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14 千足

「抜きますよ」

 声を掛けると強く少女は目を瞑り顔を伏せた。少し不安気なその様子に指先に掛かる力は弱まり掛けるが意を決すると手にした短剣をゆっくりと引き抜いていく。ズブリと鳴る音に合わせ顔を表す黒く汚れた刀身に…やや糸を引いて見える赤色の付着物を意識して見えないように気につけながら急いで傷を抑え込む。抜き出す前に用意をしておいた役目を終えた金糸の袋の、出来るだけ綺麗な部分を押し付けると苦しそうに漏れる小さな呻き声が耳に聞こえるが今更手を弱める訳にもいかない。取り外した付属の紐を幾重にもしっかりと結わえ付け強く抑え込むとゆっくりと力を抜いて行き。

「はぁ」

 …腕を離した後に皮袋の絵柄に血の汚れが染み出していない事を確認すると口から安堵の息が零れ落ちた。後は見た目からは判別し切れない止血の効能に期待を寄せ心の中で祈ってあげる事くらいしか今の自分に出来る事は無かった。


「えと、立てます?」

「んん」


 様子を伺いつつ掛けた言葉には、実質の所かなりの希望が込められていた。出来れば自分の足で立ち上がってくれて歩いてくれる事を期待していたが返ってくるのは小さな呟きに首を左右に振る仕草のみ。…亀裂の薄暗闇に隠れ自分の顔に浮かんでしまう落胆の色を作り笑いでごまかして差し伸べる手を少女の腕に回すと静かに掴み取った。


「ここは危険かも知れないから…立たせますよ?」

「…ぃ」

「…行きます」

 手にした腕を肩に担ぎ腰に力を込めると少女の体を支えて立ち上がる。

柔らかな砂地は踏み込む重さに足は沈み込み、2人分の重さに装備の荷重まで追加した肩は変な音を上げて痛みに軋んだ。いくら小柄とはいっても力の入っていない人間1人はかなり重くて、歩きもしない内から眩む足元にすぐ傍から見上げてくる心細げな視線に気付くと苦し紛れな息を吐いて前を見つめた。


「ッ、へいき、へいき…行きますよ!」

「は…ぃ」

「だい、じょぶっ、じょ…!」


 …全然大丈夫じゃない。

 一歩踏み出すごとに踵まで埋まる足首から靴の中へと向けて細かい砂塵は容赦なく入り込みザラザラとした感触は気持ちが悪い。…今にして思えば崖上の男の行為はある意味道理に適ったものだったのかもしれない、自ら動けない人間は下手な重しよりも断然重くてそれを担いで運ぼうなんてバカみたいな行動は死ぬほど疲れる、しかしその反面自分は違うんだというアピールに気分だけはよくし。痛む身体を頑なに無視すると足を踏み出した。

「とにかく、逃げます!安全な、とこに行ったらっ、そこで、話し!」

「…ぃ」

「ツゥウ」

「……めん、な、さ」


 途切れ途切れに聞こえる呟きに耳が拾い上げる小さな謝罪に胸の奥がチクリと痛んだ。見栄を張りがんばろうとする表側の正義感の裏でくすぐるように触るこの痛みは言葉にしてしまえば『罪悪感』というもので。

「…クソ」

 漏らす悪態がこの状況に対してか、それとも自分自身に向けたものなのかはよく分からなかった。



 ――どうしてこんな事になってしまったんだろう。薄く開いた少女の目を正面から覗き込み最初に思い浮かんだ事だ。女の子だというのに顔中に走った細かい傷に全身砂だらけの酷い有様、乾いた唇が何かを喋ろうと動くたびに心の中をどうしようもない申し訳なさが溢れ、視線を恐れて顔を背ける。


『く、くくく!くくくくっ』


 胸に思い出す見下す笑い声に、何故立ち向かわなかったのか、そうすればもっとマトモな状況じゃったんじゃないのか?

 堂々巡りを始める思考は責め立て自分の情けなさばかりを浮き彫りにしていった。崖の上で男と対峙した時にもっと泰然とした行動が取れれば少女を助け出せたかもしれない、こんな酷い姿だって見なくて済んだだろうに。加速を続ける自分の理想は頭の中だけで笑う男を圧倒してみせてナイトよろしく少女を助けて見せるのだ。



「ッ、く」

 吐き気のする理想にもっと吐き気のする自分の姿に歯噛みを繰り返すばかりなのに少女は言う。

『恩人…だ、ね』

「……」

 震える口が開きそう言葉を伝えた時に本当であれば「どこがだよ」と叫びたかった。

『ぁり、が…と』

 弱々しい感謝はもっと意味が分からない、自分を殴り「何がだよ」と問い詰めたい気分で一杯になる。



 決して少なくは無い部分で自分の責任は多いんだ。

「…くそ」

 小さな毒づくは少女の耳には届かないように聞き取れない言葉で吐き出して前を見上げる。安全な場所に、なんて口にしてみたが実際にそんな所があるか分からない。長い砂地の通路の行き先は前と後ろの二方向しかなくて勝手なカンだけを定めた片方に向かってひたすら歩を進めて行く。

 うまくすれば本当にこの亀裂の底から抜け出せるかもしれない。そうすれば帳消しとは言わなくてもせめての罪滅ぼし…そんなセコイ事を考えて重さに勝手に鈍ってしまう足を叱咤して前へと進んで行く。決して早いスピードではないが少しずつ流れて行く風景に荒い息を吐きながら歩いていると目前のある砂地の一箇所に目をやった時、不思議な違和感を感じて足を止める。


「あれ?」

 零れた呟きは本当に純粋な疑問から、目の前で起こっている様に見えた小さな『変化』に目を擦り再びじっと視線を送る。


「?」


 突然立ち止まった事に反応したのか肩を貸して歩く少女も顔を上げて前方を見つめ固まっている。何か変に思えたのは少し積もって見えた砂山の一部だ、初めはそこ一点だけかと思い注視を込めていたが、よくよく見渡してみれば同じような変化は砂地全域に起こっているようで。少しだけ湧き出す嫌な予感に身体は固まり凝視する視線は細まる。


「地面が…動いてる?」


 …それは気にしなければ分からない程度の揺れだったが一度気付いてしまうと何か大事であるように胸に感じた。小さな振動に小粒の砂塵が飛び、壁際では硬い岩肌にぶつかり跳ね返る白い砂が目に入る。視界に写る振動に合わせ足の下から遠雷のようにゆっくりとしたペースで響いてくる物音に立ち退る足は一歩引き、音の出元を探って首を巡らせる。


「なんだよ…」


トン


トン


トン



 一定の感覚で聞こえてくる音に膨らむ予感は背中の上のクロスボウへと指を伸ばす。支える少女の体は肩で受け止め抜き出した武器の先端を砂に下ろすと鉛のハンドルを握り絞り込み屋を引き絞る。

「…」

 発射の用意は終わったが、しかし一体どこを向けばいいのか分からなかった。響く音に跳ねる砂は通路の前後に関わらず一様に起きているようで視線を前後左右に…もしかしたら居るかもしれない亀裂の上の縁まで…忙しなく回りながら警戒を強めていると、前振れもなく不意に響き渡っていた音は唐突に止まり、跳ねる砂も落ち着きを見せると辺りは静かになる。




「……ごく」

 

 ここで「なんだ気のせいか」などと安息出来るほど自分は余裕のある人間じゃ無い。風の通り道に吹き抜ける音だけがやけに大きく聞こえてくる静けさに唾を飲み込み、周囲をくまなく警戒しながらクロスボウの照準を走らせる。


 出来れば今すぐ走って逃げ出したい衝動も、そんな事は出来ずに、少女に小さく目をやるとその口が小さく開かれ短い呟きが零れた。


「ぁ」


 …何かを見付けでもしたように開かれる大き目の瞳に視線の向かう方向を自身も追うと矢先を滑らせトリガーに指を掛けて合わせる。

 カシャリと鳴る相棒の声の向こう側に、砂色一色の地面の上で一際異彩を放つ物体が顔を出しているのが目に入る。

 …それは、丸みを帯びた長方形のように…硬い外観の大きな『岩』のように見えた。黒一色の表面に差し込む陽の光の少ない薄暗闇にテラテラと光る肌。油断なく構えて注視を怠らない先で『岩』かと思えた何かは微小な振動を繰り返し小さく動き出す。


「…なんだよ」

 身動きの取れない少女を庇って前へと一歩踏み出しトリガーで睨みを効かせていると黒岩は蠢く振動を停止させ金属同士を擦り付け合うような歪な音を立て『スライド』していく。元からそういう構造であるのか黒地に見えにくい切れ目に沿い外殻と外殻とをずれこませて中から覗くのは蠢く影。小さく伸縮を繰り返す暗がりの中に一際輝く淡い緑の光球が影の中を自在に動きくるくると回りながら周囲を見る。

「は?」

 注意はしていたはずが思っていたのとは違う動きにぼんやりと光を見返していると。再び響く鈍い擦過音に開かれていた口は閉じ。鳴りを潜めていたはずの地面の下からの振動は急に復活し、上下左右に激しく動き回り周囲の砂は振動に沿って空へと跳ねられると宙を舞った。


「くっ」

 反射的にトリガーを引こうか迷うが、それよりも先に崩れる足元の砂に抱えた少女は巻き込まれて体勢を崩し、それを支える形で地面に膝を付くと周囲で吹き出す砂が間欠泉のように高く舞い、砂塵が視線を隠した。


「なんだ…クソ!」


 最早警戒も何も無い。カンで狙いを付けた方向に向かいトリガーを引き込むと射出される矢が砂のベールをきりさき鋭く走る。

 数秒と待たずに響く衝突音はカンっという高い音色。視界を塞ぐ砂の壁の晴れるのも待たずに新しい矢を番え素早く引き絞ると少女の体を手で引き、肩で担ぐと立ち上がる。

「……」

 音はしたはずだ、だから命中した事に間違いはない。



「なんだよ、どうなって…!」

 響く振動は止まずに次から次へと吹き出す砂の吹き出し。視界を閉ざす砂塵にどちらを向いて狙えば分からず少女の体を寄せて辺りを見渡していると薄暗かった周囲が更に光源を失い暗くなったように感じられた。

 舞い上がった砂が太陽まで隠したか…そう思って上を向き、亀裂の底を走る風が煙を払っていくとその姿は目に入った。


「は」


 切り取られた空に見える青色を下から塗り替える黒の影。見上げる視線にその全容すら納め切れずに逆光を背負い揺れる巨体から歪な擦過音が辺りに響き渡った。


ギ キチ キチキチキチ


「なに、が…」


 反射的に狙いを付けるクロスボウが空の中を睨み…そして震えた。

 揺れる影には最早疑いようもない意思ある動き、長く連なる黒色の外殻は光を吸ってぬめりと輝き。長い胴の途中から巻き取り折り畳められた長い脚がぎこちない音に伸ばされ、節目の爪が地面の上をカリカリと削る。


 無数の足に目を覆う長い身体。影を落とす壁に三度金属の擦れ合う歪な音が響くと先端の塊が機械仕掛けのカラクリのように動き出す。

 スライドしていき蓋を開けるのは最初に目にした岩と思っていた部分。甲殻の横へとずれた隙間から覗く暗い影の中には細かい線がもぞもぞと蠢き、唯一光を放っている緑色の瞳はぼんやりと地面を見下ろしながら影の中を泳ぐ。…今度はもう一箇所開く部分がある、恐らく同一の頭にあって最初は開いて見せなかったもう1つの切れ目に、岩の中心部から上下に開き切ると中から覗く赤色の舌に細い針のような牙は無数に並び滴る唾液は大きな水滴となって空から零れ落ちる。


「は、ァ?……っ!」


 一瞬、考える事を放棄しようとした頭が我に返ると少女の体を支えて後ろに走り出す。少女の口から細かく漏れた呟きが果たして肯定だったのか否定だったのそれゆら分からず、とにかく無我夢中で走り出した。

「――ッ!く、ハッ!」


 …アレは、無理だ。


 脳内を走る警鐘に後ろ首を回して見上げる高さは既に亀裂の最上段まで達し空を隠して巨大な身体を左右に揺れる。ただ揺れ動きぶつかるだけの衝撃に壁は大きく岩肌を剥がし、落ち行く欠片が砂塵に没すると高い砂煙を上げた。

 鎌首をもたげて立ち上がる姿はムカデに近い形状だった。全体を連結させる長い身体に頭から覗く緑の一つ目と猛獣を思わせる鋭い牙は虫に似つかわしくはない。長い身体に合わせて数百は見える節足の足はそれぞれ好き勝手に動き蠢き全体の姿の巨体さを差し引いても胸を込み上げてくる気持ちの悪さと恐怖は胸を掻き立てた。


 キチ キチ キチ キチ


「くっ、ハ!」


『…ここ数年の間はモンスターの発生も新坑区周辺だけで収まっていて……旧坑区は…』


「どこがだよっ!」


 口から漏れる叫びは一体何に訴えかけたいのか、理不尽な巨大さに駆け出す足はもつれ合い吸い込む息の足りなさに呼吸音はか細くおかしな音を立てる。緑の光を漏らす亀裂は擦れ合う嫌な音を立てて閉じ込んで行き、残された開く口からは巨大な摩擦音にも似た叫び声が壁に反響してこだました。


 ギ ギギギギギ


「く、う!」

 必死に開かせ稼いだ距離をあざ笑う、巨大な影に向けて手の中のクロスボウを再び掲げるとろくに狙いも付けずにトリガーを押し込んだ。

 巻き取り器の駆動音。風を切り射出される矢は光を遮られた影の中を進みムカデの甲殻に吸い込まれる様に飛んで行く。


「くッ」


 衝突の瞬間。鳴り響いたのは余りにも軽いカツンという高い音色だった。巨大な甲殻に喰らい付いた矢は突き刺さる事も表面を削る事すら出来ず無残に跳ね返されると砂地の向こうに消えて行く。傷跡すら残らない身体に…それ以前に巨体過ぎる影は走る通路すら小さく見させ焦りを一層に掻き立たせた。


「っ!走れないか!!」

「…っ、めん、な」

「グ…!」


 溢れる焦燥からぶしつけに漏れる言葉に返ってくるのは首を横に振る反応。

 …分かってる、何をバカな事、落ち付けっ……少女が悪い訳じゃなく遅々としか進めない自分の足の遅さを恨み、目を反らすと影はゆっくりとこちらへ向けて倒れ込んで来た。人にしてみれば砂の上からの膝立ちに地面に向かって上半身を投げ出すだけの簡単な行為に過ぎないだろう。しかし見上げる巨体の開かれた口が、頭上の空すら覆い隠す巨大な姿の追い縋る様に心の底が悲鳴を上げる。


「ッ!」

 鋭く息を吐く。どうにかなるなんて理性的な行動はなくただの反射に少女の身体にクロスボウも抱え込み必死に前へと踏み出した。

 一歩、二歩。時間を追う毎に増していく重圧に周囲を染め上がる巨大な影。

 衝突の瞬間を肌で探り、その手前で大きく足を踏み出すと身体ごと飛び出して地面の上に身を投げ出す。


 瞬間、背後から追いすがる爆発した様な粉塵に衝撃は身体を叩き、砂煙が視界を隠す。瀑布のような砂の洪水に煽られ更に距離を離すと地の上に身体は落ちた。


「ッ」


 衝撃の跡を示す様に飛び込む砂に大きな穴が開き充満する砂塵が呼吸に付け込み口の中に入り込んで噛み締める歯にジャリと硬い感触が混じる。

「ヅ、ぐ…げほっ!ハッ!」

 胃の底から込み上げる衝撃から口の中身を吐き出すと唾液に混ざり砂の欠片は地面の上に落ち、息苦しさに大きくえづき身体はくの字に折り曲げれば砂色のベールを突き破って目前に迫る黒い外殻が蠢いた。


「ッ!」


ギギギ


 耳に聞こえる不揃いな叫びに身動きの取れない身体は反射的に左腕を前に出す、鈍い光の鎧の腕は差し向けるままに黒の波に飲み込まれ。


 身体は空を舞い砂の上を跳ねた。


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