19 三人目の来訪者
「なんだ?」
4日目、朝。相変わらずモンスターが現れたという報せは来ないが今日の村の様子はいつもと少し違っていた。空家の壁越しに聞こえる声、歩き回る人の気配は外を頻繁に行き来し、複数の人が村の中を行ったり来たりしているのが分かる。
口寂しいパンの端切れを口に含み、最早味すら感じない感触を噛み潰しているが……どうにも外の様子が気になって仕方がなかった。
「コワード」
「うん?」
「早く食べろ」
「……うん」
それでも、目の前に座るシルドは何も感じないのか、泰然として食事を進めている……まさか、気付いてないとも思わないがこの悪人面であってももしかしたら、一応と、念の為に聞いてみる。
「あのさ……なんか今日、外の様子おかしくないか」
「……」
「なんていうか、慌ただしいというか、賑わってる……は違うけど、何かそんなような」
「……知るか」
「は」
「お前にも、俺にも関係無い。いちいち気にするな」
「……え、でも」
「知るか」
「……」
全く、役に立たない。
――いや結局自分も分かってないって事じゃないか偉ぶるなよ……そう心だけで思い、見えない位置で拳を震わせるが特に何の意味もない事にすぐに気付き空しくなってやめる。
本当にこれで同じ人間なのか、冒険者なのか。『知らない』と言い切り食事を進めるシルドに変わった様子はどこも見られない。その間家のすぐ近くで音がしてもそちらに目もくれず、無言の雰囲気に苦笑いだけを浮かべるとパンを口に咥える。
黙々と食事をするシルドは自分よりも先にさっさと食事を終わらせて、平らげた乾燥パンの残りを片付けると静かに立ち上がった。
「様子を見に行く」
「え?」
一瞬、何を言われたか気付かなかった……というか気にしているじゃないか!
すっくと立ち上がる背の高い影は座ったままの自分の姿勢も相まり見下ろすような仕草に、小さく息を吐き外へと一瞬目を向ける様子を混じえると続ける。
「俺は見に行く、お前は来なくていい。連絡がないからな……俺にモンスターを倒させたいんだ、報せに来ない訳が無い。それでも用心の為だ、一応冒険者装備の用意だけはしてろ」
「え、ちょ!?」
「荷物番はお前に任せる。何かあれば伝えるからその時は……」
「おいっ!」
勝手に。
自分勝手にどんどんと話しを続けるシルドを遮るように大きく声を上げると、見下ろすシルドの視線が急に細まり自分を見る。喋る以外で動こうとしなかったその唇が無表情に平らになり、生えてもいない牙を見せつけるようにして一言言う。
「なんだ」
「うっ」
僅かに空気を震わせるだけのその一言で喉が詰まった。頭の先から言いたかった事が抜けていくような感触に下を向きたくなるが……いつまでも、言わせてばかりの自分じゃない。下から見上げる視線は姿勢の為仕方ないとして、強く睨むようにしてシルドを見返し……若干、心の安心の為に視線をずらして鼻先辺りを見るようにする。
「なんだ、じゃない! オレも行くに決まってるだろ!」
「……」
「な、なんだよ、文句あるのかよ、何も問題ないだろオレはっ」
「……まだ」
「うっ」
「…………まだ半分以上残っているが」
「……へ?」
シルドの言葉に意気込んだ気持ちが抜ける。徐々に下へと下がってくその視線を追って足元を見ると、床の上へと広げた布地に手慰み程度に千切った小さな茶色い欠片。そしてまだ大部分を残す朝食用の乾燥パンの塊がそこに鎮座していた。
「一分」
「うっ、うおおおおおお」
右手に水筒を取り、茶色くおいしくない塊に大きく噛み付いた。
……………………。
「う、お……なんだ、あれ。飲み込もうと、思っても、口の中でパサパサパサパサ、モサモサモサモサ……塊が、うおぇ……まだ、胃の下の辺りが気持ち悪い」
「腹に収めればなんでも同じだ、大袈裟なんだよ」
「……」
「……なんだその目」
「いや、なんでアンタが毎朝毎食文句なく食事が出来るのか。今分かった」
「……」
「ひっ、ハハ!」
言った途端、不機嫌そうに変わったシルドから視線を外しカシャカシャとうるさい自分の身体を見る。『用心の為だ』の一点張りのせいで何故か自分は冒険者のフル装備……シルド本人は武器だけを手に持った身軽な姿だが、その着替えのせいのごたつきもあって置いていかれそうになった……久しぶりに袖を通した気のする革のコートに左手だけの鎧腕。愛器のクロスボウを背中に担げば全身の体重が一回り重くなったように鈍重に感じ、腰の位置のしっくりと来ない矢筒を何度も直しながら村全体を見渡した。
……元より人の少ない印象のデセルテ村だったが今日ばかりはその全員が外に出ているんじゃないかという人の群れが出来ている。村の中心部に集まる人だかりは年配の人や女性が中心となり、それを隠すように村の入口に完成されている男衆の人垣。てっきりモンスターが襲って来たのかとも身構えたがどうやらそういう訳ではないようで。人垣が出来ている村の入口、森へと続く奥の出口ではなく、自分達も通って来た入口付近に人だかりが出来、その奥に『何か』が見えた。
「なんだ?」
「……」
「モンスターが、って感じじゃないよなシルド」
「……」
「……おーい」
「……」
「……いや、何か言って」
「……」
「あ、おい! ……あああ、もう!」
無言のままシルドは人垣に向かって歩き出した。
冒険者用の防具こそ付けていないものの手の下に見えるのは黒光りするハルバードの姿。見るからに鋭利で凶悪な武器に、尚且つ常から不機嫌そうな悪人顔。……これで戦闘時に付ける顔を隠すフードまであったら冒険者どころか全うな人間なのかと疑いたい姿だが。シルドの接近に気付き手前の人垣がサッと割れた。刃先を下にハルバードの斧の部分が土の表面を擦り砂を巻き上げ、それを目にした村人がギョッと目を見開き数歩下がっていく……何かの神話で見たかのような光景に頭が痛くなるのを感じる。
「コワード!」
「……あー」
自分の下降する気持ちとは反対に聞こえてきた嬉しそうな言葉。シルドを避けた人垣から小さな背丈が飛び出し走り寄りながら声を上げていた……最早最近見慣れて来た気すらするレックスの姿に、抵抗する気も失せて掲げた腕を左右にぶらり、駆け寄って来たレックスは自分の横へと着くと眩しい笑みを浮かべてこちらを見上げてくる。
「コワード、おはよー」
「おー」
「お、は、ようっ!」
「お、おはよ……」
ニッカリと、しかし強要を強いる笑みに半笑いで返し、悪神シルドの威光により開いた人垣へと目を向けると『何か』の全容がようやく見えてきた。
形で言えば、車。それも一般的に人の乗る馬車とは異なり馬数頭を総動員して引く大型の木の車だった。車輪部だけは金属が使われているのか弱々しい日光を吸って輝く鉄の輪に車の頭の先には群れをなした馬が見える。
1、2、3、4……全部で10頭はいるだろうが、どれも立派な体躯で毛並みのいい馬達は、自分達をここに連れて来てくれた御者の馬達が霞んで見える程。荒々しい嘶きを上げる頭に取り付けられた手綱に車本体を遠目に見ると、少しだけ変な形をしている。
普通、人が乗り込む為に足を掛けるようなステップはなく、代わりに取り付けられたのは踊り台のような四角いステージ。四脚の脚はしっかりと地面に下ろされ天板部分はそのまま車本体に横っ面に固定されている、ステージの奥に見えるのは観音開きの大きな扉で、これだけで大きな車の大体八割の大きさ。……見ようによっては巨大な物置に車輪を付けたような変なものに見えるが、木目の部分は黒く油塗りされ、所々に散り嵌められた金銀細工が妙に眩しい……一目見て、色々と言いたい事が頭を巡ったが突き詰めてみると出てくる言葉は一つしかない。
「なんだあれ」
――本当に、何あれ。
「なんだろうね」
首を傾げる自分に合わせてレックスも首を捻る……てっきり先にいたレックスは事態を知っているものかと穿っていたがそういう訳でもないようで、それどころか周りにいるどの村人も合点がいったような表情を浮かべている人間は一人もいなかった。
「知らないのか? レックスも」
「うん……それでなんかみんな警戒しちゃって。朝になったらいきなりあったんだアレ、誰も知らないし……もしかしたら夜の内に生えてきたのかな」
「あんなのが生える土地とか、嫌だろ……」
「だよな! ハハハハ」
「はぁ……うん?」
「散れ、皆散れ! 何を集まってるんだ、皆朝の支度に戻るんだ」
隣に立つレックスとバカな事を話している内に、後ろから張り上げる大きな声が近付いて来る。目を向ければ小走り気味にやって来るのは村の村長グリッジの姿、大柄な身体を左右に揺らし見た目より軽快に走る男は先に立つ若い案内人を追い越さんばかりの勢いがあった。
そのグリッジの姿に無言でレックスはそそくさと自分の後ろへと隠れる。すれ違い様にグリッジが一瞬こちらを見た気がしたがそれも僅か、そのまま人だかりの中へと突入すると大きな声と共に腕を振り上げる。
「こんな所で集まっている場合じゃない、今が、大切な時なんだぞ! 開拓の手を休める訳にも行かない、こんな所で集合するより先にやる事が……」
「……」
「っ、ぼ、冒険者さん」
「……」
グリッジが『冒険者さん』と呟いて見た先は勿論自分じゃない。
人垣へと先に乗り込んでいたシルドと向かい合う形でグリッジはそのまま止まってしまう。元からそうかも知れないが睨むようなその視線でグリッジを見るシルドは数回口を開き、その度にグリッジの表情は険しくなったように見えた……ただ生憎、距離があってシルドが何を言っているか分からなかったが、横に立つレックスが自分のコートの裾を引いた。
「ところでコワード、これ」
レックスがそう何かを言い掛けた瞬間だった。大型車の下部で僅かに火花が散り、続いて大袈裟な程の爆発音が辺りに響き渡る。キンと耳に痛いような響きに鼻を刺激する匂いは爆薬か何かか……しかし音と煙こそは凄いものの肝心の炎自体は何もなく、流れる谷風に乗って屋外だというのに貯まった土煙が辺りへと充満した。
「う、けほっ、なに」
「うっ、げぇほっ……うぇっ」
すぐ近くで聞こえた声はレックスのものだと分かるが。それより何より目が痛い。煙に混じった細かい砂が口に入り込み。蘇る朝食の悪夢と胃下部からのせり上がり……食道手前まで返ってこようとしたソレを何とか抑え切り、吐き気をごまかして口と鼻を手で軽く塞ぎ前を見る。
「うっ、なんだよ、もうホント朝から、最――」
煙の中自分の言いたかったはずの一言を、その先を代わりに代弁してくれる誰かの言葉が引き継いでくれた。
「最悪、何これ、けほっ、ごっ、すみません皆様。少し配合を間違えてしまったみた、コホッ」
「げっ、んん?」
聞こえて来たその声はレックスのものではない。グリッジでもシルドでも、ましてや他の男衆のものでもないのは確かで。聞こえてきた声は女性の声、若干鼻に掛かったような低い声だったが確かに女性のもののようだった。
「今、どうにかしますから、少し辛抱……けほっ、もう」
誰かの女性の言葉に続き、通り抜ける風が煙を晴らして行く。
一体どういう原理なのか車の中から木と木が擦れ合うような変わった音が続き、それに合わせて風が流れ出す。
数秒間の間を置き完全に煙が晴れると自分と住人の目の前には見知らぬ女性が立っていた。長く灰色の髪に紫を基調としたロングドレスの姿、白い手袋と装飾過多な衣装は村という場所に全く見合わぬ格好で……それだけでも大分奇特だが故意なのか事故なのか高そうな上下の衣服それぞれに深い切り込みが走っていた……下半身のロングスカートはふともも近くまで切り込みが入り、脇から始まる横の切れ目は腰付近まで。無防備な紫色のひらひらは流れる風に合わせてゆらゆらと揺れ、その度に露出された肌色が直に。
「おー」
「……ハッ!」
「ちょ、コワードッ、コワード? 見えないよっ」
咄嗟にレックスの視界を手で塞ぐのには成功する。本当に咄嗟の事だったが個人的にとてもいい事をしたと思える。アレは子供が見るべき類の服じゃない。
「あらどうもー、お騒がせいたしました」
自分やレックスだけでなく困惑する周りの人々をゆっくりと見回し女性はステージの上でしっかりと立ち上がる。声自体は女性にしては低めの響きだが、間延びした声は音の響きと同じく周囲にゆっくりと浸透していったようで、何度か目を瞬かせられる程の間を含みようやく村人達の意識が戻って来る。
「な、なんだっ、なんだその格好!」
……うん、村人の誰か。そこはとても同意はするが今聞くべき事はそれじゃないと思う。
「な、なんだお前、何者だ!」
……うん、これまた村人の誰か。自分が聞きたかったのはまさしくそれだ。
『誰か』とは思ったがどうやら声を上げたのはグリッジのようで大きな身体に肩を激しく上下させて女性を見上げている。……女性の立つ舞台の高さ分、どうしても地面の上の人からは下から覗くような目線になっているはずだが。全く動じる様子のないグリッジに少しだけ見直した。
「あら、貴方?」
「俺はこの村の村長グリッジだ。貴様見慣れぬ物で突然この村に現れてなんだ! 何を企んでる!」
動じないな……と見直したはずが今度は逆に予想以上のグリッジの強い語気に驚きを感じる。突然出てきた女性の危ない出で立ちに靡かなかったとかではなく純粋にその言葉の中には強い反感が含まれているで――先程シルドと交わした数回の会話に何かあったのか。
大きな怒号に反応したのは自分だけでなく手で目隠しをしたままのレックスも一度大きく肩を跳ねらせた。自分でも動揺するだろうその恫喝に、しかし近くで声を上げられ当の女性はふわりと笑みを浮かべたまま構わない。それどころか優雅な仕草で一礼をし、低い位置にあるグリッジの顔を正面から見つめ返した
「これは村長様でしたか。それは……丁度良かった。私は無礼のお詫びと少しのお許しを頂きたいのです」
「……許し?」
女性へと詰め寄るような形になった為、今は背中ばかりが見えるグリッジだが、その声のトーンに若干戸惑いが混じったように聞こえる。声を荒げられたはずなのに謎の女性は意にも介さず。くるりと堂に入った様子で頭を下げて回り、舞台の上から周囲の人垣をゆっくりと見下ろした。
「私は地方を巡る行商人、名をイネスと言います。どうぞご贔屓に」
「行商?」
「ええ、ええ、はいはい、そうです、そうです。私の素晴らしい子供達を是非買って頂きたいと各地を回っているのですよ」
「ふ、む」
女性の言葉にグリッジの語気が削がれた。立っている場所もあって錯覚かと思ったが、舞台で語る女性の姿はどこか芝居掛かったように……いや、実際何かを演じているのかも知れない。言葉と言葉の間に挟まれるポーズは女性自身の身体を強調し、その格好も相まって扇情的に目に見えた。
……その時、どこからか舌打ちのようなものが聞こえてきた。聞こえた音に目を向けてみればいつの間に移動を果たしたのかシルドの姿がすぐ横にあり、手にしたハルバードを下ろして女性の姿を睨んでいる。
「行商人……行商人か」
何度か頷き吟味するように言ったグリッジの言葉に先程までの棘はない。始めは面食らっていた他の村人達も徐々に理解を始め興味深そうに女性へと目を向ける……確かさっきイネスと名乗っていたか。その姿はともかく村奥で窺うだけだった女性達も少し関心を持ったようだった。
「ふふふ、ではどうぞ、まずはその目で品物を確認してください」
十分に視線が集中したのを見届け、イネスは満足そうに頷き舞台から降りて隅へと廻ると車の横側で何かを始める。行商と……何を売る気なのかは知らないが、今までの行動が全部ただ客寄せのパフォーマンスだったと思えば、少しだけ納得も出来た。よく見れば車本体の装飾も人の目を引くようなものばかりであり、重厚な雰囲気を受ける大きな扉が音を立てて開き始めた。
「私の可愛い作品達をご覧ください、そして出来れば買っていってね」
急に媚びを売り出したその声音はちょっとアレだ、と思ったが。それでも少しだけ開き始めた扉にワクワクを感じる、これだけの豪華な造りに一体中には何があるのか。
塞いでいたレックスの目からも手をどけてやると飛び出すように駆け出し、自分の前側へと立つと首を伸ばして車を見つめる。
朝の清々しい空気の中、差し込む陽の光に扉の奥から反射する光が溢れ。
「ようこそ、イネスの武器屋へ!」
女性のその大きな掛け声と共に扉が今完全に開き切った。
「え」
――ここで、何か気になる単語が聞こえてしまったのはきっと自分だけじゃないはずだ。
朝の清々しい光を浴びて、車内のイネスの品物達は和気あいあいと鈍い光を称える。天井から吊り下げられた斧、鎚、剣。鎮座する台から飛び出した槍、鉈、鉄球が風を切り……何かの演出のつもりなのかジャキンという物々しい音と共に車の奥から大型で分厚い抜き身の刃が数本前へと向かって突き出された。
「あ、あら?」
……それから大分間を挟みようやく聞こえてきた女性の声。その言葉が響くまでたくさんの人が居るはずのこの場は驚く程の静寂に包まれていて。剣呑な刃達がズラリと前へと飛び出した瞬間には長い人垣が一様にザッと後ろへと下がる。
大勢の人に一斉に『引く』瞬間。それを見る事が出来た希な体験だった。