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オーバーモンスター・コワード  作者: 心許ない塩分
フレンドインファイア
99/106

17 産声は強く禍々しく



 ゴポリ、と。水面の下から吐き出される泡のようなくぐもった音が溢れ出る。

 『決壊』を知らせる飛沫、初めは弱くだが確実に肌を濡らす液体は徐々にその支配する面積を広げて行く。


「は──」


 胸を抉る、濃密な生々しい臭い。決して目に見えはしなくてもそれでも分かってしまう。

 

「……」


 突き立てた短剣が手長の『中』から血液を吐き出させている事に。



 ガ アア



 交錯し振り抜かれた爪は額のすぐ横を通り抜けていた。

 身近に感じる短い体毛の毛並み、半夢中で押し出した短剣の先は的確に獣の眼孔へと突き刺さり、両者の接近する勢いに乗り持ち手の近くまで埋没している。


 生きている生き物が本来流れ出してはいけない液体。眼球の潤滑剤が濁った体液として滑る赤へと混ざって飛び上がる。腕に、肩に、頬に、撒き散らされる汚れた飛沫。


──グアアアグアアガッ


「ッ!」


 手長の行動は、最早意識あるものではなかったろだろう。それもそのはずだ貫通した刃の先は眼部の奥まで達している。

 タガは狂ったように満ちる咆哮、目的もなく振るわされた腕が腹を叩き、大した衝撃ではなかったが自分はその場で尻餅を付いてしまう。


「ぁ」


 妙な手触りが、頭を支配していたからだ。

 自らの手越しに消えゆく命を感じる事のない弓とは違うもの。可哀想なんて頭もおかしく呟く気にはなれなかったがそれでも初めての感覚は数秒脳を麻痺させた。


「──ハッ」


 意識を取り戻せたのは尻餅を付いた下の足へと触れる水の冷たさを感じたから。何を呆けてるんだと勢いよく立ち上がり……それすら最早必要なかったんじゃないかと影の中で手長は揺れる。



── ア  ァ



 次第にか細くなっていく呻き。全ての脚で無駄にジタバタと足掻いたかと思うと唐突に糸の切れた人形のようにその場で崩れ落ちる。

 巨大に合わせて跳ねた水滴、呻きにも満たない呼吸音の出来損ないは雨音の音量に負けて消えていき、最後には……きっと最期だろう、それでも獲物を引き裂こうと一瞬腕を伸ばすが届くには居たらず土へと落ち。



 やがて完全に動かなくなった。



「ハ……ハ……」



 回りの鈍い頭で考える。

 『勝った』……のか?


 短いが意味ある勝利の言葉を思い付くまで時間が掛かり、

思い描いた後には感極まったものが胸を動かす。

 勇ましい勝利の猛りではなく覆い尽くしたのは安堵。



「は、はああああああ」



 ……安心感だ。


 長い嘆息で締め繰られた戦いは猛烈な生きている実感が身体を震わせる。


 勝ったよという驚き。生きているよという嬉しさ。


 それらに続くのはレックスに対する成し遂げたよという思いで気付いた時には高く腕を突き上げてせた。



「うーわあああ! どうだ、やった、やったぞレックス勝ったんだ! うあああっ」



 ……誰かこの場にいたら不審な蛙に見えるんじゃないかという変な動き。実感はある、でも止められない。

 獣だったとはいえ相手が相手だけにモンスターを倒した時の喜びに迫り。最後の瞬間まで定かで無かった優劣は、示された結果を早く伝えなくてはとフラつく足をはやらせる。



「戻ってすぐ報告しないと! それでレックスに……」


 そこまで考え一瞬浮かんだ倒れた子供の姿に喜びが薄れていく。



「レックスに、謝らないと」



 どうなっているか、自分は知らない。忍ぶ寒さとは別の要因の震え。


 早く、一秒でも早く手長撃破。仇は討ったと伝えないと。


「……」


 アールや、グリッジに村人も。

 最終的には手長を倒してみせたんだからきっといい顔をしてくれるはずだった。問題はシルドだが、今は避けて通るよりももっとよく話し合いという気持ちの方が一杯だ。

 ……どちらにせよ、今すべき事は一つしかない。



「帰ろう」



 身体は重い、疲れや傷もある。しかし色々有りはしたが行きとは違い足取りだけは軽い気持ちだった。暗い森でも方角だけは分かる住処へと意気揚々と村を目指し戻っていく。






…………はずだった。



 ゴポリ


「ぇ」


 一度は聞いた水泡を思わせる低い音が漏れた。それは、手長の瞳を突き刺した時に内溶液を外へと流れ出した致命的な音。

 短剣の、刃の長さの分貫いた衝撃。

 手長の巨大に比して余りに小さな傷は生きる上で必要な潤滑剤を集中して放出する。

 長い長い流血の跡に……しかし、それに終わりが見えないのが不審だった。


 体内に収まる液体を流すには異常な量と早さ。コポコポと一カ所だけを基点としたそれはやがて全身に。必要な命の源を、もはやそれすらも必要ないと言わんばかりに。飛び出す液流が湧き出る泉にも似た勢いへと変わる。



「……っ」



 気付かない内に自然と足が一歩を引いていた。

 再び顔を出す不安。暗がりで見えないはずの手長の姿が、強く漏れた光により浮かび上がる。


 伸縮と痙攣を繰り返す四肢。

 骨の折れる音と変質。


 とても……自然じゃない。それは自ら発光して発する金色の片目が物語っていた。



「ま」


 オ



 ……最大限に開かれた口が、しかしそれでもまだ足りないと頬を切り裂き露出する。破れた皮膚の下から新たに産まれる口端、筋繊維を縦に割り夜よりも尚仄暗い喉の底から異種の咆哮が闇に轟く。


 聞け、聞けと怨嗟のように。

 しかしそれは間違い無く『産声』だった。



オオオオオオオヲヲヲヲヲヲヲヲヲ



 手が、爪が、離れているはずなのに。


「!?」


 迫る。




──────。




 同時刻、村長宅の一室の広間は秘密の会議場と化していた。

 顔を突き合わせて話し合う村人の議題は今や危険視となった冒険者への排除と対策。

 先ずは彼等の装備を奪い無力化させる。そして手に入れた武器を用いて自分達の力で手長を倒せばいい。どうせ強力な武器を無くせば只の人だ、そんな意見が場を占めている。


 意気の高い村人達の見渡し満足そうに頷く影がある、現村長の姿だ。

 装備さえ失えば取るに足らない奴ら、彼らは一部の疑いも挟まず本気でそう思っていた。


 ……次第に剣呑な方向へと流れ出そうとする会議の場に待ったを掛ける一人の老人が立ち上がった。聞く者が居なくても諫めなければいけない、強い信念を持って流れる老人の言葉を上から押し潰し、風に乗り闇夜から聞こえて来る異形の叫び声が部屋に満ちた。


 この場に居る誰もが聞いた事のないその音に聞いた村人達は全て顔を青ざめさせ村長を見る……しかし期待に目にしたその村長の顔すらも青く引きつっていた。




──────。




 同時刻、暗い一室の中で全身に赤黒い包帯を巻き付けた一人の少年が身を起こす。

 長き昏倒の果て、訪れた覚醒に少年はしばらく現状が分からずぼんやりとした顔で回りを見る。

 重い瞼、再びの眠りを誘う微睡みに屈しそうになるが、そんな安寧を引き裂いて聞いた事のない叫び声が壁を通過する。


「ッ!」


 一瞬で目が覚めた頭。禍々しくとも取れるその声を耳にし少年は急いで動き出そうとするが身体が付いて行かない。

 少年自身が自ら意識していた時とは明らかに異なり今やもう元気で走り回れるような身体ではなかったからだ。

「ッ」

 俯き、這うような体勢から顔を上げ。幼き少年は口を開く。



「コワードッ」



 流れ出たその単語は人の名であった。




──────。




 同時刻、夜の森の中。

 力強き凶器を手にした一人の男が必死に木々の合間を駆けていた。


 力と、それ以上の怨念めいた感情を身に宿す男にとっては似合いもしない焦りの表情。見開いた目に強く噛み込んだ歯が唇を傷付ける。


「そんなバカなッ、なんだこのタイミングは!」


 それは、男にとっても予想外の事だったのだろう。

 何とかなると思っていた、追い縋る事も止める事も出来ずただ見送った自身の判断を強く恨む。

 予期せぬ事態、木々に反射する異質な叫び。


 楽観でないが、何故今だ、何故アイツだと、言葉に出来ない苛立ちが余計に足を急がせる。



「クッ、無事で居ろ」



 半ば懇願にも近いその言葉を雨中の天は聞き入れない。

 聞こえた気がする叫び声、嘶く異形、狂った咆哮に乗り木々をなぎ倒す破壊音が響く。


 男には、産声に予感はあった。

 そんな低い可能性はと吐き捨てるには鮮明過ぎる音。


 それは人を害するモノ


 それは人の敵


 それは強く、下手をすれば全てを奪う



「コワードォ!」



 予感の名は化けモンスター


 駆ける男の吐き出す言葉は未だ止まない雨の中へと飲み込まれた。







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