17 逃げる訳でなく
「シャラクゼルよ」
「……は?」
短い言葉とすっと差し出された右腕にどう返していいのか分からずに女剣士の姿を見返した。断続的に響く振動に揺れる亀裂の天井からは砕けた石の粉がパラパラと舞い下りて、入口から見え隠れする黒い姿に生きた心地すらしていなかった。
「わ、私は、アンナ・ミリアっ、です」
女剣士に続いてか横から漏れる途切れ途切れの歯切れの悪い言葉。場違いな印象に瞬間内側に沸く嫌な感情を押し留めて相棒の姿を求めて影の中を見渡す。少しだけ離れた壁と地面の合間に隠れるように置かれた濃い茶色の姿が目に入り立ち上がりながら一目散に駆け寄ると手に取った。
カリカリカリと岩を削るモンスターの爪の音が不気味に響く中で手にしたクロスボウを細部まで確認するように腕の中で回す。金属部分である巻き取り機に連動した引き金も動かしてみれば問題無く、備え付けの弓を支える土台に歪みや折れた箇所などが見付らない事まで確認すると、そこでようやく安堵出来たように重い吐息が自分の口から零れ落ちた。
「すまないけれど貴方の名前は?」
「……あ」
女剣士のやや声の低い問い掛けにクロスボウへと落としていた視線を戻すと差し出した右手は所在無さげに腰へと戻す姿が目に入った。……少し横目に見えた少女の方も少し難しそうな表情で。そこまで来て自分が何か失態をしてしまった事に気付き腕を下げ姿勢を正して向き合った。
「ごめっ!じゃ、ない。すまない!オレはアル……」
……滑る口で言い掛けた言葉を途中で思い留め、シャラクゼルと名乗った剣士にミリアと名乗った少女へと目を向けた。どう見ても冒険者然とした恰好の2人に。頭の中でディガーの暢気そうな顔と言い含める様に伝えていた言葉を思い出して、慌てて繕うようにして笑みを浮かべるとさっき言い掛けた事を『なかった事』にして口を開く。
「コ、コワード……」
「コワード?」
「ああ、うん……名前が。一応、冒険者だ」
……口にしてから自分で情けなくなってくる響きに女剣士からは変に訝しむような様子がなくて助かった。その代わりに「コワード、コワード」と何度も反芻するように口の中で呟き、その後少しだけ柔らかくした笑みと口調へと変わった。……意識を取り戻してからこっち少し硬く冷たい印象を受けていた剣士の言葉だったが、案外とこちらの柔らかい方が素に近いのかも知れない、そう思える程自然な笑みだった
「コワード君ね、こんな状況だけれどよろしく。私とミリアも貴方と同じ冒険者よ、見れば分かる?」
「……まぁ」
「私達2人はカヘル冒険者ギルド所属の冒険者で今は一緒にチームを組んでクエストを行っているの。貴方もここに居るって事は所属はカヘルで間違いないのよね?……ギルドホームでは余り見掛けた記憶は無いのだけれど」
「あ!いやっ、つい最近登録を!」
「そう?」
「……ええ」
どうも話しが変な方向に進んでいる気がした。意識してても勝手に反れてしまう視線にごまかし混ざりで腕の中のクロスボウを装填前の状態に巻き戻すと肩から掛け背中へと回して立ち上がる。少し落ち着こうかと息を吸う瞬間に狙ってかどうか一際強く壁を叩く衝撃が伝わり亀裂の中は揺れる、前後左右にもれなく揺すられる衝撃に自分は壁へと手を付けて何とか耐えるが、ミリアの方はそうはいかないようで振動に揺らされるまま倒れ込み、地面に投げ出された格好に向けて手を差し伸べようと近付くが自分よりも先に近くに居たシャラクゼルが付き添い少女の身体を手で支えた。
「貴方は普通に動けるのね」
「はい?」
「……いえ」
屈んだまま視線だけはこちらに向ける女剣士は何かを考え込む仕草を見せていた。
壁を揺らした衝撃の主であるモンスターは亀裂を広げようとでもいうのかそのまま何度か体当たりを繰り返し、そのまま一旦頭を引くと長い胴体と脚で砂を搔き入口扉を身体で隠した。
入口が塞がれてようやく光に慣れたと思えば再び戻される暗い闇。
何も見えないという状況も今度は行き場のない閉鎖空間だと理解してしまっているせいもあってか尚の事性質が悪かった。頭の中では平気だとは分かっていてもどこか息苦しい胸の圧迫に遅く流れる時間。唯一聞こえてくる岩壁をこするモンスターの擦過音に細かく落ちてくる砂の粒が頬に当たると周囲に跳ねる。
「コワード君もあの男に会ったのよね」
「……え?」
暗闇に響く女剣士の言葉に顔を上げて見た。少し鋭さを増した声音に完全に姿は見えなくてもその方向へと向かって視線を向ける。暗い影の中で声は続いた。
「貴方が倒れている間にミリアから話しを聞いたの、君もあの男に落とされたのでしょう。……緑の短剣を持って白いコートを着た背の高いにやけ面の男。……思い出しただけで腹の底が煮えくり返りそう。……だけど貴方には感謝しているわ。ミリアを守ってくれていたんでしょ?立派なナイトだったってこの子が自慢して言ってたわ」
「っ!シャ、シャラ、さんっ」
剣士の言葉に続く小さな慌てる様な呟きに、暗闇に紛れた状況にも関わらず聞こえてくる微かな笑い声。
「……」
軽やかなその響きに自分は非常な居心地の悪さを感じていた。
それは女剣士の素直な感謝の言葉でもあり少女との笑い声のせいでもあるが、何よりも最悪な事に自分は『腹の底が煮えくり返りそう』と称した人物に対して心当たりがあるのだ。
ゴート・メイスン。
頭に浮かぶ聞きかじっただけの名前が白いコートの男の姿とどうしても重なってしまいその事を言いだせず自分はひたすら口をつぐむ。
別に知ってる事を話してしまったとして自分自身もゴートに襲われた被害者である事は変わらない。……だがだからといって下手な事を言ってしまい自分が仲間なのでないかと疑われる可能性が怖かった。この神経をすり減らす状況で少しでも対立してしまう芽は全く必要じゃない。……だから黙った。騙す訳でもなくただ腹の内の一部を明かさずにいる事は悪い事でも何でもない。だけどこの瞬間に確かにほんの少し……今の状況に対して小さな猜疑心のようなものが胸の中に生まれ落ちていた。
「あのモンスターは?」
ギギギギと響く物音に耐えかねずに聞いた言葉に2人の女性の笑い声は止まる。一息の呼吸を挟んだ後にシャラクゼルの方らしい凛とした言葉が響き質問に応えた。
「私も詳しくは分からないわ。あんなモンスターは見た事も無い。……見た目の形からモンスター化した甲虫の一種だと分かる程度だけど、あそこまで大きくなった個体なんて聞いた事が無いわ」
「そうですか」
……元から、余り期待を込めた言葉じゃなかったが単純に知らないという返答には微かな落胆が湧いた。もしかしてこの女剣士ならと案外あっさりとあのモンスターを倒してくれるのではないかというそういう安い期待があったからだ。ついさっき無事に助かってしまったと錯覚してしまった分、重い現実がより一層重責を持って圧し掛かるように感じられた。
「……はぁ」
完全に追い詰められた状況に、思考はどうしても悪い方に悪い方に、虚勢で無理にごまかして頭を振り払うと今度はシャラクゼルの方からの問い掛けが流れる。
「コワード君、貴方は毒を受けていないの?」
「……毒?なんの事です?」
尋ねられた質問の意味が分からず聞き返してしまうと、数秒間の沈黙が流れた。暗い影の中で女剣士の表情は分からず土擦れの音に聞こえてくるのは互いの呼吸音。何でもいいから何かを言ってその場を流そうか迷い出した所で今度は少しだけ低い、真剣そうな硬い言葉が漏れる。
「コワード君……貴方に1つお願いがあるわ」
「……はい?」
硬いその言葉に嫌な予感を感じながらも聞き返す。横から聞こえる小さな息遣いに姿は見えはしなくても少女の不安気な顔色が目に浮かんでくるようだった。
――――――――――。
「次のチャンスで行くわ」
「……」
言い含め何度も言い聞かせる言葉になんと言っていいか分からないでただ頷きだけに留めた。少し横へとずれた甲殻と壁との隙間から差し込む光に亀裂の奥の方になるべく背を押し付ける形でうずくまったミリアの姿が浮かび上がる。
「……」
あまり気は進まない。
手に取り構えたクロスボウのトリガーを握り締め息を吐く、既に装填済みの矢を更に少しだけ硬く絞り直すとシャラクゼルの合図と時機を待つ。
……気が進まない原因はミリアの顔にもあった、何も言いださなくても振り返れば見えるありありとした不安と困惑の色。注いだ視線に目を合わせ辛くなりすぐに視線を外すと前を向いた。
ギ ギギ ギギ
相変わらず壁を擦る嫌な音。鋼材を打ち合わせる歯軋りにも似た咆哮。亀裂の直ぐ入口付近で立ったシャラクゼルは既に剣を抜いて刃の先を外へと向かわせて構えを取る。両手で握り締めた柄に込められた力から窮屈そうな音を立てて、トリガーを握る指先に自身の汗の雫が零れ落ちて細心の注意を払って狙いを付ける。
……正直に、自分の嫌な部分と向き合ったなら、シャラクゼルの『提案』を受けて少しだけホッとしてしまった自分が居た。決してその事を表に出さずに、自分を恥ずかしく思って歯を噛み合わせた厳しい表情を保ち続けた。
間違ってもそう思ってなどいけないはずが。
「……行くわ」
「っ!」
……これで、自分だけは助かるなどとそんな邪な思いを感じてしまった。
響くシャラクゼルの掛け声に黒の甲殻が揺れ一旦距離を離すと亀裂の縁から鋭い牙が差し込まれる。岩の壁を噛み込む顎の先に狙いを定めてトリガーを引き抜くと瞬間放たれる矢が宙を駆ける。射出からの秒も挟まずに接触する垂れた涎のテラテラと光る黒い甲殻。僅かに表面を削り出しそのまま滑ると矢の先は亀裂の外へと向けて飛んで行く。
「ハアアアア!」
モンスターにも負けない気合を込めた咆哮にシャラクゼルは数歩強くモンスターに踏み込みと彼我の距離を一瞬で殺して両手で握った剣の刃を振り下ろす。牙と牙、硬い下顎の先へと斬りこんだ衝撃にモンスターの身体は少しだけ揺れ、耳障りに甲高い咆哮に混じって青色をした目にも毒々しい血の跡が空に舞った。
手にしたクロスボウを持ち直し、次の矢を番える訳でもなく肩掛けに納めると走り出す。
「ツっ、行って!」
硬い衝撃音に返ってくる反動まで強いのかシャラクゼルは浮かべた表情を歪めながら一歩引くと、息を吐き手に取る柄をもう一度強く握る。構えた剣を今度は腰貯めに、モンスターへと踏み込み迫りながら突き入れると牙の下部分を抉った。……初撃に比べ跳ねる血の量は少ないが深く沈んだ切っ先は鋼板のような外殻を重ね合わせた隙間を的確に貫いて、痛みに漏れる叫び声か、細く長い音色を糸引きながらモンスターの頭は亀裂の向こう側まで後退した。
「あああああっ」
クロスボウを背負い振り上げた足で地面を蹴って、腰を屈めた体勢から黒の影と亀裂入口との間を縫って外へと飛び出した。
――『コワード君には逃げて欲しい』
シャラクゼルにそう言われた言葉に対し強く反発して声を荒げた。
『はっ!そんな事!?』
立ち上がり表情を険しくした自分に対しシャラクゼルは彼女にとって恐らく最大限の、出来るだけを込めたであろう柔らかな笑みを浮かべて見せる。
『男の刃を直接受けてないコワード君なら走れるはずだ。だからカヘルに戻って助けを呼んで来て欲しいんだ、今の私達の状況を伝えて救援を』
「クッ!」
亀裂の外、地面の砂地に転がり出るように走るとすぐ近くで黒色の殻に踏み鳴らす無数の脚が迫る。
駆け抜けながら姿勢は低く砂の上を滑っていく。微小な砂粒の粒子に頭の上でモンスターの交錯する長い胴体が跳ねて砂塵が飛んだ。
「ああああ!」
迫ってくる圧迫感に負けずに前へと走る。頭上から降る咆哮に自身が巻き起こす砂煙に巨体の振動に合わせて揺れる地面。シャラクゼルの短くも鋭い掛け声が響いて金属同士を打ち付ける甲高い音が響き、黒きムカデの長い胴体はうねりを上げながら亀裂へと向かった。
「っ」
ギ チチチ
亀裂目掛け頭から壁に刺さる巨体に弾かれた岩の一部が砕かれた欠片となって砂地に降り、連続的に響く落下音に足を止めずに懸命に走り抜けた。
「とっ、く!ああああああああっ!」
もつれあいよろけながらも砂地を蹴り続ければ次第に周囲で立ち昇る砂煙は少なくなり、喧噪も衝撃の音もモンスターの咆哮まで段々と遠くなって行く。
振り返ってみれば既に遠い壁の影にモンスターは依然として亀裂の前に張り付いたまま、こちらに向けて首を巡らせる事すらしなかった。
「なん、で……」
……多少は気を引いて走るつもりだった。1人だけ窮地から逃げ出す罪悪感に少しでも引き連れて離れようとしたはずだ。
無理にそちらを追う様子を見せればこちらでも引きつけてみせると力強く言ってくれたのは女剣士の言葉で。その言葉通りどころか全くと言っていい程、モンスターは自分に見向きもしない。
……戻ろうか。迷った瞬間に足が止まり掛けるが砂上に響く言葉がその動きを止める。
――行って――!
「クっ、くそ…!」
息を吐き出し頭を前へと固定させると砂を蹴る。……どちらにしろさっきのままでじゃどうしようもない状況だったんだ。だからこそ助けを呼びに誰かが走るのが一番いい方法で適任だったのが自分だっただけ、任命したのも残された側の人だ。
「っ!ク!ああ!」
少女を連れて逃げた時とは違う。物理的な痛みとは毛色の違う胸の痛みに走る速度を速めると背後は振り返らずに。
自分は逃げた。
「ハッ、ハッ」
…………そのままどれくらい走ったのか、砂に覆われていた地面は少しずつ硬い石の感触に変わり始めそれに合わせて周囲の景色も変化した。頭上に見えていた空の景色は少しずつ縮まって両側の壁は中心に向かい迫る。砂で一杯の道が硬い岩盤に変われば蹴り上げる力も強くなり速度も比例して上がっていく。周りの景色の変化は自分『だけ』は助かったかと思わせるには十分な強さで。胸の中にくすぶる使命感に燃えるフリ。歯を食いしばりバクバクと暴れる心臓に耐えるポーズを。
歪めた表情に写る光の強さは次第に陰りを見せていき頭上の青が迫る岩によってついに姿を隠せば周囲に暗い影が満ちてきた。上から見えていた亀裂の穴がようやく終わり周囲は普通の坑道のような姿へと変わっている。
「ハァッ、ハァッ、ハァ!」
過度な速度に火照ってしまった肌に黒く冷たい風は少しだけ心地良い。耐えられる限界まで駆け抜けた身体は呼吸と休憩を欲してゆらゆらと揺れながら近くの壁に手を添えると荒い呼吸が口から漏れた。
「ハァッ…ハッ……ハァッ」
ゆっくりと振り返って見れば大分離れた砂の通路に自身の背後を迫って迫ってくる姿はどこにもない。
「ハァ…ハァ……ハハ……ハァ」
……この時自分の口元がどう曲がっていたかは考えたくなかった。
「……ハァ」
息を整え再び走り出そうと前を向く。通路の片側を目指して駆け、こちらに向かい本当に出口があるかは分からなかったが、自分には助けを呼びに行くという大切な役割がある。その為にはなんとしてでも外へと通じる道を探そうと周囲の薄暗さに視線を光らせる。
「ハ……あ?」
その時……チャリン、と……やけに涼しく聞こえ甲高い音色が壁に響く。音の出元は前方の暗がりから背後から薄く差し込んだ光にぼんやりとした黄色い光が浮かび上がり地面の上を転がっている。
「は」
やや傾斜となった床を転がり進む黄色は円形の形、僅かな石の粒に跳ねて前進するとコロコロと自身の靴へとぶつかって跳ね返ると回転を停止させた。そのまま横倒しに倒れたの姿は一枚の金貨。ややいびつに歪んだ凹凸に細やかな細工が光る。
「……お招きに応じ」
暗がりの先から声が漏れた。
本当ならば笑い出してしまいたいのを必死に抑えている様なくぐもった響きに地面を見つめていた視線を上へと上げると目に写る人影に動きが凍り付き目を見開く。
「再びお会い出来て光栄ですよ」
三日月状に曲げた口の端を釣り上げて、通路の影に佇んだ白いコートの男はそう言うと愉悦に染まった目元を微かに細めさせた。
――――――――――――――。
「行けた……」
コワードと名乗った少年が無事に走り去ったのを見届け私は小さく息を吐いた。亀裂の中に奥で身体を伏せながら見上げてくるミリアの不安気な瞳が目に写る。
ミリアの心細い様子も分かった。助けを呼ぶ話しを持ち掛け、非常に狼狽えた様子を見せた少年にも……大層に嫌な事を押し付けてしまったと負い目も感じた。あの巨体なモンスターからミリアを守り続けた少年からしてみれば、どれだけふざけた行為なのか、他人を見捨てる事を強いられた彼の心情は私では推し測れない。……しかしそれでも、最後に納得した様子を見せてくれた彼に対して私は感謝したい気持ちで一杯で……それにもう1つ、頭の片隅に浮かんでいたある疑問を払拭できた事は大きい。
「やはり彼は狙わないの」
ギギ キキキキキ
擦れた咆哮に幾度となく亀裂の中へと入り込もうとするモンスターに私は顔をしかめさせる。初めにモンスターと対し、彼をオルイアの味方かと勘違いしてしまった時から微かに変な感じはあった。あの弓矢の射撃に当たりながらもモンスターの視線は私達から離れる事なく、最後に彼を叩き付けてみせた行動も単なる偶然の産物にしか思えなかった。
だからこそ彼に助けを呼んで欲しいなどと願った。彼は狙われないのではないかという思惑と同時に、もし仮に思い描いた通りであるならばモンスターの狙いはあくまでも私達だけで、彼は単に巻き込まれてしまった可能性も高い。
ギルドホームで依頼を受けた時に見たオルイアも、私達2人だけに依頼を委託したはずだ。……そのまま他の誰かにも同じ話をしたかと思うと少しだけ違和感を感じる。
「……」
モンスターの衝突に合わせパラパラと零れ落ちる石の欠片に私は静かに歩み寄りミリアへと近付くと片膝を突いて視線を合わせた。
「ミリア」
声を掛ければ反応し見上がる瞳にまだ少しの幼さを残す顔。……三人同時に逃げたとしてもあのモンスターから逃げ切る事は不可能かも知れない。執拗に狙って来るのが私達だと断定出来た今なら自分では全く走れないミリアを連れて脱出を図るのは厳しい事だろう。
衝突の旅に揺れる亀裂も既に入口の壁は踏み込まれた牙に爪とで口を大分大きくなっており、振り注ぐ砂の欠片は崩落の匂いを感じさせて止まない。所詮はただ偶然に見付けて逃げ込んだだけの避難場所でそう長く保つものでもないだろう。
揺れるミリアの瞳に真っ直ぐに見つめ返して口を開く。
「ミリア、貴方はここで助けを待っていて……大丈夫、きっとコワード君ならすぐに大勢の人を連れて来て帰って来てくれるわ。貴方を守ったみたいにね」
少しだけしか会話していないが私は彼にかつてのカヘルの冒険者の姿を重ねて見た。……多少大げさに過ぎるかも知れないが、それでも必死にミリアを助けていてくれた事は素直に賞賛出来た。
「っ!シャラさ…!」
ギギ
ミリアの言葉に重なってモンスターの咆哮、再び亀裂の中へと押し入ろうと長い首を伸ばす。
「だから!それまで耐えて!」
……私には罪悪感があった。
立ち上がり地面を蹴るとまだ迫り切っていないモンスターの頭と亀裂の壁との間を擦り抜けて外へと走り出す。
モンスターの変化は明白だった。コワード君の駆け出して行った時とは比べ物にならない、開かれた口から漏れる甲高い咆哮。降り下ろし掛けた牙の矛先を私へと切り替えると首を巡らし追い縋る。
……それはモンスターの、オルイアの目的は私だけであり、ミリアも彼もただ巻き込んでしまっただけなのかも知れないという強い罪悪感。
「ツ!」
爆ぜる砂に追い駆ける風が身体を叩き視界を邪魔する砂のベールの奥に擦れたミリアの叫び声が響く気がした。まだ万全とはいえないがそれでも駆ける。勿論私だけで全て背負い切れるなどという過度な自信はない私自身も少年に賭けていた。だからせめてギルドからの加勢が届くまでの間ミリアから気を反らし、かつ私自身も隠れられる別の場所があればそれで。
「来なさい!」
ギキキキキキ
言葉が通じるはずもないだろう、しかしモンスターから返る明確な意思の現れに私は砂地を蹴った。誇り高い同じ冒険者の影に一片の疑問すらも差し込まないまま。