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オーバーモンスター・コワード  作者: 心許ない塩分
フレンドリィファイア
82/106

32 エピローグ そして雨は降る

(注)

「戻るか」

 夜闇に向かってそう呟いたのはもう大分時間が過ぎてからだった。

 肌に感じる冷たさに腕を擦ると沸き立つような鳥肌が出来上がっていて、周囲の空気もいつの間にか薄ら寒いものへ。消えかけの焚き火が漏らす最後の火の吹き出しを目にし、冷たい石から腰を上げる。

「さむ」

 吹き抜ける冷たい風に衣服の折り目を強くして、肩掛けの紐から垂らす自身のクロスボウをカシャカシャ鳴らしながら家へと戻ろうとし。


「ん?」

 その途中で、足を止めた。


「……」

 

 ヒュウヒュウヒュウと音を立てて吹く風。耳に聞こえるその音に一瞬違和感を感じ耳を澄ます。


「……気のせいか」


 目を瞑り数秒間そのままにしていたが結局新しくは何も聞こえず、不審に思った首だけが暗い森を見つめて横へと傾ぐ。

 これがもし仮に聞いた事もない奇妙な音だったら気にも止めない所だったかも知れないが。


「まさか、ね」

 聞こえた『声』が『自分の呼び名』だった場合はそうはならない。

 家へと戻る途中で止まった足は自然と森の方へと向いていた。




―――――――――――。




「ハッ、ハッ」

 自分でも、信じられない位息が荒かった。

 お腹を突き破って外まで出そうな暴れる心臓。素早く背後へと下がっていく周りの風景は暗い黒色に包まれ、すれ違う一瞬だけ胸に抱いたランプの炎に鮮明に照らし出される。

 どこまで行っても変わらないような夜の森の風景は尋常じゃなく怖さを引き立て、それが余計に足を加速させていく。


「はっ、ッ!」

 一心不乱に走り続け勢い余って踏み出した足が何かに触れ身体そのものが宙にバウンドする。忙しなく変わっていく風景はその一瞬だけ止まり目に映ったのは炎の光によって浮かび上がる長くて太い『腕』。


「っ!」

 風を切る嫌な音が耳元すぐの所で聞こえた。

 無理矢理に捻った身体の上で、通過する身も凍るような甲高い咆哮。


「ガ!」

 耳を塞ぎたくなるその音に全てが通り過ぎた後、爆発するように熱い痛みが左肩で弾ける。全部の感覚をそれだけで埋めるような痛さに視界が一瞬赤く染まって、少し遅れて視界と同じ色の真っ赤な血潮が自分の中から外へと飛び出していく。粘着質の気持ちの悪い液体が顔まで跳ねて。怖く、吐きそうなくらいに、痛い。


「あっ、ゥッ、ア」

 大きく縦へと開いた口からは叫びだしたい自分の気持ちとは反対に乾いてひび割れた音しか出ない。必死に走り続けた結果に喉はカラカラに乾いて口裏に貼り付く自分のベロで呼吸が塞がれる。よく息が出来なくてよく声が出ない。

 辛うじて音となったものは意味の分からない悲鳴とたくさんの泣き声、ひどい自分自身の声で余計に涙が溢れ出てくる。


「クッ、ッ」

 力の入らなくなった手から転がり落ち、抱えていたランプが地面の上で弾ける。ガラスの壊れる透き通る音に赤色の火が細かく千切れて周りに飛び、地面に落ちていた落ち葉数枚を焼き。燃える炎の先で苦しそうな唸り声が木々へと反射する。


「うっ、ぅ」

 見えなくなった太い腕を確認して、その隙にもう一度、足へと力を込めると地面を蹴って前へと進む。

 計画も何も無い、ただ逃げる為に走る道は唯一の道しるべだったランプの火も失い真っ暗になり。本当の意味で単なるガムシャラへと変わった足取りは草むらの中を進む。


「ぐ、ひぐっ、うっ」


 涙が出た。

 前も見えなくて立ち塞がる木に頭からぶつかって、その痛みと衝撃で水滴は余計にこぼれ落ちる。


 怖くて。怖くて。


 暴れる心臓を手で抑えて、助けを呼びたくなって口を開いても出て来る声が蛙の鳴き声みたいなものへと変わっていて余計にへこむ。赤く濡れた手の平が自分の服を掴んでベタ付き、踏み出した足が不用意に枝を踏む度にパキとなる小気味のいい音に体に震えが走る。


「っ、ッ、ハ」


 逃げなくちゃと、一心不乱に走り続けて……気付いた時には森を開かせた広い平地へと辿り着いた。


「ヅ」

 辺りは何も見えない真っ暗闇。

 しかし広くなったその場所と数が少なくなったように思える立ち並ぶ木達、そして本当に微か程度にしか見えない遠くの方で確かに光が見えた。


「ァ――」


 ……マズイ、痛過ぎて、嬉しくてももう何も出ない。

 例え周りがよく見えなくても、覚えのあるこの場所に、何か込み上げてくるものがある。開けた地面、薄らとだけど分かる切り倒された木。

 下がっていた顔を光へと向けて上げるとこれが最後だからと自分の身体に鞭を打った。


「ジ、ッ」


 ――痛い。

 全身の焼ける痛さの中で、それでも思い出せたのはじーちゃんの事、村の事。

 いつも変わらない微笑みを浮かべて自分を出迎え入れてくれるじーちゃんを想像して嬉しくなってくる。


「ゥ、ス」

 足はまだ動く。体もまだ動ける。まだ、逃げ切れる。


 遠い光に向かってもう一度強く。とっくに力を無くした足は足取りも遅くて、どれだけ動かしても目指す場所が一向に近付いているように見えない。


「ッ、ぐ」


 ――痛い。

 『取られた』肩だけじゃなくて他も、落とした拍子に貰った火の跡が足に、鋭い葉っぱで切れたのか指先に力が入らない。

 身体中に痛くない所が見つからなくても無事に、逃げ帰るにはそれしかないからと進む。

 ……今じゃ歩いていると言われてもおかしくない程の速さでも懸命に。村の光を見上げて、痛みを噛み殺して進んでいるとあるはずない人影が同じ森の中で見えた。

 森に住む他の動物達の影とは明らかに違うシルエット。二本足で立つ人間らしいその影に、それが誰のものなのかオレには瞬時に分かった。


「コ――」


 力を振るう。もう少しだ。来てくれたんだ。

 余りの嬉しさで暗い闇の中で笑みを浮かべるとほぼ同時、走る足に強い衝撃が生まれた。圧し掛かる重さと新しい痛さ。体の芯から響く重い音に、目に見えていた村の光が遠のいていくようにずっと高くなる。


「――――」


 ――自分の方が下へと下がったんだと、そう気付くのに少し時間が掛かった。

 言葉に出来ない痛みにそのまま抑え切れずに自分の口から変な悲鳴が漏れて足を見ると片足が……本来曲がらない方向へと曲がっている。

 焼け付く痛さに地面の上へと転がった状態で目を見開いて。見えたのは助けてくれる相手でもなく村の光でもなく白い牙、暗がりでも分かる爛々とした目の輝きがオレを見て。


「――」



 黒い風が、すぐ脇を抜けていく。力が入らなくなった体でこの時になってようやく口はマトモな動きを取り戻して。




「コワー……ド」


 小さく漏らした声は風に乗って消えて行った。




――――――――――。




「あら~?」

「……うん?」


 足を止め、森へと進もうとした瞬間後ろから声を掛けられる。

 村の中では余り聞かない若い女性の声に、振り向いてみると案の定そこにはイネスがいた。


「アナタ……小さい方の冒険者さん! こんな時間にどうしたんです」

「……小さい方は余計だ」


 今日は夜の闇に紛れそうな黒い格好、何が嬉しいのか薄く笑みを浮かべているイネスに対し自分は面白くない顔で睨み返す。

 ……小さい方とか、わざわざ余計なんだ。快く思っていない自分の気持ちとは反対にイネスは手に持っている何か長い棒で地面をつつき「こんな夜更けに出歩くと危ないですよ」と至極真っ当な事をのほほんとした様子で伝えてくる。

 さっきまでとは別の意味で頭が痛くなる。


「何でもない、ちょっと夜――」

「あらソレ!」

「風――に」


 不機嫌を隠さずに口にする自分の言葉を遮って、イネスは明るく輝く笑みを覗かせてにじり寄ってくる。自分にではなく、クロスボウ目掛けてだ。

「まぁまぁソレソレ、冒険者の装備! まさか私に見せてくれる為にわざわざ?」

「いや、これはた――」

「それはとても嬉しいんですけど、残念です」

「いや、あ――」

「今日はちょっと日が悪いので遠慮しておきます、また今度見せてくださいね」

「……聞けよ、人の話し」


 目の前でちゃんと会話を交わしているはずなのに、自分は無視され話しを勝手に進められるこの既視感。最も自分を無視するシルドは今は居なく、自分の知ってる限り一番人の話しを聞かないレックスも今は……話しをする事自体は昼間にもしたが普通の会話らしい会話ではなかったのでこの事が随分久し振りに感じられる。


「……」

 ふとイネスから視線を外し、遠くの森を見た。

 何か名前を呼ばれたような気がしたのは気のせいだったか……遠目に見る森の景色をくまなく見渡しても何か変な所があるようには見られない。……それでも胸に残る言葉にならない嫌な感覚はなんなのか。何の説明も出来ないただの直感に対して後ろ髪を引かれるような思いが残っていた。


「小さな冒険者さん」

「小さな、じゃない……です」

 名前にもならない名で呼ばれ再びイネスへと意識を戻すと先程まで手にしていた長い棒を今度は空へと向けている。やたらと装飾過多な玩具のようにしか見えなかったその棒は僅かに軋む開閉音を立てると今度は空へと向けて翼を広げ。そのまま調子を確かめるように何度か振るっていると実に女性らしい白い花柄の傘へと変わっていた。

 これも馬車と同じような変わったカラクリの一つなのか、感心したように見つめていると、広げた傘の羽の向こう側でイネスは少しだけ表情を曇らせる。


「よさそうな夜だったので私も散歩をしていたんですけど、今日は日が悪いようですよ」

「ん?」

「ホラ、この通り……冒険者さんももう家に戻った方がいいんじゃないです?」

 イネスの細い指先が傘の内側から空へと向かって上を向いた形で差し出され、それと同時に自分の頬へと当たる水滴の感触があった。


「これ」

 手を伸ばし肌へと指で触ると、透明な水滴は指先からこぼれ下へと落ちていく。


「この通り、日が悪いでしょう」

「ああ、なるほどね」

「ええ、それでは私はこれで。また」


 振り返り優雅な動きで一礼するとイネスは歩き出し……しかし途中で足を止めるとすぐに振り返る。


「また今度、時間がある時にゆっくり話しましょう。見せたいものもあるんですよ。それでは」

「はぁ」


 振り返り、残されたのはわざわざ言う必要もあったのかと思う短い一言。……それから先は本当に何もなく、イネスは夜闇の向こうに音も無く消えて行く。



「……雨か」


 暗い空を見上げ。降り始めた雨を見上げると思い出す。出て来る前のカヘルは毎日こんな風だったなと顔へと向かって落ち来る水滴の量は今でこそ少ないが、これから先強い雨を想像させるには十分過ぎるものだった。


「ハハ、そういや雨季だったっけ」


 色々あり過ぎて忘れていた当たり前の事を呟き、何だかバカみたいな自分を思って口端に笑みが浮かぶ。重い肩を更に下へと落とすクロスボウへと指で触れ、掛け紐を背負い直し。


「……」


 最後に一度、遠い森を眺めて探して……やっぱり何も見えなかったのでそこで諦める。

 疲れているのかと溜息をこぼし、来るべき明日とその先で自分のやるべき事を思って更に溜息。


「明日」

 暗い空の中から振り続ける雨の下。

 漏らした一言は冷たく弱く辺りに響き、そして消えていった。





3章 (前半)『フレンドリィファイア』 -fin-




【次回予告】

 オーバーモンスター・コワード3章後半『フレンドインファイア』


(幕間は挟まずこのまま続きます)

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