エルサーラン
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その日、エルサーランは村の近くにある“大きな木”の根元で穴を掘っていた。この木は赤く甘い果実を一年中実らせ、それは森の動物たちや、村の人間にとってごちそうであった。
エルサーランの一族はノームである。体は人よりも小さかった。腕はだらりと下げれば膝ほどまであった。
森と平原が入り混じったところに村をつくり静かに暮らしていた。崖にある洞窟のような、けれど土がむき出しでなく漆喰のようなものが塗られた竪穴に住んでいた。果実や山菜、野草を食し、肉の類は祭りや誰かの誕生日であるような特別な日でなければ食べなかった。魚は特別な日でなくとも食べた。
彼の一族は肉好きというわけではなかった。あくまでも珍味のような扱いで肉は彼らの食卓に上がった。
しかし、エルサーランは彼らの中で変わった青年であった。彼は大の肉好きであったのだ。
エルサーランは穴を掘っていた。赤い果実を食べに来た動物を穴へと落とし、その肉を自分が食らうために。
その穴は落とし穴であった。
カツン……、という音が響いた。彼の持っているスコップが何か硬いものにあたった音である。
彼は悪態をつきつつも、音の原因を取り除くために自らが掘った穴へと体を突っ込んだ。
彼は音の原因が大きな岩石であろうと思っていたが、その予想は外れていた。
そこにあったのは、箱であった。
銅や鉄ではないであろう何かの金属でできた不思議な箱だった。しかしぼろぼろで、とても価値があるようには見えなかった。
錠はかかっていたが、腐食し、用をなさなくなるのも時間の問題だと思うような有様であった。
そんな錠であったから、壊すのは簡単だった。スコップを何度も叩きつけてやると錠は壊れた。
箱を開けてみると、そこには掌に収まるほどの赤い光を放つ宝石があった。
彼はそれを手に、一度村に帰ることにした。
あくる日、エルサーランは自分の住処に置いてある木箱をひっくり返していた。 ナイフやよくわからない形をした木片、布きれなどを放り、木箱をあさる。しかし、目的のものは見つからなかった。
エルサーランは冒険話好きのエルシーレンのところへ行った。そしてエルシーレンに自らが求める物を告げた。
エルサーランとエルシーレンはともにエルシーレンの住処へと入って行った。
エルシーレンは自分のいろいろなものが入った木箱をあさり、そしてその手がずるり、と大きな長方形をした板のようなものを木箱から引きずり出した。
“エルサーディン冒険譚”
その板は本であった。大きく、分厚い本にはそのように表紙に銘がうたれていた。
エルシーレンはそれをエルサーランに渡した。
エルサーランはその本を床に置くと、おもむろにページをめくりだした。その姿は何かの記述を探しているように見えた。エルシーレンはエルサーランと仲が良かったので、それを一緒に覗き込んでいた。
しばらくすると、しゃがみこんでぱらぱらとページをめくっていた手が止まる。目的のものを見つけたようである。
“エルサーディンは邪悪な魔力の塊である、赤い石をミスリルの小箱に封印した”
そう記述があった。エルサーランは子供のころに読み聞かされた“エルサーディン冒険譚”に赤い石が出てきたことに気が付いていた。
エルサーディンは“偉大なひとり目”と呼ばれている。エルサーランたちが暮らすこのノームの里をつくったのが彼であったからだ。
彼は各地を放浪し、ときに命の危機にあい、ときに友との別れを惜しみながらついに安住の地を得た。
それがこのノームの里である。
この里にいる者は皆エルサーディンの血を引いている。この里で生まれたものは皆親戚であり、家族であり、兄弟である。
彼らに姓はない。しかし慣習として親の名前の前半をつけていた。
だがたまに音が気に入らない、外の偉大なものの名前に倣いたいといったことで名前の前半をつけないこともあり、いくつかの家は名前が異なっている。
彼らノームの里のものたちはエルサーディンをたたえている。彼らの偉大な先祖であるから。
その偉業は書となり、このノームの里に数冊が存在している。子供たちはそのお話を読み聞かされて育つのだ。
エルサーランは赤い石の入った箱を掘り当てたとき、いつの日か読み聞かされたエルサーディン冒険譚の邪悪な赤い石のことを思い出したのである。
エルサーランはエルシーレンと別れると、自分の住処へと帰って行った。
そしてエルサーランは赤い石を布きれに包むと、木箱の中へそっと入れた。結局エルシーレンには見せなかった。
彼はこの自分が見つけた赤い石がエルサーディン冒険譚に出てきた邪悪な赤い石ではないだろうと考えていた。エルサーディン冒険譚に出てきた赤い石であるならば、邪悪な気配を感じるはずであるからである。
エルサーランは見つけた赤い石から邪悪な気配を感じなかったのでそう思い、とりあえずしまっておくことにしたのだった。
エルサーランが赤い石を持ち帰ってから三日目の朝、ノームの里のもの三人が眩暈がすると言い出した。
三人同時であったので、すわ何か昨夜の飯に毒草でも紛れ込んだかと里はざわついた。
しかし、立っていると目が回る程度でそこまでひどいものではなく、念のために三人は寝かせてひとり世話役を残し、里の人たちは各々の仕事に行った。
エルサーランは嫌な予感がした。
一夜明け、例の三人のもとへ行った者たちは三人の変化に驚いた。
よくなるだろうと思っていたところが、逆に症状がひどくなっていたからだ。三人は吐き気とけだるさを感じていた。
さらにはもう二人、めまいがすると訴える者が出た。
これはただ事ではないと、ノームの里のもの総出で原因を考えたのだが、誰も答えを出すことはできなかった。
自分たちで解決できないのだから、隣人の力を借りるしかないとノームの里の者たちは考えた。
少し早目の昼飯を食べ、ノームの里から森の中へ行く集団がいた。
それは、森にすむエルフたちへの使者だった。
使者を送り出して三日目の昼、ノームの里に訪問者が訪れた。
待ちわびていたエルフたちがやってきたのだ。
エルフは五人いた。
エルフたちはノームと違い、ひょろりと背が高かった。並ばせると子供と大人かと見まがうほどであった。
「よくぞ来てくださいましただ。わしらのじい様よ」
ノームの里の村長はエルフたちを歓迎した。
エルフたちは長命である。今回使者を送ったエルフの里はエルサーディンがこの地にノームの里を築いたときからの古い付き合いがある。
このノームの里のものたちにとって隣の森にすむエルフたちはその多くが自らが子供のころからの知り合いであった。
ここのノームたちにとってエルフたちは祖父に等しいのである。
特に今回来たエルフにはエルフの長老がいた。
エルフの長老はとても長い間ノームの里のノームたちを見てきた。彼にとってノームたちはかわいい孫曾孫であった。
ノームの危機と聞いて風の魔術を使い、急ぎ馳せたのである。
「うむ。土の児らよ、大変なことが起きているようじゃな。程度はどのようなのじゃ?」
エルフの長老が問いかけると、ノームたちは皆一様に表情を暗くした。
この日までで体調を崩している者は十二人にも及んだ。ノームの里には五十人ほどが暮らしている。実に四人に一人が体調を崩している状態なのである。
特に初期から不調を訴えていたものはもう起き上がる気力もなく、寝たきりになっていた。
ノームたちはこれは祟りであると、いや伝染病が風に乗ってきてしまったのだと、さらにはもうノームの里は終わりであるというものまで出始めていた。
そのことをエルフの長老に話すと、では早速体調を崩した者たちを診ようということになった。
ノームたちはエルフたちを体調を崩している者たちのところへ案内した。
ここ二日くらいに体調を崩したノームたちはさほどひどくはなかった。しかし初期のころに体調を崩したノームたちは瞳に力がなく、時折苦しそうにうめき声をあげ、見ているだけでこちらまで苦しくなってくるような有様であった。
エルフの長老と、彼と一緒に来たエルフたちは体調を崩したノームたちを診て回った。
ノームひとりをエルフひとりが診て終わりにするのではなく、皆で見て回り、気になるところは随時話し合った。
エルフたちは必死な貌をしていた。
エルサーランはずっとそれについて回った。
夕方、エルフたちとノームたちは難しい顔で話し合っていた。
毒草などではなく、おそらくは魔術的なものであるということしかわかっていなかったのである。
このままでは近く死人が出るであろうと、皆自分たちの無力さに打ちひしがれていた。
そんな中、エルサーランは気が気ではなかった。
彼はもし自分が見つけたものが原因だとしたのならと、恐ろしくて仕方がなかったのだ。
ここまで事が大きくなってしまった。彼はノームの里から責められるのが恐ろしかった。
しかし同時に、ここで知らせなければ想像もつかないほど大変なことになるというのも彼は感じていた。
なにより、数日前まで親しくしていたノームの里のものたちが苦しみながら死のうとしているのが辛かった。
エルサーランはエルフの長老に声をかけた。
「……この赤い石について、詳しく聞かせてくれるかえ?」
エルサーランはエルフの長老を自らの住処に招き入れていた。そこで、木箱から赤い石を取り出すとエルフの長老に見せたのである。
エルサーランは、この赤い石は“大きな木”の根元を掘っていたら見つけたこと、この赤い石を持って帰ってきた翌日からノームの里で体調を崩すものが出始めたことを話した。赤い石が入っていた箱も見せた。
「なるほど、なるほど。こんなものを見つけてしまうとは、おぬしも災難というか……。しかし、ある意味ではよかったのかもしれん」
そう言うと、エルフの長老は赤い石とそれが入っていた箱を持って皆が集まっている場所に戻った。
エルサーランは、そのあとを俯きながらついて行った。
エルフの長老はノームの里の皆と使者のエルフたちを集めて話をした。
エルサーランが赤い石を見つけたこと。
それを里に持ち帰ってから体調を崩すものが出始めたこと。
自らが赤い石を見たところ、とてつもない邪悪な力を感じたこと。
ほぼ確実に、今回の騒動の原因はこの赤い石であろうということ。
そういったことを、エルフの長老は赤い石を見せながら説明した。
それを話したところ、場には鬱屈とした空気が流れた。
多くのものがエルサーランに暗い目を向けていた。
もっと早く赤い石についてエルサーランが話せば、いや赤い石を持って帰らなければと話しているのが聞こえた。
エルサーランは悔恨の念に駆られた。
なぜ自分は不用意にも赤い石を持ち帰ってしまったのかと。
なぜ最初に体調不良者が出た時点で言い出さなかったのかと。
エルサーランは一歩前へと踏み出した。今回のことについて皆に詫びなければならない。
まだ死者までは出ていなかったが、それも時間の問題であった。症状がひどいものはもう助からないかもしれないと思った。
エルサーランは自分にできる精一杯の謝意を表すため、伏して頭を地に擦り付けようとした。
「いや、これは却って精霊様のお導きであったかもしれん」
その場にいる者の意識を自らに向けるよう、少し大きな声を出すものがいた。
エルフの長老であった。
エルフの長老は、まだ自分の話は終わってはいないぞとでもそこにいる者たちに言い聞かせるかのように皆を見まわしながら声をあげた。
「今回のことは誠危ういものであった。やもすればノームの里のものたちが多く死んだかもしれん。しかし、これを見るがよい」
そのように言って持ち上げたのは赤い石が入っていた箱であった。エルサーランがもともと持っていた木箱ではなく、“大きな木”の根元に埋まっていたものだ。見るからにぼろぼろで、鋳つぶさねば使い道などないような有様であった。
「これはミスリルである。赤い石はこの箱に入っておった。今まで長い時間この赤い石を封じておったのだろう。ところどころ腐食し、聖なる力は失われる寸前じゃ。そうなる前に見つけることができたのは僥倖であった」
エルフの長老は話した。いかに危うい状態であったかということを。
ミスリルには聖なる力が宿る。“大きな木”があそこまで立派に育ったのはその力を間近で浴び続けた影響であろうと。
近くミスリルの聖なる力は失われ、毒が大地に染み出るように、邪悪な魔力が周囲を支配しただろうと。
作物は枯れ、野草は腐り、“大きな木”がつける赤い果実は毒を持っただろうと。
じわりじわりとノームの里のものたちは苦しめられ、原因もわからずに死んでいったであろうと。
そのことを滔々と語った。
「じゃからの、この赤い石を見つけることができたこと自体はよかったことじゃ。エルサーランのおかげで、手遅れになることもなく、原因を知ることができたのじゃから」
エルフの長老の言によってエルサーランのことを見る目は険しさを薄れさせた。
しかし、エルサーランは自分を許そうなどとは思えなかった。ノームの里のものも何もなしではエルサーランを許すことはできなかった。
結果的に見つからないよりも良かったなどと言えども、エルサーランもノームの里のものたちもこのたびの事態は並々ならぬ災厄であったことを理解していた。
エルサーランは今度こそ平伏し許しを請う言葉を発しようとした。しかし、具体的に何をもって報いればいいのかはわからなかった。
しかし、またもやさえぎる言葉があった。
「エルサーディンの時代のドワーフたちは赤い石を破壊することはできなんだようじゃ。しかしの、時というものは偉大じゃ。新しいものが生み出される。昔にできなかったことができるようになるのじゃ。長く生きておるとよくよく感じるよ。時のもつ力をの」
ノームの里の者たちはエルフの長老の話を聞き洩らさぬようにと、誰も身じろぎすらしなかった。
エルサーランも四つん這いのような姿勢で動かなかった。
「じゃからのう、もしかするとじゃが、今の時代であるならばドワーフが赤い石を壊すすべを持っているかもしれん。なくても工夫して新しくすべを作り出すかもしれん」
そうかもしれない、とノームの里の者たちは思った。うわさに聞くようなごつくて、おとこもおんなも髭もじゃで、酒を飲んではがははと豪快に笑うあの種族ならば小さな赤い石程度どうにかしてしまうのではないかと。
エルフの長老はぐるりとその場にいる者たちを見回すと言葉をつづけた。
「しかし、そのためには赤い石をドワーフのところまで持っていかなければならん。なかなかに遠いのう。安全な穴倉で寝れん。荒野も越えねばならん。野獣も出るじゃろう。しかし、誰かが行かねばならん。少なくとも、赤い石をノームの里から遠ざけねばこの災厄は続くぞ」
ドワーフのもとへ行くには草原を超え、荒野も越え、ドワーフの住む山もある程度登っていかなければならない。行くだけで数十日はかかる。道中まごつけば百日も越えるだろう。周りに危険が闊歩する中で野営もしなければならない。
ずっとノームの里で暮らしているノームたちには考えられないことであった。
そんな危険で困難を伴う旅に自ら進んで行くものなどいなかった。
ノームたちはお互いの顔を見合った。
「明日の朝にでも赤い石を持って旅立てば死者までは出んはずじゃ。誰ぞ、我こそはと思う勇気ある者はおらんかえ?」
「僕が行きます」
エルフの長老の問いかけに応える者がいた。
エルサーランである。
その場にいる誰もかれもがエルサーランを見ていた。
「ずっと里から出ておらん者にとって厳しい旅になるぞ。それにドワーフのもとで赤い石をどうにかできるかもわからん。もしかすると、邪悪な赤い石と災厄を持ってきたものであるとしてドワーフたちから私刑を喰らうかもしれん。それでも行くか?」
「これは僕が行かねばなりません。お願いですから責任を取らせてください」
エルサーランはエルフの長老に頭を下げて頼み込んだ。
エルフの長老は無言でひとつ肯いた。
「ここに自らの使命を果たさんとする勇気ある者が現れた。このものが使命を果たすとき、罪は雪がれんとする。そのことに異存はあるかや?」
最初、誰も言葉を発しなかった。
しかし、次第にざわざわと、そよ風で葉がこすれあうような小さな音がしだした。それは程なく大きな声援となった。
その若者が自ら罪を償うのならと、何が起こるかわからない危険な旅路までするのなら是非もないと、頑張れよと。
声は承諾から応援へと変わって行った。
誰もエルサーランのことが憎いわけではなかった。しかし、これだけの大事になってしまったからには責任を取らせねばならなかったのだ。
そこに前に進み出て、ひときわ大きな声を上げる者があった。
「俺たちのじい様よ。どうか俺もその罪滅ぼしの旅に共することを許してください。俺はエルサーランと一緒にエルサーディン冒険譚の赤い石の記述を眺めたのです。まるで無関係とは言えません」
それはエルシーレンであった。エルサーランはその言い放った内容に仰天した。
どう考えてもエルシーレンに罪などないように思えたのである。
エルシーレンはエルサーランに本を見せただけだ。エルサーランは自分が赤い石を持っているだなどとも言っていない。エルシーレンは何も知らなかったはずだ。
エルシーレンはエルフの長老を見つめていた。視線は決してそらさなかった。
エルフの長老はなにごとかをその頭の中で考えているようだった。
エルフの長老がちらり、とエルシーレンと目を合わせた。
エルシーレンはまるで何かを訴えているようであった。
エルフの長老は小さく息をつくと声を張って一言だけ言い放った。
「許可する」
その言を聞くとエルシーレンはエルサーランの方を見て少しだけ笑った。
その瞬間にエルサーランは理解した。
この親友がほとんどない罪悪感と、少しばかりの冒険心と、多大なエルサーランのことを心配する心から旅についてこようとしていることを。
「旅立ちは誠に急であるが明日じゃ。一刻も早く赤い石をノームの里から離したほうが良いからの。この里に撒かれてしまった邪悪な魔力は草原に吹く風がじきに散らしてくれるじゃろう。旅にはそこのエルフを三人つけよう。ノームの二人旅より格段に楽になるはずじゃ。今日はよく準備し、よく里のものと話し、よく寝て明日に備えるのじゃ」
それだけ言うとエルフの長老はその場を退いた。もう皆でする話は終わりだという意思表示だった。
エルサーランは四つん這いのような体勢で俯いていた。
ぽつり、ぽつりと地面が濡れた。
ノームの里に災厄をもたらして申し訳なくて。
罪を償う道を示してもらえてありがたくて。
誰も死なないだろうと言われて安堵して。
エルシーレンが旅についてきてくれて心苦しくて、けれどもうれしくて。
エルサーランは嗚咽を我慢することもできずに、涙を流した。
もうほとんど日は沈んでいた。
月がエルサーランを照らしていた。
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