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オーバーモンスター・コワード  作者: 心許ない塩分
フレンドインファイア
97/106

15 見えない手(3)



 『熱い』

 比喩ではなく実際に高い熱を持つ痛みがコートの下で弾けた。

 周囲の暗闇の中で一瞬強く瞬くオレンジの光。パリンと透き通る破壊音の後に、衣服は『燃え上がった』。


「な、アヅッ!」


 鼻を突く機械的な油の据えた独特な匂い。降り続く白い糸にも見える雨の中でのた打つ炎が身体を巡り、痛みに気付いた時には恥も外聞も捨て土の上へと身を投げ出していた。

 頬へと触れる雨の冷たい感触。迎え入れる泥の気持ちの悪いぬかるみ。忍ぶ熱さと痛みから必死に逃れるように泥の中を泳ぐようにもがき転がり回る。


「あッツ、ぐあ、ア」


 肌にある汗でる穴を広げさせる突き刺す感触。今までの人生で感じた事のないそれは冷静さを削ぎ落とし。順当な生き様であれば生涯香る事のない自らの衣服が燃えていく臭いというのは不安と恐怖を掻き立てた……そこまでする事はなかったと尾を引く後悔に気付いたのは、巡る炎が完全に消えてしまった後だった。



「はッ……ふ」



 身を覆う安心感と徒労、場違いに微かな笑みすら浮かべて顔を上げた先で自分の目に映ったのは



「ぁ」



 何も見えない、暗闇だった。



 刹那に視界を切っていく極至近を通過する細い雨。照らす光があれば白く見えたそれも今は僅かばかりの影を残すだけ。一歩先行くその向こうは並ぶはずの木も水平な土さえも見えなくなった黒一色。

 空覆う曇天。月明かりすら差し込まない夜の時は文字通りの黒一色で染め上がっていた。


「しまっ……ク」


 自らの失態と情けなさに罵倒を入れたい気持ちが湧くがそれとは反対に、仕方ないと諦めにも似て思ってしまう部分もあった……燃えていく自分なんて今まで想像すらしなかったもの。

 肌が糸引き泡立つような痺れ。

 周囲の暗闇を根城としたクッキリとした明暗は放つ光のシルエットを明確にし咄嗟の判断を忘れさせた。


 ──もっと、落ち着けば良かった。そう考えても全てが遅い。

 実際は腰下げのランプ程度の炎、可燃材としての油の勢いがあったとしても人一人を焼き尽くすには威力が足りない……尾を引く後悔と痛みの中、消えてしまった灯りに変わり消えてくれない『獣』の雄叫びが闇に響いた。



──グアア



「ひッ」



──ググ



「く、この!」



 手長は既に近くに居ない。獣の類を出ない相手にとってやはり火というものは怖いのか。自分が無様にのた打っていた間も襲って来てはいなかった。


 ……だけどそれも終わりだろう。

 灯りが消え去り一歩先すら見えなくなった広大な空間にどこからともなく響く唸りが風に流れ耳へと届く。



──グ


「っ」


 右。



──ググ


「う」


 今度は左。



──ガ ア


「ど、どこだ……」


 次は……風に煽られ、どこからすらも分からない。



「……ッ!」



 焦燥が腕を動かした。クロスボウの射出は既に終わっている。身を守るには心許ない剥き出しの身に次なる矢を装填しようと急いで手を伸ばす。


「……あっ」


 伸ばした指先が矢筒の上で雨に滑った。


「く」


 慌てて改めて握り直し取り出した矢をクロスボウに当てようとするが……細い弦は闇に染まってよく見えない。



「こんなっ」



 ……雨のせいじゃない。

 夜のせいでもない。

 ましてや手長のせいなんかじゃない。


 自分の、実力不足が原因だ。

 光が無ければ満足に弓張る事も出来ないのか、あくせく慌て何とか手触りと雨粒の跳ねからクロスボウ全体を見下ろし、弦を張る、巻き取り機を回す。そうした動きの最中で『攻撃』を示す叫び声が響いた。



「ク」



 顔を向ける、目を凝らす……何も分からない。


 降る雨。

 聞こえるだけの音。

 開け過ぎた四方。


「……ぅ」


 予測も何も、あったものじゃない。致命傷を避けて頭だけは腕で覆うと、突き立てて来る爪の衝撃が背中から襲って来た。



「ガア」



 血は飛ばない。

 圧力、重さ、痺れ……片膝を突きたくなる衝撃が背中を押した。



「この!」



 クロスボウはまだ撃てない。装填途中の鈍器に変わり手の中の短剣を握り虚空へと向け一閃する。


 降り続く雨を縦へと切り裂いていった斬撃は、何にも当たらず何も掠らない……一周グルリと間抜けに回り再び胸元へと返って来ただけ。


 最悪なのは見えない暗闇に、手長が引いたかどうかすら分からない事だった。



──グ ハ


「!?」


 すぐ近く、笑うように漏れた獣の吐息。そちらへ向かって身体を向け腕を振り上げると


「ガッ」


 予期せぬ方角からの体当たりに左の脇腹が内へと凹んだ。

 襲う痛み、傷付かない肌。ガムシャラに方向を変えた一閃は再び無意味に空を切り。一、二度の息吐く余裕を持った後今度は足首をもぎ取るような噛み付きが後ろから右足を襲う。


「ツ」


 つくづく、堅固な冒険者装備だ。

 野生の立てる牙すら跳ね退け、万力で骨を折りに来るような痛みしか足に伝えない。



「こ、イ」



 腕を振る、空振る。引き、襲われた。


 そちらに腕を振る、風だけが切れる。唸りが回る、襲われる。


 痛みに声が上がり腕を振る、雨が落ちる。居ない、背後からの衝撃。



「ガッ、この、このッ、あああっ!」



 ここに来て一気に苛烈さを際立たせた手長の攻撃に意識は散漫と揺れながら、『狙っていたんだ』と頭の隅で自覚する。

 縦横無尽に切りつける爪と牙は人の動きからは予測も出来ない軌道を描き、避ける事はおろか何とか倒れずに踏み留まる事が精一杯。



「グ、ううッ」



 霞む闇に、装備の硬さだけを頼って身体は縮込まった。絶対に壊されてはいけない頭とクロスボウ、両者を必死に守りつつ反撃の糸口を探して視線を送るが見通しの利かない夜同様、暗影と変わった視界の中に見える光景は暗い未来だけ。



 いつか、

 防ぐ手が止まれば

 殺されると

 如実に



「うわあああ!」



 ……勇気ではなく背筋に感じた強い寒気からデタラメに振るった腕が何かにぶつかった。

 それは本当に単なる偶然だったんだろう。握る手に構えた短剣の無茶な軌跡が手長の爪と運良く重なり姿の見えない暗闇に一瞬だけ、硬質同士の噛み合いがもたらした火花が光を灯す。



「っ!」



 闇に浮かび上がっる琥珀の瞳……だがそれも刹那にだけ、そのまま通り抜けて振るわれる腕の重さに足はたたらを踏みつつ後ろへ下がった。



──グアア


「──」



 追撃の牙。

 鎧腕が受け止め甲高い音が鳴る。



──ガア


「──」


 回り込んでからの切り裂く爪。

 装備が衝撃に揺れた。



「くっ」



 一歩。二歩。


 押し出しに負けて進む足、目に映る暗闇の土。振り返り既にそこには居ないだろう手長を見つめ、強く睨む。



 光源の見えない暗闇の中で見つめた自分の目は……きっと微かな光明に光っていた事だろう。



「──やって、やる」



 手の握る短剣を硬く締め、吐き出した自身の息は雨の中へと溶け消えて行った。




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