プロローグ兼01 雨嫌い
「ようやく」3章入れました。
ぼちぼちとやっていく所存でございます。
その日は、雨が降っていた。
見上げた空一面に見える黒い雲から、まるで滝のようにこぼれ落ちる強い水流が身体の体温を奪っていく。自分の吐いた吐息の音まで聞こえてきそうな静かな中で頭に響いてくるのはただ落ちてくる鬱陶しい水の音だけ。その場にいる誰もが皆周囲の景色と同様の暗い表情を浮かべて俯いていた。
……ただ1人、―――だけを除いて。
『オレが行く』
力強い言葉が耳に聞こえた。ハッとして顔を上げた先には雨中に立ち、こちらを見下ろしながら笑顔を浮かべている―――の姿。
『何、大した事じゃないだろう? 任せろよ』
一瞬、その言葉の意味が分からず身体は固まってしまう。
一体何を言い出しているのか、周りを見ればよく分かるだろう、どうしようもない、自分達に出来る事は最早何1つない。そんな事も、分からないはずもないだろうが。
『だから、任せろって』
睨み付ける視線に―――は軽薄な笑みだけを浮かべて答える。
任せられるはずがない、そう大きく言いたかった言葉の代わりに全く予想外の場所から―――に対して声が掛かった。
『ほ、本当か?』
それは……ついさっきまでは暗く俯いていただけだったはずの仲間の言葉。浮かべたその顔に、先程までは見えなかった希望のようなものが見え、軽口を言う―――へと縋るように目を向ける。
『ああ、本当さ』
『……お、おおお!』
また……別の場所から返答が聞こえた。そこに居たのは座り込んでいたはずだった者、日頃から―――を尊敬していると口にしていた若い冒険者だった。
『さすがです―――さん! 貴方なら出来るってそう思っていました』
空は暗い。そして周りの景色もまた同様に暗かった。
【光】とは【毒】だ。
『ほ、本当かよっ』
『ああ! だって―――だもんな!』
『そうだ! そうだ行ける! ―――なら行けるだろうっ』
先に出た賛同の言葉を切っ掛けにして周囲から―――を賞賛する声が上がる。
一度は俯かせてしまっていた顔を急に上げ、何の確証にもならない信頼という眼差しで―――を見る。口々に聞こえる言葉に、この場に居た全員がこう思っているはずだ。―――ならやってくれる。―――なら出来るかも知れない。
そんな、妄執めいた願いに―――はただ笑いながら言うんだ。
『はは、そんな褒めないでくれって……任せろ!』
……毒々しい光に、輝きを求めた羽虫のような集団が群がる。俺にはその光景がそう見えていた。眩しい輝きは周囲の情景が暗ければ暗い程その存在感を増し、都合のいい考えに虫から思考する力を抜いていく。
本当に……本当に気付かないのか。―――の言う言葉が無理に決まっている。そんなにうまく行くのなら最初から……その軽い言葉と引き換えに―――が、一体アイツが何を犠牲にしようとしているのか全く考えないのか。
『や、やめろ……』
俺の小さく掠れた声が漏れる。しかし一度火が付いた周囲のうねりの中でそんな言葉は誰の耳にも届かないで……一度だけ、こちらを向いてどこか寂しそうに笑った―――が歩き出す。
手にした愛用の剣を強く握り締め、顔を上げた視線は前だけを。躊躇はおろか見えるその横顔を力強く引き締めて。
『……やめっ!』
……無意識に、俺自身もまた手にした『武器』を握り締めて走る。
去りゆこうとするその背中に急接近し、雨露を吸い込み鈍い輝きを見せる刃の部分。
その、切っ先を、無防備な、―――の背中に……
ザ
―――に……。
ザザザ
ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザ
…………………………。
「うっ」
薄く、目を開いた。
寝ぼけてぼやけた視界に入り込んで来たのは暗い室内、扉は閉ざされ空気の循環を滞らせた重い空気が肌にまとわり付く。
耳に入って来たのは耳障りな音、倒れ込んだベッドから見上げてすぐ近くにある窓からは思考を中断するような激しい雨の音が聞こえて来る。……眠りにつく前はただの曇り空であったはずがいつの間にか雨へと変わってしまっていたらしい。
「チ」
そのまま不貞寝と一度寝返りを打って目を閉じようとするが……どうにも耳障りな音が頭の中に付いて離れず、それ程長く眠っていたつもりもないが妙に目が冴えてしまっていて眠くもならない。
「起きるか」
俺一人しかいない部屋の中で静かに漏らした呟きが響く。その瞬間窓の外から眩しい閃光が一瞬だけ走り、薄暗かった部屋に僅かなだけの光が差し込んですぐに消えた。
……そのまましばらく待ってみたが、閃光に続くはずの太鼓のような雷鳴の音は聞こえてこない。
余りに遠すぎた場所だったのか、あるいはいたずらに光らせてみただけだったのか。内心は動きたくないと重く感じる身体を引き摺って窓の傍まで歩いていくと、そっと外の景色を盗み見る。
「やっぱり雨か」
透明ながらも少しだけ曇った窓の向こう、見える町並み自体もこの曇天のせいか暗く感じられたが、近くに見える雨後の白線のような通り道だけは目に見える。
「……」
まるで、記憶の中身と符号するかのようなくすぶる景色に頬を歪ませて奥歯を噛み締める。……もう、これ以上見たとしていい事なんて何一つないだろう。少しだけ開かせてしまったカーテンの裾を持ち、もう一度室内を完全な暗闇へと変えようと力を加えるが……その時窓の外から大きく上がる声が1つ、部屋の中まで聞こえてきた。
『ああーーーっ、もう!』
……俺が借り受けている部屋は宿屋の二階だ。
そう簡単に外の声が聞こえてくるとも思えず、どれだけ大きな声で叫んでいるのかと興味を引かれもう一度窓の外へと目を向ける。
……相変わらず暗い街路だ。整えられた石畳が前後に伸び、その只中を全身を甲冑鎧で身に付けた1人の兵士が走っているのが目に見える。全身と言っても兜の部分だけは頭に被らず小脇に抱えるようにして持ち、余りサイズが合ってないのかガッチャガッチャと金属質な足音が微かに聞こえる。
そしてこの兵士、やけに遅い。
『うああああ』
気持ちの入った叫び声とは裏腹に対して進めてられないその姿を見下ろし、ふと今日が何の日だったか思い出す。
「そうか……今日か」
漏らす小さな呟きに確信を求めて部屋の中を見回すのだが……無気力に散らかった室内に、そう都合のよく気の利いた物など見付からず、代わりに漏れ出てくるのは自分の溜め息と。
『もう、絶対に口車にのらないからなああ!』
……そして外から響く大きな声だけ。鈍足の兵士もようやく走り抜けられたのか、差し向かいの通路の奥へとその姿を消して行き、遠くから微かなエコーの音だけが聞こえた。
「……行かないとか」
約束を反故にするつもりはなかったがどうやら少しぼうっとし過ぎてしまったらしい。
吐き出す息に室内の中から無造作に投げ捨てられていた雨除け用のマントを手に取り肩へと被せると胸前で紐を結んで固定する。
「チーム……か」
こぼした言葉は誰に向けたものでもなく。ただ1人俺は入口の扉を押し開くと部屋の外へと向けて歩き出した。
―――――――――――。
「ぐっ、うおぇ、はぁっ」
息が、辛い。
欲しければどうぞ!と、言いたいばかりに雨が空から降り続けているけれど、あいにくと今胃の中が求めている水分はお前達じゃない。乾きと疲れに、まるで長距離走を走り抜けた後のような気だるさを全身に感じて目的の場所へと入り込む。
カヘル中央の広場に設けられた仮設の大型テント、その中に進むと入口に立っていた兵士が一瞬だけギョッと目を見開き、次いで慌てた様子で何か飲み物の入ったグラスを差し出してくれる。
「ちょ、大丈夫かオイ、ほら、これ飲んでやす……」
「うおおっ、うへっ、う、ひょえあえぇっ」
「まぁ……無理するなよ」
心配気な顔から一転、まるで何かを悟ったような顔を見せた兵士からグラスを受け取り一気飲みにしながら胃の中へと流し込む。
中に入っていた液体が何かは分からなかったが口内に放り込んだ瞬間広がる爽やかな甘酸っぱさ。コクコクと何度も喉を鳴らして飲み終えると、その場で待っていてくれた兵士にグラスを返した。
「よし、それでは報告を聞かせてくれ」
聞こえた声に目を向けてみればテントの中に用意された長机。その一番奥に座り込んでいる口髭を生やしたやたらと偉そうな人物がこちらを見ている。……いや、偉そうではなく実際に偉いのだろう、着込んだ鎧の意匠もそこらにいる警備兵よりも1、2段階程高級そうに見えた。
「は、はい」
……ちなみにテントの中には他にも何人も兵士が居るのだが、その誰1人と言って濡れている気配がない。……数合わせの自分がこれ程ずぶ濡れヘトヘトだというのに何故本職であるはずの彼らがこうも楽をしているのか、大きな声で文句の1つも言ってやりたい所だったが、これも仕事なんだと大人な対応で飲み込む。
「えっと……ホンッ、報告します、カヘル西地区住宅が――」
「コワード、コワードっ、頭っ」
「え? あた……ハッ!」
周囲を憚るように掛けられる声に、ハッと気付き脇に抱えたままだった兜の事を思い出す。開始前に着用してくれと渡されたものだったが余りにサイズが合わなく、結局荷物扱いでいいからと言われて手に持つ事にしていた。
まぁ仕方ないから、と笑って許すダウンゼンだったが……さすがに報告時くらいはちゃんと着用しないと怒られるらしい。
「報告します――」
手にした兜を持ち直し慌てながらもサイズ違いの兜を被って見せるのだが、その瞬間予期せぬ悲劇が起こる。
バシャアと聞こえたのは大きな水の音。頭から降り注いだ水流が、額を落ちて頬まで流れ、そのまま足元へと小さくない水たまりを作り出す。
「……」
いや……ここで動揺してはいけない。
瞬間、何と言っていいか分からなくても何とか耐え、報告を受けるべき高級鎧の男性もまたその場で固まってしまうが何も言わないでいてくれる。
……降りしきる雨の中を抱えて走っていたのが悪かったんだろう。被り直した瞬間兜の中に溜まっていた雨水が流れ出し、結果自然の摂理に従って自分はこうして更にずぶ濡れになってしまったわけで……。
「くっ、ぷ、ふっ、くぷぷぷっ」
何だかどうしようもないものへと変わってしまった空気の中、1人ダウンゼンだけは自分の頬を抓りながら必死に笑い出すのを堪えている、他に高級鎧の偉い人を除けば周囲の兵士は気まずそうにして視線すら合わせずに地面へと目を向けている。
「ほ、報告します!」
物理的に冷えてしまった頭の中で、もうどうにでもなれと半ば以上ヤケになりながら声を上げる。
「カヘル西地区住宅街にて大規模な火災発生。初期鎮火は失敗し、この『乾いた陽気』のせいで火勢はむしろ勢いを増しています。逃げ遅れた者が数名、中には国の重鎮達が建物内に取り残されているとの事です!」
「……北門と南門の警備兵は?」
「ハイ、避難を始めた街の人の誘導とこれ以上の延焼を防ぐ為に囲いを作って道を封鎖しています。しかし人が足りず救助に回す人間まではいないそうです!」
「そうか、分かったご苦労。ならば東門の人員も助勢に向かわせ……いつまで笑っているかコリノ!」
「ツっ! はっ、すみません!」
「お前はっ……まぁいい、『訓練』だからといって気を抜くなよ。ではこれより要人救出の為の臨時訓練第二段階に移る! 消火活動班編成と共に行動急げ」
「ハッ!」
男の言葉にテント内に居た兵士全員が蜘蛛の子を散らしたように動き出した。……しかしまぁ、外へは一切出ない。
どうせこの情報も……わざわざ走りに行かせたくせに……ここにいる全員が熟知のものであり、既に別に動き出す班が外の別のテント内で待機をしていた。
……緊急だからという事で手伝いに来させられただけのはずが、予想以上の重労働のせいで身体が痛む。
「キミ」
「っ、あ、はいっ」
周りが慌ただしくなってきたせいで油断してしまっていた。
掛けられた言葉に背筋をピンと立てて向かうと先程報告を聞いていた口髭の偉い人が待っていた。
何か追加の小言かと身構えてしまうが、向けられたその視線は先程までよりもずっと柔らかであって温かい。
「急な事であったのにご苦労だった。奥のテントで休憩用の場所を用意しているから休みなさい」
「え……はい!」
「それでは」
男はそれだけ言うと別の兵士達の所へ向かって歩いていく。中央に用意された長机程ではないが四脚の簡易なテーブルの上にカヘルの街の地図が広げられているのが見える。
「はぁ……まぁいいか」
ダウンゼンの姿も探してみたけれど、今は別の事に集中しているのだろう。騒がしくなってきたテントの中で、邪魔をしては悪いので歩き出す。
「とりあえず何か温かいものが欲しい」
ずぶ濡れの兜を脱ぎ捨て髪に滴る水滴を数度跳ね飛ばすと、教えてもらった休憩用のテントを探して歩き出していった。