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第35章 黒猫

「そんなの信じられないよ。だって……」

 信じたくなかった。何かの冗談だと思い込みたかった。

「信じられない?自分で見たんだろ、あの怪物を」

 教団が管理しているという闘技場で見たもの、そしてヨハンの末路。頭の中では理解しつつあるというのに、現実を直視することはできなかった。脳がついてきていない。


 モンスター化した影を政府では「アンブラ」と呼んでいるらしい。ビアンカはそこまで言うとニーナに迫った。

「さて、説明はここらで終わりにしよう。最初に言った通り私は君を脅迫するつもりだからね」

 政府の目的は教団の弱体化と世界に蔓延する魔法の解明、そしてうつ病患者の対策とこれから起こるであろうアンブラの暴走の阻止だ。このまま教団の好きにさせておけば世界が壊滅してしまう。それだけは何としてでも止めたかった。

「シャドウアタッカーになれなかった君にはアンブラになる前の芽を摘んでおいてほしい。どちらにせよシャドウアタッカーに明るい未来はない」

 政府の軍隊が近々教団を襲撃する計画があるらしい。このままぶつかれば双方に甚大な被害が出るだろう。

「光魔法があれば奴らなんてあっという間に消し飛ぶだろう。この部屋では光魔法の使い方くらい簡単に調べられるはずだ。よろしく頼むよ」

 声は氷の槍のように突き刺さり、そして溶けた。身体の芯から冷たくなるようで気持ちが悪い。

 ビアンカは返事を待たないまま部屋から出ていった。ひとり残されたニーナは床に座り込んだ。



 ニーナの姿が見えなくなってから1週間も経っている。テオは心配だった。教団内を隅々捜し、見つけた人に片っ端から彼女の所在を聞いてまわったが、手掛かりすら見つけることはなかった。

「どこ行ったんだよ」

 クラウスやヨハンのことがあってから時間も経っていないので尚更不安だった。良くない未来ばかり頭に浮かんでくる。

「……」

 何事も起こらなければ良い。今までどおりの生活が帰ってくればそれだけで十分だ。


 自分の部屋で右へ左へ歩き回っていても解決するはずがなかった。ベッドに倒れ込んで天井を見つめる。その時ドアが開けられる音がした。

「テオ、どうかしたのか?」

 がばっと起き上がってドアの方に振り向く。入ってきたのは黒猫だった。瞳が赤く、人の言葉を喋る以外は普通の猫だ。

「お父さん」

 テオが膝の上に乗った黒猫を撫でると微笑む。

「すごく久しぶりだ。最近会えなくて寂しかった……」

「ここのところずっと忙しいからな。会いに来れなくてすまない」

 表情筋は動かないが、その声はテオをなだめるように柔らかい。しばらくテオは黒猫の毛の感触を楽しむようにつまんだり、皮を掴んで伸ばしたりしていたが、ぽつりぽつりと呟くように最近の出来事を話始めた。

「それでニーナはたくさん泣いて……俺も悲しかったし、それに不安になったよ。今後もこんなことが増えたら彼女を守れるのかってな」

 黒猫は置物のようにじっとしていたが、耳を動かして反応した。

「こらこら、お前がそんなことではニーナも心配になるだろう。男なんだからしっかりしろよ」

「そうなんだよなあ」

 その後も一人と一匹は他愛のない話を続けていた。

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