17 友人?
デセルテ村来訪二日目。朝の食卓は不穏な空気に包まれていた。
「……」
空家の居間に……居間といっても住む人もなく調度品の類が残ってるはずもない室内には本当に何もなく、横にして置いた鞄を机代わりに、椅子もなくそのまま地面に座り込みながらパサパサのパンをほおばっている。
昨夜も食べた硬く茶色いパンに今更おいしさも何も期待していないがそれ以上に重い空気が心に痛くて、明らかな不愉快顔を隠そうともしないシルドに自分は黙ってパンを食べる。
「とりあえずモンスターが現れるまでは村で待機だ。周囲の探索くらいはいいが余り森の奥には行くなという事らしい、お前もそのつもりでいろコワード」
「もく、ん、ああ」
「……俺は俺でやる事があるから勝手にやる」
「あ、あぁー、おう」
「……」
「……」
お互い、言いたい本音を隠している事は分かっている。
いつまでたっても消えてくれない口内のパサつきを強引に水で流し込み、再びパンをかじればまたパサパサ……時折居間の中まで『打撃音』が響き、その度にシルドの無表情な頬がヒク付くのが見ていて分かる。
「……は、ははは」
朝らしい爽やかな笑みで場の空気を緩和しようと試みるが効果は薄い……正直ごまかしの限界も感じ始め。あえて何も行動しないシルドは静かな内に食事を終えてしまおうと急がせる。
ようやくパサパサパンの大半が飲み込み終わりもう何口かという所で安堵していると、その安心感を無残に打ち壊すように一際大きな打撃音と高い嬌声が響き渡る……これにはさすがのシルドも眉間を歪め、細めた視線でこちらを睨む。
ついに来たかと覚悟を完了し終えた自分に向かって低く恫喝するような言葉が続く。
「コワード、聞きたい事がある」
「うっ……ああいや、予想はつくけど、はい」
「……アレは、なんだ」
片眉を上げる仕草でシルドが示すのは自分の背中を越えて空家の入口まで。
「コワードーおーいコワーードーー! いるんだろおお、ねええええ、ねええええ!?」
「……は、ハハ」
実にタイミングよく響く高い声の絶叫と、入口扉をリズミカルに乱打するどうしようもない音が居間へと入り込み。
「なん、だろうね」
「……」
睨み付けるシルドに、自分はそう応えることしか出来なかった。
………………………。
「よっし、今日も快晴! ……でもないか。だけど雨とか降ってないんだからまだいいよな? これなら思い切り外でも遊べるし」
「……はぁ」
「うんうん、ん? どしたのコワードなんか元気なさそうだけど、風邪?」
「……いや、多分頭痛。確実に、人為的に、お前のせいだと思うんだけど」
「ん、んんんー? んー?」
分かりやすく、簡潔に伝えた皮肉は全く功を為さず目の前に立つレックスは自分の胸くらいまでの高さしかない頭を本気で捻り悩み始める。
空家から逃げるように離れ場所はデセルテ村奥の外れ、流れるような動きで飲み込んだ朝食に胃が重く、朝の襲撃者であるレックスの首根っこを掴んで走った為気分も悪い……ちらりと振り返った後方に幸いな事に怒れるシルドの追走はないようだった。
「ハァ」
村入口から始まる囲い柵の丁度反対、森へと続く出口に設けられた門柱へと背中を預けゆっくりと吐き出す息も事態の分からなさに途中から溜息へと変わってしまう。
「なんなんだよ朝から、何か用だったか?」
なるべく穏便に、笑顔で聞くとレックスも同様に笑顔を浮かべ。
「特にないよ!」
……そう応える。…………いや、いやいやこの程度で取り乱したらいけないあくまで余裕の笑みを保ち続ける事こそが大人の命題だ。
「特にって何かあったんだろう」
ニコリと必死に笑い掛けてやれば。
「じゃあ、一緒に遊ぼうかなと思ったからかな!」
負けじと大変爽やかな笑みが返ってくる。
「……くら」
口先だけだったはずの頭痛が本当に発生してきたのを感じ、頭を左右へと振りながら地面へ俯く。
どうも、目の前のこの子供。レックスと名乗った少年は昨夜会った頃から気心が知れ過ぎている。キラキラと輝く笑みに正面から遊びたいと言われ……実際そこまで悪い気はしなくても実際に遊ぶ暇なんてある訳ない。
自分はモンスターを倒しに来た冒険者であり、この村にはいつ降り掛かるとも知れない毒牙が迫っている。……朝から出鼻を挫かれ、村で待機をしろと言われてもきっと変わらないはず。
「あのな、レックス、くん?」
微妙にこちらからも他人行儀に呼び辛くなってしまっているのを心で感じ、なるべく冷静に、そして諭すように告げる。
「いいかい、オレは冒険者だから君みたいにヒマじゃ――」
「ヒマじゃないか」
「……いやオレはモンスターが出――」
「出るまで、ヒマなんだろ? 父さんはそう言ってたよ」
「父さんって、ああ。……いやだからといってそれ程ヒ――」
「ヒマじゃないかーヒマだろー」
「いいか、人の話しは最――」
「やーいヒマじんーやーい」
「オレのは――」
「このヒマコワードー」
「聞けよ人の話し!」
口で負け――いや実際負けた訳でも何でもない――。自分の話しを聞こうとしないレックスに大きな声を上げて両腕を振るって脅してやると……何故か脅かしているというのに「キャッキャッキャッキャッ」とやけに楽しそうな笑い声を上げて逃げて行く……そのままどっか行けばいいと心の奥で願ったがある程度まで走ると何事もなかったように戻ってきて、そしてやけに優しい笑顔を浮かべてこちらを見上げる。
「ごめん、コワード悪かったよ」
「ん? いや分かればそれで――」
「いきなり走ったとしてもさ、アンタじゃ走って追い付けない、そうなんだよな?」
「……一度本気で殴ろうか、お前!」
「そ、そんな、コワードって、殺人鬼だった」
「さっ!?」
「わー、きゃー、ころされるー」
「なっ、お前っ」
声を上げて走るレックスに追い掛け出せば、笑顔で逃げられ。いくらか頭に来て本気で捕まえてやろうと走れば、向こうは顔だけ振り返り「がんばりたまえ」と生意気な笑み。昨日から薄々と感じていたがこの子供性格とか性根とかが悪すぎる。
一度、本気で叱ってやる事が大人の努めだと全力で追い掛け回し……
「だ、だいじょぶ? コワード」
「ゼっ、ゼッは、ぐ」
結果、追い付けなかった。
……い、いやこちらは万が一にと備えてクロスボウに矢筒を装備したまま来たのでその分の重さが加算されている。背中と腰に重いハンデを背負ったままでは負けたとしても仕方なく。
「ごめん、本当にごめん、そこまで真剣に遅いとは思わなくて……ね? コワードはがんばったよ?」
「ゼッ、て、メッ」
……仕方ないと、そう思う反面。かなり余裕ぶって自分を気遣うレックスに心の中ではクルものがあった。
「いやいや追いかけっことかひさしぶりだったからオレも疲れたよー、まぁその辺に座って休んで休んで」
「なんだ触るな、くるな」
終始人の言う事を聞かないレックスに振り回され、疲れた身体を引きずると近くの木へと崩れ落ちるように腰掛ける。背中のクロスボウを潰してしまわないように気を付け見上げた空は曇り空。カヘルからそれなりに離れている為雨季の時期も遅いのか、厚い雲が日の光を遮っても雨を思わせる黒雲の姿まではなく、そうした意味では安心して休む事が出来る為助かる。
「よっこらしょ~、ふぅーいー」
誰かのマネなのかやけに年寄りじみた動作でレックスも横へと座り込む。背負う物も手荷物も全く持たないコイツはそのまま寝転がるように思うまま木に身体を投げ出し、我が家のようにくつろぎ始める。
時折吹き抜ける谷風に乗って、木の上から木の葉が舞い落ち、目の前を通過していくそれを煩わしくどけるとレックスに目を向ける。
「……で? なんなんだよ」
「ふぅん?」
まさか、本気で冒険者なんかと遊びたがっているとは思わない。物珍しさかそれとも別の理由か、やけに積極的に絡んで来る相手に子供だとはいえ猜疑心のようなものが浮かんで来て仕方なかった。
「すぅ」
「遊ぶなら、他に村の子供がいるだろう。本当にオレはそんなヒマじゃないんだよ」
「……」
「何だ?」
「……すやぁ」
「って、オイ」
可愛の途中で隣から聞こえて来た寝息に思わず声を上げる……声を、上げはしたが実際には本当に眠ってしまった訳じゃないと分かってる。背中は向けたままでも首だけはこちらを向け、薄目を開いて観察してくるような顔はやはりどことなく愉快そうで。
「……む」
反対に、自分の不機嫌さが増していくのが分かり。こちらにとってはいい迷惑、丁度良く捕まえたられた(?)のだからこのまま説教をと思った所で森の奥から音が聞こえてきた。
「ん?」
「……」
聞こえた音はカーンカーンと重く響く断続的な音。
始めは何かの聞き間違いかとも思ったが聞こえてくる音は決して途絶えず、確認にレックスへと顔を向けてみればこちらもしっかりと聞こえているようで目を開いている。……音に驚くというよりはその顔は、どこかバツが悪そうで自分の視線に気付くとすぐに目を背けてしまった。
「何の音だ、これ」
「あっコワード」
立ち上がる自分を止めるように小さな手は伸びてくるが、それが届くよりも先に立ってしまい音の聞こえてくる森の奥へと目を向ける。
忙しなく走ったつもりで最低限に守って走ってきた通路、獣道では決して有り得ない踏みならされた平坦な道の奥へと顔を向け、木々の間に見える向こう側の様子を目で探る。
見えたのはカーンと響く前に振り上げられる斧刃の鈍い輝き。
背後へと振りかぶった利器は十分に力を蓄えた所で振り抜かれ、茶色い木目の木の根元まで突き刺さると例の音を上げていた。金属同士では決して有り得ない重く響く音色に刃をめり込ませられた樹木は大きく振動して葉っぱを撒き散らしている。
木の伐採作業をしているのか斧を持つ人間が十数人。それぞれが目の前の樹木に向かい声を掛け合い相対しているが、その中に一人、見知った姿の身体の大きな男が居た。見覚えのあるその人物は他の人間と違い手を動かすよりも声を大きく張り上げ、何事か言おうとした瞬間にこちらへと向き直り目と目が合う。
別段隠れている訳でもないので当然だが、気付いた向こう側は周りの人間に二言三言告げてその場を離れるとこちらへと向き小走りに走って来た。
「ああこれはどうも、えと……『冒険者さん』。こんな所まで来てどうかしましたか」
「あー、いや」
名前を告げられる段階で言葉は濁らせられたが、こちらは相手と違いしっかりと名前を覚えてる。村の村長のグリッジと言ったはずの男は大柄な身体を曲げてこちらを敬う様子を見せるがどことなく投げやりな仕草で適当に目に映った。
……それと何故か息子であるはずのレックスは小さな身体を更に縮込ませ自分の背中の後ろに隠れるようにしてグリッジを見ている。あまり感じのいい対応はされなかったがこちらには『あの』シルドを相手に鍛え上げた愛想笑いがある。顔で笑って心は微妙で、浮かべる笑顔でグリッジの背の後ろへと視線を送る。
「いやーちょっとこの辺りを散策していたら音が聞こえて来たもので」
「あー、なるほど」
「木を切ってるんですか? 狩猟の村って聞いてたんですけど」
「……いやまぁちょっと、木材はどれだけあっても困らないですからな。薪用の木もないと日々の暮らしにすら困って、私達のような小さな村の人間は冒険者さんみたいな街の人間より苦労してるんですよ」
「はぁ」
向こうも笑顔で教えてくれるグリッジに伐採現場を目を細めて観察する。
それは『ちょっと』とはとても言いにくい広げられた空き地。空き地の周りには積み上げられた倒木が数十本重なり、簡易なテントが数ヶ所に大きな焚き火用の石造りの囲い、動物用の罠のようなものまで目に入って来る。
「ふうん」
薪というには大げさな作業に、伐採をしている男衆の中には気楽そうに言うグリッジのような雰囲気は感じられずむしろ一心不乱に木へと向かっているのがいやでも分かる。
違和感、と呼ぶには漠然とした何かに、まぁ村の事だしと口を噤むとグリッジの視線は自分から外され背後のレックスへと向かう。
「レックス……ここには来るなと言ってるだろう、皆真剣にやっているんだお前の遊ぶ相手なんかいないぞ」
「……ああ」
「分かったら帰れ、俺達も夕方前には戻ると伝えておいてくれよ?」
「おう」
「……」
背に隠れ所在無さげだったレックスの様子から怒られでもするのかと思っていたがそんな様子は全くなく、むしろ子供に気遣いを見せる父親らしい優しい視線がそこにはあった。
対するレックスが素直に受け止めていないのは子供ながらの我が儘なのか、会話の途中でもつまらなそうに足を振り上げ地面を擦って場を濁している。
「戻ろ、コワード」
「え? ああ?」
突然腕が掴まれたかと思うとレックスは走り出し。強い駆け足に引かれて自分もその後へと続く。
「あまり冒険者さんに迷惑を掛けるな、遊ぶならじいさん相手にしろ」
遠ざかるグリッジの声を背中に受けながら自分とレックスは駆け足でその場から去っていった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
始めこそちょっと急ぎ足程度であった速度は途中から手を離され、そこからは何故か全力疾走になる。結局息が上がるまで走り続け、限界まで達した所で膝へと手を付きながら荒い息を零す。
勿論、自分が。
「はぁああ、ぜぇ、はぁ」
「ったく、はっ、しょうがないなコワード、はっ、ハハそれで本当に冒険者なの?」
「うるさ、こっちは、背中に装備背負ってんだ、ぜはっ」
「ふーん、へー、ほーう」
「……ちょっとは信じようとか思えよお前」
駆け抜けた後のレックスには先程までの様子は露とも見えず、生意気そうに口元を曲げ笑みを浮かべている。ようやく村の出口まで戻って来た頃には既に朝とは言えない時間になっており、それぞれ家々から顔を出す村人も多い。
僅かな賑やかさと活気は生まれているが感じるのはやはり人の少なさ、開け放たれた窓も目立つが、反対に完全に締め切られてしまっている家も少なくない。
「人が居ない家、結構多いんだ」
「……ふうん」
自分の視線を汲み取ったようにボソリと呟く声がレックスから零れ、それに大してなるべく興味がなさそうにおざなりに応える。
元々、辺鄙な村だと聞いていたからそこまで大きな驚きはなく。むしろいきなり現れた冒険者に対して平然と空家を提供してくれた時点で気付くべきだったんだろう。
チラリと見た小さな横顔は子供に似合わない複雑な表情で……始めに見た疲れた大人を思わせる癪に障るポーズを決め、竦めた肩にレックスは笑みを浮かべる。
「父さんも村のみんなも村を大きくしようって最近うるさくてさ、あーあ、あそこ行ってもだーれも相手してくれないんだよねー」
「まぁそれは……ああ」
「……」
「ム」
『それは……』そう言った後に続く言葉が出て来ない。
妙に大人びたレックスの透明な笑顔に『面白くなささ』は増し、「他の子と遊べばいい」そう言った自分の言葉に確かな返事が無かった事におぼろげな想像が出来ていた。
「しかし、ヒマだな」
結局、いい言い回しが思い浮かばずに代わりに自分はなるべくつまらなそうに言葉を漏らす。少し露骨過ぎたかなと、心配したのも一瞬でレックスの顔に徐々にだが意地の悪い、よくいえば悪ガキ相応の出来の悪い笑顔が蘇り。
下からこちらを見下すという高等技能をこなしながら胸を張る。
「だからさー、ヒマじんって言ったじゃん」
「……いやそこまでヒマでも」
「ヒマだろ、ヒマコワードなんだろ?……ヒマード?」
「なんだその略、やめろよ!」
聞き捨てならない呼び名に講義の声は上げるが、まぁ多少ならいいか、と少しだけそう思った。
相手の事をヒマだヒマだというこの自分以上に時間の潰し方が分からない子供に、少しくらいなら遊び相手になってもいい。なんとなくだけど、そう思えた。
「ぜぇっ、がっ! はぁ、オマ! ずぇああ!」
「ハッハハハハ、だっさ」
……そして約1時間後、完全にへたり込み村の真ん中で倒れる自分は、先程心に思った事を盛大に後悔していた。
もう少しくらい、身体を鍛えておけばよかった。今だけは本気でそう思った。