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第20章 ハイキック

 狂気を孕んだ大歓声と人の熱で沸騰しそうな空気に酔うのは心地よかった。女は足のテーピングをつけ直しつつ次の戦いに備えている。


「……ったく、またなんでそんなにしょーもない顔してんだよ。やる気が失せんだろ」

 女の名前はクムエナ。褐色の肌に黒い髪を持ち、その身体はしなやかによく鍛えられている。剥き出しの肩に大きく描かれた白い模様が印象的だった。

 彼女が赤い目を歪ませて睨みつける視線の先にはこれまたがっちりした男がいた。

「クムエナ、その足はこの間捻ったばかりだろう。無理して影退治に影響が出たらどうするんだ」

「これだから説教臭え野郎は嫌いなんだ、エイブ」

 その男エイブラハムの心配をよそにクムエナはバネの要領で立ち上がり、脛を蹴った。蹴られたエイブラハムは苦い顔をしつつもクムエナの肩を掴む。今日という今日は必ず彼女をこの賭博格闘場から教団へ連れ戻そうという決心をしてきた。簡単に諦められない。

「俺はクムエナのことを考えて言ってるんだぞ。毎日こんなところに入り浸っていて仕事しないあんたのために、代わりに戦場へ駆り出されているまだ幼いシャドウアタッカー達のことも考えてみろ」

 イグナーツに白髪が増えた気がするんだと教えるとクムエナは大爆笑した。涙を拭きつつ笑いを何とか抑えるとエイブラハムを押し退けて今いる控室から出ていこうとする。

「おいおい待てよ」


 ドアノブに手をかけようとしたその時ノック音が響いた。

「すいませーん!誰かいますかー?」

 この声はあのテオだ。そう気付くとクムエナのしかめっ面が深くなる。

「ああ?テメー誰に口聞いてんだ。出直しな」

 ノック音が凍りつくのが雰囲気で分かった。相手もきっと青い顔をしているだろう。そう思うとさらに不愉快だった。これから試合だというのにどうして男共はこうして不甲斐ないのだろう。


「やばい、これクムエナの部屋だ……」

 水に濡れた犬のように震えるテオにニーナは哀れみの視線を送った。確かにクムエナ相手にさっきの発言は良くなかっただろうと思う。普段会わない上に二人は元から嫌われているのでこれは難関になりそうだなと呟く。

 しかしこんなところで挫けるわけにはいかない。

「でも仲間になってくれたら心強いよ。頑張ろう、テオ」

 小さくガッツポーズして何とか励ます。

「骨は拾ってくれよ……?」

 そして深呼吸ひとつ。意を決してドアを開け放つとそれと同時にテオの身体が背中かに綺麗な放物線を描いて吹っ飛んだ。クムエナのハイキックが見事に決まった瞬間だった。

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