06 歪みのshi(e)ld(3)
「おかしいとは思わなかったか。目と鼻の先にある森に凶悪なモンスターが潜む生活……そんな中で平然とのんきに暮らせるものか?」
「それは……程度によるだろ」
「どうかな、少なくとも村を覆う柵ひとつで防げるとは思えない……それともお前が今まで戦ったモンスターという存在は全部そんな程度の奴らばかりだったか?」
「……それはっ」
耳に聞こえるシルドの問いに、声を上げて答えるなら『違う』としか言うことは出来ない。程度や種類の差はあれモンスターという存在は害悪だった、専門の退治屋に専用の装備まで用いる相手を簡単に防げるとは思えないが……それでも、しかしおかしい部分が残っていた。
騙して利用なんて、そんな事があるはず……。
「でも、違うだろっ」
足を引き、シルドが下がった事を確認し泥の上に立ち上がる。
半ばが切れたマントの端から零れ落ちる黒い水滴、振り上げる腕で土を払い立ち尽くすシルドと自分の頭の中を否定する為に声を上げる。
「クエストを依頼して、それが間違いだったら偽装? そんなの乱暴過ぎるだろ! 誰にだって間違いはあるし、もしかしたら勘違いしたまま……」
「そうだな」
「っ、だったら!」
「そういう事もあるだろう、だが今回は違う。そもそもがそうならない為に普通はギルド側が『確認』を行うからな」
「確認?」
「お前も『しただろう』? 未確認のモンスターが出たら先ず調査を行う」
「調査……あ」
「今回はそれがない。正規のギルドですら行わなかったものだ、最初からクエスト自体が疑わしいと見抜かれていたんだろうな」
「……」
シルドの『調査』という言葉に自分の中でも思い当たる節はある。
まだカヘルに居た時、シルドとチームを組んだ直後に確かに『調査依頼』とされたクエストに参加した記憶がある……その時相手にしたのは未確認の蟻型モンスターで、結局は調査どころかシルドの独断と専行によってその場で撃破されてしまったが。
今回の『手長』というモンスターに明確な情報はない。ギルドのトップのディガーがそれでもいいと受けたから疑問にも思わなかったが……
「く、だけど」
……食い下がる。
認めてはいけない。
調査自体はギルドが行う確認のはずだ、それが行われないのはむしろ問題はディガーの方で依頼者自体に他意があるとも限らない。
「それは、単なる勘違いで本当にモンスターだと思ってクエストを出したんだろ、依頼を受けたのはディガーだ、調査をしなかったのだって必要なかっただけで……」
「それはない」
「ッ、なんでだよ」
「アールも、グリッジもしっかりと獣を知っていた。そもそも『手長』なんていう勝手な俗称を付ける程慣れ親しんだ相手だ、何年も前から確認されていた事も話しに聞いている。今更勘違いもない」
「……そんな」
「……初めから、そういう事だ。依頼達成の報酬だって今になれば怪しいものだな。倒されてしまった相手が本当はモンスターじゃないと分かったらどう駄々をこねるつもりだったのか……最悪はタダ働きか? ハッ、あくどいだろう?」
「そんな、事」
「……しかし、依頼者側はそれでいいかも知れないが、実際に倒した冒険者はそうはならない。少なくとも『今』相手がただの獣だと知ったんだからな。知らずに倒してしまったは、もう通用しない」
「ぅ……」
違う、と。
違うという理由を探して頭を働かせる。
嘘も『あくどい』なんて嫌な言葉もアールやレックスには似合わない。
何かが違うと、ない頭を働かせて擁護出来る部分を見付け出す。
「違う……本当に勘違いだった、ろう。こんな辺鄙な所の村だ! 今までは冒険者に依頼したくても出来なくて我慢をしていただけで! モンスターと思っても仕方なく生活を……」
「それもない」
「だから、なんでだよ!」
「お前は……アールの話しを聞いてなかったか。この村にはしっかりと冒険者は『来ている』」
「……は」
「しかも手長が現れたという後だ。依頼する機会が無かったなんて言い訳はない。その時は倒す必要がなかった、邪魔になって来たのは最近の事。そんなとこだろ」
「……つ」
『昔はわざわざこの話しを聞く為だけに来るような人も居ました』
「う、クッ」
……酒席の余興だった。そんな風に話しをしていたアールは居た。
違うと、口に出して言う事は出来ない。肯定に頷くなんて事も勿論出来ず結果的に固く口を引き結ぶだけ。
「……」
「ふん」
信じられなかった……信じたくないというのが本心か。
シルドの言葉通りに初めからクエスト自体も嘘で、騙す為に呼んでいたらそれこそ自分達は都合のいい害獣駆除だ。それを認めてしまったら、何もかもが嘘になる。
『助けて欲しい』と願ったグリッジも。
『救世主だ』と笑ったアールも。
見送りに、総出で出てきた他の村人も。
懐いた……そう勘違いをしたレックスまで……
「この村に来て俺は最初に言ったはずだ」
「……」
胸を騒がせるシルドの声に視線だけは合わせて続く。
「この村の人間の言う事は信じない方がいい……理由もなく、他人を歓待する人間なんて居るはずもない」
「……」
「その通りだったろう?」
得意気に笑う、三日月状の口元に……影の中で上下に歪むシルドの顔は見下ろす視線を送ってくる。
何かを言い返さないとと思っても、しっかりとした言葉に変わるものは何もなく。流れる指摘は止められない。
「モンスターの討伐依頼を出しておいて平和過ぎる、依頼人とはいえ空家を好きに使っていいと破格の対応、知らない相手を笑顔で迎える村人」
「……」
「誰もが、最初はお前に寛容だったんじゃないか……尤も過度な期待を押し当てられていたのは俺の方で、コワードは大して感じなかったか」
「ぐっ」
「極めつけはあの子供」
「うっ!?」
開くシルドの口が子供と……レックスについて言うのを察し身体が硬くなるのを感じる。
言うなと止めへと入る間もなくあっさりと外へと出て来る下に見る言葉。
「たかが数日、ほんの少し一緒に居ただけの異邦人相手に仲良く懐いて『コワードコワード』。裏があると思う方が普通だ」
「そんなことっ」
「ある。恐らく初めから言われていたんだろう。あの『騙しやすそうな』ヤツに取り入れと……グリッジ辺りの差し金と思っていたが。まんまと乗せられたな……」
「お前っ──」
「悔しいだろう。あんなガキにいいように使われて」
嘲笑うシルドに筋違い……そう頭で分かっていても目の前の姿に、笑みを浮かべて高説を垂れ流すシルドに……降り止まぬ雨すら霞ませる程視線が赤く染まっていくように目に見える。
「まあ相手はバカだったな。何を迷ったか自分から森に突っ込んで手長に襲われ……我が身を犠牲にすればお前がその気になるとでも考えたか。だとすれば随分と村想いでおめでたい頭のガ──」
「やめろっ!」
……耳に耐えられなくなって蹴った土。武器はなく掴み掛かろうとするだけの指先は、実力違いの相手に決して届かなかった。
先程のように近くへ寄るまで待つ事なんてしない、暗がりの奥から風を纏い振るわれるハルバードの先。一瞬だけ火に輝く刃が見え、次の瞬間黒色の斧が自身の腹部に埋没する。
横へと寝かせた刃。
圧迫に追い出される息。
自然と下がる頭の先で虚空から伸びてきた開かれた五本の指が頭に食らい付き皮膚の合間に爪が刺さる。
「くがっ」
そのまま力任せに強引に大きく振るわれる腕、頭と身体が背後の地面へと叩き付けられ濡れた泥が背中で跳ねる。
倒れた後も頭を鷲掴みにしている腕は離れず。軋む痛みの先で近付いて来たフードの下にシルドの顔が見えた。
「痛いか」
……浮かぶ表情は笑みの消えた無表情なものだった。細めた視線は真っ直ぐに自分を見て、歪んでいた口元は真っ直ぐな線を横に引く。
痛みの原因である指先を退けようと掴む手を自分の手で上から握るが一本の芯が走ったようにビクともせず微動だにしない。
「コワード……お前はもう、この先に居るのがモンスターじゃないと分かった」
「ぐ」
「だから、お前がやろうというのはもう冒険者の領分じゃない」
睨み合う目線、端から見れば一方的に睨んでいるのは自分だけだったが。
吐き出す息はシルドの掴む手の平に消え、暗い雨の中、大きく声を上げないと届きはしない。
「緊急事態でも何でもない、このまま単なる獣だと分かった上で武器を振るえば、どうなるか分かるか」
「ッ、お前っ、だって、狼相手に、同じ……」
「そうだな、戻ったら好きなだけディガーに言えばいい……だがそれはお前も同じだ」
「ぐッ」
「俺もお前の事を包み隠さず話す。そうしたらどうなる?」
「ツ」
「……お前も、元々『追放』された身なんだろう。同じ事を味わいたいか」
「く……」
「お前の事なんてなんとも思ってない……利用しようとした相手にそれが出来るか」
痛む頭に、むしろ穏やかにすら聞こえるシルドの言葉。覗き込む視線を下から見上げ上下の歯はきつく噛み合う。
「オレ、は」
……少しだけ剥がれたシルドの外套の奥に見える汚れた包帯。自分が撃ち傷を付けたであろう場所が大きく目に映り、少しだけ視線は反れる。