幕間 それぞれの一日
しばらくはのんびりとした幕間を書いていきます。
本筋には直接関係ないようなお話しばかりで、息抜きに。
「明日ちょっと出掛けて来るわ」
「え」
突然の父さんの一言が流れたのは宿場の後片付けをしている最中の事だった。乾拭きをしていた手を止め振り返るとカウンターの奥では父さんのニコニコとした笑い顔が私を見つめていた。
「明日って……急過ぎない? 宿は?」
「ん? うーん、一身上の都合って事で明日は休みで。夕方頃には戻ってくるから安心して」
「いや一身上の都合って、そんな適当で」
「いいのいいのいいのいいのいいの、平気だ・か・ら」
「……」
いや、全くといって言い程平気さの欠片も匂わせない言葉に私の見つめる目もジトっと細まる。しかし、当の父さんにしてみたら何処かを吹く風なのか意味もなくめくり続ける台帳に「ああ忙しいわ~」と分かり切った呟きが漏れる。……父さんの態度に私は口から出掛かった溜息を飲み込み、わざわざそんな事をしなくても反対はしないのに、と目を伏せた。
「別にいいよ」
どうせ言い連ねた所で父さんが意見を曲げないだろうからというのは私の経験談から来た結論だった。どう頑張って言い含めようとしても結局は言葉の出口を見つけて難を逃れる父さんに、私はやっても無駄な事ならば初めからしない方が随分マシと学んでいる。
「何か知らないけど出掛けるなら気を付けて行ってきて」
「ええ、ごめんね~リズ、ありがと」
「いいよ……それじゃ私片付けに戻るから」
さっと会話を切り上げた私は再びロビーの中へと視線を戻す。
そこで会話は終わり、後は残った雑務を終えて休むだけという所だったのに。最後に余計な一言が私の背中から降り注ぐ。
「明日一日コワードちゃんの事をよろしくね」
……………。
「オツカレサマー」
自分でも全く気持ちがこもっていないと分かる乾いた呟きで私はベッドへと飛び込んだ。軽い衝撃にバフンと跳ねるクッションの音、適度な弾力が私の体を包み込み、優しいシーツの肌触りに私はベッドの上からポンポンと叩いた。
首から下げる邪魔なエプロンは一息で取り外し部屋のどこかへと向けて投擲。凝り固まった体を目一杯伸ばすと小気味よい骨の鳴る音に熱い吐息は口から零れた。
「う、ううん! 今日も大変だったー」
接客業というのも案外楽じゃない。特に宿屋となればカウンターにしても掃除にしても必ずどこかで見つめている客の目を気にしなければいけなくて、清楚にはにかんだ愛想のいい笑みも最近は浮かびなれてしまった自分がいる。
それも仕方ないかと思い、寝ころんだ体勢のままで腕を握ると、不意に先程言われた父さんの一言が思い出される。
『コワードちゃんをよろしくね』
「はぁ」
人知れず漏れた私の重い溜め息に同じくらいに重い瞼を閉じると静かに目を瞑った。
父さんのやっている冒険者ギルドに、新しい仲間が加わったのはつい最近の事だった。
『冒険者』という『モンスター』を倒す事を生業にしている人達。矢面に常に立つ父さんと違って私の関係は一歩引いた所からだったが、それでも多少なりとも面識がある。……見た目だけは厳つい父さんの影響か集まってくる人は全員余りお近付きになりたくない見た目の人が多く、獰猛な獣を思わせる鋭い目に、硬質化するまでに鍛え上げられた肉体は怖いと同時に頼もしい。
今度入ってくるという新しいメンバーもそんな冒険者の1人だと思っていた私は、初めて会った『らしくない』彼に小さな驚きを感じていた。
『……よ、よろ……うっ』
「ハァ」
面と向かった時を初めて声を交わした彼の言葉、自己紹介?のはずだったのに消え入りそうな声は不安を感じずにはいられない。後で聞いた話しではその時は何か特別落ち込んでいたという事だったけれど、だからといってアレはない。
思わず素の調子に大きく声を上げてしまった事もよく覚えていた。
「……」
彼も『モンスター』を倒す『冒険者』の1人だと言われても俄かには信じがたい。色々と偏見に固まってしまっている自分の印象も悪いのだけど、だからと言ってそうですねと素直に受け入れる事も出来なかった。
何度か我慢出来なくなって尋ねてみた父さんに、あの子は本当に冒険者なのかと正直に聞いてしまってけれど返ってくるのは決まって「コワードちゃんなら大丈夫だから」という一点張り。根拠は何処にと聞いてみても明確には答えない父さんに私も何ともいえない気持ちとなる。
反論したい事はたくさんあるのだけど……それでもやっぱりギルドの責任者は父さんであり、そんな父さんが言い出してしまえば聞かないだろう事も私は分かっていた。
だから私に出来る事は遠回し、出来るだけ積極的な関係は取らずに彼の経過を見守る事だけだった。
全身がボロボロの姿になって、動く事も出来なくなった彼が帰ってくるその時までは。
「あーぁ」
赤く汚れた姿を思い浮かべ、嫌なものまで思い出してしまったと白い天井を強く見つめる。
『いいよ、なんか冒険者っぽい』と、日頃の裏返しに私が褒めた装備は半壊でボロボロ。ヒビだらけの鎧腕は今にも砕けそうで裂かれた衣服の下からは赤色の流動物が目に入る。黒く汚れた包帯は今思い出しても気分が悪くなる程で、血色と反応の無い彼の顔に……私は本当にあの時彼が死んでしまうんだと、そう感じていた。
「やだな」
口の中から小さく呟きが漏れる。
別に父さんの事を信頼していない訳じゃない。宿屋もギルドもあくまで責任者は父さんであり手伝いという域を出ない私からすれば、したいようにすればいいんじゃない消極的な事しか言う事が出来ない。
歯痒い思いを感じた事は今までにもあったけどそれは我慢出来た……だけど今回だけに限っては、それも父さんが今回だけは間違っているんじゃないかと思えて仕方がない。
「……」
無言で引き寄せた枕に胸の前で強く抱き締めれば浮かび上がってくる彼の姿。
あの子はとても冒険者とは言えない。
臆病な性格であり頼りになんてならない……だから、出来ればやめてほしかった。今回は無事で済んだかも知れないけれど次回は?その次は?……次々と浮かんでくる嫌な予感に特別人情に厚いとも言えない私だけど、見知った人間が物言わない姿へと変わるのを見て楽しいなんて思いはしない。
「明日」
だから、考える。
冒険者ギルドはそうしたって父さんの領分だけど……宿屋の仕事であれば私にだって多少の分はある。残りは本人の意思となるけれど彼だって宿場の手伝いはしていたじゃない。目に映る確かな希望は私の背中を強く押した。
「よし」
幸い、明日は最大の障害である父さんがいないんだ。
私は生まれてから初めて。強く誰かを『勧誘』しようと心に決めた。
―――――――。
「シャラさん、何してるんです?」
「ん? ああ、ミリア」
横合いから掛けた私の言葉にシャラさんは向かっていた机から顔を上げる。
少し悩んだ様な浮かない表情に鼻の上では普段余り見掛けないものがちらついており、覗き込むような私の強い視線に気付いたのかシャラさんはぎこちない笑みで掛けていたものを外した。
「ごめんなさい、似合わないでしょ」
「え、いえっ……でもシャラさんて眼鏡なんてしたんですね」
「手紙を書く時だけ、気分の問題ね」
若干苦い笑いを浮かべて小振りの丸い眼鏡を横に置く、見ればシャラさんの向かっている机の上には確かに書き掛けらしい便箋が一枚あった。ちょっと余所では目に掛かれないような美しい文様に白い紙の上では整然とした文字が並んでいるが……表情同様にかなり迷う部分はあるのか書き出しの部分で既に筆は止まってしまっていた。
「余り、進まないんです?」
直接的な私の問い掛けにシャラさんは少しだけバツの悪そうな笑みで、まるで悪戯を見つけられた子供のようなちょっとだけ気まずい表情を浮かべた。
「……うん、ちょっとだけね。まぁ手紙なんて普段は滅多に書かないから」
「うーん、そうですか? 私はたまに書きますけど、むしろ紙の量が足りないくらいで、あはは……ちなみに手紙のお相手は家族です?」
「ええ、妹。今はセンヴェルって街に居るそうだからついでにね」
言葉の終わりに、遠くを見るようなシャラさんだったけど、その顔は余り嬉しそうな表情には見えない。
ここまで聞いておいてようやくまずい事を聞いちゃったかなと私も居心地が悪くなりシャラさんと一緒になって遠くを見つめる視線でギルドホームを見渡す。昼であれば人の多さに暑苦しさすら感じる空間も今では閑散とし、窓の外の暗い夜も相まってなんだか寂しい気持ちになってしまうのはきっと私だけじゃないかもしれない。
「あの、ええっと」
「……ああ、そうそう」
雰囲気に飲まれて私まで静かになってしまい何とか空気を変えようと話題を考えていると、幸いな事にシャラさんの方から掛かって来た言葉に私は顔を向けた。
「明日この手紙を出さないとだから……何とか今日中に書き上げたらだけどね。旅馬車の所まで出向かないといけないからミリアは明日好きにしてていいわよ」
「え、手伝いますよ?」
「たかが手紙一通出すだけなのに別にいいから。……あっ、でも1人でクエストに行くのは禁止」
「いっ!? い、いや、ハハハハ、分かってますよ」
「……本当に分かってる?」
ジッと見つめてくるシャラさんの視線を避けて私の口からは微妙な笑い声が飛び出る。本当だったら練習がてらにでも1人で行けるクエストをやってみたかったけれど、わざわざ釘を刺されてしまったら仕方ない。次の機会に頑張ろうと気分を切り替えて笑みを浮かべる。
「最近は色々あったからたまにはゆっくり休むといいわ」
「そうですね、そうします!」
「ええ……それじゃ、私は続きを急いで書かないとだから。なかなか思い付かないのよねコレ」
「あは、頑張ってください」
「ありがとう」
気楽に言うシャラさんだったけれど私は分かっている。不自然に伸びた肘が私の視線から便箋を隠し、チラチラとした横目の視線が私が盗み見ないように監視をしていた。……別に覗こうなんて思ってなかったけどそれだけ内容は見られたくなかったのか、何だか余計に邪魔をしてしまった気がして私はギルドの外へと向かって歩き出す。
「それじゃあお休みなさい」
「ええ、お休み」
短い別れの挨拶にギルドの外へと一歩出ると周囲で燻る暗い影。煌々としたギルドの灯りに追い出されているが夜の暗さはすぐ目の前まで迫っていた。
「ゆっくり休んでか、どうしよう」
そのまま歩き出し小さな呟きと友に指を伸ばす。手が触れるのは片腕の手首で、そこに巻き付けられている布地に上から触れると不思議な気持ちが湧いてくる。
嬉しいような、それでいて寂しいような気持ちに、私はまだ『彼』を見付けられてはいなかった。
「運がよければ」
湧き上がる感傷に私の顔は途端にくしゃりと曲がってしまったけど、今くらいはいいかも知れない。
どうせ辺りの暗闇に紛れて私の顔なんてよく見えはしなかった。
―――――――――――。
「不吉だ」
言葉では言い表せぬ不安を感じクロスボウを磨いていた手を止める。未だ堅牢な戒めのある左腕に片手でしか作業が出来ないのが出来ないのが悪いといえば悪いのだが……それでも何往復をしても何故か取れないクロスボウの表面のくすみに嫌な気持ちがすくすくと育つ。
「そういえば」
1人しかいない部屋の中で思い出し、今日一日の行動を冷静に振り返って見れば確かに『兆候』のようなものはあったように思えた。
まず運動がてらに外へと出ると何もないのに鳥に襲われた。
別に食べる物を持っていた訳でもないのになんで……片手を振るい追い払ってみれば次はどこかの家のペットなのか、よく分からない黒い動物が自分を見つめてしきりに鳴いた。……きつく結んだはずの靴紐は数歩で解れ、左腕の傷は何かとんでもない事でも報せようとしているようにズキズキと疼く。そういえば夕食に出した料理も何故か自分の分だけが特に塩辛く感じて。
これは……もしかしたらもしかして不吉の兆しなんじゃないだろうか。
「は、ハハハ、いや、まさかそんな」
何だかオカルトに走ってしまった頭を乱暴に振るいクロスボウを壁に立て掛けると立ち上がる。本当だったら手厚く整備をするだけで気分もよくなる相棒に、今日だけはなかなか調子が出ない。
謎の閉塞感は体に新鮮な空気を求めて、ふらふらとした足取りは自然と窓まで歩み寄る。
「ふぅ」
重い木枠のを目一杯に開けば頬に触れる冷たくて優しい風。少し細めた目で存分に味わうと、次は煌々とした夜の月にでも慰めてもらおうかと空を見上げる。
「……」
見上げたその瞬間を、まるで狙ったかのように厚い雲が走り白い月の輝きをあっという間に閉ざしてしまった。
「今日はもう寝よう」
深く考える事を放棄し、ベッドの上に倒れるように横になるとシーツを頭から被る。
何か、嫌な予感がした。
――――。
「明日は、ふふ」
「明日、どこか店でも覗きに行こうかな」
「明日……絶対に部屋に閉じこもる」
三者三様の呟きは同じ空の下で静かに流れた。