第5章・本音
部長の声は、すでに元に戻っていた。余韻に浸っていたはじめはその声で現実に帰る。
「合、格……」
「ああ。ハトの言ったとおりだな。2回目は強いようだ」
白戸は全くのデタラメで言っていたのだが、部長はそれを引用した。
「明日からまた練習だ。君はまだまだ向上が目指せるから、しっかり励むように」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
「それではまた明日」
と言って部長は去ろうとしたが、ここにきてようやくはじめはあることに気付いた。
(今――部長と二人きり!?)
……遅い。が、まぁ何とか気付いたようだ。そして、この貴重なチャンスを活かそうとする。
「あの、部長。ヒロイン役、スゴク上手かったですね」
「……演劇をやる女性なら、自分がヒロインを演じる姿をイメージしてしまうものだ。割り当てられた役でなくとも、頭の中に浮かんでしまう」
「へぇ……」
部長が自らを”女性”と言ったことが、はじめには新鮮に感じられた。
「私も演劇をやり始めたころはヒロインに憧れていた。メインを飾りたいと思っていた時期があった」
「今は……違うんですか?」
「ヒロインは舞台の花とよく言われるが、私は他の花に強く惹かれたのだ」
「他……?」
「ああ。ヒロインには、そのキャラクターにもよるが桜、百合、ヒマワリなどの見た目に良い鮮やかな花のイメージがある。しかし、私があこがれたのはそのようなメインを飾る花ではない。……コリー。松の花を見たことがあるか?」
「松の花……? いいえ」
と、言うよりも、はじめは松が花を咲かせることなど知らなかった。
「ある。赤い雌花と、黄色い雄花がな。これは今述べた花と比べるとぐっと見劣りする。だが、じっと見てみるとなかなか面白い花だ」
「はぁ」
「松やそのほかの針葉樹は、花粉で生殖するのだが、虫や鳥に頼らず風に吹かれて花粉を散らす」
「あっスギ花粉とかですね」
「彩りや蜜の匂いで虫を呼ぶ必要がない。それ故にあまり目立たない花になっている」
「なるほど……」
わかったような、わからぬような表情ではじめは答えた。
「目立たないが、実を結ぶのには欠かせない存在。それが松の花なのだ」
「はあ……」
演劇から離れた話に、少しとまどっている。その様子を見て、部長は話を戻す。
「まあ、花といっても色々あるという話だ。少しややこしくなったようだが、長く稽古を続けていけば、いずれわかるだろう」
「そう、ですね。頑張ります」
「うむ。それと……お前もだ。ハト」
「ええっ!?」
と、言ったのははじめではない。部長が指さした方向の草むらに潜んでいた白戸の声だ。
「気付いてたんスか!? 部長」
「コリーを連れてきたらすぐに帰れと言ったのに、車のエンジン音が聞こえない。すぐにわかった」
草まみれになった白戸がきまり悪そうに出て来る。
「おう!コリー。お前やれば出来るじゃぁねぇかよ〜。さすが俺が推薦しただけのことはあるぜ〜」
「み、見てたんですか!?」
「いや〜カッコよかった。ホレるね。あれは……」
「誤魔化すな」
「はい……」
いつもの部長と白戸のやり取りを見て、はじめは思わずクスリと笑う。
「お! おお! 3年に一度しか見れないコリースマイル!」
「黙れ、ハト。……しかし丁度いい。お前の車でコリーを送ってやれ」
「了解っす。んじゃ、コリー、先に車のところに戻っててくれ」
そう言って車のキーを渡す。
「はい。……部長、また明日からよろしくお願いします」
「うむ。こちらこそだ」
去って行くはじめを見送り、白戸は部長に向き合う。
「部長、一つ聞いてもいいっすか?」
「なんだ」
「あの手を握る場面で、『…好き』ってセリフはなかったような気がするんスけど」
そう言う白戸の手には丸めた台本があった。
部長はそれに気付き、……顔を赤らめた。
「……! 貴様……余計なことばかり覚えているなっ……!」
「ヒィッ!? す、スイマセンッ!さよなら!」
文字通り逃げるように白戸は去って行き、あとには部長だけが残った。
「……久々の演技だったから、セリフを間違えただけだ……」
誰もいないのに、自分に言い聞かせるようにつぶやく。
……顔が赤いままなのは、夕日がさしたから……だけなのだろうか……?