06:メアリさんの恋事情(3)
長いツタは、容赦なくあたしの身動きを封じていた。
手も後ろに縛られて、このままじゃ魔法を撃つ事もできない。
『いいザマだな。では遠慮なく、お前から生気を貰うぞ』
舌の長い魔物が近付いてくる。
どうする……?
抵抗しようと思えばできない事も無いけど、そんな事をすればエゴイ君が……。
『おっと、動くなよ……』
「うあっ!」
魔物は大鎌を振り下ろし、あたしの胸元を大きく切り裂いた。
やばい……痛いし、結構血が出てる。
『うむ、悪く無い味だ』
その長い舌で、鎌に付いた血を舐めている魔物。
見ているだけで、気分が悪くなってくる。
やばい、胸元からの血が止まらない……致命傷受けちゃったかも。
『クックック……いい表情をするじゃないか。もっとお前を絶望させてやろう。そうだ、次はお前自身を堪能させてもらうとするか』
魔物は長い舌を伸ばしながら、あたしの体を掴んだ。
『ずっと幻覚の世界で楽しんでいれば良かったものを、余計な事をするからこういう目に遭うのだ』
「くそっ……!」
出血が酷いせいで、目が霞んできた。
抵抗しようにも、もう力が入らない。
血と一緒に、魔力も流れちゃったのか……。
『その着ているものが邪魔だな。まずは、それを切り裂いてやる』
魔物は鎌を振り、あたしの衣服を切り裂いた。
同時にツタからも解放されたけど、この出血量じゃ、もう動けない……。
『いい恰好だ。このままお前から生気を吸いとってもいいが……その前に』
魔物は、再びエゴイ君の首元に鎌を当てた。
「エゴイ君には手を出さないんじゃなかったの!?」
『絶望した人間の生気ほど美味いものは無いからな。さあ、もっと絶望を見せてくれ』
こいつ……!
エゴイ君、目を覚まして! お願い、そこから逃げて!
駄目だ……! もう、指先すら動かない……!
助けたいのに……。エゴイ君だって、あたしの……大事な人なのに!
●○●○
『エゴイ君、あたしを好きにしていいんだよ』
「メ、メアリさん!? な、何を言ってるんですか!」
『だって……エゴイ君ってエロイ君だから、あたしとこういう事、したかったんでしょ?』
メアリさん……いくら二人きりだからって、なんて大胆な事を。
あと、僕はエロイ君ではありません。
『ほら、この胸だって、好きにしていいんだよ』
「メアリさん……」
たしかに僕は、メアリさんの事が好きだ。大好きだ。
でも、僕はこんな事がしたかったんじゃ無い。
できれば、メアリさんとは純愛を育んでいきたかった。
僕がアステア国に来たのだって、本音を言ってしまえば、メアリさんと一緒に居たかったからだ。
僕だって男だ。メアリさんとこういう事がしたくなかったかと言えばそんな事は無い。
だけど、違うんだ……。こういうのは違う。
「メアリさん……やっぱり駄目です! こんな事するなんて、メアリさんらしく無いですよ!」
『エゴイ君はあたしの事、嫌い?』
「そんな……、そんなわけないじゃないですか! でも、僕は……」
メアリさんは、うるんだ瞳で僕を見つめてくる。
こんなのを前にして、僕の理性も崩壊寸前だ。
メアリさんがその気なら……いいのか?
あまり拒み続けると、かえってメアリさんを傷つけてしまうかもしれない。
『エゴイ君』
やっぱり……、何か違和感がある。
あのメアリさんだぞ? 急に、こんなしおらしくなるはずが無い。
もしかしたら、僕もメアリさんも、幻術か何かに掛かっているんじゃないか?
彼女ほどの人が、そうそうそんなものに掛かるとは思えない……が、僕にだったら可能性はある。
念の為だ。これで何も変化がなかったら、その時は……。
「メアリさん、ちょっとだけ待ってください……、もしかしたら、僕達は悪い魔法に掛かっているのかもしれない」
『何を言い出すの? エゴイ君』
「──【ラウンドサルヴ】」
どうだ……? 何か変化は?
『……』
ああ、やっぱり……。目の前のメアリさんが崩れて行く。
こんなの、本物のメアリさんなわけないよな……。
と言う事は、僕達は何者かの攻撃を受けているという事か。
もしかして、これが休憩所で起きている異変なのか?
……こんな事言うのは不謹慎かもしれないけど、いい夢だったよ。
でも、余計なお節介だ。
メアリさんとの事は、幻術なんかの手を借りなくても、いつか僕の手で叶えて見せる。
○●○●
魔物は、エゴイ君の首に当てた鎌をそのまま振り下ろした。
飛び散る鮮血。そして、エゴイ君の首は宙を舞った。
ああ……まただ。また、あたしは救えなかった。
これでは、ロデオさんの時と一緒だ。
もう、あんな事……、絶対させないって……誓ったのに……。
もう、人が死ぬのは……見たく無かったのに……。
エゴイ君は────もう、甦らない────。
「うっ……うぅ……」
『お前の大事な奴の首だ。ほれ、受け取れ』
目の前に、エゴイ君の首……。
血を流し、静かに目を瞑る彼の顔……。
もう……、あたしに語りかけてはくれないんだ……。
ごめん……ごめんね、エゴイ君……。
あたしも、すぐそっちに行くから……。
『いいねぇ……いい絶望だ。ほら見ろ、お前からこんなにも生気が流れてくるぞ』
エゴイ君……。エゴイ君……。
「【デオサンダー】!」
……え? 今の声……。
『ぐああああ!?』
「お前だな! 僕達に幻術を掛けたのは!」
エゴイ君の声が聞こえる……。どうなってるの?
駄目だ……動けない……。
「メアリさん!? 酷い出血だ……。────【デオリザレクション】!」
「え? ……え?」
上級回復魔法が、あたしの胸の傷を癒して行く。
見上げると、そこには見知った彼の姿があった。
「エゴイ君……!」
「ちょ、ちょっと!? メアリさん、何て恰好してるんですか! ぼ、僕のローブ羽織っていてください!」
「あ、うん……! ありがとう……」
さっきまで胸に抱えていたはずの、エゴイ君の首が消えていた。
あれも、幻術だったの?
「メアリさん……、何も、されてませんか?」
「え? 何もって……?」
「だから、その……、あいつに……、手を出されたりはしてませんよね?」
「あ、うん……。ねえ、エゴイ君は本物?」
「──【ラウンドサルヴ】……。どうです? 僕もメアリさんも、本物でしょ?」
「エゴイ君!」
あたしは、思わずエゴイ君に抱き付いた。
温かい……。良かった……エゴイ君は生きていたんだ……!
『なかなか痛い魔法を使ってくれるじゃないか。お蔭でちょっと痺れて動けなかったぞ』
「上級魔法を直撃させたのに……、しぶとい奴め……」
『ここは、俺の世界だ。余程の事が無い限り、この世界で俺が死ぬ事は無い。それに、俺はもう既に死んでいるのだしな』
「どういう事だ」
『俺もかつては人間だったのよ。魔物に襲われ、仲間に見捨てられ、行き倒れた人間。それが俺だ』
こいつ、魔物の癖に人語を流暢に喋っていたのは、そういうわけだったのか。
『仲間に復讐してやる……人間共に復讐してやる……。その願いが叶ったのか、俺は気が付いたら魔物になっていた。だが、不便な事にどうやら自分からは動く事は出来ないらしかった。だから、こうして、ここで人が来るのを待っていたのだ』
「お前のその経緯には同情しない事も無い。だが、メアリさんを傷付け、辱めた事とはまた別の問題だ」
『別に同情してもらおうとも思っていないさ。見てみろ、この姿を。この頑丈さを。俺は、最強の体を手に入れた。一度だけ死ぬかと思った体験もしたが……この体は、どれだけダメージを受けてもまた再生する』
「哀れな奴め……。世界を恐怖に陥れた魔王も滅び、平和が訪れたこの世界で、お前はいつまでそんな事をしているんだ」
『魔王が滅びようが何だろうが俺には関係無い。俺は……俺のしたいようにするだけだ!』
魔物は鎌を振り上げて、エゴイ君に襲い掛かってきた。
このままじゃ、本物のエゴイ君も殺されちゃう。
「エゴイ君、あたしももう戦えるわ。一緒にこいつを──」
「メアリさんは、下がっていてください。というか、きちんと胸元隠してください」
「あ……えっ!? やだ、エロイ君!」
エゴイ君は、あたしの前に出て、魔物の方を向いて詠唱を始めた。
『魔法など、この俺には効かん!』
「【マジックミラー】!」
『何をするかと思えば、こんな鏡を出してどうする気だ!』
「【マジックミラー】!」
エゴイ君は魔法の鏡を次々と出現させていった。
この鏡の魔法は、魔法を跳ね返す効果を持つ魔法。
もしかして、反射した魔法を魔物にぶつける気なのだろうか。
『俺の虚を突いて反射した魔法をぶつける気だな? ……そうは行くか!』
ばれてるじゃないか!
魔物の鎌がエゴイ君の腕をかすり、血が飛んだ。
エゴイ君が何を考えてるのかわからないけど、このままじゃ負けてしまう。
こうなったら、今のうちにミリューガ級の魔法を詠唱して──。
やっぱり魔力が足りない! あの魔物に、生気ごと魔力を持って行かれてしまったのか。
『女の前で恰好付けたいとは、大した色男じゃないか。だが、それがお前の命取りになるのだ!』
魔物は鏡の魔法を叩き割りながら、再びエゴイ君に向けて襲い掛かった。
「ケチって一枚ずつだと間に合わないか……」
『死んで絶望の糧となれ!』
「【ブライトニング】」
『ぐあっ!』
「キャッ!」
突然エゴイ君の周りが閃光で包まれる。
魔物の目くらましには成功したみたいだけど、あたしも目が眩んじゃったじゃないか!
『き、貴様……!』
「────【ラウンドミラー】」
エゴイ君が、初めて聞く魔法を詠唱したみたいだった。
ラウンドミラー……円形に出現する、マジックミラー?
「なるほど、メアリさんの使ったホバリングの応用を試してみたけど、僕でもやればできるもんだ」
『グギギ……』
「これで、チェックメイトだ」
『な……、何をする気だ!』
「僕は、大した魔法は使えない。せいぜい上級魔法までがいいところだ。だが、こうして鏡で取り囲んでおけば、僕の気の済むまで、お前をひたすら攻撃する事ができる」
それほど近くで見たわけじゃないからか、あたしの目はだんだんと馴れてきた。
エゴイ君は、目が眩んで苦しむ魔物に向け、魔法の詠唱を始めた。
「【ワイド・デオサンダーアロー】」
無数の雷の矢が魔物の体を貫く。
魔物を貫いた魔法は、魔法の鏡に反射して、また魔物を貫いた。
『ぐがああああ!!』
「この攻撃は、僕のマジックミラーを維持する魔力が尽きるまで続く。魔法で死ぬ事が無いお前には、このくらいで丁度いいだろう」
『ぐうっ! ……ふざけるな! このくらい上に避けて……動けん!?』
「さっき、サンダーを受けたお前は、痺れてしばらく動けなかっただろう。お前の言う、最強の体だったとしても、魔法の効果が出ないわけではない。そして、このサンダーアローも同じ特性を持っている。それに加え、デオの加護で射出速度を上げておいた。つまり、お前は、この魔法から逃れる事は出来ない」
鳴り響く魔法の反射音と炸裂音、そして魔物の叫び声。
そうか、魔法にはこういう戦い方もあるのか。
いつも一生懸命魔法を研究していた、エゴイ君ならではって感じがする戦い方だ。
『鏡の……ぐあっ! 魔法が……ぐひっ! 消えたら……どひゃっ! お前を殺してやるからな! ぎゃひっ!』
「たぶん、あと三時間くらいはもつな。それまで、お前の悲鳴でも聞いて楽しんでいようか」
『さ、三時間だと……!? ぎゃあっ!』
「マジックミラーは、術者が離れれば消える。お前が僕達を元の世界に返せば、その鏡も消えるぞ」
『ふ、ふざけ……ぎゃふんっ! か、返す! 返してやる! くそっ……覚えてろ!』
エゴイ君、いつの間にこんなに逞しくなって……。
そっか……、ずっと弟のように思ってきたけど、エゴイ君も成長してたんだね。
世界が真っ白に広がって行く。
あたし達、元の世界に帰れるんだ────。
………………
…………
……
「う……ん……」
「メアリさん、おはようございます」
目が覚めると、そこは休憩所の中だった。
「エゴイ君! 本物のエゴイ君だよね!?」
「もちろんですよ」
「首も……ちゃんと付いてる!?」
「首が離れたら死んじゃいます」
「良かった……。良かったよぉ……」
あたしは、エゴイ君にしがみ付き、ただただ泣いた。
失わずに済んだ、あたしの大事な人……。
「エゴイ君……、大好き……あなたを愛してるわ……」
「ちょ、ちょっと、メアリさん!? まだ幻術に!?」
「幻術なんかじゃないよ……。これは、あたしの本当の気持ち……あなたを失いそうになって気付いた、あたしの本当の……」
「……メアリさん……僕も、あなたの事が……」
「……」
……。
◆◇◆◇
あたし達は、再びあの墓石の前に来ていた。
ここから、微かだけどあいつの魔力を感じる。
「あまり気乗りはしませんが、中を調べてみましょう」
墓石の内部には、骸骨と化した亡骸が眠っていた。
そこから、より一層あの魔物の魔力を感じる。
「……これかな?」
エゴイ君は、頭蓋骨の口から手を突っ込むと、内部にあった魔法石のようなものを取り出した。
「なるほど……これがあいつの本体。どういう経緯で誰がこんな細工をしたのかはわかりませんが、これさえ破壊すれば、あいつも消えるでしょう」
『ま、待て! もう悪さはしない……だから、それを破壊するのだけは……!』
エゴイ君は、その石を上空に放り投げた。
「【デオサンダー】」
エゴイ君の雷の魔法を受け、石は粉々に砕け散った。
最後に、あいつの断末魔のようなものが聞こえたけど気にしないでおこう。
「エゴイ君、お疲れ様」
「あいつも悲しい奴だったんですよ。ともかくこれで、あの休憩所で起きた事件も解決です」
「そうだね」
エゴイ君は、亡骸の眠る墓石をそっと閉じた。
「さ、帰りますよ。早く帰って、調査報告とか色々やらないといけませんし」
「うん、あたしも手伝うから」
「メアリさん!? いつも、そういうのは僕に任せて逃げちゃうのに」
「その代わり早く終わったら、あたしを食事にでも連れてってよ」
「うっ……、わ、わかりましたよ」
あたしは、エゴイ君の腕を掴んで歩き出した。
食事か……何を奢ってもらおうかな。
縁談の書状……あれも、全部お断りの返事書かなきゃね。
帰ったら、意外とやる事がいっぱいだ。
お読みいただいて、ありがとうございました。