26 エピローグ 探し人はもう来ない(後編)
「どうしたんだいその怪我!」
「あ、いや……まぁ」
部屋に入るとほぼ同時に漏れた言葉にコリノは目を剥いて自分を見る。向けられた視線に自分の体を見下ろして見れば確かに心配されてもおかしくない程のおおげさな治療跡があり、少し乾いた笑い声しか口から出なかった。
後ろ手にドアを閉める音にそのまま走り寄ろうとするコリノだったが、踏み出した一歩目に横から伸びるディガーの腕により肩を止められ、振り返ると目を合わせる。
「待ちなさい。貴方は向かいの席に座るの」
「はっ?いや、しかし!」
「いいから、座りなさい」
口調こそ変わらないがディガーだったが有無を言わせない言葉の裏には隠し切れていない『敵意』が滲む。……今の事態を全く理解出来ていないのか向けられる鋭い視線にコリノは戸惑い、自分とディガーとを交互に見つめた後に静かに示されるまま椅子へと腰掛ける。
宿場の空き部屋を利用した一室に、部屋の中で目に映るのは1人用のベッドと身支度用の鏡台など普通の部屋と変わりないもの。その中に1つだけある机に座り、向かいにコリノを、反対側には自分とディガーとは並んで腰掛け、小さな机を挟み1人と2人が向かい合う形となる。
「ダウンゼン・コリノさん、貴方が先日出した依頼が完了したわ。今日はその報告に来てもらったの」
「それは、聞きましたけど、ゴートは?」
「……その前に1つ確認させてもらいたい事があるわ」
青年の言葉に対し流れるディガーの声は非常に抑揚の無い響きを保っており、見ようによっては冷たいとすら感じる色の無い瞳でコリノを見た。
「コリノさん。貴方に聞きたいんだけどね。貴方……今回の事、何か知っていたんじゃないかしら?」
「……今回の事?」
「旧坑区で現れたモンスターと、そして『ラド・オルイア』と名乗った男の事よ」
「「え?」」
ディガーの言葉に、コリノと……そして自分が発した言葉が重なり合って響いた。
驚いた様子でいるのはどちらも一緒であるが、ディガーも驚いたような目で……というよりは何かジトっとした半開きの視線で自分に目を向ける。
「『え?』ってコワードちゃん。貴方、もしかして名前を知らなかった?」
「えっ、い、いや……」
言われて記憶を掘り起こすのだが『ラド・オルイア』という名前で引っ掛かりがない。……もしかして自分だけ名乗られなかった?嫌な感触に何とか頭を捻ってみるのだが、やはり当てはまる答えは何もない。
「…………はぁ」
ディガーの深い深い溜め息の音がすぐ隣で零れた。
「いやちょっと!そんなこれみよがしに溜め息なんて吐かないでもっ!知らなかったんだからしょうがないでしょう、聞かされてなかったんだからそんなものどうしよう、モっ、ガ、ガガガガ」
「はい、コワードちゃんはちょっとそこで面白い動きをしながら黙っていてね」
……大きく、声を上げてしまってせいで体に響く。痛みのままに机の上へとそのまま突っ伏す自分に、コリノはただひたすら困惑に首をかしげるだけ……意図せずちょっと緩んでしまった空気にディガーは数度咳払いを繰り返し、その場の空気を引き締めるとコリノを見る。
「私はね、始めから何かおかしいんじゃないかと思っていたの、だから本当は断るつもりだった……分かるわよね?だから私は、貴方を『疑っているの』。色々と裏で仕組んで全部狙ってやった事なんじゃないかって、貴方をね」
「は!?疑うって何を……そもそも状況が分からない!しっかりと説明してもらわないと俺も何も」
「……そうね。それじゃ、一から説明してあげるわ、何があったのかをね」
「……」
机に突っ伏す自分を置き去りにしてディガーの説明が進んでいく。
痛みこそもう引いてきたが、下げた頭を上げコリノの顔を正面から見ようという勇気がなかなか湧き起こらない。……怖かったからだ。
もしかして、視界を上げてしまえばあの白コートの男同様に歪んだ笑みをコリノが浮かべている気がして……友人であるからとあんなに必死に頼み込んだ青年の姿がもうないのではないかと思うと言葉に出来ない気持ちになった。
――事の発端はオルイア……という名前だったらしいその男が言った言葉だった。
一度は逃げカヘルに帰ろうとした自分に立ち塞がった時、あの洞窟の中で確かに言っていた。
『ハハ、ハハハッ、そうだったんですか!貴方、コリノの、コリノの使いだったんですね!? 道理でっ』
「……」
男は、確かに『知って』いた。
ゴートだと、そう追跡した人物に対してコリノの名を意図した形で喋っていた。……元々はあの男のゴートじゃないかと勘違いしてしまったのも自分だが、それでも何の躊躇いも無く『コリノ』の名を言い連ねている事にディガーと話し合ってから初めて気付き違和感を覚えていた。
もしかしたら嘘かも知れない。本当は何も知らないで知っているふりを、もしくは事前に調べ上げていたという可能性もあった……あったが、もしそうではなく、それ以外であるとしたら、
「貴方は、全て分かっていた上で私達に依頼をしたんじゃない?」
「……」
考えられる事は色々あった。仲違いか、もしかしたら純粋な友人の仇討ち?
根拠も少なく穴だらけの疑いに過ぎなかったがそれを否定し切れる程まで、自分もディガーもダウンゼン・コリノという人物をよく知ってはいなかった
部屋に流れるディガーの言葉に、机の上に伏せた顔を意を決して上へと上げる。
目に入ってきた青年の顔は普段の糸のように細い目から見開き、ディガーを見つめる視線は戸惑っているようにも睨んでいるようにも見えた。上下に少しだけ震える肩に、目線を合わせ続けているのも辛いのか、今度はコリノが顔を俯かせて口を開く。
「いや、そんな……そんな事が起きていたなんて俺は知らなかった。ホントに、知らなかったんだ」
「……そう」
低く絞り出すような言葉にディガーも小さく息を吐き、机の下の暗がりへと腕を伸ばすと何かを手に取り上へと引き上げる。
「あ」
……机の影から出てきた物に自分は見覚えがあった。見覚えは、あったのだがどうも記憶の中の姿とは多少異なっている。
こびり付く泥が落ち、磨き掛けられた装飾部分は窓から差し込む光に反射し綺麗な輝きを宿す。
何処で拾ったのかまでは正確に思い出せなかったが確かにソレは見覚えがあり、亀裂の底で拾ったボロボロであるはずの短剣だった。今では見違えるような姿にそれでも記憶に引っ掛かかりを持てたのは錆だらけの刀身部分は見つけた時のそのままであったからだ。茶褐色を帯びた鉄錆びに深く染み付いた黒い染み、絢爛であるはずの姿に全体を汚す染みの色が背筋に小さな悪寒を走らせた。
「これはね、コワードちゃんが現場で見つけた短剣よ……もしかしたら貴方、これに見覚えはないかしら?」
「……こ、れ」
ゴトリと音を立てて机の上へと置かれる短剣に、コリノの震える指先が伸びた。 始めは触れるか触れないかで柄の部分をなぞっていた指先は徐々に触れる面積を広め上部に……刃の境目部分まで来るとそこで固まり、その先の部分を触れる事が出来ないようでいる。
「当たりね」
「ん……んん」
自分にだけ聞こえる程度の小さな声で耳打ちするディガーに、確かにその言葉の通りだとは思うのだが、何かとてもスッキリとしない気分を感じて頷き返す事は出来なかった。
「それでは、依頼された『クエスト』の結果を報告するわ」
「ッ」
コリノの肩はその瞬間ピクリと跳ね、淡々と流れるディガーの言葉の羅列だけが部屋の中に響き渡って行く。
「先程言ったラド・オルイアという人間に、コワードちゃんは言質を取ったわ。依頼内容でもあり、貴方のお友達のゴート・メイスンはソイツに“殺された”。……今貴方が手にしている短剣が恐らくその友人の物なのでしょう?なら、付着した染みは何なのかは見当は付くわね。多分オルイアに、奪われその上で、愛用の武器は自らの体を裂いたんでしょう」
「――」
「今カヘルの冒険者ギルドがようやく重い腰を上げて調査を始めているわ。昨日は亀裂の底で何かの残骸も発見できたみたい。部分損傷が激しくて一部の体のパーツだけだったらしいけど、それは確かに『人間』のものだったそうよ」
「――っ」
「コリノ」
無言の青年にディガーは振り下ろす手で机を強く叩き、周囲に響いた音と共に身を乗り出してコリノに迫った。
「だからっ、知っている事があったら言いなさい!こっちは現にウチの冒険者が危険な目に合ってるのよ、それでいて、何も無いでしたじゃ話しにならないんだよっ!……まだカヘルの冒険者ギルドには詳しい話しはしてないわ。だから、話すなら今よ」
「っ……ディ、ディガー」
徐々に声色を強くしていくディガーに横から分け入って抑えると青筋の浮かんだ顔でこちらの方まで睨んで来た。
「何コワードちゃん、あなたは黙ってて」
「うっ」
激する低い言葉に自分までその場で尻込みをし掛けるが……それでも『見ていた』ダウンゼンの状態にその場で押し留まると、顎先で示し首の合図だけでコリノの事を窺うように促す。
「なによ」
――っ
「……」
その時、小さく、声にもならない音が漏れた。
――っ――っ
目の前の青年は俯いている。下へと向けた顔に表情は見えず。手の中にある錆びだらけの短剣を握っている。添えた指先はようやく刃の部分まで触れる事が出来たのか、茶褐色の上を何度も往復し……まるでその表面の何かを削り落とすように突き立てた爪がカリカリカリと音を立てた。
「……ふぅ」
ディガーは小さく息を吐き、机の上へと乗り出していた体を椅子へと戻す。
始めはコリノを見ていたディガーの視線もやがて上へ下へと忙しなく動き出し、そして最後には閉じた瞳に首の後ろを掻くとその場から立ち上がった。
「そういえば、依頼主が来ているのにまだ飲み物すら用意してなかったわ」
「まぁ」
「コワードちゃん、ちょっと手伝ってもらえるかしら?」
「……」
――っ――
「はい」
――今は怪我をした自分まで一体何を手伝わせようというのか。
ディガーの人使いの荒さは実はかなりのものであるようで、自分を置いたままさっさと歩き出すとそのまま扉の前まで進み部屋の外に出て行く。
「……」
見送った背中に自分も立ち上がって部屋の中を見回す。
何か無いかと探していると丁度ベッドの横側で畳まれている目新しい布が目に入り……片足を引き摺るような不格好な歩みで手に取ると、そっと机の上へと置いた。
「コワードちゃん」
「はいはい」
――っ
ドアの外で自分を待つディガーはどれだけ堪え性がないのか。急かすような声に手伝いと称してこれからこき使われるであろう自分を想像し、わざとらしい溜め息が口から零れる。
「はぁあ」
嫌だな。
――ゴート――ッ
進み出し扉を開ける瞬間、後ろから聞こえてきた低い声が耳を掠めた。
「……」
自分は、何も聞こえなかった振りをしてそのまま部屋を後にする。
――――――――――。
「赤いなぁ」
小さく呟き、遠い空で今まさに落ちようとする夕日を見つめる。昼間は嫌になる程までギラギラと輝いていたはずなのに落陽の時間になった時だけ少し寂しげな姿を見せるのはずるいと思う。宿場を出てすぐの通路に、滲む赤に彩られながら路地の向こうへと消えていく青年の姿を見送った。
「帰った?」
「……ええ」
突如聞こえてきた声に振り返るといつの間に横に並んでいたのか隣にはディガーが立っており、並んで立てば余計にデカく感じる巨漢の男は、自分より高い位置から、しかし自分と全く同じ背中を見つめている。
「困ったわ」
「何がです?」
「これから幽霊のすすり泣きが聞こえる宿屋とか噂されたらどうしましょう」
「……自分で何とかしてください」
ディガーの言葉に細かい指摘を入れる気も起きず、言葉とは裏腹に周囲の景色同様赤く染め上ったその横顔が別人のように見えた。
「もしかしてコワードちゃん泣いてる?」
「……いや」
「貰い泣きしたかしらね」
向けていた自分の視線に気付いたのか、どこか嬉しそうな言葉で聞いてくるディガー。『泣いてる』という言葉に釣られて自身の頬へ指を伸ばすば確かに何か濡れた水滴の跡があった。
「貰い泣き」
……自分で泣く事はあっても他人の泣き声を耳にしたのは随分と久しぶりである気がした。
流れた涙に胸の上へと手を置き、ぐるぐると渦を巻く心を整理すると今自分が何を感じているのか言葉へと変換させて見て小さく呟き出した。
「人が死ぬって、いやですね」
「そうね」
「……」
「……そうね」
他に、もっと複雑な言い様はあったはずなのに口から出たのは実に当たり前で当然の事で、しかしその一言だけで胸の中の大部分の気持ちが外へと出ている事に気付く。……残った部分に縋り付くのはごちゃごちゃとした黒い感情。自分で口にするのも憚れるが周りのぼやけた赤色に今ぐらいは言ってもいい気がして、喉の奥に力を入れる。
「それと」
「それと?」
「そんな仲間がいて、いい身分だなって……少し」
「……」
「……羨ましい」
「そう」
身勝手で、呆れる物言いのはずなのにディガーから返って来る返答に変わりは無い。
押し出す言葉と共に浮かび上がるのは亀裂の底で出会った冒険者達で、確かにあの人達も二人組でいたはずだ。
「……なにか」
漏れる息が、赤色に染まる。
思い出す、森の中で逃げ回っていた自分も、必死に戻って来たギルドの中でも、馬鹿にされても平気で笑った振りを見せた自分も。
全部結局1人で空回りしていただけに思えた。
「いいなって……ハハ、すみません」
最後の一言で辛うじて謝罪の言葉を言えたのは最後の強がりだった。
冷静に考えて場違いな自分に、ダウンゼンの悲しさを思って流れた涙も、人がいなくなるって嫌だなと普通の感情に流れた涙も全て汚いものに感じられるようで嫌だった。
「大丈夫よ」
「は……っ」
低く、しかし言い切った言葉にディガーの手のひらが自分の肩を叩く。
「貴方なら大丈夫、絶対にそんな仲間が出来るわ」
「は」
「絶対にね」
「グ」
ディガーの言葉に時間も場所も全く違うはずなのに背中を押された受付の男を思いだし、それ以上の涙は見せないように荒々しく目を擦った。
「さ、それじゃ仕事は終わり、クエスト終了祝いに今夜は外でご飯でも食べましょうか」
「……え?」
「どうしてもコワードちゃんを連れて来いってうるさいお店のオッサンがいるのよ」
「……オッサンは、どっちです」
「あらひどい」
小さく微笑みを浮かべディガーはその場で踵を返すと宿場の中へと戻って行った。離れていくその背中を見て、もう一度空を見る。
真っ赤でぼんやりとした夕焼けはすぐに終わり、やがて暗い夜がやって来るだろう。
「……」
包帯だらけの腕を少しだけ揺すり自身も後ろへと振り向くと一歩踏み出す。
ズキズキと痛む体のせいもあり、余り早い速度は出せない。今の自分にとってはそれで精一杯だ。
「今は……」
『貴方は臆病者です、嘘吐きの卑怯者です。そんな貴方が無謀な夢を見る資格なんて、そんな価値あるはずがないじゃないですか』
男の、そう言われた言葉は確かにその通りだった。
自分はまだその場で足踏みをしている程度でしかなくて……しかし、まだその先には続きがある。
「……だけど、オレは絶対にそのままでいないからな」
強く手の平を握り込めば湧き上がる鈍い痛みに顔は歪む。
背を向けた遠い空の向こうで落陽はついにその姿を隠し目の前の通路も暗くなった。
……何の目印もないただの道を、まだ歩き出したばかりだった。
2章 『Liars footsteps』 -fin-
ここで画面が暗転し、エンディングソングが始まる感じで!(妄想)
……これで長かった2章も終わりとなります。思い起こせば大分時間が掛かってしまったように思えますがお付き合い頂きありがとうございます。
そしてなんとこれまでの合計42話でなんと累計【いっぱい】PVアクセスを頂き、【たくさん】ユニーク数も頂く事が出来ました!
……祝○○達成!とか余りそういうのが苦手な性分で、せめてあとがきのスペースを使ってお礼の言葉とさせて頂きました。本当にありがとうございます!
この先はまた幕間をいくつか挟み2章終了時キャラクター設定などをぶっこんだ後に第3章へと入って行く予定です。
ここまで読んで頂き感謝でございます、次の機会にでもまた。
以下、オマケ的要素で作った、なんちゃって次回予告
○次回(次章)予告
――変えたいものがあった。
『コワードちゃん、紹介するわね』
『はい?』
――傷付けたくないものがあった。
『お前に才能はない。冒険者をやめるべきだ』
――手に入れたいものがあった。
『コワード?変な名前だね』
強く願い……そして変わった/守った/手に入れた――そう、思っていたはずだったのに。
『まぁあまり気にしないで、あの子ちょっと気難しい所があるのよ』
『よく来てくれた、我々は君達を歓迎する』
『ありがとう、助かったわ』
『変わる事が全て良い事とは限らないんじゃよ』
『なあ、コワードってさ』
『なんで』
『どうして』
『一体、何をしていたんだ貴様!』
モンスター討伐依頼を受けて訪れた小さな村。
新たな仲間。
新たな出会い。
“味方殺し”。
“厄災”。
“手長”。
降りしきる雨の音は大き過ぎ、喉から絞り出す小さな言葉では全て掻き消される。
『それ以上、来るな』
『……』
『それ以上来ればコワード、俺が……お前を殺す』
『……そう』
手に入れ掛けた“絆”が指先から零れ落ちる時、
『だけど』
臆病者の咆哮が雨にこだまする。
『それでも、アレは絶対に』
――黒く重い雲に終わりは見えず、その先に果たして澄んだ青空が広がっているのか……それは誰にも分からなかった。
『オレが倒さないといけないんだ!』
次回、オーバーモンスター・コワード第3章[友情は炎の先に‐Friendly fire‐]。
『――な』
『っ、コワード逃げ』
――水たまりに落ちる赤い血を、すくいあげる者はいない。
同時上映!
おじいちゃんの昔話「これが伝説のモンスタアじゃあ」。
カミング(大分先ですよね)スーン。
――尚、このあとがきは試験的かつその場のノリが主成分であり、後日正気を取り戻した作者によって消される可能性があります。ご了承ください。