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第29章 薔薇の花

「もう3日も部屋から出てきてないね」

 ニーナがそっと呟く。目の前にはオートミールが置いてあったが手を付けた形跡はない。スプーンをゆるゆると泳がすだけで口に持っていかれることはなかった。

「ヨハン……」


 教団まで帰ってきた7人は何も言わずにそれぞれ部屋に戻った。ニーナは1日中泣きづめでずっとテオが隣で背中をさすっていたのだ。

 それでもまた1日は始まる。食事をしたり訓練をしたり、生きている限りは前に進まなくてはいけない。生きている限りは。


 ヨハンだけは3日も姿を現さなかった。少しのご飯を扉の前まで持っていったが、一度も扉は開けられていない。何度も呼びかけてみたが返事すらなかった。そろそろ出てきて顔を見せてほしい。

「そりゃ、パートナーが死んじゃったら落ち込むけどさ。ヨハンも死んじゃったらクラウスががっかりするよ」

 最後に見たヨハンの表情といったら直視できるものではなかった。悲しいはずなのに、悔しいはずなのに、何も感じていないかのように真顔で涙すら流さなかった。ひとまわりもふたまわりも小さくなってしまったような気がしたことが脳裏に焼き付いている。

「扉の向こうに魔力は感じるから無事だとは思うけど……」

「相変わらず上はうんともすんとも言わないし。サポートしてやろうとかそういうのは思わないものなのか?」

 そして二人とも黙ってしまった。自分たちしかいない食堂はその広さもあって余計に寂しそうに見える。

 結局あの影の対策など思いつかない。それに数日遠征に出かけていたので通常の業務が山積している。重い腰を上げて今日も「いつも通り」の生活を送ることしかできなかった。


「やっぱりもう一度ヨハンの部屋に行ってみようと思う」

 帰ってきて早々告げるニーナの声に迷いはなかった。パートナーがいなくなってしまった今、そばにいてやれるのは私達しかいない。そしてクラウスを守ってあげられなかったからこそ、ヨハンを立ち直らせるのは当然だと思っていた。

「そうだな。俺も行くよ」

 ニーナの右手を握って一緒に歩いていく。ヨハンの部屋は住居スペースの1番手前にあった。


 扉の前には食堂のトレーが置いてあったが、やはり手はつけられていない。遠慮がちにノックしても反応はなかった。

「ヨハン、出ておいでよ。ご飯食べないと体力保たないよ?」

「そうだぞ、元気な姿を見せてくれよ」

 声をかけても出てくる気配はない。いつもならここで撤退しているところだが、今日こそ必ず連れ出すつもりでいた。

「出てこないなら無理矢理にでも連れ出すよ!」

 ニーナが大剣を取り出して縦にドアを両断する。衝撃で周りの壁も崩れ落ちたが、そんなことを気にしている場合ではなかった。


 ニーナとテオが見たものは真っ黒の薔薇の花。部屋いっぱいに茨が張り巡らされており、その真ん中に巨大な花が鎮座していた。

「えっ……」

 薔薇の花から感じる魔力は間違いなくヨハンのものだ。人間の姿をしていないだけで。


ーー心に傷を持った人は自身の影に食べられる。

ーー影のモンスター化。


 記憶の底にあった知識が色鮮やかに浮かび上がる。

「シャドウアタッカーが影になるなんてことありえるのか……?」

 物言わぬ薔薇の花は突如その茨を鞭のようにテオ達に向けて叩きつけてきた。

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