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19 再び

「……」

 シャラさんが、亀裂の外へと出て行ってからかなりの時間が経った。初めは近くで聞こえていた争う喧噪も今では遠く外に見える土の砂色に巨大のモンスターの黒い影はもう見えない。

 ……私は1人、安全な影の中で震えていた。

「う、ううぅ」

 情けなさが込み上げる。なんでこうなっちゃったのか、どうして……考える毎に結論は同じ所に行き付く、私はお荷物なんじゃないかって。

私が満足に走れないから、だからシャラさんは一緒に逃げずに囮になって、だから『彼』も助けを呼びに1人で街に走るしかなかった。

「う」

 ダメだと思って、そんな資格ないと分かっていても自分の意図と関係なく流れ出そうとする涙を飲み込んで、黒一色の影の中で耐え続ける。

 嗚咽も吐息すら必死に我慢した空気に、噛み込んだ頬から見上げた視線の向こうに。……地面の上を歩き行く白い影が目に写った時私は息を飲んだ。

「ッ」

 一瞬叫び声出しそうだった口を堪えられたのはきっと寸前まで息も我慢していたから、亀裂の外から見ればただの影にしか見えないだろう裂け目の中で分かる筈ないと思いながらも頭を抱え地面の上へと静かにうずくまる。

「……う……っ」


 上目遣いに見上げる視線の先で悠然と歩いて行く男。踏み出す歩みに砂煙は上がらず落ち着いた格好だが時折目に写る男の顔には隠そうともしない嗜虐的な笑みが揺れ、視線は前を向いて固定している。


「っ、ッ」


 口を手で覆い白コートの男の姿に身体が思い出す暴力と痛みで微かに震える、荒れようとする心臓も抑え付けて静かに息を殺して待っているとやがて男はそのまま歩き去り、結局こちらへ向けて一度も視線を向かわせる事は無かった。


「う……」


 助かった。

 そう思った反面男の歩いて行った先を思い胸が詰まる。その方向は黒いモンスターを引き連れて走って行ってくれたシャラさんの向かった方で、喧噪は聞こえなくなっても今もきっと、あの暴れるモンスターも一緒にいる所。


「……くっ」


 鈍い身体を動かし壁に手を突くと立ち上がる。……息が重い。触れた手の平に伝わる岩肌の冷たい感触に、走る事も戦う事も出来そうにないけれどそれでも何とか歩く位なら出来る気がした。

「う、この」


 ……心の中の葛藤に足は一歩踏み出す事が出来た。荷物な私が行っても何にもならないんじゃないかという怖さ、ズキズキとした痛みに全身を駆ける痺れと悪寒。自分自身の体がまるで自分のものじゃなくなったようで、逸る気持ちとは裏腹に足取りは非常に遅くてすぐ傍の亀裂の入り口まで辿り着くのにも時間を掛かった。


「もっと……もう、ちょっと」


 頭も、うまく回らない。毒のせいではないはずだけど考え込む度に足取りは重くなって。

 結局無駄で、私ではただ足を引っ張るだけで終わっちゃう。……浮かび上がる最悪の想像に動けない私を庇ってくれた彼と、そんな私を思って走ったシャラさんを思って、亀裂の入口の壁までようやく手が届く距離まで来ると外の光の中へと一歩踏み出した。



「え」

 ……それはきっと、考えすぎていたせいかも知れない。砂の地面へと一歩踏み出したその瞬間、通路の反対側に白いコートの男とは別の人間の姿が写り込み私は思わず動きを止めてしまいその場で固まった。

 初めに胸中を駆けたのは「なんで?」という疑問が、その次にそんな疑問すら軽く吹き飛ばしてしまう程の場違いな嬉しさに私は痺れる喉の掠れた声を大きく口を開いて叫んだ。


「コワード、さん!」


 ……まだ毒の効果が色濃く残り喉から絞り出すように飛び出た声は自分で聞いていてもひどいものだったけど、深い茶の色のコートをはためかせて呼び掛けた人物は進む足を止めるとこちらを向いて振り向く。そこだけ鈍く鉄色をした鎧の左腕に、遠目だから余計に感じる小柄な姿で私を見ると大きく口を開いて何事かを口にする。



「――――――!」

 流れた彼の言葉はほぼ同時に、亀裂の底を吹き抜けた強い風に晒されて私の耳には届かない。私が聞き返す間もなく向けてくれていたはずの視線をすぐに前へと戻すと彼は再び地面を蹴り走り出す。

 遠ざかりつつある背中の上でガシャガシャと揺れる異形の弓……見上げる視界の向こうでは固まって昇る黒雲のように道を隠して立ち尽くすモンスターの姿が見える。

 白いコートは既に遠くなったのかその姿は見えなかった。


「……」


 駆け出す彼の言おうとした言葉がなんだったのか私には分からない。浮かべた強い視線から「逃げろ」だったのか「隠れてろ」だったのか。……もしかしたら「来るな」とでも釘を刺されていたのかも知れない。


「ツ、く……っ!」

 私は壁に手を当てた。

 私は地面の上に足を踏み出す。

 私は身体の痺れも、全身の重さも我慢した。


「行か、なきゃ」


 私だって、冒険者の1人で。


 遅々とした足取りに進んでいるのかも分からない早さで歩き出す。遠く戦っているはずのシャラさんと、去り行く『彼』の背中に追い付けるように。




――――――――――――。




「ハアァ!」

 迫る黒の甲殻を剣の端を合わせ迎え撃つ。直行ではなく斜めに、向かう刃の接触にすれ違う甲殻が跳ね、小さな火花と共に黒い破片が宙に舞った。


 浅い。


「ク」

 通り過ぎる頭を追って胴体の周り、幾百の細い節目の脚はまるで軍隊の行進の思わせて、砂地で足踏みを鳴らしながら追い縋る。即座に蹴り上げた足で反動から距離を取ると迫る爪の合間を切り抜けると走る。


 元々直接的な戦闘は願う所ではない。モンスターの巨体から繰り出される一方的な攻撃を避け続け、受け流し続けて私は砂の通路を少年の向かった方向とは反対側へと向けて走り続けた。金属の擦れ合うようなモンスターの咆哮、砂中へと没した頭から勢いよくもたげられる首に突き上げられた砂は細かい雨となって降り注ぎ、目の前の雑多な砂塵を腕で払い除けると前へと進む。


 もしかしたら少年の走り去った方向は出口へと繋がっていない可能性があった。その場合は私の向かっている方向こそ亀裂の外へと続いていて……もしくは私達の両方が間違っていて全く別の場所に出口があるのかも知れない。……考え続ける頭は止まらなくとも私は最低限、出口など存在しないという考えは既に斬り捨てていた。

 思い出されるのは亀裂の上に居た時にオルイアの言った言葉だ。


『作るのに結構苦労したんですコレ。…ハァ……だというのになかなか他人に自慢をする機会がなかなかなくて……』

「……」


 私を『落とす』前にこの穴全体を見つめて確かに言った『作った』と。……そこにどういう意図があったかは分からないしかし少なくともこの亀裂自体が『作成品』であるのなら出口を用意しないはずがない。あの男の不快に歪んだ笑みを思い出すと腹の底から煮えくり返りそうな思いだったが、その言葉が奴の失言だった事を祈り探し出すしかない。


 ギ キキキキキ


 頭上から漏れ落ちる擦過音。接近する圧迫感を肌で感じ前方へと向けて駆ける足取りを左右に振り分けジグザグに進む。空気ごと押し潰しに掛かるような巨体の衝撃に接触の間際に大きく駆け出すと地を蹴って跳躍する。

 空を駆ける短い跳躍時間に地面への着地に合わせて擦れた砂が煙となって空に伸び、それを大きく上書きするように暴力的な衝突音と雪崩へと変わった砂の飛沫が後ろから身体を叩く。……厚い砂のベールの奥に揺れる緑色に輝く光点。息苦しい周囲の空気に肺の中に貯まった呼気と痛みを合わせて吐き出すと、更にモンスターから距離を開けるべく走り出す。


「よしっ」

 このまま走り続けて先ずは隠れられる場所を探そう。もしもこのまま出口に辿り着くならそれでもいいモンスターを引き付けて惑わし少年を探して合流する……そうすればまたいくらでも考えられる方法はある。全身へと染み込む疲労感に思考は鋭いままを保って、砂地を蹴り上げながら駆けようとすると、その時耳慣れない音が周囲に響く……いや耳慣れないといったらおかしいだろう、それはこの場では聞こえるはずがない不釣り合いな音であり、散発的に漏れ響く乾いた物音は。こんな場合だというのに両手を合わせて叩き合う拍手の音のように耳に聞こえた。


 パチ パチ パチ パチ パチ


「っ」

 ……息を飲む。

 砂煙の中に揺れるモンスターの黒い影に響いていた拍手の音は次第に収まって行くと、その次には聞くに堪えない声……あるいはどれだけ聞きたかったか自分でも分からない、粘着質な笑い声に慇懃無礼を地でいく嫌味な言葉が流れ出す。


『いやハハハすごいすごい、まさかまだ頑張っていらしたんですか?さすがにびっくりしました』

「グっ」

『……しかし何事も度を過ぎれば不気味なもので、あんまり薄気味悪いしぶとさですと感服を通り越して呆れてしまいますよ』

「オルイアァアア!」


 ……風が吹き砂煙が晴れる。

 しかし見通す視界の中に男の姿は見えず通路を覆うモンスターの巨体の後ろに隠れているのか、くぐもった笑い声に不快な言葉だけが響く。


『ふふふ、そんなに心を込めて私などを呼んでしまって、そんなに会いたかったですか?心細かったでしょうか?……しかしそれなら尚の事そんな大きな声を上げないでください、私は小心者なのです。余りに声が恐ろしいと出るに出られません』

「貴様、どこに!」

『……さあ?』


 ギチチチチ


 甲高い咆哮を上げ開かれたモンスターの口が迫り地面を削る。砂への接触にまたしても湧き上がった砂塵、身を翻し避けながらオルイアを探すがその姿はどこにも見えない。重い痺れを通り越し剣の柄を握り締める手に過剰な力がこもって目障りな空気を縦横に切り裂いて進む。


 あの男を抑えれば全て片が付くはず。聞こえた声に逃げて隠れを考えていた事も忘れてにやけた顔の男の姿を探して駆け回った。……オルイアがここに居るというその意味を考える事すら忘れて。


『怖いですよ、まるで獣だ。膂力もしぶとさも十分過ぎる。……しかし、だから余計に惜しい、これで性質が悪でさえなければまだ救いがあったでしょうに』


 砂塵に響く男の言葉に翻弄されていると分かっていながらも私は声を荒げずにはいられない。この男のせいで私も、そしてミリアまでが苦しんだのだ。


「何を!!」

『……自分で分かりませんか?ますます獣ですね。それでは特別に教えて差し上げましょう』


 ギ


 男の言葉が耳に触れた瞬間、計ったように砂のカーテンを突き破り黒の巨体が迫る。牙と牙の隙間から弾け飛んだ粘性の唾液。手にした剣を横薙ぎに払い剣撃で顎先を捉えると横へと反らして受け流す。


『貴方が利用したあの少年、彼は【死に】ましたよ』

「……えっ」


 キンッと、流し損なった刃がモンスターの外殻に触れ、大きく弾かれると下がる。たたらを踏んだ衝撃に自ら後ろへと飛ぶと砂地に着地したまま崩れる様に膝を突いた。毒効とは別の腕の中に残る鈍い衝撃と痺れ。しかし痛みに顔を歪めるより先、巻き上げる砂の向こうを睨み付け声を上げる。


「ふざけた事を言うなっ!!」

 ……自分でも気付かない荒れた言葉に応える声は高い哄笑。胸の中を苛立ちと焦燥が……そして最悪の悪寒が駆け抜ける。


『ふざけたって、はぁ……ついに人の言葉まで分からなくなりましたか?貴方が利用して使おうとしていたあの少年、彼は死んだと私は言ったのです』

「ウソを!」

『くくく……嘘なものですか。現にほら私がこうしてここに居るでしょう?』


 笑い声に含んだ愉快そうな言葉。……男の述べた言葉をそのまま信じる訳がない。鬱陶しい砂煙を払いながら駆け抜けオルイアの姿を探して走る。再び蠢きに響く擦過音。黒色の巨大な影が擦れ違い、横合いに飛びながら身を躱す。


『いや出来れば見せてあげたかった。……全て貴方がいけないんですよ?あんな無茶な事、関係もない少年に無理矢理押し付けて責任を負わせましたね。……初めは強がってました、必死に抵抗しましたよ?立派です。……ですが柔らかい肌と肉を鋭い刃が削ぎ落とす度にその言葉は悲鳴に変わって、すぐに音を上げました。「お願いですから助けてください命だけは助けてください」って涙を流して私に懇願したのです!傑作でしょう!?あはははは』

「……キッ」


 ……夕闇に這い寄る夜の冷たさのように。静かに耳を揺らす男の言葉は私の中の砂色の視界を赤く白熱させる。胸の中に浮かび上がってくるのは言葉少なに交わしたコワードと名乗った少年の姿。助けを呼んで欲しいと頼んだ願いに承諾と駆けて行ったその後ろ姿が頭を過ぎり、宙を舞う砂と土とに汚される。


『その言葉を聞いて私はどうしたと思います?勿論助けて差し上げましたとも!貴方と言う悪に唆された彼を呪縛から解き放って上げたのです。指を耳を鼻を順番に斬り落としていき、次第に真っ赤に染まって行く彼の姿に私ももう堪らなくなって!つい、ついです、最後には彼の胸へと向けて力の限りナイフを突き立』

「キサマアアアアアアアア!」


 口から溢れた咆哮に私は力の限り砂地を駆ける。最早毒も痺れも何もない、今はあの男の、下卑た笑いを浮かべるその首を斬り捨てて落とす事だけを求めて爆発的な力で砂地を蹴った。響く言葉に自身の叫びすら耳に入らなくなり……すぐ傍の、影に揺れる黒い姿にすら気付かない。


『……だから怒る相手が違うといったでしょう?彼は、貴方が殺したのだと』


 ギギギギギ!


「ッッ」


 瞬間、衝撃は腹部の横から伝わった。横目に見える鎧を擦り上げ火花を散らすモンスターの姿、その長い胴体と脚の衝突に轢かれて接触部から溢れた痛みに頭は一瞬白くなり世界の上下が入れ替わった。煙る砂の壁を割って進んだ空中に地面へと接触すると柔らかな土をへこませ大きな穴を作るとようやく止まる。


「ハ……ガッ」


 詰まる呼気に息漏れだけの小さな音に……手の中に剣はなかった。衝撃に落としたのかそれとも吹き飛んだのか……見上げる私の視線の中、つい先程まで必死に探し回っていたはずの白いコートの人影が現れて私を見下ろした。顔に張り付く笑みは最大限に口端を曲げ、歩み寄る姿に右腕から漏れる緑の光り。


「ふ、ふふ……呆気ない」

 見下した言葉に変えせる言葉もなくて身体を動かすよりも先、振り上げられた刃が私へと向け落ちてくる。……胸の中を浚う灼熱のような憤りはしかし瞬発的な力には変わらず、ただ無念さと屈辱に頬を歪めその時を覚悟する。



 ―――ごめんなさい。


 心の中だけで漏れた謝罪は誰に向けた物なのか自分でも分からない。




 ―――ス―


「は……」


 ――風が吹いた。

 突き抜けた風は耳鳴りにも似た咆哮……例える物がなく風と称したが正確には違った。自然に流れる一陣の風ではなく流れたのは刺し貫くような鋭く細い刃。


「なっ」

 音と衝撃が走り去った後に、漏れた言葉は開いた男の口から、甲高い音に弾かれて緑の刃は宙へと舞い、砂の上へと落ちて埋没する。……男の反応は異様と呼べる程に早かった。衝撃に震える片腕を抑えて後方へと飛び退ると距離を置く。


 男の姿を目で追っていた私もその顔を見て驚いた。笑みばかりの印象しか残ってなかったオルイアの表情には見開かれた瞳があり、大きく開く口からは声にもならない呻きが漏れる。


「ハ」

 ……愉快だ。


 砂塵のベールに一箇所だけ穿たれた円状の小さな穴。覗き窓の向こう側から続く疾風が飛来し砂煙に新しい穴を作ると駆け抜ける。


 一閃、圧力すら感じさせる風の鳴りに、私とオルイアとの間に飛来した『矢』は地面に突き刺さり砂を巻き上げる。

 間を置いて二閃、新しく取り出した短剣を手に走り出そうとしたオルイアの目の前で飛来物は土を削って刺さる。


「バカなっ、バカな!何故!」


 慌てたように漏れるオルイアの言葉に……やはりコイツは信用ならない。最底辺の嘘吐きだ。一体何を、何を狂った事を言っていたんだ。


「ハハ」

 浮かべる笑みの遥か向こう、今度は自然に吹く風が砂を払い視界が開ける。転がった姿勢から私は立ち、オルイアは回り込むように距離を置く。遠く砂塵の上に立った小柄な影に手の中に構えた異形の弓。……その姿に胸に込み上げてくる判別の付かない衝動と同時に言う事を聞かないしょうがないヤツだと口から溜息は零れた。


 だがそれも仕方ない。『形はどうあれ命の削り合いをするのが冒険者だ』誰かに従って息を合わせてその通りなど無理な事なんだ。


「コワード君」


 少年は戻って来た。




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