06 お前はこれ(フライパン)
「うわ、きったな――」
「……」
「いっ、いや、なんでもない」
案内されて入った部屋の一歩目。目に映った光景の余りの『惨状』に素直な感想が口から漏れるが横に立つシルドに強く睨まれて飲み込んだ。
「う、あ……まぁ、ははは」
……飲み込みはしたが、しかし他の言葉でもって一体どうやって表現すればいいのかは分からない。空一面を覆う厚い雲のせいで室内に入り込む日差しも少ないけれどそれ以上に外など知った事かと完全に締め切られたカーテンのせいで光源は少なく、暗鬱さと空気の淀みを感じる室内にどこに視線をやったとしても何かしらの床を転がる『物』が目に入る。
無造作にバラけた紙の束、投げ捨てられた木のカップ、使い掛けらしい筆ペンは数も把握出来ずそこかしこに散らばり、本来なら机の上に整頓してあるべき雑貨類が全て床の上に散らばっている。……これで机とベッドだけは辛うじてちゃんとした形で座っているので安心出来るが、これが無ければ室内限定の暴風雨でも過ぎ去ったのかと疑うレベルの部屋だった。
「まだ片付けの途中だ、余計な事は言うなよ?」
「お、おう」
ギロリと睨むようにして言うシルドの言葉に心ならずも頷いて見せる。確かに部屋が『汚い』と言うのは間違っているのかも知れない、この部屋は汚いのではなく『散らかっている』のだ。
「……」
その2つの違いが自分の中でもかなり曖昧なのでどう言ったらいいのか分からないけれど。
「あの、さ? 今日、引っ越すんだな?」
「ああ」
「……マジで?」
「本気だ……どうせただ物があるだけだ。全部詰め込めば終わる」
「いや、いやいやいや!」
『何言ってるの?何て事ないでしょう?』みたいな感じに不思議そうに見られてもこっちが困る。……いや冷静に考えるまでもなくダメだろう?馬鹿なの?今日引っ越そうとか言っておいて当日にこの有様とか馬鹿なの?なんでもっと片付けようと思わなかったの?馬鹿なの?むしろなんでこれで生活できるの、バカな…………ダメだ、どう冷静に言い連ねてやろうと思っても『馬鹿なのか」という結論しか出て来なかった。
「お前の来るタイミングが悪いんだ。全く、丁度詰め込むものを貰いに行こうとした所で来るから」
「え……いや、はぁ」
「間が悪いなお前」
「……」
いや、これは悪いのは自分なのか。シルドの言葉に冷静にそっと考えてみるが、ど考えても自分が悪い事には行き着かない……そういえば先程ロビーで会った時にはシルドも何処かへ行こうと階段を降りていたはずで、ああ、あれはその『詰め込むもの』を取りに行こうとしていたのかと、全く実にもならない事実が分かっただけだった。
「そういう訳だからな、オレは行く」
「ああ、うん……うん?」
「すぐに戻る」
「は」
短く、そして至極簡潔にシルドはそう言うと振り返り、そのまま開きっぱなしだった部屋の入口をくぐるとドアを閉める。
バタンと扉の締まる大きな音に、出入り口を塞がれ余計に薄暗さを加速した室内に外の廊下を走っていくリズミカルな足音だけが聞こえ……ポカンとしていた意識がやがて正常に戻った頃には室内に1人きりとなっていた。
「え、いや、あ、待て!」
慌ててシルドを追いドアを開いて顔を出してみるが飾り気の少ない通路の中には既に目的の姿は無く、初めは聞こえていたはずの足音も消えている。
……え、なにこれ。
「まさか、バックレ……いや、オレにどうしろって!」
猛然と抗議の声を上げてみても勿論答えてくれる声はない。
「……」
さすがに、この状況は想定と違った。いや元々深く考えて来た訳じゃなかったがそれでも単純な荷物運びくらいの気持ちでやって来たのに背後に広がるのは台風通過後を思わせる無残な部屋……想像していた荷物運びはおろか、その荷物すら用意されていないとは思っていなかった。「はぁ」と口から勝手に飛び出しる重い溜め息に引かれ気分まで降下していくのを感じ、このままじゃ弱点探しどころの話しじゃ――
「……ハ」
――その瞬間、とある事に気付きバッと廊下の左右を鋭く見回す。
未だ昼下がりの活発な時間帯とはいえロビーに人が集中していたせいか通り掛かる人は誰もおらず隣近所の別の部屋からは小さな物音すら聞こえて来ない。そのままそっと扉を閉めて部屋に戻れば、出迎えてくれるのは厚いカーテンに覆われた締め切られた部屋。中から外は見えない為に、きっと外『から」だって見えはしないんだろう。
「ま、まさかこれはチャンス?」
1人きりの室内。
当然取り残していったのはシルド本人であるが、今のこの状況は正に望んでいた通りであるような好機にも思えた。……元々何かアイツに弱点はないかと邪な気持ちを持ってやって来た手伝いだ、部屋の主たるシルドは今はいない上に、これから引越しをするんだ。『多少』荒らしてしまったとしても片付けを手伝っていたと言い訳をする事も出来る。
「……」
考え方を変えて見渡してみれば確かに散らかった部屋とはいえ所々に重要そうな物も目に入って来る。部屋の隅の方に置かれた大きめの鞄、白い布を巻かれた長い棒状の何か、ベッドの奥に置いてあるアレは冒険者の装備だろうか。今この室内に手を伸ばせばすぐに見つかりそうな程、『仲間』の弱点や弱味が埋まっているような気がしてならない。はやる気持ちで顔には自然と笑みが浮かび、非常に悪い顔をしていると自覚しながらも一歩を踏み出し。
「……」
そして、結局その一歩だけで歩みは止まってしまった。
口から零す溜め息にバカな考えをしたと冷静になって頭を振るうとそれ以上先に行くのを踏み留めて考える。
「さすがに悪いよな……何か物取りみたいだし」
今の自分自身の姿がどういった風に見えるかを想像してみると、先程まで高揚していた気分が一気に萎えて小さくなって行く。
家主が居ないとはいえ他人の部屋、それも余り好きになれないとはいえ一応はこれからチームを組むメンバーだ……「すぐに戻る」と言っていたシルドの一言に少し怖じ気付いてしまっている部分もある。もしも勝手に家捜ししている最中にシルドが戻って来るような事があれば果たして言い訳をしても聞いてくれるのか、最悪の場合今以上に仲が悪化してしまう事だって有るだろうし、そうなった場合、どうすればいいか……。
「……悪化も何も、嫌ってるのは向こうの方、見下してるのはあっちじゃないか……バカみたいだな」
本当だったら今頃、男か女かは分からなくてもずっと期待していた初めての『仲間』に楽しい会話をしていておかしくなかったのに何を間違ったのか。
しばらく考えて、やがて肩を落とすと踏み出した足を元の位置へと戻す。元々何か具体的な案があったわけでもないとりあえず弱点記録には『シルド:片付け苦手、むしろド下手』とでも書いておけばそれで十分だろう。
全然役に立たない情報だなと自分でも思い自嘲の笑みを浮かべた所で
「あ?」
足元で、くしゃりと鳴った音が聞こえた。
ゆっくりと足元を見ると戻した靴裏と床との間に見覚えのない折れ曲がった小さな紙が見える。
「……」
『踏まれて』擦れてしまったのか小さな紙片には変な皺が走っており、紙自体の色は白というよりも汚れた茶色い色に見える。
「……ふむ」
足を上げ、付いたホコリを叩きながら一秒、二秒。
極めて冷静に。的確に現状を把握して頭は回る。うん、何も慌てる事はなんてない、うん。……うん?
「いや、やっちまったああああ」
口から漏れた声と共に反射的に速攻でしゃがみ込み、踏み締めてしまっていた紙片を両手で握ると慎重に上下へと引っ張りながら皺を伸ばす。あ、ビリって、今ビリって音が……。
「いああああ、ツイてない! 全くツイてない!」
手にした紙片に視線は右にオロオロ左にウロウロ動き、やがて閉め切られた窓を高速でロックオンすると走り出す。無論、同じ間違いを起こしてはならない。散らかった室内を極めて慎重に且つ迅速に駆け……というか散らし過ぎなんだよこの部屋大切なものかどうかも分かんないよ!でももし大切なものだったら怒られるね確実に怒られるね!こんな物だらけの室内で怒りに任せられて床にでもまた叩き付けられたりしたら生死にすら関わりかねないね!
飛び付くように触れた窓に邪魔なカーテンを横へと跳ね除けると差し込んだ僅かな光の中に紙をかざして目を走らせる……幸い汚してしまったように見えた紙は紙質自体が既に古いもののようで色落ちをした自然な茶色い色だった。
『未確認モンスターの驚異』
「よかった、破れてない」
伸ばした紙片にデカデカと書かれた見出しに目を通し、全体を見渡し千切れたような跡は見えず胸を撫で下ろす。
どうやらこの紙片は何かの記事の切り抜きらかったが、もしよく見えていない部分で傷でも入っていたら責任を問われかねず、落ち着かない気持ちで紙片の上から下まで順番に目を通して行き文字を追って見る。
見出しだけでも何となくの想像は付くが、どうやら冒険者に関係した記事らしい。
『先日第一辺境都市ガートルドにてクエスト進行中であった冒険者が謎のモンスターに襲われるという事態が発生した。モンスターに遭遇したのは七人組のパーティーであり構成メンバーの対応クエストランクA~Dと中堅以上の確かな実力を持つ集団であったがモンスターの猛攻に為す術もなくやられ敗走したという。
未確認の新種のモンスターである事は間違いないらしいが、近しい外見をした同種の存在は確認されておらず、外見は赤い毛並みをした四足歩行の肉食生物らしかったがそれ以外の詳細は一切分かっていない。又、戦闘の際にAランクの冒険者であった1名が死亡しており、他のメンバーもそれぞれ重軽傷を負いながらもギルドへと帰還している。
非常に錯乱した様子であるらしく、生き残った何人かの人間は死亡した冒険者はモンスターの攻撃ではなく仲間の1人によって殺されたと叫んでおり、真相は不明ながらもギルドと対異研は共同で調査を開始する事を――』
「何だか物騒な記事だな」
紙片を途中まで読み進み、とりあえず傷が無い事を確認すると折り畳む……余り読んでいて気分のいい内容ではない。
元々死亡事故の格段に多い冒険者だ。不慮の事態の発生や想定外のモンスターの強襲なんて特別珍しい話しでもなく、現に余り戦っていない自分でさえ少し前には死ぬ程の思いもしたはず。……全く自分には関係ない内容とはいえ、そういったマイナス方向を考えさせる紙片は面白いものではなくそっとその場で落とすようにして床に戻しておく。
……何だかへんなケチが付いて気が重くなった気がする。折角窓際まで来た事だからせめて換気でもするかと窓に手を伸ばし、その時になって丁度よく入口扉が外から開かれる。
「戻ったぞ」
「あ、ああ」
……どうやら言葉通りに本当に大した時間は掛からなかったらしい。意思に負けて勝手に家捜ししないで本当によかったと思いながら掛けられた声にシルドを振り返り。
「……」
「これでさっさと片付けを……何だ? 変な顔して」
そしてシルドが持ち帰って来た『詰め込むモノ』を目にして身体は固まった。
「シルド、何、それ?」
両手で抱えた大きな円筒状のもの……いや、それが何であるかは頭でちゃんと分かっている。問題は、それがなんでここにあるかだ。
「ア? 話したろ、詰め込むものだ」
「いや、詰め込むって……詰め込むって、それ」
「何だ?」
一息呼吸を挟み、そしてあらん限りの抗議の気持ちを込めて声を上げる。
「鍋じゃないかソレ!」
熱くなっても大丈夫。
煮物料理に最適。
左右にカラフルな布を巻き付けてキュートな持ち手を演出した輝く鈍色の円柱状のもの。……どう見ても鍋です、それも一般家庭用じゃなくて大型の。
「ア? これなら大量に詰めても穴が開く心配はない」
「鍋だよ、鍋なんだよソレ!?」
「まぁ容量からして何度か往復をする必要があるのは分かるが、まぁ問題はないだろう」
「食材以外のものをその中に突っ込むだけで大問題だよ! ってか、どこから持ってきたんだ!」
「ディガーからだ」
「ディガーかよ!」
もう何て言ったらいいか分かんない。
でもディガーという名前が聞こえた途端にちょっと納得してしまった自分がいる……というかシルド『泥船』まで行って来たのか……なら何か荷物を持っていけばいいのに、そんな事を頭の片隅で思っている自分はおかしいのだろうか。
「さあ荷物を詰めるぞ、散らばっているものを適当に突っ込んで運び出せ」
「あ、お、おう?」
「お前はこれな」
そう言ってシルドから一回り小さな鍋を渡される。円筒の口の大きさ自体はシルドの持つ鍋と変わりないが、底はかなり浅くどちらかというと大きくなったフライパンに近い……焼き料理に向いてそうだ。
「お前は力が無さそうだからな、その位の小さい方がお似合いだろう」
「はぁ!?」
「まぁせいぜい働け……期待はしてないからな、なぁ『コワード』?」
「か、コっ! 見てろよ!」
差し出された鍋を奪い取るように掴み取り、もう遠慮も何もするものかその辺の床に転がっているものを手当たり次第に詰め込んでいく。久しぶりに本当の意味でのバカにするような響きで『コワード』という呼び名を聞いた。アイツめ、バカにして!バカにして!
「つ、詰め込みすぎた……おもっ」
「バカかお前、少しこっちに寄越せ間抜け」
「く、ああああ! くそおおお!」
シルドに鍋の中身をいくらか取られてようやく持ち上がる。その際もバカにしている態度をやめないのが更に頭に来る。
――結局この日は夕方近くまで延々と荷物運びをさせられる羽目になった。
全く何をしに行ったのか分からない。何一つ実になる事のない最悪の一日だった事だけは間違いなかった。