第4章・再試
西条 壬織 (さいじょう みおり)
21歳・大学4年
小説家・唖倉浪才の隠れファンで、生前の彼に会ったことがある。ちなみに、一つ年上の兄がいる。
山道に入る直前で、白戸は車を止めた。
「こっからは一人でいきな。俺は帰るから」
「先輩は来ないんですか?」
「部長に来るなって言われてるんだよ。じゃ、頑張れよ」
白戸に見送られ、はじめは山道を登って行く。山道といってもきれいに舗装されているので、そう苦労はない。
唖倉浪才――以前少しだけ紹介した小説家である。この小説家は5年前に亡くなり、はじめが向かっているのはその墓だ。
「来たか、コリー」
白戸の言うとおり、部長はそこで待っていた。
「部長、どうしてこんな所で……」
「ここからは、町がよく見えるからな」
唖倉浪才の墓は、ちょうど町を見下ろすような形で立っている。画家のコナガワ(これも以前紹介した)がここから見える夕日を描いたというエピソードもあり、魅月町の観光スポットでもある。
「それで、用件は……?」
「再試験だ。お前がもう一度舞台に出られるかどうかのな」
「……えっ……」
はじめは困惑した。もう一度……? なぜこんな場所で……? と。
「ここからは町全体が見える。逆に言えば、町中から見られているということだ」
「あっ…」
「それに、今回の演劇の原作者である唖倉先生の墓前だ。ここで演技をやってもらう」
「これが、再試験ですか」
「そうだ。相手役は私がやろう」
部長の演技を見るのは初めてだ。そして、町中から見られているという意識がはじめを硬くした。
「シーンはクライマックス。主人公がヒロインと別れて旅立つ場面だ」
部長の言葉も遠くから聞こえる。人の心は不思議なもので、本当に見られていなくても、「見られているかもしれない」と意識するだけで視線を感じてしまう。(実際、私が見ているのだが)部長の狙いはそれだった。はじめが町中からの視線を克服できるか。それが再試験だった。
「いいな、コリー。始めるぞ」
はじめの心が定まらないまま、部長が開始を告げる。
「ま、待って、ください! まだ準備が…」
『次に会うのは、4か月後か…。長いね』
「!?」
部長の声色が変わっている。顔つきもだ。「舞台に上がると人が変わる」とはまさにこのことだ。
『でもちゃんと連絡が出来るだけマシだね。いつでも声が聞けるんだもん』
『……ソ、ソウ……ダナ……。』
カタコトだ。はじめはまたも緊張してしまっている。
しかし、そのまま部長は続ける。
『でも毎日ってのもさすがに味気ないね。週に一度手紙が来る、ぐらいがいいかな?』
『……カ、カな……。本と……ウにそうスル……か』
『……んーん』
部長はクスリと笑い、はじめの手を握る。
『やっぱり、毎日がいいな。淋しいもん』
『あ……カ……』
もう、声が出ない。ただでさえ緊張しているのに、部長に手を握れられているのだ。温もりが伝わり、顔が紅潮する。
『ウあ……あ……』
血液が滾り、神経が全開になる。グラグラと足もとが揺れる感覚に襲われ、思わず目を瞑った。
(もう、ダメだ……っ!)
昂ぶりに耐えきれず、はじめが逃げ出そうとした瞬間……。
『好き……』
「!?」
『1週間もガマン出来ないくらい、好き……』
ドクン。大きな音をたてて、心臓が震えた。
演技だとわかっていても、部長の言葉ははじめの心に深く突き刺さった。そして、部長の手に熱を帯びた力がこもる。
(ああ――)
許容量を超えた熱を受け、はじめの中でなにかが変わる。
(ここで逃げたら、それ……一番、カッコ悪い。それに……もっと面倒臭くなる)
『俺も……淋しい。けど、その分4か月後がすごく楽しみだ』
ゆっくりと、力強くセリフを言う。もう震えは止まっていた。
『そばにいなくても愛は伝わる。昔からよく言うだろ?』
『……うん。でも、それでもそばにいたいっていうのが、本当の愛だと思う』
『……それでも。それでも遠くに行ってしまうのが……』
『男の夢なんだ。でしょう?』
二人は手を握ったまま、しっかりと見つめ合う。
『いいよ……。私、夢を追いかけてる背中って、すごく好きだもん』
『……もう、時間だ』
『それじゃあ……待ってるからね。向こう着いたら、すぐに連絡してよね!浮気なんかしたら許さないからねっ!』
『ああ。絶対な』
『バイバイ……』
二人の手が離れ、はじめは背を向けて歩きだす。
その背中に、部長が声をかける。
「合格だ。よくやった、コリー」