8話 午後の時間
神華は槍を構えなおした。女郎グモは起き上がると神華を神華を狙う。女郎グモは女の顔を醜く歪ませる。酷い形相を神華を鼻で笑う。
神華の目が鋭い物へ変わった。
「駄目だよ、女がこんな怖い顔をしたら」
神華は遠慮なく槍を振り回す。
女郎グモま負けじと糸を吐く。糸は真っ直ぐにしか飛ばない。神華はギリギリまで糸を引き寄せて避ける。軽い身のこなしでかわしていく。人間に出来る動きとは最早かけ離れすぎている。
「す、すげぇ…」
少し離れていたところで平助は立ち止まり神華の様子を見ている。。平助は悔しく思っている。全然、役に立てていないからだ。戦わなきゃいけないのは自分達、新選組なのにただ一人の女の子を残してここを去らなければならないことが。
平助は自分の手を見詰めた。刀を人に向けて振るってきた。だが、こんな大事な時だけ何の役にも立たない。
平助の気持ちを察して新八が戻って来た。両手が白くなるほど拳を握りしめている平助に新八はかける言葉を失ってしまう。何を言えばいいかなんて新八は考えていなかった。でも、側にいたかったのかもしれないと思いなおす。正直、新八だって悔しい。
神華の守り方を理想としていたから。それでも、今の新八たちには何も出来ない。どんなにつらくても、それが真実であり、事実だ。
神華はたった一人で戦い続けている。戦いを応援することも背中を守ることさえさせてくれないのだ。
今の新選組では力不足だ。むしろ、神華の素早い動きを殺してしまうことにつながるかもしれない。
神華は女郎グモの足に札を投げつけた。札は女郎グモの四肢を大地へと縫い止めた。
霊力を使い札を具現化したのだ。霊力は霊感がある人が修業すれば使えるようになるものだ。霊感がある人は必ず持っている力だ。霊力は普段は己の身を守るために体内の波動として存在している。神華のように体外に放出して攻撃したり盾を作ったりするには呪文や札を使い外に出す出口を作る。
神華は霊力を巧みに利用して戦っている。懐から巻物をだす。持ち歩きができる筆でサラサラと呪文を書き付ける。その間も神華の足は止まらない。巻物に呪文を書き終わると神華は女郎グモを狙い投げつけた。
巻物は女郎グモにぶつかると勢いよく燃え始めた。女郎グモが暴れまわっても、火は他には移らない。浄化の炎で女郎グモだけを綺麗に燃やし切った。女郎グモは灰すら残らなかった。
東の空が明るくなり始めていた。
神華は平助と新八にお辞儀すると走り去って行った。平助は拳を握りしめたままだった。新八も何も言えなかった。止めることさえ、叶わなかった。
空が紅く紅く染まっていく。
午後から雨が降り始めた。
総司は屯所の門のところに向かいながら灰色の空を見上げた。うんざりした顔で。雨は嫌いなようだ。総司の口からため息が消えていく。
屯所の前には門番が言った通り神華がいた。紅い髪を揺らしながら立っていた。傘もささずに。
それでも、笑顔だった。
「神華ちゃん、濡れちゃうじゃない? 入れば? 」
総司は許可もなく神華を屯所内に招いた。雨が降っていたからという理由があるからだ。義三に見つかってもこれなら言い訳ができるからだ。
神華も抵抗なく入って来た。まるでここに招かれたお客のように堂々としていた。
総司は自分の部屋まで案内すると少し待っててと言い残し部屋を出た。
総司の部屋は殺風景だった。刀を置く台。文机には数枚の書類。布団は丁寧に畳まれて隅に置いてある。座布団は二枚だけ。他には何も無い。花も飾りも置いていない。まるで、いつ死んでも片づけが楽にしてあるようだった。外を見るための窓の障子は閉めっぱなしだ。
神華は勝手に障子を開けてみる。中庭の景色が綺麗に見えた。丁度、三番組隊士が訓練していた。監督役に斎藤 一もいた。
神華は思い切り一と目が合ってしまった。神華は慌てて障子を閉めた。一があんまり鋭かったからだ。
しかし、時はすでに遅く一はばっちり神華の姿を見てしまった。
一の行動は実に早かった。部下には素振りを続けるように言い残した。そして総司の部屋へと足早に向かったのだった。
神華は笑顔を引きつらせた。自分のアホさ加減に呆れてしまったのだ。よく考えれば屯所で迂闊な行動をとればこうなることぐらい分かったはずなのにいつの間にか動いていた。
相当疲れていたのだと神華は気づいた。
今、改めて耳を澄ませば隊士の声が聞こえる。何で気づかなかったのかが不思議なくらいだ。神華は頭を抱える。
もう一度、神華は耳を澄ました。一が近づいてくる足音も聞こえてきた。
神華は逃げなかった。別にやましいことなど一つもないからだ。ちゃんと門から入った。許可ももらっているのだ。一人部屋で堂々としていた。
雨は止み、初夏の風が吹いて来ていた。新緑は揺れ、若い葉は日の光を浴びていた。黄緑の葉は輝きを放っていた。