19話 時の流れと覚悟
皆が悔しそうに口を噛む。歳三に至っては悔しすぎて放心している。
神華は瞼を閉じた。数秒してから、目を開く。紅の瞳が総司を映し出す。
「総司。それはダメだよ」
神華が悲しそうに言う。さっきまで騒いでいた人たちが一斉に口をつぐんだ。場に静寂が訪れる。誰も何も言わない、無言のみが場を支配する。
セミの声がどこか遠くから響いてくる。だが、その音さえ現実味
を持っていないように感じられた。 総司が口を開きかける。それと同時に神華がしゃべりだす。
「私のことを本気で気にかけてくれたこと、嬉しく思うよ。でも、だからこそ、巻き込みたくないし、まきこめない」
神華の顔は嬉しそうでもあり、悲しそうでもあった。せっかく一人を止めることができるのに、神華は差し出された手を払いのけた。
神華は本当の優しさを知らなかったから。そして何より、総司のために。総司を巻き込まないために。
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いつも、朝早く起こされる。まだ、日が昇る前からの時間。
村に唯一残った夜紅族の純血をもった女子。
彼女は村全体から神のように扱われ、大切に育てられた。
でも、誰もが親にはなってくれなかった。彼女には親がいない。
夜紅族が数を減らした理由でもある。夜紅族の女は女を身ごもり産むとそこで息絶えてしまうのだ。本来ならば夫が生き残り、産まれた女の子を大切に大切に育てる。
しかし。彼女の父親は、彼女が生まれる前にこの世を去っている。
その為、神華を産み終えた母親は息絶え、代わりに長老が女子のそだてることになった。
長老には拾った弟子と言う名目の長男がいたが、その時は誰も反対しなかった。
少女もその男の子も何の問題なく生きていた。
ところが、少女が大きくなるにつれて彼女は村の神と言われるようになった。彼女が神として崇められれば崇められるほど、長老の長男に風当りが強くなっていった。
村で唯一の純血であり、神である彼女の兄が純血でないのはおかしい。そもそも、神に兄などいらない。いるはずがない。そんな噂が誠しなやかに流れていた。
彼女がまだ、3つの時の話だ。だから彼女は自分に血の繋がっていない兄がいたことなど知らない。
兄は村から追放された。その時、兄は言ったのだ。
「暗黒時代は俺が呼ぶ。必ずだ。覚えていろよ」
兄は長老の全ての教えを知っていた。
準備には12年かかる。
その間に彼女は育てられた。強くしなやかな人間に。人間として欠けているところが無いように。神と言われてもおかしくないように。
彼女は期待に応え頑張り続けた。
けれども。
村が彼女に与えたのは神という孤独な存在にすることだけだった。寂しさ。でも、誰にも甘えられない。彼女は耐えた。たった一人で。いつの間にか彼女、一人に慣れていた。一人でいることを当たり前とした。
一人であることを神と言われることを受け入れていた。それが定めだ。
そして、兄が暗黒時代を起こす年を狙って、彼女を外へ送り出した。
彼女は言われた通り京に来た。雨の降る日。初めてのことに驚き、また、浮かれてもいた。だから、たまたま、傘を持っていなかった人に傘を渡したのだ。深い意味など特に存在していなかった。
彼女は与えることには慣れていた。優しさを配ることは彼女にとって難なく出来ることだ。
しかし、彼女は優しさを受け取ることは苦手になっていた。一人でいるのが当たり前。神なのだから。優しさがもらえないのは神という優しさを与える側にいるから。彼女は心の奥でそう言い続けてきた。だから、他人に優しさをもらったことはない。
一人は嫌という気持ちと、優しさを受け取ることが苦手は彼女の中に大きな荒波を生み出した。荒波に飲まれた彼女が出した答えが、一人神であり続けることだった。
そっちの方に慣れ過ぎていて、他人と深く関わることを恐れた結果だった。
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本当に静かな沈黙が落ちた。
総司の必死な思いが届かなかったことに対しての沈黙だった。切腹なんてものは武士が冗談でも言えることじゃない。冗談が本当になることを恐れたことだった。
切腹。腹を自分で切り裂くこと。武士が自分の首を取らせないための名誉ある死にするための苦肉の策。刀に運命を誓い、刀で果てる。
格好良く聞こえるかもしれないがただの自殺である。しかも、苦痛を伴う。それが武士の誇りであり、武士の誓い。そして、武士としての責任の取り方である。
腹に刀を入れ、横に引く。それだけでは息絶えることは不可能。介錯人が首を落とすまで苦しむ。また、介錯人が必ず付くわけでは無い。だから、十字に切り裂くこともある。だが、いずれにしても全く冗談で口走れるものではない。
総司は武士として生きようとしている。切腹の差す意味もその重さも知っている。総司は全てを覚悟している。
その上で神華に話をしたのだった。
だが、神華は断った。
総司は賭けに出るしかなかった。
深い息の音が静まり返った部屋に良く響く。
「じゃあ、本当に腹を斬らなきゃ、だね」
総司の頬を冷や汗が伝い落ちて行った。