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オーバーモンスター・コワード  作者: 心許ない塩分
フレンドリィファイア
68/106

18 タラシ

 デセルテ村来訪三日目朝。モンスターが出たという連絡はまだ来ない。


「……」

「あむ」


 そのせいか、今朝の食卓もまた無言の時間に支配されていた。会話の全くないシルドに自分から話し掛ける事もなく、シルドの方も明確な用件がない限り口を開かない。耳に聞こえる音といえば硬いパンを手で千切るさもしい音だけで、居間に差し込む薄い朝の木漏れ日が何かの皮肉にしか感じられなくて、胃が痛い。


「……はぁ」


 普段であればまだ耐え切れるこの沈黙に、今日だけは必要以上に寂しく感じられた……恐らく原因は昨日一緒に遊んでしまった村の子供のせい。あの何も考えて無さそうな笑い顔と目の前の仏頂面のシルドとを比べると雲泥の差で、多少疲れはしたとしてもまだ『間が保てていた』分だけ向こうの方がマシに思えた。チラリと盗み見るシルドの横顔は一体何を考えているか見当も付かず、溜息で濁した間合いを計り、手元のパンへと視線を落とす。



「あー」

「……」

「いい、朝だな」

 意を決して絞り出した話題は無難な天気の話し、実際は曇っているとか、さしていい朝でもない事は置いておき、とりあえず会話のペースを掴む為に笑顔で話し掛けてみる。


「こんな日は散歩をしてみるのもいいかなー」

「……」

「シルドは……あー、シルドは散歩とか」

「……」

「……とかー」

「……」

「は、はははは」

「…………何か用件がないなら早く食べろ、不味くなる」

「……おう」



 ――たかが乾パン一塊が、これが以上不味くなんてならねえよっ! ……そう言い出したくなる衝動をグッと堪え、新たなパンの欠片を手で千切り口に運ぶ。

 口内に入れた瞬間に爆発するパサパサ感モフモフ感マシャマシャ感。口中の水分が一瞬で吸収され喉の奥に張り付いて来る凶悪なパンに舌の滑りは尚悪くなり、余計に会話の切り出しが見えなくなって押し黙る。

 再び訪れた互いの食事音しか聞こえない時間に何もしていなくても居心地の悪さが高まってくる。何か……せめて何か話しの『ネタ』でもないかと首を右往左往させ始めた時、幸運な事に『話題』は向こうの方からやってきてくれた。



『コッワアアドーー!』


「ぶふッ」

「……」


 ――いや……やっぱり不運なのかも知れない。


「ごふっ、ごほ、ほっ」

 吹き出しかけた口を何とか抑え、聞こえた音の……甲高い叫び声のようなものへと振り返る。居間から抜けた木の床が続く通路の奥の方、質素な木枠の扉で仕切られた出入り口から扉を叩く音が響き、それと同時に声も響き渡る。


『コッワーードー、コッワーードー……あれっ? おぉい! コワアアドオオオオオ、居るんだろ、おおおいーー』


「あ、ははは、いや何か……」

「……」

「ひっ」

 とりあえず、何事もなかったかのように視線を前へと戻すと非常に顕著なシルドの変化が出迎えてくれた。

 無表情なシルドの顔が更に色を亡くしたように暗く鋭く、微妙にピクピクと震えているように見えるのはこめかみの部分か。真一文字だった口元が外の叫びが響く度に急速に下へと下降を開始して、目の合わない瞳の奥に何か黒いものが混じり出しているようにさえ目に映る。


『おおおーいいいいー、なんだよおお折角きたのにい!』

 ドドドドドドドン


「あ、バカ、やめっ」

「……」

「あー、おー、ううん」


 ……叫び声だけでは飽き足らなくなったのか闖入者の扉を乱打する音が居間に響く。ドンドンドンと無節操なその音にシルドは手にしていたパンを静かに下ろし、猫背に丸まった下から睨み上げるような視線が玄関へと飛ぶ。僅かにプルプルと律動しているその肩は決して歓喜で打ち震えてしまっている訳ではないだろう、それくらい分かる。分かりたくなかったけど分かる。


『おおいーーコッワッ』


「コワード?」

「ハッ、あ、おう……ハイ」

「お前を、呼んでいるが?」

「え? あ、そう? はは、ははははは」

「……」

「クッ!」


 シルドの鋭い、獲物を狙うような視線が玄関から自分へと移ったのを確認し、食べ掛けパンを投げやり気味に放り出すと全速で床を蹴って立ち上がり全力で玄関へと向かって走り出す。

「あああああ、もう!」

 『なんなんだよっ』と続くに続けられない言葉を飲み込み、廊下へ飛び出しコケかけながらもほんの数秒、その短い間にすら自分を呼ぶ『コワード』という高い声は加速して、何か気分でもノッてきたのか無茶苦茶だった乱打音は調子外れな打楽器音へ。耳におかしい変なリズムは心を落ち着かせるどころか爪を立てて掻きむしり、一歩二歩と進む事すらもどかしい足取りで玄関にたどり着くと入口扉へ飛び付き勢い良く外へと向かって開け放つ。


「なにやってんだお前っ」

「あ」


 ここに来て、ようやく口に出来た思いの丈に扉の外に立っていた小柄な姿は一瞬ポカンと、しかしすぐに見慣れた笑みを取り戻すと軋む笑い声を混ぜてこちらを見上げてくる。


「おー、コワードー! もう遅いじゃないかー、すっごく待ったよオレ?」

 反省の色、なし。

「『お、コワードー!』じゃない! 朝っぱらからなんだと思ってるんだ、いやなんだと思ってるんだ、いや本当なんだと!」

「へ?」

「ただでさえ空気悪いっていうのにこれ以上空気を悪くしてオレを窒息させる気かよ、少しはオレの心の心配も考えろよっ」

「え?」

「ハァハァハァ!」


 扉の先で立っていたのは、案の定というか予想通りというか昨日遊んだ村の子供。正に扉を叩く最中だったのか上げていた腕を今になってようやく下ろし。若干数秒の考える仕草を挟んで実に小気味のよい笑みを浮かべてくれる。

「まぁいいや、今日も遊ぼ」

「は? ああ、いやいやよくない! よくないから」

「えー『明日も一緒に遊ぼうな』って昨日固く誓い合ったじゃ」

「誓い合ってない!」

「まぁまぁそう言わずコワードくん、ここは落ち着いて話しを」

「何が落ち着いてだ、こっちはお前のせいで日常生活の危機が……あれ?」


 全く悪びれる様子もないレックスに口走る言葉は更に荒くなり掛け……その時ようやく、扉の前の人の数に違和感を覚えて口を開いた。


「……誰?」

 何か知らない人がいる。




……………………。




「アール・ヒューリングと申します。レックスの祖父でグリッジの父です。よろしくコワードくん」

「あ……はぁ」

「うんうんよろしくよろしく……おっと冒険者様に対していきなり『くん付け』は失礼だったかな? 何分年を取ってしまうと若い人が全員自分の子供のように思えて来てしまってね。気分を害してしまったなら謝るよ」

「え……はぁ、いや別に……」

「おお、そうか! はははははコワードくんは懐が広い人なんだね、いや立派だよ!」

「えぇっ!? は、いや」

「いや、気持ちのいい子だ君は」

「……あはは」


 ――何これ。

 会話の流れが理解しきれず、自分の口から乾いた笑が勝手に漏れるのを感じた。


 場所を空家から移して昨日も来た村の外れに。

 森側に続く出口を背にして立つアールと名乗る老人は柔らかな笑みを浮かべていた……見た目だけでも分かる年齢は自分の軽く数倍か、根元まで白で染まった白髪を後ろへと撫で付け、身に纏う衣服は質素な作業着だが汚れは少なく清潔感があった。口元、目元に寄る深い皺は樹齢のように深く濃いが、しっかりと伸びた足腰にくたびれたような雰囲気は感じられず、年寄り然としたその見た目が却って笑顔の温かみを強調している。

 ムズリと感じるアールの言葉に気分の落ち着かなさを感じ視線を横に向けると笑いを必死に堪えているレックスの姿。軽く手を伸ばしてその動きを制すると何も見なかった振りをして視線を戻す。


「昨日はうちのレックスが随分お世話になったと聞いてね。是非、挨拶がてら私にもお礼を言わせて欲しいと来てみたのだが……随分早い時間になってしまってすまなかったね、この子が早く早くと急かすもので、つい」

「……はぁ」

「違うよじーちゃん! 『オレが』、『コワード』を、お世話してあげたんだ。全く困っちゃうね、そこを逆にしたらダメだよ」

「は?」

「あー、確かにお前はそう言っていたね。だけどねレックス、コワードくんはよかれと思ってお前の相手をしてくれたんだ、それを悪くなんて言ってはいけないよ。とても心根の良い、素晴らしい子じゃないか、なぁ?」

「へっ!?」

「っ、そんなんじゃ!」

「はははは照れるな、お前だって昨日帰ってきてから随分嬉しそうにしていただろうに」

「む、ううう」

「ふふ、よしよし」


 アールは浮かべる笑顔そのままにレックスへと腕を伸ばし、その髪を柔らかく梳くようにして撫で始める。少し膨れっ面だったレックスもそれにはされるがままにして少しの間その顔にふやけた笑みを浮かべていたが……ふと、自分の視線に気付くと一瞬で顔をしかめ頭を撫でるアールの腕を乱暴に振り払うと距離を取る。

 「子供じゃないんだからやめてくれよ」とぞんざいに言うレックスに、振り払われた腕を戻すアールは気分を害するでもなく、浮かべる笑みはそのままに肩だけ竦め、仕方ないねといいたげにこちらを見る。


「いや、寂しいものですよ。ついこの間までじーちゃんじーちゃんと懐いていたのに……やっぱり男の子かね。それともコワードくんの前だから恥ずかしいのかな」

「はぁ」

「じーちゃんっ!」

「おっと怒るな怒るな、すまない……しかしコワードくんには本当に感謝しているんだ、改めて礼を言わせて欲しい」

「は?」

「この子も、ひどく寂しい子でね。今まで友達らしい友達を作ってやる事も出来なかったが、ようやく誰か肩肘を張れる相手が出来てよかった」

「へ?」

「ありがとう、コワードくん」

「はああ!?」


 しっかりとした言葉でそう言うと、アールは深く腰を折り曲げこちらに向けて丁寧に頭を下げる。

「へ!? ハ? いや、は?」


 ……いやもうさっきから自分が『は』とか『へ』とかしか言えていない事に自覚はあるが、それ以上に混乱を増長させるアールの奇行に助けを求め隣に立つレックスへと視線を送る。


「おい! お前のお爺さん何がっ」

「だから……むぅ、そんなんじゃないって言ってるのに」

「拗ねてんなよ、こんな時に! それとどうでもいいからそれ!」

「よくない!」

「いいだろうが、むしろオレの現状の方がよくないだろう」

「うー、よくないっ!」

「なんでっ」

「ふふふ、まるで本当の兄弟のようじゃないかね」

「……なんで!?」


 笑みを溢しつつアールはゆっくりと顔を上げた。

 正面から覗き込むように向けられた眼差しは先程レックスへと向けられていたものと同じように柔らかく、優しく。その笑みに何か見えないものに気圧されるたように自分は一歩引いてしまう。

 

「しかし、その若さで立派なものだねコワードくん」

「……」

 出会ってまだ数分、それでもこのアールという人物に対して分かった事が少しある。

「私が若い時は君程しっかりしていなかったよ、いつも遊び惚けてロクでもないやつだった。それに比べてコワードくんといったら……」

「……」

 ――この人……すごく、苦手だ。

 手放しに自分を褒めるその言葉も、上に見るようなその態度も今まで経験した事のないようなものでむず痒さが全身に走る。


「初めて君を目にした時、遠目であったがハッキリと分かった。君こそが村が待望していた冒険者だと。その凛とした顔立ち、立ち振る舞いの逞しさ、先を見る目線、これこそが本当の冒険者だって」

「うわわわわ」

 寒い、何か寒い、とにかく寒い。ぞわっとした。

「村に来てくれた冒険者がコワードくんのような人物で本当に……」


「あ、あ」


 ……今まで思い起こせば色々あっただだろう。『コワード』なんて呼び名を付けられ、臆病者と言われ、自分を下に見る他の冒険者。初対面からもう最悪のシルド。自分を値踏みして見ていたような村長。受付、ディガー、リザリア……彼らに真っ直ぐに面と向かって褒められるような事は少なかったし、頭を下げて礼を言われるなんて未経験。……望んでいたはずのその反応に喜びを感じるより先にどうしても居心地の悪さとむず痒さが先行し、歯が浮く様な語り口にこの場から逃げ出したい欲求ばかり強くなる。

 顎下を柔らかくくすぐる、そんな感触のアールの少し高ぶった声は続く。


「本当を言えばね心配だったんだ、クエストを頼む事が出来るのが私達でも冒険者の誰が来るのかなんて分からない。どんな人物なのだろうと思い描いたが、それが、君で良かった」

「う」

「もう一人の、シルドくんといったか。彼の方はどうにも自分から人を近付けさせたくない、そんな空気のようなものを作り出している。それを頼もしいと言う事はあっても頼りにしたいという気持ちは違うんだ、君にはそれがある。分かるんだ私には」

「うっへ」

「だからコワードくんはこの村を……おっと、すまないね。どうも私は話しの筋がずれやすいとよく言われるんだ。とにかくコワードくんは親しみやすく素敵な、素晴らしい冒険者だと私は思うよ」

「……」

「君に会えて光栄だ」

「……ひっ」


 ……いやもう、声もない。

 全力で反転前進をしたい衝動を今まさに抑えられているのが奇跡のようで、崩れ掛けの薄い笑いでごまかして、背中にすごい勢いで貯まっていく冷や汗のようなもの。

 確かに褒められたい、頼りにされたいと思っていたいざそうなるとむず痒さは最高潮を越え、好感触がとにかく辛い。これならまだ弱そう、へっちょこそう、ダメダメそうと下に見てくれた方がまだマシで…………いや全然マシとかじゃないけどまだマシで、嬉しくないと言えない事もないが、追い付かない。

「は、はははぁ……」

 引っ込みのつかなくなりつつある愛想笑いを続ける自分に、意外な事に助け舟を出してくれたのは隣に居たレックスだった。


「なぁコワード、もう行こう? じーちゃんって話し長いから」

「えっ、あ、うん!」

「じーちゃんももう用は済んだんでしょう? ね!」

「うん? いや私としてはもう少しコワードくんと話しをしていたいんだが……」

「ダメッ!」

「……ダメ?」

「全然ダメ!」

「そうか……それは仕方ないね」

「……」


 横から見ていても分かる中身のないレックスの反論に今だけは必死なエールを送る。当のアールもさすがに孫の言い分には大きな事は言わないのか小さく肩を竦めるだけに留めている、それでも未練がましく『ダメかね?』と心だけで訴えてくる視線を躱し、レックスに自然に腕を取られると引きずられるように歩き出す。

 そこまで来てようやく諦めがついたのかそそくさと移動を開始する、自分達にアールの静かな、しかしどこか嬉しそうな声が後ろから掛かった。


「コワードくん……どうか孫と仲良くしてやってください。そして、村を」

「え、はぁ?」

「奴が出たら一目散に伝えます。だからどうか……」

「じーちゃん!」

「……ははっ、確かに話しが長い。さ、行っておいで」

「……」


 少し遠慮がちに手を振るアールを残し、自分とレックスは進み出す。半ば駆け足に近い足取りで村の出口を抜けると森の方に。

 そのままいくらか進み、木の陰にアールの姿が完全に見えなくなった辺りで、ようやくレックスは腕を解くと早歩きを緩め、息を吐く。


「まったく、じーちゃんは」

「ああ、それには、同意見」

「全く変な事いいすぎなんだよ、オレ、別に……」

「ん?」

「……」


 もう、アールはいないはずだが、ぶつくさと地面に向かってレックスは文句を言い出し、そのまま置いて歩き去る事も出来ず、止めていいかも分からず木々の隙間から空を見上げてみる。『明るい』という光は分かっても日光の見えない曇天の下、時折吹く谷風に揺らされ木々がワサワサとざわめいている。


「……そういえば」

「ん?」

 何気なく呟いた言葉に反応があるとは思ってなかったが、レックスは続けるぶつくさを止めてこちらを見上げる。頭二つ分は低い背丈から見上げられ、今思い付いた事を素直に切り出していいか悩み……結局いい言い回しが何も見つからなかったから、諦めて疑問を口にする。


「遊ぶっていっても、お前はあの爺さんが居るんだろう? オレじゃなくてあっちと遊べばいいじゃないか」

「……む」

「さっきアールも……うわぁ、言ってただろう。オレは一応モンスターを倒しに来た冒険者なんだから、お前は爺さんと遊んでおけよ」

「うむむむむむ」


 投げ掛ける疑問に立ち止まったレックスは空を見上げ、何故か非常に難しい顔をして顔を歪めた。

 成り行きで……昨日は遊び相手をしてしまったが本来なら自分はモンスター討伐の為にここに来ているはずで。遊び相手に祖父がいるならそれでいいじゃないか……そんな単純な思いで口にした質問だったが。


「ううむ、うむむむむ、うう……」

「なんでそんな迷うんだよ」

「う~~~ん……」


 予想以上に逡巡を見せるレックスは両腕を組み合わせて首を捻り、向こうを見たり、あちらを見たり……たまに自分を見上げてチラッチラッと見るが。

 やがて何か決心したように大きく頷くと再び自分の腕を取った。


「見た方が早い! ちょっと、ちょっとこっち来てコワード」

「へ? だからそんな遊びには……」

「遊びじゃないって、いいから! あ、静かにね」


 アールの居た場所から逃げ去……走り去った来た時と同じように腕を引くレックスに、しかし今度は森の奥へと向かうのではなく村の方向に。

 また何か変な遊びかとも疑ったが真剣そうなレックスの様子にそんなものはなく、静かに、背を低くとジェスチャーだけで出される指示に仕方なく言う通りにして小さな背中に自分も腰を折り曲げて後に続いた。

 緑の中を行進するように進みながら少しの間。やがて木の陰に隠れて村からは見えにくい位置に辿り着くとレックスは腰を下ろして首だけ伸ばして村を見る。……シルドにでも見られたらとんでもなく恥ずかしい格好に、しかし「やれ、やれ」という隣からの小声の催促に、自分も習ってレックスと同じように首を伸ばした。

 緑の茂みから頭だけが出たような変な格好、大きな木の陰に村側からは見えにくい場所でレックスは落とした声で囁いた。


「この辺で……いいかコワードあんまり大きな声出すなよ。もし気付かれたらあのじーちゃんとはいえさすがに猫を被るかも知れない」

「はいはい……猫?」

「いいから……アレ!」

「ん?」


 ちょんちょんと細い指が指差す方向に顔を向ければ先程別れたばかりのアールの姿。村への入口から少し離れ中心部へと戻ろうとする背中が見える。……コイツは自分の祖父でも監視する気なのか、いよいよ意味が分からなくなりレックスの横顔を訝しげに見下ろした。


「おい、何が」

「シっ、そろそろ」

「……はぁ、こんなことしてる場合じゃないのになんでオレここに」

「あー、うるさいから黙って! ほら来た!」

「うん?」


 視線の向こうの方。村の中を歩いていたアールは近くに居た女性に話し掛けている。……いや女性というかその、女性というか。アールからすればそうでもないだろうが相手の人もかなりの高齢らしく自分やレックスから比べれば大分上。さっき言っていた本人の言葉通り自分より若い相手は皆子供のように思えるのか。

 やや無理があるだろうと思いながら、どうやら洗濯中らしく木桶を抱えた女性にアールは話し掛ける。


「『やぁシェリーヌゥ、ご機嫌~いかがかな』」

「なに、それ……」

「口真似、状況を説明してやろうと思って。似てる?」

「……カエルの鳴き声の方がまだマシな感じ。何かものすごく腹が立ってくる口調なんだがそれ」


 隣で隠れ似ても似つかない声真似をしているレックス。元からの高い声を無理矢理低く変えた言葉は妙に鼻に付き、言い回しも間延びしていて少し気持ちが悪い……とりあえず今は黙って見ている事にする。


「『あらアールさん、おはようございます』」


 視線の向こうで洗濯をしていた女性が顔を上げる。遠目だが互いに笑顔で笑い合っているのが分かる……別に見ていておかし所はどこにも。


「『ふふ、洗濯をしている君の姿も、食べてしまいたいくらい美しい』」

「おい」


 一瞬、何か聞いてはいけないおかしなものが混じった気がする。

 主にレックスの口真似のせいだが。


「『あらいやだわ、そんなお世辞ばかり』」

 女性は洗濯の手を止めていた。

「『お世辞じゃないさ、シェリーヌゥ。君は何をしても綺麗だ』」

 アールは笑みを浮かべて口を開いている、勿論本当の言葉は遠すぎて聞こえない。

「『そ、そんな、いやだわ』」

 女性は濡れてしまっている自分の手を気にしているようだ。

「『ハハハ本心だよ、ところでシェリーヌゥ』」

 アールはそんな女性の手を持ち上げて。

「『今夜、どう?』」


「おおいいいいいっ!!」

「うっわ」

 耳に聞こえた余りの内容に思わずレックスの肩へと腕を伸ばし前後に激しく揺すった。いやいやいくらなんでもひどすぎる、余りの曲解だ。

 実の祖父に向かってコイツは何を。しかしそれでも口真似を止めないレックスは女性の役を続ける。


「『そんないけません、私には夫も子も、甥だって』」

「だからやめろって、なんだよそれ!」

「いや、だから分かりやすく説明を……」

「分かりやすくない。現実と違いすぎるだろよく見ろ」


 ――頭が痛い。

 この村の子供の情操教育はどうなってるのか、余りの場違いな声真似にレックスの将来さえ不安に思えてくる。絶対ロクなやつにならない。……こんな孫が見たらさすがのアールも可哀想だろう、初対面で苦手と感じてしまったが、だからといって自分の中のアールの評価は決して悪くなく、それをこんな悪ふざけをして。遊びといってもやっていいことと……



「「あ」」


 レックスの上げた小さな声と、自分のそれが奇しくも重なった。



 アールは女性との会話を途中で止め、不意に腰を屈めさせた。伸ばした左手を女性の顎先を捕らえクイと持ち上げ丸めた右手から小指だけを伸ばし女性の頬を拭う。

 ……キット、泡か何か付いていたのだろう。

 変わらぬ笑みを浮かべるアールとは対照的に女性は顔を真っ赤に染めて俯いてしまいそんな彼女に、アールは優しくおでこにキスをした。




「オレ、ね」

「ああ」

「いつか……見知らぬ『叔父さん』か『叔母さん』が急に村を訪ねて来たらって……そう思うと夜も眠れないんだ」

「……そうか」


 ……何故か、今はレックスに優しくしようと本心から思った。

 二人して同じ木に背中を預けて先程見た光景を忘れる事に全精力を費やす……ふと蘇ったのはアール自身とこの村まで送ってくれた御者の言葉。『私も若い頃は……遊び惚けていて』『村長はタラシ』



 気付けば自分は御者の言葉を繰り返してした。


「有名なタラシ、か」

「え?」

「いや何でもない、ホント何でもない!」


 思わず呟いてしまった一言を頭を振るって追いやり、なるべく自然な笑顔を心がけてレックスを見る。

「さあ何して遊ぶか! なんでも言っていいぞ!」

「お、おう! やったー!」

 自分の声にレックスも努めて明るく返してくれるが、その事を指摘するような野暮な事はない。今はとにかく楽しく目の前の明るい事で精一杯にしてやればいい、余計な事を考えなくて済む。

 それが全うな大人の対応だと信じて。







「ぜっぜはっ、ひっ、はっ、はぁあー!」

「生まれそう?」

「生まれねえよ!」


 数時間後。やっぱり先にバテて地面に転がる自分の姿がそこにあった。



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