12 多分売られていく仔牛とかこんな気持ち
「……」
風が、頬を抜けて通り過ぎる。
見上げた空は一面を厚い雲に覆われて隙間もなく、遠く視界の彼方では緑色をした森緑が風で左右に揺れている。鼻腔をくすぐる生命力溢れる土の香りに、パカッパカッと永遠に続くんじゃないかと思わせる蹄の音が響き……どうしても考えない訳にはいかなかった。
「なんでオレ、こんな所にいるんだろ」
……本当、どうしてこんな所いるんだろう。
ぼやくように言ってみはしても実際は原因の事はハッキリと分かっていて、下降気味な気持ちのままにその出来事を思い出す。
それは三日程前の事、最早見慣れてきたスッキリしない朝空に寝不足の目を擦っているとディガーに声を掛けられたのが始まりだった――
――――-―――。
「……遠征?」
出会い頭に朝の挨拶でもされると思っていると、聞こえてきたのは聞き慣れない単語。若干訝しげな顔でディガーを見返すと筋肉満載の身体の上に取り付けられた禿頭はニヤリと口元を曲げて微笑み、そこから先はまるで質問される事を期待でもしていたように早口だった。
「そ、遠征よ! それもちゃんとした討伐依頼、このカヘルの街から少し東に行った所にデセルテって村があってね、そこで見慣れないモンスターが現れたそうで討伐して欲しいって依頼が来てるの」
「え、あ、はぁ……それは一大事ですね」
「でしょっ! もう事は一刻を争う事態だと私は思うのよね。だからコワードちゃんはとにく現場に急いで、足用の馬車の手配は私の方で何とかしておくから、コワードちゃんは旅支度の用意を――」
「え、ちょっと! ちょっと待って!」
ペラペラと矢継ぎ早に言うディガーの言葉に嫌な予感が膨れ上がり会話を遮って止めさせる。
まだ朝方という事もあってよく回らない頭を動かして……ディガーは今何と言った?村?討伐依頼? 話しの流れからすると受けるのはもしかして……。
「オレに?」
「そう、もちろんシルドも一緒で二人旅よ!」
「っ、い、いや待って待って」
勢い込むディガーとは反対に自分の頭は冷めていく……というよりなんでこんなに強引に依頼を押してくるのか分からず……とにかく何か行かなくていい言い訳を探しながら口を開いた。
「いや、そんな急だろ? それに別の村とか管轄外じゃないんですか、そこの冒険者にやってもらえばいいし、それに! カヘル正式ギルドがクエストを」
「えっ? あ、あぁうーん……それは、まぁそうなんだけど」
……咄嗟の思い付きで口走った言葉だったが意外に効果はあったのかディガーは一旦冷静に、「確かにね」と口の中で零しながら小さく頷く。
うまく話しは逸らせたかと安心出来たのも一瞬の事で、大柄な身体を素早く移動させるディガーは近くの机の椅子に座り込み軽くウインクをして見せながら向かいの空いた席を指差す……そこに座れという事なのか。再び膨れる嫌な予感に見なかった事にして通り過ぎようかとも頭を過ぎったが、ディガーの無言の圧力に押され結局は席へと座る。
ロビーの中に自分とディガー以外の人の姿はなく、シルドもまだ降りてきてはいないようで心の中で小さな安堵の吐息が溢れた。
「少し、説明するわ……声は落として。まずデセルテって村に関してだけどね、小規模で辺鄙な場所にあるっていうのも原因なんだけど、実は今まで一度も『モンスターの発生が確認された事がない』村なの。だから冒険者の常駐なんて全然考えてなかったらしいんだけどね……一応は距離的に最寄りのギルドといえばカヘルになってウチに話しが回って来たんだけど。本当にギリギリぐらいの管轄内ね」
「モンスターが出ない?」
何を気にしているのか囁くように告げるディガーの言葉に、珍しい事だなと素直にオウム返ししてしまう。
今時、といっても明確な発生理由が分かっていないのでなんとも言えないが、モンスターの現れた事のない場所があるなんて聞いた事もない。確かに出やすい出にくいの大小はあり、カヘルの街なんかにしてみればそれこそ腐る程の依頼が(正規ギルドの方に)出ているらしいから絶対にとは言えないが、それでも全くゼロなんて本当に珍しい話しだった。
……でもだったらその討伐依頼はなんなのか。
「それならその現れたモンスターっていうのも見間違いか、勘違いじゃ? モンスター以外の討伐なんてそんなの冒険者の仕事じゃないですよ」
「いえ、そこは本当……らしいわ。私が直接見た訳じゃないからなんとも言えないけど実際にその村の人達はモンスターが居るって騒いでいるんだから、受けないというわけにもね」
「なら尚更、正規ギルドが……」
「コワードちゃん」
少し強く名前を呼ばれ、ディガーは机の上へと身体を乗り出すように顔を上げる。瞬間ゾワッと反射的に悪寒が走るが……幸い何かをされるという事はなく、ただ内緒話をするように顔を寄せられただけだった。
「正規ギルドは絶対に依頼を受けない、断言してもいいわ」
「え、だってモンスター……」
「シッ……前に調査クエストもしたでしょう? ギルドって集団は基本的に『これ』って確証がない限り本腰で動かないわ。それに今の正規ギルドは調査クエストすらしようとしないし、この依頼も少し怪しい所があって……あらシルドーー!」
「……うっ」
ディガーは今まで潜めていた声が嘘のように顔を上げると階段の方へと目を向ける。丁度自分の位置からは死角となっていて見えないがその声だけで誰が降りてきたのか分かった。「ちょっとまってね」と断り椅子から立ち上がるディガーだが、自分はピクリと反応を見せただけで動かずにあえて視線は別の方角へと向けて目を向けない。
至近で見える机の表面に、木目の模様までくっきりと見える程注視していると背後の方で起こる談笑。笑い声のほとんどは一方的なディガーの口から発せられたものだったがシルドの低く殺した声も言葉の合間合間から聞こえてくる。
「遠征か……別にモンスターが出ているというならどこでも構わない、受けよう」
「あら、意外に割り切り早いのねうんうんいい傾向じゃない! それじゃ詳細は後で依頼書を見せて伝えるからシルドも荷物の用意を。あ、コワードちゃーん! シルドもオッケーですって」
「……」
オッケー、なんてした覚えもないのに既にディガーの中では決まっているのか発する声に何らの影もない……そして背中へと突き刺さる別の視線に、何か喉が乾いてくるような違和感を覚える。
近付かれてこられないだけはマシなのか、背を向けて二人の顔は見ず、ただただ喉の渇きを癒す為に溜め込んだ唾を奥へと飲み込む。
一方的な口調と明るい語り口とを機械的に聞きながら自分の口は本来の意識とは別の所で、勝手に開いて声を上げる。
「別に、シルド1人でいいんじゃない?」
――――――――――。
ゆっくりと流れる風。
ゆっくりと流れる時間。
全く変わっているように思えない遠くの風景に、リズミカルでいてのろまな蹄の音を聞きながら心から思う。
「今なら、出荷される動物の気持ちとか分かりそうで怖い」
「わはははは! なーに言ってんだい若いくせに」
「……」
暗鬱な自分の気分とは反対にすぐ隣から漏れるのは愉快そうな笑い声。
四つの車輪が付いた四角い車を引き前方を歩いているのは栗毛色をした二頭の馬……馬?……多分馬だ。しかしその歩みはもしかして牛かなと思ってしまう程遅く、普通なら明確に聞き取れるか分からない程素早く流れるはずの蹄の音がパカッパカッと一歩一歩確かめるように響いている。
馬から伸びた手綱を手にして笑っているのは年老いた御者であり、馬と人物とに合わせてか馬車自体もどこかボロい。一応無償でディガーが手配してくれたデセルテ行きの馬車なので文句は言わないが、もうちょっと他になかったのか。
……ちなみに自分はこの老御者の許可を貰い御者台の横へと一緒に座らせてもらっている。古びた馬車の内部が窮屈だからとかそういう理由ではなく、ただ中の空気にとても耐えられなくなって逃げ出してきた。
笑顔の老御者がパチンと手綱を叩き、何かが変化したのかも分からなかったが横に見える顔は愉快そうだった。
「いや俺もな、長い事この仕事やってるが御者台に座らせてくれなんて言われたの初めてだわ……あぁいや前にどっかのお坊ちゃんに乗せてくれと言われた事もあったかな」
「いやっ、ほらこっから見える景色も見たくて! いや爽快です」
「本当?」
「…………はい」
……正直に言って嘘だ。
カヘルの街を出発してから早三日、初日の昼には我慢が出来なくなり御者台に座ったので丸二日程ここからの景色を堪能した事になる。初めの内こそは本心からいい景色だと思い流れる風も楽しめたが……馬の遅さも合わせて全く変化の見えない風景が体感時間を恐ろしく伸ばし、今ではどうやって意識を別の場所へと向けるかと考える時間の方が長い。
ある意味拷問にもこの空間に馬車から下りて走り出したい衝動にも駆られるが、景色が大好きなんですという体を装っている為、それも出来ず。何とか時間が過ぎる事だけを願って静かにしておく。
「……」
そっと振り返って見た馬車内部。客専用のスペースという事もあり木の敷居板が張られているのでパッと見ても分からないが、木目と木目の僅かな隙間から暗い内部が覗える。
曇り空とはいえ多少の明るさもあるはずだが、馬車の窓に扉が全て閉め切られており、身動ぎをするような気配すら感じられない。……これで寝言やイビキでも聞こえて来てくれれば笑い話となって気持ちも晴れるのに、どんよりと停滞した空気の中に人が居るとは信じられないが。
「っ」
確かに居た、そして目が合った……気がする。
デイガーが気を利かせたのか馬車は自分とシルドの二人の貸切状態であり、いつかのクエストの時のように会話の類が全くなくて空気が重い。
結局ロビーで放った『独り言』は冗談だからと自分から誤魔化し、シルドと二人きりのチームによる初めての遠征はつつがなく敢行された。
『気を付けていってらっしゃい』と明るく笑うディガーに『がんばってね』とぶっきらぼうながら送り出すリザリアに……ぐるぐると回る頭の中身は未だに整理が行き届かず、目を背けてしまっているが不安の種は今も胸元へとしまい込み隠したままだ。
ただの白い紙であるはずなのに、その中の一文がどうしても離れない。
――クエスト中に仲間を殺害し……――
「お、君! 見えてきたよ」
「え? おおー」
老御者の言葉に視線を前へと戻すと遠くの方で森が『消えている』のが分かった。
別段何か超常現象で消失してしまった訳ではなく、そこから先は地面が下へと向かって傾斜している為だ。地平に合わせた緑の帯は緩やかに視線の下へと落ちて行きやがて見えなくなる。
渓谷村デセルテ。
深い谷間に囲まれた村は他の地域に比べて数段土地が低い。
主要な産業も特になく森での狩りや僅かな作物によって生活をしている特別な事のない小さな村。そこで今倒すべきモンスターが居るはずだ。
目的地はもうすぐ傍まで迫り、そこに到着をしてしまえば……モンスターを倒し切るか、クエスト失敗と判断されるまでは帰らない……何日掛かるか分からない日々を仲間を殺した冒険者……らしい相手と共に過ごす。
「……」
のろまで見飽きた周囲の景色に、先程まで飽き飽きして早く着けばいいのにと思っていたのに、今は少しでも遅くと心の底で願う自分がいた。