05 歪みのshi(e)ld(2)
──雨中の森に金属同士を打ち合わせる高い音が響いた。
「く」
「……」
──火の煌めきを照り返す細く短い刃。薄い刀身の撫でる先で黒色の凶器が上下に跳ね受ける刃を弾き返した。
回る視界。
上から下へと、視線を縦に横切る雨の奥で長尺の得物が激しく動きその重さを全く感じさせない軌道で宙を反転する。
揺れる矛先は触れる水滴を弾き、接触に爆ぜた布、黒い輝きの通り抜けた後に一拍の間を以て赤い血の華が咲いた。
「グッ」
──衝撃に影は揺れ。剥き出しの頬はその表面が切り裂ける。切断された髪が数本空へと舞う中で。対峙する男は被るフードの下から曲がる口元を覗かせた。
「ハ」
──僅かに漏れ出た小さな音は侮蔑の笑みかあるいは単なる呼吸の音か。
忍ぶ闇の奥で泥土が跳ね、伸び上がってくる堅い爪先。地面の土ごと蹴り上げた衝撃は的確に相手の胸板を捉え身体の上部を重力の束縛から切り離す。
支えを失って開く指先、手首から飛んでいく短い刃。
「がッ……」
唯一の光源たるランプの火をマントの下へと隠したまま影はうつ伏せとなって地に倒れ。
しばらくした後に宙を迷っていた短剣はサクリと地面に落ち泥の中へと身を隠した。
──────。
痛、い。
「ガ……く、ハァッ」
短い間に忘れていた呼吸を取り戻し濡れた土の上で数回咳き込む。息の届く範囲の泥が揺れ、うつ伏せ状態から痛みに手を伸ばしてみるとどうやら骨が折れたという訳ではないらしい……ただ、とにかく痛いだけ。
「ち、く」
震える身を起こし、顔だけを上へと上げると地面に立った状態からこちらを見下ろすシルドを睨み付けた。
「ふん」
……始めてから数度の『やり合い』。何度か迫ったはずだが嘲笑い立つシルドの立ち位置は最初の時からまるで変わっていなかった。
目印のように切り裂かれた地面の傷は変わらず足元にあり、単純な時間の経過だけを示す新たな水溜まりが溝の中に出来上がっている。
雨粒に濡れたその格好は汚れているが全く外傷はなく……反対に早くもボロボロになっているのは自分の方だった。
雨除けのマントは所々が裂け、防具に傷はなくても剥き出しの肌の部分には刃の通り抜けた傷が残っている。
致命傷や重傷といったものは皆無だが、それは上手く自分が避けられているからではなく、他の理由があった。
「く、そ」
呻き手に力を込める……元々、剣の扱いは苦手だった。それどころか刃物の類を怖いとすら思う。
だけど、そんな言い訳が全く意味を為さない程にシルドは強く、そして実力の差は圧倒的と言ってもよかった。
「ち」
苦手とは言え、通常の刀剣類よりずっと軽く短い刃。扱う感覚は武器を振るというより腕を伸ばして殴る感覚に近く、短剣を使う動作に問題は全くない。
走る震えは怒りや反感から来る武者震いと思い……自らにそう言い聞かせて泥の中から立ち上がる。
「まだやるか……懲りないな」
……呆れたように流れるシルドの声。
「うる、さい」
自身の睨む視線と強い言葉で声は切った。
手から落としてしまった短剣は辺りを探せばすぐに見付けられた。身を屈めて拾い上げ、こびり付いてしまった泥を数度振るって削ぎ落とす。
構える体勢は正式に誰かに習った訳ではないので単純に腰貯めに僅かに開いた足の先でシルドを見る。
「行くぞ」
「……好きにしろ」
口から漏らす開始の言葉はシルドへと、そして自分自身へと向けたモノ。
長柄のハルバードを背に隠して後ろ手に握り、独特の構えを取るシルドに向かい息を吐く……今度はしっかり動けよと、精一杯すれば出来るはずだと雨に濡れた四肢に言い聞かせる。
「シッ!」
……出来得る限りの早い踏み込み。
泥を割り、跳ねた水滴はすぐに身体の後方へと流れる。降りしきる冷たい雨水を切り裂いて。左肩口を前にして走り出す。
狙いは、下腹部……別に本気でシルドをどうにかしたいと思っている訳じゃない。ただ思い知らせて、自分にはやるべき事があると伝えられればそれでよかった。
一歩、踏み出す足に対してシルドに動きはない。
更に大きく一歩、それでもまだ動かない。
……リーチの長いハルバードの間合いには既に入っているがシルドは決して自分からは動きを見せなかった。
離れていた距離は駆ける足にすぐに縮まり、いよいよ短い刀身が届く距離になってようやくシルドが動きを見せる。
「ツ!?」
「……」
空中で再び奏でられる金属の打突音。長いハルバードの柄が突き出す刃を正面から受け止め、そして難なく止めていた……正直に言えば走る軌道もよく見えはしなかった。
動き出しも走る刃も煙る雨の下には長い影程度にしか目に映らず。
気付いた時には虚空から発生したようにしか見えない柄が刃を受け止め、ならば力押しにと指先に力を入れるが全く動かない。
この先の展開は何度も目に焼き付けた同じもの。
「ッ」
一瞬刃先が震えたかと思うと指と指の間に重い衝撃が走り、腕を下から跳ね上げられる。咄嗟の事に短剣を投げ出してしまう事は何とか防ぐが目の前で揺れる刃は決して止まらず、目と鼻の先、シルドの顔が引き締まったかのように目に見える。
「……」
空中を反転する斧、襲ってくるだろうと頭で分かっても身体は反応出来ず光を吸い込む黒い刃先が迫る。
「ッ」
──どうして……そんなに早く動けるのか。
──なんでこんなに強いのか。
同じ人間であるはずなのに違いが全く分からない。
「くあっ」
痛みが、肩で弾けた。耳に聞こえる風を切る音、斧の先が肩へと降り雨除けの下へと刃が突き刺さる。
「……」
飛び出す血はない。
恐らくは分かった上でやっているんだろう。冒険者装備の鎧部へと叩き付けられた刃、肌へと食い込むはずの切っ先は届かず衝撃と痛みだけが身体を揺らす。
もしかしたら本気になれば装備すら叩き壊せるんじゃないだろうか……負の方向に向かう絶対の強さへの信頼感。目に見えるフードの下の顔は口端を歪めて笑みを形作る。
「いい加減、身の程を知ったらどうだ」
「くっ」
肩口を抑えうずくまる自分の目の前に、高速で回り込む刃とは反対の柄の先、太い石突きが喉を刺しそのまま顎先を蹴り上げるように吹き飛ばす……詰まる呼吸に足先は地面を離れ。
短い飛行に再び帰ってきた泥の上、跳ねる泥土の中で膝を突きそのまま前傾姿勢で倒れ込んだ。
頬を汚す土の塊。インパクトの瞬間こそ耐えられたものの着地の衝撃に短剣は手から投げ出され、遠く土の上へと音を立てて落ちる。
……この期に及んでようやく分かってきた事がある。
『殺す』と、そう口にしながらシルドは未だに手加減をしている。それを分からせる実力の差を見せながらトドメには決して至らない。
いつもなら助かる事に喜びを感じる自分でもさすがに反感が湧く。
痛さと衝撃。胸を締め付ける屈辱に歯噛みしながら腕を震わせる。
「く……こっ」
──まだ……まだやれるはずだった。こんなもんじゃないと夢みたいに叫ぶ自分がいる。
こんな事は前にもあったはずだった。今まで諦め掛ける事は何度もあっても結果的に耐えて頑張った果てに何とかなった事があるはずだ。
今度も、特に今の自分は絶対にしなくちゃいけない事もある……だから……
「ふん」
漏らすシルドの呼気が頭上から聞こえた。
投げ出してしまったナイフは遠く代わりの一本、未だ残る左太股の短剣に指を伸ばすがそれよりも先に手首に当たる冷たい刃によって止められる。
顔を上げればすぐ近くにあった立ち姿。今まで一切動かなかったはずのシルドが今は近くに寄っており、フードの影に隠れた見えない視線で自分を見下ろしている。
「いい加減にしろ、もう分かったろう」
「……う、ぐっ、うるさい」
自分には、そう返す事しか出来ない。
嘲笑い息を吐くシルドは一拍置き、押し当てるハルバードは動かさずに続ける。
「一体どんな事を言われて言いくるめられた。アールか? それともグリッジか? ……無い頭を使って少しはおかしいと自分で思わないのか」
「うる、さいんだよ、お前、何が」
反感の言葉を漏らしつつ考える。一体シルドはどういうつもりなのか、モンスターを倒すならそれでいいんじゃないのか、何が気に食わないのか。趣味悪く実力の違いだけを見せつけて楽しいか……悦に入って笑っているなら悪いがさすがにこの距離なら……もしかしたら当てられるかも知れない。
「クッ」
顔は上げ、シルドを睨み。空いた方腕を腰後ろに回す。
借りてきた短剣は全部で三本、腰後ろの最後の一体は他より大柄で取り回しに自信はないがこれだけ近くなら……
「やめておけ」
冷めたシルドの言葉が流れる。
「お前はずっと利用されてるだけだ、そんな事でいいのか」
「利用なんて、オレは! 冒険者として当然のっ」
「……それがおかしいと言ってるんだ。初めからすべき出番なんて俺達に無い。見て分かるものだろうに、平和過ぎるだろうこの村は」
「それの、何がっ!」
「はぁ……」
押し付ける斧刃に、決して刃先には触れないようにしながら押し返す。倒れた姿勢から腕に力は入りにくかったがシルドはこちらを舐めて掛かっているのか……僅かに動いた刃に光明は見い出せ
「この村に、モンスターなんて初めから居ない」
「え」
……しかし聞き間違いようもないシルドのハッキリとした言葉に腕は止まった。
ハルバードの先は後ろに下がり、見下ろしたままの体勢から言葉は続く。
「ここに居るのは『適度』に手が付けられなくなった単なる獣だ。初めからな、何もかも騙すつもりで俺達は呼ばれた……実状は都合のいい害獣駆除としてだけ」
「……」
「いいか? 自分で考えられないお前に教えてやる。これは立派な犯罪だ、本来冒険者が手を掛けていいのはモンスターだけでそれ以外のものは緊急時のみ許される。それを自分達でモンスターじゃないと分かった上でクエストを出せばギルドに対する反逆に近い」
「そ……」
「つまりクエストは嘘。いいか、倒すべきモンスターなんてここには居ない」
落ちる雨粒が、地面で跳ねる音。
それがやけに大きく耳を打ちざわめかせる。
「最初から、お前を思う人間なんて居るはずがないんだよ」