14 デセルテ村 2
「村長のグリッジだ、グリッジ・ヒューリング。よく来てくれたな、君達を歓迎するぞ」
そう言って笑顔で手を差し出して来るのは体格のいい壮年の男。
筋肉の塊かと見紛うディガーに比べれば見劣りするが、それでも差し出される腕は木の幹のように太く低くメリハリのある声は強い貫禄を思わせる。
それなりの年齢ではあるだろうがそれでも年寄りと呼ぶにはまだ早く、垂直に伸ばす腰に生命力溢れる振る舞いは働き盛りという印象の方が強い……これはあの御者に担がれたのか『村長の爺さんは』なんて思わせぶりに言っていたがそんな事はなく、これで爺さんと呼ばれるなら世の男の大半は年寄り扱いされるはずだ。
……それはさておき。
「……」
「お、おや?」
「……あぁいや、ははは気にしないでください」
「ふむ、もしかして握手はしない主義かね」
「……」
「ふ、はは」
所在なさげに差し出した手をグーパーするグリッジ村長に当のシルドは完全に素知らぬ顔で受け答えすらしようとしない。……これで自分側にも手が差し出されていたら横からかっさらって握手し、このどうしようもない空気を何とかするのだが……明らかに村長の目はシルドを向いていて、態度も全くこちらに向けられていない為何も出来ない。
結果的にやや微妙な笑みと共に腕は引かれ、何事も無かったかのように会話は進められる。
「いや本当によく来てくれた。依頼をしてから随分と掛かったものだからなもうてっきり来ないんじゃないかと……いや本当によかったよ」
「そうか」
「ああ!」
「……」
「……あー」
「……」
心底安堵したと身体で表現するグリッジに対し、表情をピクリとも動かさないシルドは傍から見てていて全く対照的に……目の前で会話をしているはずなのに両者から感じるビシバシとした強い温度差に、何とかしようと辺りを見回すが何もない。
咄嗟に向けた視線の先で村長の脇に立つ先程の村人もこちらを見て『どうしよう』と首を傾げて困っているようが、互いに目を合わせだけで乾いた笑いを零す事しかすることがない。
「あ、ああ……うむ。君が依頼を受けてくれた冒険者だな、強そうだな。あー、それとそっちの彼は付き人か?」
「ぶっ!」
「あ、いやスマン! もしかして弟か何か」
「違う! オレも冒険者だ!」
「……え? あ、ああ、そうか」
『……え?』などと驚きたいのはこっちの方。しかし何を思ったのかついさっきまでどうしようもない空気を共感出来ていたと思っていた村人もこちらを見て驚きに目を見開き、ついでに遠巻きにこちらを伺っていた別の村人達も口を開けている。
……いや……悪く考えるのはよそう。
そう、自然に考えれてみれば仕方がない。今の自分は冒険者用の装備も身に付けていない上に相棒の武器も布で包まれて外からは見えない。それで両手が塞がれる程の大荷物を持って歩いていれば誰だって人目で冒険者だと思わないはずだ。
「ふん」
「ム」
微かに聞こえた含み笑いを持つ声に目を向けるとシルドがこちらを見下し笑っている。フードの下から覗く悪い顔が笑みを形作るのは正直心臓にもよくないが、すぐにその微笑も引っ込められ、改めて村長へと向き直られると声が上がる。
「俺達はカヘルのギルド所属の冒険者だ。俺はシルド、こっちはコワード……同じチームを組んでいる」
「あ、そうかすまない。……まっ、まだ若いというのに立派な事だな」
「ふん……それで、早速その出現したというモンスターの話しを聞きたい所だが――」
言い掛けるセリフを途中で止め、シルドは肩を竦めてみせると両手で抱えた大荷物をグリッジに示す。
自分の持つクロスボウと同じく白い布で巻かれた長柄物は背負われ、右手と左手には同じくらいの大きさの鞄と麻袋、どちらも許容量の限界までパンパンに膨れ上がり、いやでも存在感を表している。恐らく中身は装備一式なので相当に重いだろうが、皮肉げに込めて言う言葉に反してシルドの動作に重そうな態度は全くなく、ちょっと気軽に掲げてみましたと見せただけですぐに両手は下へと下げられる。
「――この通り大荷物の身だ。先ずはどこか落ち着ける場所があるなら案内して欲しい。詳しい話しは後で聞こう」
「うむ、それは気付かなくてすまなかった。なら俺の家で、もし必要なら依頼達成の間中逗留していて構わないからな。食事の支度だって依頼をした身だ、こちらが責任を持って……」
「必要ない、余計な事はするな」
「え」
「……ぇ」
シルドが意見を口にした瞬間、奇しくも自分と村長との口から出た言葉が異口同音となって重なり合う。
……いやこの男は何を言ってるのだろうか、折角住む場所も食事も用意してくれると言っている相手にわざわざ断りを入れて……まさか本気で野宿までして過ごすつもりなのか。いやな予想が頭を掠め顔も青ざめかけるが、さすがにそこまでする気はないようで。驚きに目を張るグリッジの顔をたっぷりと観察した後、シルドは頭を振ってもう一度口を開く。
「雨風を凌げる場所を用意してくれればそれでいい、後はこっちで勝手にやるから俺達に関わるな。……俺もこいつも人見知りする性質でな、出来れば誰にも監視されずにゆっくり過ごせる場所がいい」
「……えぇ」
「何だ?」
「いや人見知りとかどの顔が……あ、いや何でもないです」
危うい口走りにシルドの表情が悪化するのを敏感に感じ取り、口を噤む。
伝えた要望に一体どんな事を感じたのか……変に気を悪くされなければと村長の顔を見るが、その顔に悪感情はなくむしろ何かを悩むように……隣に立つ村人へと向けて二言三言言葉が交わされるとすぐにその顔には笑みを浮かび、こちらを向いて目を細める。
「よし分かった、丁度良く空家が一軒あるからそこを使うといい。リュッセに案内をさせるからな、着いて行ってくれ。後で詳しい話しをしよう」
「案内します。あ、荷物持ちましょうか?」
「……いらん」
一歩引いた村長の代わりに前へと進み出るのは最初の村人。リュッセという名前らしいその男は先を歩き出し、その後ろに従って荷物を掴み直すと付いて行く。行き先は村の外れの方向らしく、そっちに空家とやらがあるんだろう。
「よろしく頼む。こっちで酒盛りの準備をしておくから楽しみにしておいてくれ、また後で会おう」
カラッと笑って自分達を送り出す村長にこちらも振り返り笑みを浮かべて愛想を振りまくが、常以上の無表情さを発揮するシルドは一切そちらに振り返る事なく何かを考え込むようにじっと足元ばかりを見続けていた。
…………………。
「っと、地味に、重かった」
『空家』と説明をされた家に辿り付き、入口扉を入ってすぐの部屋を勝手に占領すると荷物を下ろす。
案内をしてくれたリュッセも到着早々シルドによって追い返され、当のシルドも別の自分の荷物を取りに行く為に一度馬車が停まっていた場所まで戻っている。
「ここが当面の自分の部屋、か」
やや狭く感じる木目丸出しの何もない部屋。空家というのも本当らしく、人が生活をしているような空気は全く感じられず木の板を叩き付けたような簡素な窓を開かなければこもった嫌な匂いを十分に満喫出来る事だろう。
ただ木枠を置いただけのベッドの他には一切の家具はなく、それどころか粗組しただけのような安っぽい造りの家に壁と壁との間に開いた隙間から外の光が差し込んで来ている。
「……」
本当に、カヘルでの生活は自分にとって豪華過ぎたんだろう。柔らかなクッション、隙間風のない部屋、埃の積もらない床……それだけ条件が重なるだけで今の自分にはすごく高級な宿屋に感じられてくるので困る。
「はぁ……何で断ったかなぁ。村長の家とかならまだマシだったかもなのに」
床へと放り出した荷物の中からクロスボウの入った包みへと手を掛けると結び目を解き邪魔な布を取り除く、崩れるように解けていく向こう側から見知った継ぎ接ぎだらけの相棒が顔を出し。どこを置き場にしようかと迷った挙句木枠のベッドの横へと立て掛けさせると自分も座り込む。当然ながらバネも何もあったものじゃないただの木の塊はギシリと悲鳴すら上げず、硬い木の表面で尻を受け止めてくれる。
何の手も加えられていない自然物特有の冷たさに、やるせなさと情けなさとが同時に込み上げて来て、マイナス方向に下ろうとする意識を振り払うと何かいい事はないかと思考を巡らせる。
「とりあえず……会話は出来た。それはよし」
本当に行きの道程の中だけでは、マトモに会話すら出来ないんじゃないかと心配していた為、一応シルドとコミュニケーションが取れた事に安堵のようなものは感じる。
……尤もコミュニケーションと言ってもこちらから話し掛けた場合に言葉少なく答えるか、もしくは無視をされるという一般的な意思疎通とは程遠いものだったが、それでも会話が全くないという状態より余程マシだ。
「……」
静かに辺りに誰も居ない事を確認し、上着の裏側を漁ると今やクシャクシャに折り曲げてしまった用紙を手で取り出すと慎重に広げる。
見付けてしまってからはこっそり……何度となく確認をしていてしまった紙面は最初の正規書類のような近寄り難さは失くしただの紙切れのような見た目をしているが、書かれた文章そのものには変化がない。細く小さく書かれた文字を追って行き、終盤の一部に目に止めると上からゆっくりと指でなぞらせる。
『……クエスト中に仲間を殺害し、……』
「馬鹿らし」
自分を鼓舞するため、あえて吐き捨てるように言葉は言うが、実際にはそこまでも馬鹿らしいと思えていない。
シルドの言葉と態度……そして何より実戦で見せた一方的な強さがフラッシュのように瞼の裏にちらつき、何の解決策も見せずにそのまま消えて行く。
実際、自分より強いだろうという事は分かってる。それはもし仮に『戦わされた』場合には自分が一方的にこ……負けるだろうという事で。
そんな事にあるはずないと軽口で笑っても、縫い止められたように固まる視線はなかなか離す事が出来ない。
「っ」
そのままどれくらいそうしてたか、呆けていた間に家の入口から物音が聞こえ慌てて紙を懐へと戻すと誤魔化しにクロスボウを掴みとり点検をしている『振り』をした。
そのまま、何もないだろうと思っていたのに部屋の入口から戻って来たであろうシルドが顔を出し、何かを喋るより先にその手から固形の何かが投げ渡される。
「え、っとお!」
投げられた瞬間こそ丸まっていたそれは空中で解けてバラバラになると視界を遮る程大きく変化し、慌てて伸ばす手の平で掴み取る。腕に乗ったのは重たくも柔らかな布の感触で手の平を伸ばして広げて見ると、それはシルドの用意して来た荷物の一つ、野宿用の寝袋だと分かった。
「それを使え、木の板に素で寝転がるよりはマシだ」
「あ、ああ」
「……少し休め」
短くそれだけ言い会話を切り上げるとそれ以上何かを言う事もなくシルドは部屋の外へと戻って行く。
手の中には残された寝袋をどうしようかと見下ろし、飾りとして持っていたクロスボウを一旦横に置くと木枠の上に寝袋を広げて見た……その後もう一度下ろした腰は先程よりは多少はマシで。全く掴めないシルドの思惑に首ばかりが横へと傾いてしまう。
「何考えてるか分からなくて、余計、怖いんだよな」
小さく漏らした呟きは間違っても相手の耳に届かないように小声で。改めて敷いた寝袋の上へと横になると意外に身体が疲れていた事が分かり、瞼が重くなっていくのを感じる。旅行をするだけでもただ疲れると話しの伝手に聞いた事はあったがその話しはどうやら本当のようで、特に自分自身で動いた覚えもなくひたすら馬車に揺らされていただけなのに思った以上に身体が重く感じられる。
「こんなので疲れたって言ったらまたバカにされるか」
小さく漏らし、ぐるりと寝返りを打って顔を下へと向けると光の眩しさが遮断され息苦しさと引き換えにして黒い安息感が得られる。
「ちょっとだけ、休もう」
余計な思考ばかりするのも馬鹿らしく、一方的に目を閉じるとやがて静かな眠気が訪れる。深く横たえた身体は抵抗なく寝袋の上に沈んで行き、やがて意識は閉ざされた。




