1話 差し出された傘
雨がしとしとと降っている。
梅雨の季節だ。池田屋事件から少し経ち、雨が降るようになった。例年よりずっと重い雲が広がっていた。
灰色に包まれた空の下の屯所ではちょっとした騒ぎがあった。
「総司! テメェ、いい加減にしろ! 買い物行って来い!! 買い出しはお前だろうが! 」
歳三の怒鳴り声が屯所に響き渡る。額に青筋を立ててすごい剣幕で総司を睨んでいる。他の人が見たら震えあがりそうな怖い顔だ。それほどに歳三は怒っているのだ。
一方、怒られているはずの総司は両耳を手で塞いでうるさいアピールをしている。怖い顔を見せられてもどこ吹く風である。むしろ。この状況を楽しんでいるかのようだ。意地の悪い笑顔を浮かべている。
「嫌ですね、土方さん。そんな大きな声出さなくても聞こえてますって」
飄々(ひょうひょう)と怒りをあおるようなことを言ってのける。歳三はさらに怒ったようだ。それなのに、総司は膝の上の猫を撫でている。
土方 歳三。黒の髪を短髪に切っている。紫の瞳は知的さを証明しているかのように奥が深い。この人こそ、‘鬼の副長’と恐れられている新選組の副長のである。異名にある通り怒らすと大変怖い。普段から眉間の皺が取れないが。
その歳三の悩みの種の一つが総司であった。一番組組長沖田総司は一度剣を抜けば殺すことすら厭わないと言うのに普段は気まぐれで気まま。まるで猫のような性格をしている。思い切り総司の気ままに振り回されてしまう歳三は頭を悩まされるのだ。しかもさらに悪いことに総司は確信犯なのだ。直そうとすらしない。それどころか歳三が怒るのを楽しんでいるところがある。
変わり者だらけの新選組だが、ずば抜けて幹部が変わり者の巣窟なのだ。そして、それの代表が沖田総司といえるだろう。
「総司さん、私が行きましょうか? 」
遠慮勝ちに夕希が総司に声をかける。総司の顔は分かりやすく輝いた。要するに総司は雨の中の買い出しが面倒なだけなのだ。その為だけにこんな騒ぎを起こしているのだ。ニコニコしながらとんでもないことを起こすのが総司だ。
「駄目だぜ、夕希。総司の仕事だろうに。夕希は頑張りすぎだ。それに夕希は総司は親の仇なんだろう? 」
夕希の後ろから茶髪の長い髪の毛を首の後ろで括っている人が現れた。山吹色の目をしているのは原田 左之助だ。通称は左之で、十番組組長を務めている。
左之助は総司を遠まわしにたしなめた。
今の発言を聞いてピクリと夕希の肩が跳ねる。
夕希は最初は総司を殺そうとした。しかし、失敗に終わり屯所に連れてこられた。本来なら斬り捨てられるところだったが歳三が正式な仇打ちを認めたため屯所にいる。
始めの内は夕希は頑なに新選組を嫌っていたが、はや一年。総司を殺す気など毛頭も無くなっているのだ。まだ言えずに過ごしているが。
「いいじゃない、左之さん。夕希がやるって言ったんですよ? 」
総司がふてくされる。
「つべこべ言ってねぇでとっとと行きやがれ! 」
歳三がつまみ出すかのように総司を外へと追い出した。
じめじめした空気をはらんだ風が総司の着物を揺らした。
「あーあ、面倒だな。……にしても嫌な風」
総司がポツリと呟いた。先ほどの笑みは綺麗さっぱり消えている。
「本当、そうですよね」
総司の隣から高い声がする。夕希の声ではない。総司はさっと愛用の刀、菊一文字に手をかけた。話しかけた相手が言葉を飲み込むのが気配で総司にも伝わる。
総司は話しかけてきた子に視線を投げかける。
立っていたのは夕希と同い年ぐらいの少女だった。髪は布で見えない。だが、不思議な格好をしていた。着物なのに腰の辺りからしたまで両側にスリットが入っている。スリットの下にはズボンをはいている。肩は出ていて、白い肌が丸見えである。袖は上腕の真ん中からついていて着物とはつながっていない。異国の服だということだけは総司にも理解できた。
少女はニコリと笑いながら自分が使っていた紫色の番傘を総司に差し出した。
総司は歳三に追い出されたため傘を持っていなかったことに今更気が付いた。
「どうぞ」
少女は半ば強引に総司に番傘を握らせた。にっこり笑った少女は止める間もなく駆けだしていた。
総司はお礼すら言えなかった。ただ、番傘を持たせてもらった時の少女の手の暖かさが妙に肌に残っている。総司は自分の手を見つめた。白い方だと言われる総司の手よりずっと白い肌。血で穢れているとは知らずに少女は総司の手を握ったと思うと総司はとても申し訳なかった。
総司は買い物をすませ、帰路についた。
屯所に入る。
「総司じゃん! 遅かったな」
元気よく出てきたのは平助だ。すぐに見慣れない傘に目をつけて総司を質問攻めにする。
「おお!? 買ったのか? それともあれか? 女!? 」
総司は深いため息をついた。緑の目が疲れを物語っている。
紫の傘をたたみ、総司は平助を押しのける。
「その話は教えないよ」
ニコリと総司は笑う。でも、笑顔の中にそれ以上追及したら殺すぞと書いてあり、平助は黙りこんだ。足取り重く総司は歩いて行った。
彼らには同じ雨の音が別の音に聞こえていた。