11 分断
「う、ん?」
構えに硬く固まっていた腕の力を緩めると下へと向いたクロスボウの先に貯まった雨粒が落ちていった。
「……」
煙る視界の向こう、一本の木へと背中を預けたシルドは掛けた声には反応せず顔すら向けず、ただ力任せに引きずり下ろしたフードで浮かべた表情を隠すだけ。何を思ってか僅かに微動する全身は肩から先を震わせているようにも見える。
「な、なんだよ……言いたい事あるなら言えよ」
「……」
神妙なように見えてもさっきまでがさっきまでだ。
警戒は怠らず、揺れる言葉で続けて声を掛けるが返って来る言葉はやはりない。
「……」
突如として訪れた静寂、対抗するかのように強く耳へと感じる雨音。
僅か程度に見えたシルドの横向く口元、その上にあるはずの顔を探ろうと少し背を屈めるが事前に察知され、直視するより先に口元から上も覆った手の平に隠された。
「なんだよ」
「……」
「ム」
こうなってくると大分察しの悪い自覚のある自分にとっては手詰まりに近かった。そもそもシルド本人の事を大して知っている訳でもないのに何を考えているかなんて分からない。
……まさか、殴り付けた自分の拳が余りにヒットしてその痛みによって動けないのか──そんな都合のいい事を一瞬想像し、それは無いだろうと自分で打ち切ると頭を振るい切り替える。
「……はぁ」
どっちにしろ。シルドがどうとかは自分にとって関係はない。散々邪魔をしてくれた相手が縋るように木へと寄りかかって止まっているからってなんだ。むしろ都合がいい。
余計な事は考えない事にする。
「用がないなら、先行くから」
「……」
「い、いいな?」
「……」
「……何か言えって」
「……」
「ああ、そうかよ」
全くない返事に安心すればいいのか不安に思えばいいのか。
少し前なら、無愛想な『仲間』と強制的に過ごしていた日々ではいつもの事だったそれが突然立ち返り、今更無視無関心と装われたとして不気味以外の気持ちは感じられない。
「じゃ、行くからな」
「……」
「行くぞ、おいっ」
「……」
「なんなんだよ、もう……」
口から愚痴を零しジリジリと距離を測りながらシルドの方へと近付いて行く。進む先がそちらの方なので仕方ないことだが
「う」
突然の……不意の奇襲に合っても咄嗟に何かが出来るようにクロスボウの持ち手を強く握る。人を撃つ事に対する忌避感から矢の装填はさせずソロリソロリと少しずつ少しずつ距離を縮むて行く。
「ッ……」
「……」
「……む」
「……」
どれだけゆっくり進んでも地面の状態は今も雨が降り続ける重いぬかるみだ。散発的に出来上がった小さな水溜まりの上を靴底が深く押し込み、ビチャリと小さな音を立てながら引き抜かれる。
わざわざ声を掛けなくても分かる物音にシルドが気付かない訳もないはずだが、徐々に近寄っても佇む姿にこれといって変化は訪れず。
遂に目の前の地面まで差し掛かった時になっても地面に突き立てられたハルバードをそのままに何のアクションもしては来なかった。
……これは、本当に行っていいって事なのか──
「あ、あの……いいか?」
「……」
「いや、その……ああ」
「……」
自分でも、わざわざ聞くかという問い掛けに目の前を過ぎ終わったシルドの頭が少しだけ上へと上がる。
抑えた指と指の間、フードの影から伺える口元は横まっすぐというより開いた弧の先を下へと向けて曲げていて……確かにあったはずの嘲笑も笑みも欠片すら残っていなかった。
半ば以上安心しつつ進もうとして
「さっきの──」
「うっ、ウオオオ!?」
「……」
……完全にすれ違い終えた後になって背中から掛かった低い声に飛び上がりそうになった。
即座に反転、矢もなく意味もないクロスボウの引き金へと指を当て、先端をシルドへと向け睨む。
「な、なんだやるか、構わないぞ!? 全然ッ、その!」
「……」
振り向いた先の影の中、光明の届かない奥から密かな瞳の光が見えた。
真っ直ぐに射抜いているようでどこか力の無い視線は一瞬目が合わさるとすぐに退けられ、そのすぐ後。ボソリと雨音にかき消されるよう程の弱い声が風に流れる。
「さっきのは……わざと受けた訳じゃなかった」
「え?」
「……何でもない、行けよ、勝手にしろ。お前の事なんて、もう俺は知らない」
「は……はあ!? お前散々にいたぶっておいて今更何を──」
「知らない……分からない」
「あ!?」
「少し、混乱しているんだ……」
「……は?」
それは、今まで……と言える程長い付き合いでもなかったが零れた声の弱々しさに少し目を剥いた。
いつも上から力で抑えてるような強い人間に、全く似合わない細い音。小さな羽虫の羽音にも似た言い方に感じた憤りが出口を忘れたように空回り焦れていくのを胸に感じる。
「よかったな、勝手にやって好きになって来い『失格者』」
「む、ぅ」
最早完全に遮る気をなくしたらしい。視線は遠く外され見る物を無くしたように下へ。
揺れる雨除けの橋が再び木の端へと張り付く。邪魔をして来ないというならそれでいいと思いながらも何かが釈然とせずスッキリとはして来ないのが本心だろう。
「……あ」
その時、ちょっとした『憂さ晴らし』の方法が頭を通り過ぎる。
握ったままだった短剣の片割れを左腿の鞘へと戻し、外したままだったクロスボウの掛紐をコートの下へと沈めるように肩へ組み直す……暗闇の中で、どこかに落としてしまった短剣の片割れは軽く見回した程度では見付からず。諦めを込めた小さな溜息を吐き出す四肢へと力を張った。
「……この」
身体が……というか全身が痛い。シルドのせいだ。
──それでも技量高く敢えて急所を外した一撃一撃に感じるのは不都合さではなく重さだけ。
痛みにムシャクシャした気持ちのまま頭を働かせ……最悪、急に追い立てられてもいいように走り出す準備をすると後ろへと振り向いた。
「……おい、シルド」
「……なんだ。勝手に行けと言ったろ好きにしろ」
こちらの動きを敏感に察知し再び上げられる顎先。僅かに覗く口元の、余り気持ちがいいとは言えない表情を見つめ声を上げる。
「あの、な……」
「なんだうるさいんだよ。俺は考え事をし──」
「だったらなあ、初めっから邪魔すんじゃねえよっ!」
「──は?」
口から出たのは嘘偽りの無い言葉だ……というか散々散々痛め付けておいて『知らない』とは何だ。ついでに言いたい事も言ってやる今更取り繕わないのはこちらも同じだ。
「こんのバカがバカがバカが! イタいだろうがやられる身考えろよ! どれだけ怖かったと思うんだちょっと命の危険まで考えただろうがッふざけんなよお前」
「……ぇ」
「バ、とにかくこのバァカが!」
「──」
言いたい事を言うだけ言い切りそのまま走り出す。
全力で土を漕ぐ足にビチャビチャビチャと愉快な音が辺りの木に反射し消えて行く……一応はこれでも出来る限りの全力疾走だった。
もしかしたらと背後からの怒りの追走を考えて振り返るが、追って来るシルドの足音は聞こえない。暗い影の中近くに見える木々の葉が艶めく水に震え続けるだけ。
「ハッ、よっし、ハァ!」
追っ手の諦めを確信し、そのまま足を緩めず走り続ける。
結局……シルドが何故邪魔をしに来たのか確かな事は分からなかった。
気に食わなかったか
冒険者として筋違いと言いたかったか
単に実力差を思い知らせて笑いたかったか
「ハッ!」
考えたい事はあったがそれらは悩む以前の問題で……さっきも少しだけ思ったがそれ以上に自分がシルド自身の事を全く知らなかった事を思い知る。
嫌な人間で。
尋常でなく強く。
過去に、仲間を殺した……『らしい』。
それくらいだ
「ッ……いや! 待ってろよレックス、すぐに、アイツを!」
──どちらにしよ深く考えるのは全部が終わった後にしようと思った。
先の見えない暗い森の奥、姿を隠しているだろう『害獣』の姿を求めて走り続ける。
行く先に自信がある訳じゃない。例えシルドが来なくても闇雲に探すしかなかっただろう森の中は深く冷たい。
腕へと抱えるクロスボウの中から漏れる軋む音、自分の不甲斐なさに傷付けてしまった武器を気遣いながらも駆ける足を逸らせる。
「伐採所だッ」
……そこ位しか向かう先に思いつく場所はなく。上下左右に激しく揺れる胸の内を手で抑える。
いつだったかレックスを追い掛け村の中を全力疾走していた事を少しだけ思い出していた。