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オーバーモンスター・コワード  作者: 心許ない塩分
フレンドインファイア
85/106

03 植え付けられるすべき事


「これ使ってくださいね」

「……どうも」


 差し出された白い布を手に取り頭の上へと被せた。髪端からポタポタと滴る水滴、汚れた水は床へと落ちると僅かに黒い波紋を広げ……元々は綺麗だったはずの茶色の木目が徐々に徐々に汚れていく様は目にして申し訳ない気持ちで一杯になってくる。

「……」

 イネスに案内され、連れて来られた馬車の中。

 大きく見えた外観は中へと入ると意外に狭く、整然と吊るされた刃の放つ圧迫感により余計に手狭に感じられた。与えられた布で頭を拭きつつ耳を澄ませば聞こえて来る雨の音。馬車の外壁に沿って下へと落ち、間断無く打ち付けてくる水滴の音は身体に感じる寒さを増加させ、我慢しきれなくなって体を震わせるとイネスは自分を見つめ困ったような笑みを顔に浮かべた。


「すみませんね。何か温かい飲み物でも出せればいいんですけど……あいにくそういうの置いてなくって」

「あ、いや」

「代わりにお酒なんてどうですか? 今度皆さんに振舞おうと思っていた別の物があるんですけど、丁度味見もして欲しかった所で」

「酒、は……はは、いいです」

「あら、そうですか」


 苦い笑みで断りを入れると浮かんでいたイネスの笑顔はしゅんと引っ込み消えてしまう、本来ならフォローすべき所だろうが今はそんな事まで気が回らず、自分で頭を拭く作業へと没頭する。拭いても拭いてもいくらでもこぼれてくる汚れた水、懸命に拭き取ろうと思って手を強くしても既に十分以上に水気を含んだ布地はこれ以上の役目を果たさず、逆に強く握り込んだ反動により布から絞り出た水が新しい川を作った。

 目に映る布の色もすっかり白から黒へと変貌してしまい、これ以上は意味が無いと分かりながらも頭を拭き続ける。



「何かありました?」

「……」

「あ……えっと、あは」

「……」

「……ふぅ」


 恐らくは。聞かれるだろうと自分で思っていた質問。

 か細いイネスの問い掛けに即座に答えは返す事が出来なく、自分でも自問自答を繰り返しながら床を見つめる。

 『何かあったか』と聞かれて何があったのか、どう言えばいいのか。昨日までは全く考えられなかった事態に質問をしたいのはこっちの方だった。


「何なんだよ」

 強く頭を擦る手に、指先、手の甲。そこに残っているのは未だ消えない人を殴った感触。自分で誤射をし、十分反省した筈と思っていたのにどうしてそんな事をしたのか、殴った後にやり返され、結局地面を転がったのが自分だったとしてもそれは変わらない。


「……」

 意味が分からない事は他にもある、理由もなくグリッジに怒られた。理由を聞くのも反論をするのも待たずにその太い腕が拳を握って襲い掛かり自分は殴られた。


「……」

 グリッジに殴られ続け、抵抗も満足に出来なかった自分を助けたのはおかしなことにシルドだ。手にするハルバードを躊躇なく振るい、殴る側であったはずの村長を地の上に叩き伏せる。


「……」

 分からない、分からないと言えばもっと前。

 『事件』があったとただそれだけ知らされて、急いで向かったはずの村長の家に、待っていたのは昨日まで元気だったはずのあの……あの……。


「レックス」


 頭を拭く手に余計な力が入った。布越しに突き立てる爪が頭を掻き鋭い痛みを感じさせるが、痛いばかりで何も無い。



 結局、分からない。自分だけ取り残されどういう事なのか理解も出来てない。

「……ツ」

 安否が、そもそもどうしてそうなった、理由を優しく説明してくれる人はいなく。それなのになんで自分が責められる。釈然としないそれらの理由が喉に掛かった小骨のように気持ち悪さばかりを感じさせる。



「レックス、うん?」

「……」

「レックスくん……」


 漏らした自分の呟きを拾ったのかイネスが異口同音に同じ名前を上げて首を傾けた……きっと反射的にしてしまっただけで特に考えのあったものでもないんだろう。自分達と同じくこの村の出身ではない通り掛かりイネスにとってレックスという名の子供なんてせいぜい宴会で面識があった程度。それも大して長い時間じゃない。

 きっと混乱をしている自分以上に今の状況を何も分かってないだろうと不憫に思ったが、現実は違っていた。



「レックス君て、確かこのくらいの……」

「え……ああ、はい」


 このくらいと称してイネスは空中で輪を作るようなジェスチャーを繰り返す。両手で作った謎の丸い形が一体レックスの何なのか、それで人間の子供を表現しているつもりなら一度頭の中を問い詰めてやりたいものだが。やる気を感じない自分はそれを指摘する事もせず手抜きで適当なジェスチャーを自分も適当な相槌だけで返してやる。「ふむふむ」と何かに納得したような動きを見せるイネスはそのまま数秒間考え込み、その後何かを思い出したかのように口を開いた。


「昨日会いましたよ、レックスくん」

「……え」

 思いもよらないその言葉に布を頭に被せたまま、顔は上がった。


「確か昼頃……違ったかな? 村の外れですごい落ち込んでいるのを目にしたので声を掛けたんですけど」

「えっ、いっ、いつ!?」

「え!? いや、だから……昼くらい? とぼとぼーっと歩いている仕草が放っておけなくてつい」

「昼……」


 イネスの言葉に昨日の事を思い起こす。

 確か、自分がレックスと最後にあったのもそのくらいであったはずだ。もしかしたらそれより前なのか。しかし、落ち込んでいたというならもしかしたら……微かな可能性が見えた気がしてイネスに向かって勢い込んで近付くとその顔を正面から見る。


「その時、どんな調子だった!? 何か言ってたか? オレッ……いや、その夜何かするとか! そんな事っ!?」

「え、え、えぇ!?」

「頼むよっ、思い出してくれよ!」

「え、あ、えっと……ですね」


 煮え切らないイネスの態度にその肩を掴んで前後に揺するが「えっと、えっと」と要領を得ない事を繰り返すばかりで確かな言葉が出て来ない。……部外者のイネスにとってみれば昨日たまたま会った村の子供の事なんて本当にどうでもいい事かも知れないが、自分にとっては大切な事だ。抜け落ちて分からない事を補完するのに十分な物であるなら、もしもレックスをあんな姿にした原因がどこかにいるのなら今すぐ行って殴ってやっても……それぐらいの意気込みだった。


「何か言ってたか、なぁ!?」

「う、う~ん」


 イネスとの攻防をしばらく続けていると、ようやく何か思い出したのか一瞬涼しげだった両目を見開き、しかしすぐに何かまずいものにでも気付いたように目を反らしてしまう。顔ごと横へと向けながらもチラチラとこちらに送られてくる窺うような視線。

 何か言い辛い事なのか、それでもいい、とにかく何かを知りたいと懸命にその先を促す。


「何か知ってるんだなっ」

「えっと、まぁ……」

「なら教えてくれ、頼むよ!」

「あ、その、明確にじゃないんですけど……その時レックスくんが言っていた事を思い出しました」

「ああっ、なんだ?」

「その……『裏切られた』って」

「…………え」


 聞こうと思っていた言葉は自分が想像していたものとは全く別のものだった。

 イネスの言葉は続く。


「『友達だと思っていたのに、なんで』」

「……」

「『ひどい事をされたんだって』」

「……」

「涙を流して、そう言って」

「…………」

「あれ、ちょっと? 冒険者さん?」


 くらり、と。

 まるで頭を鈍器か何かで殴られたような衝撃が襲った。しかし、これで間違いない。イネスが会った昨日のレックスというのは、確実に自分が別れた後のレックスの事。

 これから先を聞くのは怖いような……しかし自分は知らなきゃいけないという何か焦燥感のようなものを感じて先を促す。


「そ、れで? その後は?」

「えと『ダメかも知れないって』」

「そんなのじゃない、もっと別の!」

「え、ああ……『でも、あれがあればまた仲良く戻れるかも』って、そう言ってましたね」

「あれ? あれって」


 イネスの言葉にレックスとのやり取りを思い出してみても『あれ』に相当するものは何も出てこない……そんな重要そうな物、自分達の間に何かあっただろうか? 曖昧な記憶を掘り起こしても浮かぶものはなく、そもそも何か物をレックスとやり取りした記憶はない。それなのに、あれがあればなんて……どうして……


「私もよく分かりませんけど友情の証と、レックスくんは」

「友情の証? なんだよそれ、聞いたこともない」

「んー、私が聞いたら石と」

「石なんてその辺にいくらでもっ」

「綺麗な石だそうで」

「だから、きっ――――綺麗な石?」


 そこまで来てようやく、微かな記憶が頭の中に蘇ってきた。


『……あげる』


 短くレックスがそう言って手渡して来たもの。

 思い至った物にドクンと胸は一度大きく騒ぎ、衝撃を感じたように数歩よろけながら下がると足は馬車の壁に塞がれて停止する。


「そんなの……」

「その、一度拾ったはずなんだけど、その後無くしてしまったと」

「……」


『何、してるんだ』

 記憶の中でレックスに向かってそう声を掛けた覚えがある。狼から逃げた後だ。確かそう聞かれたレックスはごまかすように笑って言ったはずだ。

『あ、いや、ははは……ちょっと、落し物』


「その後探してみたんだけどダメだったって」

「……」


 つい、昨日のこと。

『確かアールが一緒だったとか言ってたような、でも見送りの時には居なかったぞ』

『あ、あ~いや~……』

『ん? なんだよ』

『ちょっと探し物、それだけ!』


 場を濁す為に言っただけだが、さすがにすぐ昨日の事を間違えようもない。

 だけど……石だろう? ただの石だ、そんな物関係ある訳。


「そ、それで!?」

「それで?」

「いや、そんな石の事なんてどうでもいいんだよ。それよりもっと、その日の夜の事とか」

「夜? えっと夜か、どうか知りませんけどこの後探しに行くみたいな事は言っていましたね」

「探しに? 何を」

「ですから、石を。レックスくんの言葉でいうなら大切な証ですかね。最近見張りが立っているから隙を見付けないと、とも言ってました」

「見張り……それで」

「え?」

「それで、後は!?」

「え……終わりですよ、私はそうなんだーと返しただけでその後は何も」

「ッ」



 バカな……そんな考えが頭に張り付いていた。いくらレックスでもそこまでバカじゃない。確かに見張りはいた、それは森が今は危険だから立っていたはずだった、それを……わざわざ行くか?


「……は」

 ――馬鹿らしい、そんなはずはなかった。

 たかが石だ、ないない。余りのバカバカしさに頭を振るって口端には微かな笑みが浮かぶ。


「そんな、綺麗な石なんて、どうでもいいだろう」

「……そうですかね?」

「そうだよっ!」

「え?」

「だから、そんな物のせいでこんな事になったって、そんなバカな話し! バカな、話し」

「冒険者、さん?」

「違うに、決まって」

「……」

「決まって……」


 余りのバカバカしさに笑いだけがこみ上げる。

 たかが石ころ、そんな物探しに『行く』はずがない、そもそもレックスと自分はそんな仲じゃない、たまたまクエストに来た村で知り合ったはずだ……そう思う反面、こんな時だけ察しのいい頭が最低な推理を声で唄う。


 レックスがああなったのは、コワードのせい、だ。そんな証とやらを探さなきゃこうならなかった、探しに行かせる程言い負かした自分が。


 自分、が――――。

「グッ」


 胸に一瞬、赤く染まって転がるレックスの姿が思い浮かび。その映像は痛みを伴って胸を揺さぶった。

 考えられない、訳が分からない、何も知らない……そう言い聞かせて愚痴っていた自分がひどく子供で、そして最悪に感じられ


 シルドの言った、言葉の最後が蘇る。


『死』


 レックスが、死?


 死、

 死、

 死、


 だれのせいで


「そんなっ!」

「ちょっと、冒険者さん!」


 喚き散らす為に開いた口は何か柔らかい物に前から塞がれる。

 突然の出来事に目を白黒させていると距離が離れていたはずのイネスの身体が目の前にあり、黒く代わり汚くなった頭の布地、その上から構う事なく伸ばされた細い腕が自分の首後ろまで回され、額部分から温かな人の吐息が感じられた。


「どうしたんですか」

「ッ」

「落ち着いて……よければ私に話してください」

「話す、って」

「平気です、大丈夫ですから、ね?」

「ぐッ」



 平気な……ものか。大丈夫な訳がない。

 思い至った結論は最悪のものだ。レックスは確かに襲われた、そして腹いせには違いないがグリッジが自分に対して激昂したのもそう考えれば分かる。つまり何もかも自分のせいなんだ。


「うッ、ぐ」

 レックスは昨日、自分と言い合ったせいで森に行く事になった。

 自分の責任を知ったグリッジは殴りかかった。

 アールはどうしてあんな冷静なんだ、隠してるのか。シルドはなんで……分からない事があってそもそもどういう経緯で石を探すという事をレックスが考えたのか分からない。しかし自分が昨日の夜、のんきに外へと出歩いていたあの夜に、レックスは襲われたんだ。


 結果、それが原因で変わり果てた姿になり――


「大丈夫ですよ、落ち着いてください」

「……」

「話してください」


 耳元から優しく聞こえて来る女性の声、鼻腔をくすぐる甘い匂いの中自分はどうするべきか躊躇った。理解した恐ろしい責任に、その事を本当に話していいか判断が追い付かなかったがイネスならいいんじゃないかとそう思えてくる。

 これが、アールやディガーだったら絶対に言わない。シルドであれば尚更口を硬く噤む……しかしイネスは特別に村とも関係なく、冒険者としても関係ない赤の他人で優しい相手なら。

 話していいかも知れないと、頭はそう結論を出し。


「オレは……」


 とつとつと話しを始めた。


 ……その後、長い時間を掛けて説明をしたと思う。

 途中でつっかえつっかえとなり、それでも懸命に自分のしてしまった事を伝えるべきと口を開いた。支離滅裂だったであろう自分の言葉にイネスは急がすでも捲し立てるでもなく静かに耳を傾けてくれ、節目節目で的確に返してくれる頷きに自分の口も次第に饒舌となって行って全てを話し終える。



「そうでしたか」

「……」


 胸の中身を全て出し尽くした後に、イネスは短くそう言った。

 言葉を語る事で疲れ果たしたのか力の入らなくなった自分は抱き留められたイネスに身体を預ける格好になり、自然と近付いた距離により、聞こえるイネスの言葉はすぐ耳元から流れてくる。


「それは、確かに冒険者さんの責任です」

「……」


 ズバリと、鋭く言われた事に胸が痛んだ……痛みこそあったもののそれが正しく自分が受けるべきものだと考えれば大きな苦痛とはならず、むしろ果たすべき責任を軽減してくれたようにイネスに対して有り難みのようなものすら感じられた。


「でも」

「……」


 責任を言われ、そこで終わるはずだったがまだ続きがある。自分のいけなかった所を教えるだけでなく、イネスは更に『やるべき事』まで用意してくれていた。

 甘い匂いが鼻から入り込み、くらくらとしながらも胸が痛い。


「冒険者さんなら、いえ、冒険者だからこそ出来る事がまだありますよね」


 少しだけ、声のトーンが変わったように感じる言葉。

 加速する体の疲労に腕は止められ、流れる声に耳すら塞ぐ事も出来なくなる。頭のすぐ隣に、言葉を告げる機関と化したイネスの声は静かに染み渡って行く。


「確かに、レックスくんが森に入る原因を作ったのは冒険者さんかも知れないです、でもそもそもが『モンスター』が悪いと思いませんか」

「……」

「そんなモンスターさえ居なければレックスくんが倒れてしまう事もなかったのに」

「い、いやっ」

「そうですよ、なら正義の冒険者としてするべき事はひとつでしょうに」


 狭き馬車の中で、整然と並ぶ凶器達がキラリと光ったように目に映る。

 怪しく蠱惑的な剣呑な刃の輝きにイネスの肩越しから目が離せなくなり、流れる言葉に終わりはなく。


「『コワードさん』が手長を討てばいいんです」

 ……。

「敵を討ちましょう、そうすれば何もかもうまくいきますよ」

 ……。

「冒険者がモンスターを倒すのに、何を躊躇する理由があるんですか」

 いや……

「大丈夫、自信がないなら私が貸してあげますよ」

 ……

「私の可愛い作品達をどうぞ存分に使って構いません」


 ……作品?


 イネスの零す言葉に応えるように目に映る凶器達はその輝きを増して行く。使え使えと促すように刃の切っ先は何かを求めて暗く蠢く。


「武器は、何かの命を奪う為にあるんです。それをあげるのが私の仕事です」


 流れる言葉に、甘い匂いに、目に映る光に、自分は、

「……」

 小さく、頷きを返す事しか出来なかった。




……………………。




「……」


 夜を待つ。


「……」


 暗く忍び寄るような冷たさのある、夜が来るのをひたすらに待った。


 空家の壁越しに聞こえる雨の音。昼を過ぎ、夕を過ぎ、辺りが暗い雲だけでなく自然な黒に染まる頃になっても雨足が弱まる事はなかった。

 家具の極端に少ない部屋の中で、明るく光を漏らしているのは自分の物ではない目新しいランプ。ガラス越しに揺れる炎に時間の経過を感じながら準備を始めて行く。

 ディガーに貰った鎧の腕部分、冒険者用のコート。ようやく慣れて来た冒険者としての普段の装備を身に纏ったが今日だけはそれで終わらない。

「……」

 形だけのベッド脇に並んでいるのは三つの鞘と抜き身の刃。

 持ち手となる柄の部分が生える鞘は中サイズの物が一つと小型の物が二つ、肘から先の腕と同じ位の長さのある長めの鞘からは中身を抜き放つと両刃で厚みのあるナイフが顔を出し、小型の物からはお揃いのギザギザの刃を片側に持つ短いダガーが顔を出す。

 中サイズの鞘を矢筒と同じく腰のベルトに巻き込み、小型のダガーはそれぞれ付属のベルトを使って右太ももと左太ももとに固定する。

 抜き身となった分厚い刃は鎧腕の補強用、金属部である表面へと重ねるように備え付けると手首から先に向けて切っ先が伸びる形となり……見た目だけであればそれだけで強そうに見えてくるから不思議なものだった。

 明かりとして置いていたランプを肩から掛けて右腰に垂らし、反対の肩には相棒であるクロスボウの掛け紐を乗せる。最後に雨除け用のマントを上から被り、そこでようやく全ての準備が完了した。


「……はぁ」

 イネスには本当に感謝をしないといけない。武器だけでなくランプにマントまでいたれりつくせりで全て貸してくれたのはあの人だ……そこまで協力的にしてくれる理由がまるで分からなかったが自分にとって都合のいい事に対して余計なものは考えないようにする。

 今、本当に自分がすべき事はただひとつ。それだけしかないんだ。


「倒すんだ、オレが」


 見下ろす手の平を力強く数回開き閉じを繰り返し、雨音が響く中、タイミングを見計らって外に出る。暗い廊下と玄関に元から乏しいものだったがシルドの気配がない事は幸いだった、家の外へと出て村の中へと足を踏み出しても追ってくる人影はない。

「……」

 雨降りの夜の村はいつもと様子が違って見えた。常であれば用意してある焚き火の炎もなく、森への出入り口に見張りとして立っている人間もいない。未だに灯りが灯っている家々はまだ多いが、外へと出て注意して来る人間はいないのだから何の問題もなかった。


「待ってろ、レックス」


 知り合いの名前を呪文のように繰り返し村の中を真っ直ぐに横切る。

 夜の森へと続く出口まで辿り着くと村からの灯りは全く届かず。鬱蒼と茂った暗い空間に降り続ける強い雨も相まって目に映るものは全て別世界のように感じられた……この先に恐ろしいモンスターが待つ、そう考えただけでも寒さとは別の意味での震えが起こる。

 それでもこんな恐ろしげな中をレックスは入っていったのか、自分のせいで……そう考えると怖さはあっても踵を返そうという思いは微塵も湧かず、勇気を持って森へと踏み出していく。

 今の自分であれば『コワード』なんて蔑んで呼ばれる事はない、そんな自信があった。



「行くぞ」


 ……実際に、この先に本当に手長が居るという保証はない。

 もしかしたら森の奥まで隠れてしまっているかも知れないが、もしもそうなら見付けるまで探すだけだ。一度目にしたあの虎の姿、あの身体にクロスボウの矢を撃ち込み、突き立てる刃で皮を削らないと、そうしないと自分は……


「敵は討つ、討つからっ」


 決意と共に外へと飛び出す自分の声に、


「やめておけ」

「っ!?」


 冷たい言葉を以て応える声があった。


 突然の事に踏み出した足を下げ、腰に垂らしたランプの火を向けると暗い森の中で人型のシルエットが浮かび上がる……自分と同じくマントを被った見知った姿、差し向けられる光により浮かび上がる長柄の凶器が黒い輝きを撒き散らしながら宙を滑った。



「シルド」

「……」

 自称仲間を騙る人物はその表情全てをフードと雨の中に隠してしまい、どんな顔をしているのかは全く見えなかった。



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