ナノマシンの正体
鈍重そうな見た目に反して、勢いよく扉は動いた。間髪容れずに、俺は転がるようにして身を滑らせる。
手にした銃を部屋の中へ構えたところで、
「っ!」
俺はほとんど無意識に真横へと転がった。第六感とでも言うべきか、虫の知らせのような直感が足を動かした。
受け身なんて考えず強引に跳んだせいで、俺は芋虫のようにごろごろと床を転がる。
色の混濁した世界が視界を埋め尽くす。どちらが上で、どちらが下なのかすら判断できない。
僅かに遅れ、背後で硬い何かがぶつかり合うような音が響く。
――何かが……飛んできたのか?
音から察するに、凶器らしき物が俺目がけて投擲されたようだ。音の重さから言って、銃弾ではない。銃弾よりも質量があり、銃弾よりは速度が遅い。
『トラップよマスター! まだ来る!』
心の中で舌打ちをして、体勢を整える間もなく地面を強く蹴る。
跳ね上がる身体。すぐ後ろから響く乾いた音が、俺の毛穴から嫌な汗を噴き出させる。リアリティの伴った死の恐怖が、一歩また一歩と死神のように近づいてくる。
「くっ」
変な体勢で跳んだからだろう、俺は着地に失敗し、硬い床をごろごろと転がる。
『一か八か――ソフィア! 視覚を強化しろ!』
『電子的加護ね、了解!』
俺は全身義体ではないため、本来五感や身体能力の強化は行えない。電脳化とは、文字通り『脳』と『電子』を融合させる技術だ。肉体を機械に置き換える義体化とはわけが違う。
そのため、電脳化しただけでは、ネットにアクセスはできても、今まで以上に速く走ることはできない。これまでより頑丈になることもない。身体は生身のままなのだから。
――ただ、一つだけ例外がある。
電脳化は脳にナノマシンを注入して行われる(詳しい手順やどんなナノマシンが使用されるかまでは知らないが)。要するに、ナノマシンが電脳者と非電脳者の境界線となる。
しかし、脳だけに処置を施しても電脳化は完成されない。もう一カ所――網膜にナノマシンを打ち込まなければ、電脳化は成り立たないのだ。
どれだけ情報を処理できても、それを視覚化できなければ意味がない。ありとあらゆる情報が、目の前でホログラムとして浮かび上がるのは、眼球にもナノマシンを組み込んでいるからに他ならない。
つまり、電脳はコンピュータ。目はモニターの役割を果たす。ちなみに、電脳を動かすエネルギーも、網膜に打ち込まれたナノマシンが太陽光から得たものだ。
それ故に、視覚だけはある程度電子の恩恵を受けることが可能だ。純粋な視力だけではなく、動体視力も補強される。俺はそれに賭けてみることにした。
「――っ!」
ジン、と、目の奥が熱くなるのを感じた。熱されてドロドロになった鉄を流し込まれるような感覚。痛みはないが、限りなく不快だ。
顔を上げ、正面を見据えると同時に銃を前方に突き出す。
飛来するのは一本のナイフ――というよりはただの刃物だ。柄がないため、人間が使用するようには設計されていないのだろう。専用の機械で射出されているはずだ。
俺は全神経を迫り来る凶刃に注ぎ込む。コンマ数秒で狙いを定め、瞬く間に覚悟を決める。
体は自然と機械的に動き――引き金を引く。
銃声が鼓膜を振動させ、マズルフラッシュが強化した視界を埋め尽くす。
慌てて体勢を立て直し、その場で身構えるも、何かが突き刺さるような痛みはない。
「……銃弾で刃を撃ち落としたか……まるで漫画に出てくるガンマンだなキミは」
迫り来る脅威がないことを再度確認してから、俺は周囲に視線を走らせる。
壁と床は相変わらず真っ白だ。ここにもアナザーフラットという素材が使われているらしい。
部屋の広さは学校の教室と同じ程度。ただし、所せましと機械やコンソールが密集しているため、かなり圧迫感を感じる。
「それで……キミは誰だい?」
機械の中央――まるでこの小さな世界の王であるかのように、痩身の男がちっぽけな椅子に座っていた。年齢はおそらく四十代。よれよれの白衣とオイル汚れの付着した眼鏡が、不潔感を引き立てている。
「その扉のロックを外すなんて、結構名の知れたハッカーか何かかな? 動きを見るに、全身義体のようにも見えたけど……」
銃を突きつけられているというのに、男は気にしたそぶり一つ見せなかった。不気味なほど柔和な笑みを張り付かせ、不健康そうな目で俺を眺める。ナメクジみたいに粘着質な視線を受け、俺は唾を吐き出したい衝動に駆られた。
「祈崎市で便利屋をやっている者だ。依頼で来た。悪いが後ろのコンソール、少し調べさせてもらうぞ」
捜査令状なんてものは当然所持していないが、有無を言わせぬ口調で話を進める。
「……ここまで入られているということは、すでに組織の人間は大多数が機能していないのだろうね。トラップも無駄だったとなると……いやはや、お手上げかな。ここまできたら腹をくくろう。好きにするといい」
両腕を広げ、降伏のポーズを取る男。言動は素直だが、どうにもきなくさい。
「…………」
慎重に、部屋の奥へと進む。一歩を踏み出す度に、心臓の鼓動が速くなるのを感じる。汗で銃が滑らないように、腕に再度力を込める。
余計なことができないように、まずは男を気絶させてからデータを拝見しよう。
「…………」
銃を突きつけながら、ぐるりと後ろへ回り込む。先ほども使用したスタンキャンディを取り出そうとしたところで、
「さよならだ、便利屋さん」
男が右手を無造作に挙げる。その瞬間、赤子の産声のように、背後で駆動音が聞こえ始める。おそらくは先ほどのように刃を投擲するための代物だろう。トラップは複数あったということだ。
俺は背後を振り返ることもなく、サポートAIに指示を出す。
「――ソフィア、止めろ」
『仰せのままに』
この部屋に入ってから、俺が指示するまでもなく、ソフィアはこのコントロールルームのハックに入っていた。こういった気配りはオンリーワンAIの特権といえよう。
『室内にあった端末から侵入したわ。この部屋の壁に通信遮断機能があったみたいで、外からのアクセスは難しかったけど、一度中に入ってしまえば案外楽だったわね。防壁破りのウイルスも役に立ったわ』
そう言えば、まだ一個残っていたな。
『防壁破りか……いざってときに便利だな。アガットに頼んで、今度からはウイルスの一個や二個は電脳に常備しておくか』
一度動き出した背後の機械は、ソフィアの指令で再び眠りについた。
「自身の警備を人間ではなく機械に任せたのがお前の敗因だ。俺が言うのも何だが、機械を頼りすぎたな」
敏腕の用心棒でも雇っておけば、やられていたのは俺の方だっただろう。
「こ、ここまでやるのか! 畜生!」
男は慌てて椅子から立ち上がろうとするが、いかにも虚弱体質な研究者よりも、俺の方が速い。
「眠ってろ引きこもり。次に起きたときは豚箱でくさい飯が待ってるぞ」
男の首根っこをつかみ、人間型接続子にスタンキャンディを装着。そしてすかさず起動させる。一度奇妙な悲鳴を上げてから、男は体を痙攣させて気絶した。案外呆気なかったな。
「ふぅ……終わったか……。ソフィア、ここのセキュリティーは突破してるな? 必要そうな情報を俺の電脳に送ってくれ」
部屋の中心――メインと思われる大きなコンピュータにDケーブルで有線接続する。すると、次から次へと様々なファイルが電脳に送られてくる。有線だからすぐに終わるだろう。
『とりあえず、ナノマシン関係の情報と、顧客情報を引き出しておいたわ』
「顧客ってことは、やっぱりナノマシンは販売目的で製造していたのか」
『みたいね。……ちなみに、どんなナノマシンなのか知りたい?』
「それを知るためにここまで来たんだ。もったい付けずに早く教えろ」
『はいはい。――で、ナノマシンなんだけど、かなり面白い代物よ。簡単に説明すると、電脳化できなくなるナノマシンね』
「…………」
電脳化ができなくなるナノマシン。俺はその意味をかみ締め、ため息をつきながら首を横に振った。
『人間は生まれながらにして電脳が備わっているわけじゃない。自身の脳に専用のナノマシンを打ち込み、ネットにアクセス可能となる。ドレックが作っていたのは、電脳化に使うナノマシンと競合する物よ。電脳者と非電脳者の境界線を、壁に変化させてしまう代物ね』
「体にいいナノマシンのはずはないと覚悟していたが……こいつは酷いな。そのナノマシンを打ち込まれた人間はどうなる?」
『実験結果からすると、非電脳者は電脳化することが不可能になる。すでに電脳化している人間には効果がないみたい。だから電脳化前の子供ばかりが狙われていたのね』
命は奪わず、手足を壊死させるようなものだ。今の時代、電脳が使えないということはかなりのハンデとなる。ナノマシンに関する疑問が氷解したというのに、なんともすっきりしない気分だ。
『被害者の情報の中に、依頼者の息子の名前もあったわ。これで確定ね』
「そうか……。このナノマシン、人体に害はあるのか?」
『実験データがまだ少数だからなんとも言えないけど、今のところ実害らしきものは出ていないわね。あくまでもナノマシンに反応するナノマシンなのよ』
「不幸中の幸いか。――結局、ナノマシンを投与して、そのまま解放していた理由はなんなんだ?」
『顧客への信頼のためっぽいわね。被験者をずっと監禁しておくと、データの改竄を疑われるから、わざと解放していたのよ。顧客へ被験者のデータを渡し、ナノマシンの効能を証明しようって腹積もりね』
自分たちの製造したナノマシンが効果的であることを、組織の外で証明しようってことか。確かに、作った本人が『効果があります』と話すより、実際に電脳化できないことを病院などが証明した方が信頼はある。
『ただ、ナノマシンの構造を複雑にしすぎて、そこらの病院なんかじゃ解明できなかったのは、ドレックにしても誤算だったでしょうけど』
「ま、そのおかげで俺たちに依頼がきて、結果ドレックをつぶせたからな。その点だけは感謝しよう。――データをコピーし終えたら、一度地上に上がって、アガットと合流するぞ」
さすがに今回は俺たちだけだと手に余る。あまり使いたくはないが、警察の手を借りることになるだろう。
部屋を出て、アガットに通話をかける。
『アガット、こっちは目標達成。そっちはどうだ?』
『おー、生きてたか青葉。こっちもなんとか片が付いた。上がってきても大丈夫だ、ていうか早く来い』
『? わかった。すぐに行く』
とのお達しなので、気絶した男を隅っこに置かれていたケーブルで縛り上げてから、地上へと向かった。




