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幕間 それぞれの一日 2

 ――コミュニケーションというのは難しい、そう思う時はたまにある。

 ふとした意見の行き違いに、人とうまく付き合う為にはなるべく願われた通りに動けばいいと分かっているけど、かといって何でもかんでも思われる通りに動ける訳がない。やりたくはない事はあるし、出来ない事だって多い。

 他人の求める自分と本当の自分の思いとが真っ向から反対する場合は非常にデリケートな問題が発生し、そこで一歩対応を間違うと今までに築いて来た人間関係すら容易く崩壊しかねない。

 ……つまりどういう事かというと、出来れば誰か教えて欲しい。


『ねえコワードくん、私と一緒に出掛けない?』

『え、いやですけど』


「……」

「……」

 

 この、非常に気まずい沈黙の解消方法を。

 



「……う、うぅ」

 チラ、と盗み見るように目をやれば腰掛けた机の反対側ではリザリアはうな垂れるように顔を下げている。若干落とす肩に時折聞こえてくる細かい溜め息はどうやら本物のようで……どうしたらいいのか分からない自分はなるべく触れないようにして皿の上に乗ったパンを口へと運んだ。半分に折った香ばしいパンの皮に温かな湯気に溶かされたバターの甘みが口一杯に広がるが、正直おいしいかどうかも分からない。


 そもそもディガーが悪い。頭の中で浮かんだ能天気な笑みの主を探してロビー内を見渡すが、嫌でも目立つ巨漢の姿は見付けられなかった。それもそのはずでこんな日に限って朝から『出掛けて来るわ~』の一言だけ残しさっさと宿屋を後にしていて。……残されたのは昨日から不吉な予感冷めやらぬ自分と、これといって仲が良いともいえない微妙な間柄のリザリア・ベルツの二人だけ。

 絶対に顔を合わせなくてはいけない朝食の初めから重苦しい空気は感じていたがなるべく当たり障りのない感じを貫いて淡々と食事をして、すぐにでも朝食を切り上げて部屋へと戻ろうと思っていたのに。……まるでタイミングを見計らっていたような空気の間にリザリアは口を開いてこう切り出した。


『ねえコワードくん、私と一緒に出掛けない?』


 ……窓から差し込む透明な陽の光がロビーに注ぎ込む、輝きを受け止める深い色合いをした木目の机と、その上で春の陽気を思わせるはにかんだ明るい笑み、優雅さすら感じるその問い掛けに準備も何もしていなかった自分はつい素のまま答えてしまう。


『え、いやですけど』


『……』

『……』


 ……この沈黙、今に至る。



 弁明を言葉にすれば別にリザリアの事が嫌で素気無くした訳ではなく、今日に限ってはどうしても嫌な予感で一杯で、外に出るなんてもっての他だったからだ。


「あ、あの」

「ん?」


 いつの間にか俯いてしまっていた自分が顔を上げると、目の前には既に元気を取り戻しているリザリアの微笑みがあった。

「あ、はは」

 ……よかった。少なくとも沈黙の時間はようやく終了している。ここで口上手な人間であれば何かしらの話題の提供、更に場を盛り上げるために語り出す所だろう。それが正しいコミュニケーションであり、自分もそれに倣おうと小粋な会話を目指して頭を働かせる。


「ああ……」

「ん?」

「ぁ」

「……?」

「……」


 …………いや、正直を言えば目の前のこのリザリア・ベルツという人物、少しだけ苦手だった。普段から浮かべる愛想のよさそうな笑みも同じ宿屋で暮らしているといっても直接な接点はそれほどない。自分が用があるといえばギルドオーナーであるディガーがほとんどであったし、(気持ち悪いけど)一方的に絡んでくるのも大男がほとんどだった。それに比べたら今までのリザリアとの会話は場繋ぎ的なものが多く、悪いとは言わないがそれほどよく話し合う間柄でもない。


「もぐ」


 空白時間のごまかしにパンをよく咀嚼して飲み込み。何か会話の接点はないかと今でもちゃんと考えている。……いやそもそも最初の問い掛けはなんだったのか、『私と一緒に出掛けない?』……有り得ない。そんな気楽に外出を誘い合う仲良しでもなく、第一今日は絶対に外に出るべきではないと第六感が告げているんだ。例え本気で誘われたていたとしても危険の多い外に自分から出掛けるなんてとんでもない話しだった。

「ズ、ズズ……」

 手に取る白色のカップに、注がれた薄茶色のスープを喉の奥へと流し込む。

 ……話したいとは思っているが、今はやむを得ず口が塞がってしまっているから仕方ない。でももしも向こうから話し掛けてくるならちゃんと対応をしよう。

 口へと向けるカップの傾きはとても緩やかにスープの残りを大切にしながらチビチビと消化していると困ったような笑みを浮かべるリザリアが口を開く。



「あのね、コワードくん」

「は、はいっ」

「……コワードくんに、まだカヘルの街を案内してなかったと思って。今日は父さんも出掛けていていないから、丁度いいかなって。もしよかったら私に案内をさせてよ」

「今日ですか?」

「うん、何か用事ある?」

「ああ……はい、無理です」

「ふ……ふふふ」



「……」

 あ、いや、違うんです。期待していた会話の球種はもっと遅くて緩やかなものなんです。

 まさかの二度目の同じ『誘い』に、どうしても頷く訳には行かずに断ってしまう。その瞬間に何かリザリアの柔らかな笑みが固まったように見えプルプルと震え出しているようだけど、自分にはどうする事も出来ない。

 出来ればリザリアの『誘い』に好意的な返答を返したいんだ。多分本人も既にその気なのか。ただの朝食の格好とは思えない如何にもな外行きの装いに可愛らしい上下花柄のワンピースが目に止まる。隠しているようで隠しきれていない椅子の背もたれに、日除け用らしき幅広の帽子も見え隠れしているが、断ると言ったら断るのでどうしようもなかった。


「何か用事あるの?」

「……え、まぁ」

「よければ教えて」

「いや、一日部屋にいようと」

「……へえ」

「……ええ」


 プルプルと震えるリザリアの笑みに、その瞳がスッと細められる。何か背後を伝うゾクリとする悪寒を感じたが、今日は少し冷えるのだろうか。


「……」

「……」


 ……再び訪れた沈黙にここで問題は最初へと戻る。しかし今度の沈黙はただの無言空間というだけでなくリザリアの二つの瞳が真っ直ぐにこちらを見つめている為息苦しさのレベルは最初の比ではない。……よく考えてみれば余り親しくはないとはいえわざわざ自分を誘ってくれているリザリアだ。――いや、正直今更とは思ってはいけない。

 街を案内したいというその素直な気持ちは本当に嬉しい事だったが、とにかく今日は日が悪い。


「……」


 ……昨夜から感じていた嫌な予感は穏やかな朝を迎えた後も一向に減る気配は無かった、むしろ悪化の一途を辿っている。……というか起き抜けに眺めた窓の外に黒色の鳥が殺到している光景を見た時は、本当に心臓が止まるかと思った……今日は、日が、悪いんだ。例え多少の罪悪感を感じたとしても自分の意志を(保身を)貫く事に間違いはなく、円滑なコミュニケーションの為とはいえ自らの純真まで失っていいはずがない、心の鬼にして、強い意志を保たなければ。


「一緒に、行かない?」

「あー、本当に今日はちょっと」

 強い意志で断る。


「……本当に?」

「え、ええ」

 強い、意志で。


「……うっ、ううう、うう」

「ええ」

 強い。


「ひどい、コワードくん」

「ええっ!?」


 一瞬、リザリアの微笑みが崩れたかと思うと強い潤いを孕んだ二つの瞳がキッと自分を睨む、睨んだ次には両手で顔を覆い俯いてしまい「そんなに私と一緒に行きたくないんだっ」とリザリアは口から零す。

 ……いや何でそんな破局寸前の恋人同士のような台詞を言われなければいけないのか。細い指先の隙間から零れ落ちる泣き声に最初は理不尽な困惑を感じていただけだったが、次第に……段々と冷静さを取り戻してくると善意の誘いを正面から断る自分の非道さをジワジワと感じてくる。


「……」


 ……静かなロビーに流れるすすり泣くような声。

 胸の奥に感じるチクチクよする痛みに、自分の事ばかりを考えていたのが分かり嫌になる。不吉な予感を感じているからと言ってなんだというのか、リザリアの俯く顔に目を合わせられず視線はあっちに行ったりこっちに行ったりとうろうろしていたが……最後に強く心を引き締めて、一度しっかりと頷くと前を向く。


「分かりました、少し待っていてください」

「コワード、くん?」


 椅子から立ち上がり、驚いたように少しだけ顔を上げるリザリアを見てからロビーの奥へと向かって歩き出す。 

 まだ怪我の影響は強く一目散に走るような事は出来なかったけれど、その代わりに木目の床を一歩一歩踏み締めるようにしっかりと。

「ふふ」

 勝手に浮かんだ笑みにそういえばと思い出す。……自分は変わりたいと思っていたはずだ。その為の一歩がこれだと思えば悪い気は起こらず、大きな嫌な予感すら飲み込んでしっかりと前を向いていることが出来ている。


「成長するってこういう事か……ええっと」

「あの……コワードくん?」


 背後から振る困惑そうな声に笑みで応えロビー奥のカウンターまで辿り着くと視線を巡らせる。木造の受付の裏にはずらりと並んだ冊子の数々があり、宿場帳や明細の記録など細々とした薄い本の並ぶ中に目的の物を探して目を凝らす。


「んん……お、あったあった」


 伸ばした指先に本と本との間に挟まった目的物の大きな紙を抜き出すと手の中で丸めて、ロビーの中へと戻る。


「?」


 傾げた首で見つめてくるリザリアの視線を受け流し朝食の並ぶ机とは別の机へ

と、手の中に持った紙を空中で叩きながら広げると木目の上に伸ばし整頓させると上からポンポンと叩く。……恐らくここまで来ればリザリアも察することが出来るだろう、理性に光る瞬きを探してその顔を見返すが、椅子に腰かけたまま首を傾げている様子は先程までと変わりがなかった。


「あの、コワードくん?」

「はい?」

「これ何」

「……え」


 ……まさか、知らないのか。

 予想外のリザリアの認識の低さに、しかし心の中であり得るかも知れないと思い直す。得てして自分の暮らす街ならば、わざわざ気に掛けて考える事も少ないだろうし改めて見直す必要もないだろう。……とはいっても普通に生活していれば分かりそうなものだけど……仕方ないなと内心で上から目線な溜め息を零し、机の上に広げられた紙を指先で指し示す。どこか遠い場所で「どやぁ」とよく分からない音が聞こえたのもきっと気のせいに違いない。


「ふふ、いいですかリザリアさん、これは……カヘルの地図です!」

「いやそれは分かるよ」

「え」

「でもそれが?」

「ああ、えと……どうぞ」

「……どうぞって?」

「街の案内」

「……」

「……あれ?」


 ――何かおかしな食い違いが発生しているような気もしたがこの発想は正に究極の閃きといって問題ないと思えた。いや前のクエストの時にディガーにこの地図を見せてもらっていて本当によかった。本来の地図の役割としてカヘルの街並みというより周辺地形を分かりやすくしたような図式らしいが、大き目の丸程度にはカヘルも描かれていて、純粋に案内するだけだったらこれで十分だろう。

「ふふふ」

 コミュニケーションという難題に発想力という観点で新たな答えを導き出した自分を褒めてやりたかった。本来どちらか一方の願いしか叶えられないこの法則を、これならば『案内してあげる』というリザリアの望みも果たし、『今日は一歩も外に出たくないです』という自分の気持ちすら満たしている。完全にどちらもが勝者である解決策に大きく胸を張り、何ら欠点すら見付けられはしなかった


「さあどうぞ! いつでも案内してもらっていいですよ」

「コワード、くん」

「ちょっと潰れていて分かり辛いかもしれないですけれどこれで十分に……はい?」


 小さく漏れた呟きに食事の席から立ち上がるリザリアの姿。

 ユラリと揺れるように歩き出し、地図の広げられた机まで近寄ると一歩手前で足を止めた。自分の目の前まで回り込んだ状態でゆっくりと持ち上がっていくリザリアの指先。そのまま地図を指差して街案内を始めるのかと見守っていると持ち上がる指先は机の上を完全に無視してそのまま自分の肩へと向かって伸びると上から掴む込んだ。


「え? あの」



 ――『何かがおかしい』そう気付いた時には全てが遅かった。肩へと置かれたリザリアの指先は爪を立てながら肩に食い込み、鋭い痛さにぎょっとしてリザリアの顔を見つめると目の前にあったのはそれはもうすごい笑顔で……多分一生忘れられないような完成された『微笑』がそこにはあった。



「コワード、くん」

「ひっ」

「二度は、言わないよ?」



 ナニカ怖い。……その時何故自分の口から悲鳴じみた声が出たのか分からなかったが、目の前のこの笑みにいいようのない迫力が感じられた。確かに『笑み』なんだ、朗らかで柔らかな笑みであるはずなのに半開きの唇から覗く蠢く赤色に、一切の感情を押し殺したような『微笑み』という色だけを宿した二つの瞳が無機質に自分を見つめていた。


「一緒に、出掛けよう?」

「ええ……はい」


 有無を言わせない口調に、自分に断る勇気なんて全く湧いてこなかった。


 【しばらくはのんびりとした幕間を書いていきます】


 ちょっとのんびりとしすぎました。少し更新速度を上げたいなと思います(思って、います)

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