15話 その日の出来事は
夕希はいつまでも痛みが襲ってこないので恐る恐る目を開いた。
目の前に肌色の手があり、夕希は座り込む。手はもちろん樹神のものだ。だが、動きを完全に止めている。
なぜなら、樹神の手は神華に抑えられているからだ。ピクリとも動かない。
「何で邪魔するんだい? 」
樹神が悲しそうに神華を見た。
神華は口から血を垂らしながらもぎりぎりの所で樹神の腕を両手で掴んでいた。さらに、総司のことも押し倒して安全を確保している。総司には悪かったかな、と内心で思いつつ、樹神を見つめた。
「約束、したから……。巻き込まないって」
荒い呼吸をしながら神華は樹神に告げる。樹神は神華を押し倒し、その上に馬乗りになる。神華は酷く咳き込んだ。
「何でかな? 神華なら分かるでショ? ボクらは道具としてしか見られない。そんなの許せるの? 」
樹神が神華の両腕を抑える。
神華は樹神を見つめながら、答えの言葉を探す。
「私はあんたがなにを言いたいかなんて理解できないね。まあ、あんたには感謝してるよ。おかげであの島から出られたからね。でも私たちは結局一人だし、世界を壊そうとしても変わらない。それにあんたは______」
神華の言葉は途中から風に阻まれて周りには聞き取りづらくなる。
唯一、神華の言葉を聞き取れた樹神は固まっていた。驚きと悲しみを纏っている表情。目は神華を見つめたまま。だが、神華を抑えている腕の力は緩んでいた。
神華は固まっている樹神に強烈な蹴りを喰らわす。
樹神は気配を感じて後ろへ飛びずさる。樹神の表情は苦悶に歪んでいる。そして、何処か悲しげな表情だった。自分を見失ったかのような、迷子のような。
槍を素早く持ち上げ、神華は樹神と向き合う。
「そんなこと……、ない…。そんなこと、ある訳ない!! そうでしょ? 」
樹神の口から発せられた言葉に神華は答えない。樹神は焦ったような口調で神華に問い続ける。
だが、神華は敵意のこもる視線で樹神を睨むばかりだ。殺気はどんどん鋭く、冷たい物へと変わっていく。
樹神はよっぽど堪えたのだろう。何も言わなくなる。構えを解いて俯いた樹神の表情は読めない。
「でもほら、新しい世界を作ればこんなこと変わるヨ。ボクと神華だけの世界を作ろうよ、ネ? 」
樹神が突然、笑いながら提案した。
「却下」
神華は冷たく答え、槍を振り上げ樹神に襲い掛かる。その行動にためらいや躊躇などは一切なかった。故に素早く、尚且つ適格な攻撃が生み出される。
「自分の都合で世界を滅ぼそうとするやつの言うことなんて聞く耳もたん!! 」
神華がきっぱりと言い切る。
樹神は神華をもう一度蹴り飛ばした。自分の勢いもあり、神華は軽々と吹っ飛ばされる。再び、神華は背中を木にたたきつけることになった。木が耐えられなくなり倒れてしまい、砂埃が舞う。
「神華ちゃんっ!! 」
総司が叫ぶ。だが、砂煙が舞うばかりだ。
樹神は全員が神華に気を奪われている間に姿をくらました。
砂埃の中、神華は立ち上がり、樹神が居た場所を睨む。
後を追いかけようと神華は足に力を入れた。だが、神華は口を押え蹲ってしまう。血を吐いている。
神華は息を何とか整えると立ち上がった。向きを変える。寝ている妖怪に札を貼る。手は血で汚れてしまっている。
札は神華の呪文によって輝き出す。ほんの一瞬、辺りが青い光に包まれる。光が消えた後、そこに妖怪の姿はもうなかった。代わりに焼け焦げてしまったかのように札が一枚、落ちていた。
神華は歩き出す。揺れる体を引きずるようにして、一歩一歩確かめるようにして歩いて行く。
総司が走り出した。神華に向かって。
「神華ちゃん! 」
総司の声が神華の歩みをとめる。神華が振り返る。
赤く長い髪が風に揺れる。紅の瞳が総司を捕える。親しみの視線ではなかった。冷たい敵意。でも、その敵意の奥には暖かさもある。
「巻き込まない、と、約束したので」
神華は切なそうに笑った。寂しさを隠そうと作る笑み。全てを覆い尽くす笑み。
総司は何も言えなくなる。
赤い髪も紅の瞳も夕焼けと同じ色でとても美しかったからだ。美しくて、寂しかったからだ。
神華が踵を返す。総司は何かを言わなきゃいけない気がして口を開いた。
「傘!! 傘、取りに来てね」
総司の声にもう一度神華は歩みを止めた。だけど、振り返らずに歩きだす。神華は片手を振っている。まるで、分かったよ、と返事をする代わりのようだった。
新選組は結局、また何も出来なかった。一人の少女に全てを負わせたまま。樹神にも後れを取り、神華に守られた。総司以外の多くの者は逃げてしまった。
あまりの失態。
誰もが悔しさにやり切れない気持ちで屯所に帰った。自分たちが何も出来なかったことを恥じていた。
雨が叩きつけるように降り出した。
静かに静かに終わりが近づいてきていた。
樹神の野望が勝つのか、神華の守りが勝つのか。それとも、別のことがおこるのか。
どこへ運が流れているかは誰もが分からない。ただ、自分の命の安全を願うばかりだ。誰もが動き出していた。自分の安全と幸せのために。
青い三日月が地上を照らしていた。