしすぎて、そこらの病院なんかじゃ解明できなかったのは、ドレックにしても誤算だったでしょうけど』

「ま、そのおかげで俺たちに依頼がきて、結果ドレックをつぶせたからな。その点だけは感謝しよう。――データをコピーし終えたら、一度地上に上がって、アガットと合流するぞ」

 さすがに今回は俺たちだけだと手に余る。あまり使いたくはないが、警察の手を借りることになるだろう。


 部屋を出て、アガットに通話をかける。

『アガット、こっちは目標達成。そっちはどうだ?』

『おー、生きてたか青葉。こっちもなんとか片が付いた。上がってきても大丈夫だ、ていうか早く来い』

『? わかった。すぐに行く』


 とのお達しなので、気絶した男を隅っこに置かれていたケーブルで縛り上げてから、地上へと向かった。

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