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第32章 甘え

 足首に巻いたテーピングを巻き直していることに熱心になっていたせいか、無理やり気付かないふりをしていたのか。クムエナは背後に立っていたエイブラハムに話しかけられただけで大袈裟に身体を緊張させてしまった。

「いきなり話しかけんなよ」

 睨みつけるとエイブラハムは眉を歪めて悲しそうな顔をした。

「そんな顔でよく言うよ。ずっと泣いていたくせに」

 クムエナの目は真っ赤に充血し顔も腫れている。強気に振る舞うのは内側にある悲しみを覆い隠すためだ。エイブラハムはそのことをよく知っていた。彼女は優しくて強い女なのだと。

「うっせえな。ちげえよ」

 顔を見られたくないのか視線を逸らされた。エイブラハムは距離を離すことなくさらに近付いて隣に座った。


「……本当に死んじまったんだな、あいつら」

 あいつらとはクラウスとヨハンのことだろう。ぽつりと呟いた言葉には後悔が色濃く映っていた。自分がいながらにして死者を出してしまったという後悔。強い相手とも戦えるという自信は裏返せば過信に繋がり、油断を生み出してしまった。何もできなかったことがクムエナを苛んでいた。

 しかもテオの報告によれば、つい数時間前にヨハンもこの世からいなくなってしまったということが分かった。彼がクラウスと仲が良かったのは同行している時に認識している。

「まだ若いのにあんなにコロッと死んじまってさ。ほんと馬鹿な奴だよ」

 また泣き出したのでエイブラハムはそっと肩に手をまわしてやる。いつもなら叩かれるところだが今日は大人しくしていた。そしてそのままクムエナの言葉を無言で聞いていた。

「死ぬならあたしみたいな年上からだろ」

 クムエナこそまだ21だ。故郷では兄弟の中で一番年長でお姉さんとしてしっかりやらなくてはいけないところが多かったので、きっと今も仲間達の姉として毅然としていなければいけないと思っているのだろう。


 エイブラハムは深いため息をついた。

「クムエナ、お前まで影に襲われるようなことがあれば俺も困る。そんなに自分を責めないでくれないか」

 どれほどのストレスがかかれば影が意思を持つのかは分からない。だがその可能性があろうがなかろうがパートナーとして相方を支えてあげようと思った。クムエナには普段の男勝りな元気を取り戻してほしいかった。こんなところで悲しみに暮れるのは彼女らしくない。

「お前はさ、あんまり人に甘えることに慣れてないんだよ。一人で抱え込まないで俺にもちゃんと相談してほしい。ダメか?」

 真剣に見つめると彼女は肩にまわされた手にそっと自分の手を重ねた。

「ダメだったらお前とコンビなんて組んでいない」

 鼻で笑うクムエナにエイブラハムは微笑んだ。

「今だけは甘えさせてくれよ」

 クムエナはゆるゆると身体の力を抜くとエイブラハムに寄りかかり、目を閉じた。また涙が流れたがそれはエイブラハムの親指でそっと拭き取られる。そのまましばらく泣いては自分の内を打ち明けていた。

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