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13 自己保身の救世主

 息が詰まっていた。薄く目を開く視界に写るのは一面の黒、包み込む風は冷たく身体を打ち、なんだか何もかもが遠くで起きている別の出来事のように感じられた。



「――ッ!」


 全身を覆っていた浮遊感が消え去った瞬間に背から襲う強い衝撃に意識は揺り動かされる。圧迫に押し出された空気の塊は肺から押し出され低く鈍く鳴り響く衝突音に視界一杯を埋め尽くす茶色の壁が現れる。壁の正体は極小砂塵からなる砂の塊、舞い上がり空高く昇る砂塵は、煙る視界となって比較的比重の重い小石や石片が身体を打って降り注ぐ。


「っ、ク、はッ!なん、だ!クソ…ぶぇッ口の中まで」

 降り掛かる容赦の無い砂塵を押し退けて立ち上がると走り出す。視界も邪魔されて前も見えずに…それでも逃げ出さなければいけないという妙な焦燥感から足は駆け出し数メートルと進む前に硬い衝撃によって行く手を阻まれその場に尻もちをついて倒れ込む。

「ツ、ぐァァアッ」

 やや前傾姿勢気味に走ったのがいけなかったんだろう勢いよく頭からぶつかる何かの衝撃に視界はくらりと曲がって星は瞬き、背中を襲う痛みに周囲を煙る息苦しさ、出来立ての頭の痛さ。もう何もかも滅茶苦茶であり現状も飲み込めずに混乱する頭で両手をバタバタと振るっていると指先に何かが当たって跳ねた。


「あ?」

 チャリン


 障壁とは異なり手に触れる硬い感触を確かめてみると自身の胸の上、妙に軽やかな音色がするので視界を下げて行けば折よく砂塵も風に払われ始めクリアとなった視界の中に自身の姿と、そして胸に生えた緑の遺物が目に入った。茶褐色の革を突き破り堂々と胸から生えた先の剣の柄、刀身は深々と『内側』へと身を沈め深く胸に突き刺さっている。…一瞬何が起きたのかが理解出来ずに刃を見つめるが、やがて回り出した頭が状況を察すると倒れ込んだ砂地の上で後ろへと向けて腕は砂を搔き、全力で後ずさる。口から漏れ出す意味のよく分からない叫びに凶行から視線を反らそうと距離を取るが…そもそも突き刺さっているのが自分自身の胸なのだ、どれだけ逃げようとしても視線から外れる事はない。


「わ、わわわわっ!わあああ!」


 半ば半狂乱に後退を続けていた腕がもつれ合い崩れると後退は止まる。

そもそもなんでナイフなんか生えているんだよ?声にもならない悲鳴に身体を濡らす赤色に目を向けてみれば…。

「…赤?」

 …見下ろした自分の体に黒い血の跡は見えなかった。

 しかし、確かに緑の短剣は自身の胸から突き刺ささっている。湧き出す疑問が頭を傾げさせ、尖った刃に触れないようにそっと手を胸に当ててみるが皮膚を裂き肌を破るような鋭い痛みは感じずに、せいぜいが伸し掛かり肺を圧迫するようなさばった何かの痛みだ。


「ッ…ごくッ」

 震える喉で唾を飲み込み、指先でナイフの柄をしっかりと握り込む。

 …本来であれば刀剣による刺し傷などは無理に引き抜こうとはせずにそのまま安静にしておく事が正しい。下手に抜いて傷口を広げてしまえば流血を増やす事にも繋がるからだ。…しかし本来であれば傷を証明するはずの痛が感じられずに添えた指先にそっと力を込めて行くと突き刺さった短剣を抜いて行く。

 この後起こるかもしれない飛び出す血潮の幻視に強く目を瞑るが刺さった刃を抜き抜く中に続くはずのくぐもった水の音も耳には入って来なかった。水音の代わりに響く鈍さよりむしろ軽やかさを感じさせる甲高い金属の音色に薄く目を開いて視線をやれば敗れた装備の口から零れ落ちた黄色が目に入る。

 完全に短剣を抜き去った反動に砂の上を転がった破片に目をやればやや小ぶりサイズで指先に収まる硬いものだと分かる。伸ばす指先で破片のひとつを摘み上げればそれが何であるかがよく分かった。

「…金貨?」

 呟き胸内に手を差し込んでみれば本来あるだろうと思っていたドロリとした感触の代わりに触れてくるのは裂けた皮袋に添える指の合間を縫い転がり落ちてくる数枚の金貨に変形して破片と化した黄色の残骸だった。


「………あ」


 事態を追い切れずに未だぼんやりとしていた頭は浮かんだ閃きと共に今度こそハッキリと目を覚まし手の中の金貨を強く握り締める。…覚醒と一緒に思い起こされるのは白いコートに背の高い男の姿、寒気すら感じさせる緑刃の短剣。


 刺された事。落とされた事。感じる痛さの原因。次々と溢れるように出て来る情景に一通りの整理を行い…やがて安堵に大きく息を吐き出すと微妙な形となった微笑みが口元に浮かび上がる。


「助かった……はああああああっ…助かったぁ」

 指先を持ち上げて手にする袋を取り出してみればそれは金糸の細工を見事に刻み込んだ皮袋の姿。


『記念だし、気休めくらいにはなるか』


 …カヘルを出る前に自分自身でいった言葉を思い出し肩は降りる。…気休めどころじゃない、本当に助かった。ただの思い付きから胸に忍ばせていただけの皮袋に、中に詰まった金貨の山が自身の代わりに短剣を受け止めたのだ。

 貴重そうとはいえ今まではただの金銭に過ぎなかった皮の袋が今は後光差す黄色の輝きを纏っている様に見え何度も何度もお礼を口にする。…しかし助かりこそしたが最早破けてしまっている袋は袋として機能せずに次から次に溢れ出ようとする金貨を取り出すとリュックの中へと流し込む。…ついでに周囲に転がっている金貨の破片も拾い掻き集めると中へ…貨幣価値はしっかりと高い金貨であるのだ。勿体ない勿体ないと腕を動かし周囲にもう転がっている破片がない事を確認すると一段落して息を吐いた。


「はぁ…これで、よか………ハ」


 …いや、よくない。全然よくない。

「っ!」


 役目を終えてペラペラとなった皮袋へそして地面に転がる緑の刃へと視線を向ける。剣呑な輝きを放つ刀身を見つめ「うへえ」と口の中だけで呟くと嫌々に柄を手で摘み上げる。ぶらんと下がった刃は傍に持ち主のいない今でも自身を命を狙っている様に鈍く輝き…このまま何も見なかった事にしてその辺りに投げ捨てようかともちらりと考えるが少しの逡巡の後に腰後ろの矢筒を確認し空きスペースに無理矢理押し込めるとゆっくりと立ち上がる。

 視線を上へと上げ空を見てみれば青色の上空は縦に長く切り裂かれ、黒色の岩壁は視界の端までずっと連なって見える。自身の身長の軽く数倍以上はある絶壁に首は痛くなり、砂ばかりの周囲を見渡して息を整える。

 恐らく…ここに『アイツ』はいない、居るのなら亀裂の上であり注意深く見上げながらなるべく目立たない位置へと移動する。


 運よく怪我もなく済んだのは不幸中の幸いなのか…もしくはそれすらも手の平の上なのか、勝手に疑心暗鬼になり出す頭を捻ってみるが思い浮かべた男の笑顔に背筋が冷たくなるばかりでいい考えは思い浮かばない。


「とりあえず、逃げないと、早く…アイツに」

 …アイツに、気付かれたら…もう。


「……」


『殺したいのでしょう?』『飛び出る血潮が見たい?』『さあ』『さあ』『さあ!』


「…くッ」

 笑みと一緒に嫌な事まで思い出し、記憶を振り払う様に強く頭を左右に揺らすと、手元の寂しさからクロスボウに手を伸ばす。


「…え?…はっ!?え!?」


 …そこで今になってようやく気付いた。胸に刺さった短剣が衝撃的過ぎて忘れていたのか、大事な相棒の姿が手の中にない。驚き慌てクロスボウの姿を探して視線を左右に走らせれば、少し離れた砂地の上に空から突き刺さるように立つ相棒の姿が見て取れた。


 地上から追い落とされる前は確か手元に持っていた記憶はある…無意識に投げ出してしまったのか、内心で慌てまくったが案外と近くにあった事に胸を撫で下ろした。

 …こんなよく分からない場所で身ぐるみ1つなんて本当に冗談じゃない。大きな日陰ゆえの忍び込む寒さに寂しさが混じり地面を突き刺すクロスボウへと向けて一目散に走り出す。全体の質量に対して重く比重のある巻き取り器が下になった為か柔らかな砂地をクロスボウは深く突き刺さしており、すぐ傍に寄って見れば大分埃にまみれて汚れてしまったのが目に入る


「はぁこんなに汚れて、ああ」

 自身の状況とは別の部分で落ち込んでしまう相棒の変り果てた姿に意思を強くして砂に埋まった半身を掘り起こそうと指を突き入れると何かに触れてしまい指先に鋭い痛みが走る。

「ッ!?」

 咄嗟に引いた指先に小さく走った赤の線。出血こそないが油断できない状況に今度は慎重に、砂に隠れた何かに注意しながらクロスボウの周りの砂を掘り起こした。

「……」

 細々とした砂が取り払われていけばどうやらクロスボウ以外の何かがすぐ傍で埋まっている事が分かり、重ね掛けする注意力にそっと砂を崩して行けば埋設物の姿が目に写ってくる。…土汚れかなりの変色を引き起こしてしまっているがどうやらそれは短剣の類であるらしかった。

 たった今同種の武器である緑刃の短剣に殺され掛けた事を思うと嫌な予感が走るが掘り起こした短剣が完全に錆付いてしまっている事を確認すると手に取り引き上げる。

「…んん?」

 柄を握り手に持ってみれば恐らくはかなりの名品であった事を匂わせる細かい装飾。錆付いた刃は付着した土だけでなくドス黒い何かで余計に汚れており見る影もなかったが比較的綺麗な状態を保っている柄の部分は細工も美しい。かなりの力を入れて意匠を凝らした柄の部分には開いた花を思わせるオブジェに埋め込まれた宝石が輝き今は砂に汚れてしまっている事が非常に悔やまれる。

「ふむ」

 一応完全に錆付いてしまっている為武器としての活用はゼロに等しいが何か頭に引っ掛かる部分がありこの短剣も金貨同様にリュックの奥へとしまいこんだ。最後に土を払い掘り起こしたクロスボウを手に取って見ると感触を確かめながら構えを取る。


「……」

 金属部の巻き取り器にハンドルを、矢の絞り込みを行ってみれば少しだけ砂を噛む嫌な音が流れるが装填と発射自体には問題はないらしい。…こちらも不幸中の幸いだったと喜ぶべきなのか目立った故障もなかった事に反撃の武器を取り戻した事も合わせて安堵する。


「…」

 例えそれを…ゴートに撃てるかどうかは考えないにしても幾分か心強い。


「とりあえずこれでいいな!」


 気を抜けば転がり落ちようとする心にやや空元気に声を張り上げると、ふと見上げる空の上、小さな黒い影が青空に向かって躍り上がったのが目に入った。

 …いや躍り上がった訳じゃない、それにしてはひどく力ない。目に高い亀裂の壁の一番上を太い棒に四本の手足が加わった影は、なびく風に晒されて少しだけ舞い、すぐに重さに引かれて下へと落ちてくる。


「っ!」


 飛び出した、『飛びだされた』その影が人影だと気付いた瞬間駆け寄ろうかと一瞬迷ったが、心の中の冷静な部分が急ブレーキを掛け逆に反対方向へと距離を取って走り出す事を命令する。…自身で落ちた時にはかなり長く感じた滞空時間も傍目にしてみれば一瞬の事らしい、崖の上を飛び立った人影は数秒と待たずに砂地へと落下し。けたたましい音と共に接触すると視線を遮る砂飛沫が吹き上げ、舞い上がる粉塵が姿を隠した。


「ッ!クソっ」


 手の中のクロスボウも持ちすぐに構えを取ると上へと向かって照準を覗き込む。矢の先端で崖上の縁を見上げて睨む。

 恐らくそこに立っているであろう『突き落とした張本人』を探して矢先は右往左往を繰り返すが、何かを見付けて狙いが定まるよりも先に運ばれてきた砂煙が自身の視界までも隠して漂って来る。


「ッ!邪魔だっ!」

 声を上げ腕を振るい視界を晴らせば再び照準を…しかし、そうすると今度は覗き込んだ照準口に細かい砂塵がへばりつき視線を隠し。口の中だけで小さく悪態を吐くとに指先でガラス面を擦り上げ狙いを付けて崖を睨む。


「ク」


 その時には既に何の姿も見る事が出来なかった。

 それでも腹の底から湧き上がってくる冷たさに突き動かされて身体は動く。…見えていないと怖いんだ、分かってないと怖い。見付けたとして今の自分に何ができるか分からなかったが、ただ見えていないと恐ろしいからという怖さで必死に白コートの姿を探し続けた。


「くそっ」


 後退り、壁に背中がぶつかりながらもクロスボウは構え続けた。そうしている合間に誰かの落下から立ち昇っていた砂煙は徐々に掻き消され砂地の上を転がり落ちてきた人物の姿が目に入ってくる。…それは崖の上でも見掛けた少女の姿だ。

 力無く投げ出された手足は変わらずにかなりの衝撃があったはずなのに微動だにしていないでまるで死人のように。安否を確かめる為に一目散に駆け寄りたいという欲求が胸を掠めるが動き出すことが出来なかった。

 …そもそも男が弓矢など、遠くから攻撃出来る武器を持っていないなどとなんで分かるんだ。少女に駆け寄った瞬間に、にやついたその顔で狙われてズドリ…そうすれば今度は地面の上に力無く四肢を投げ出すのは自分自身なんだ。…この瞬間にだってきっとどこか見えない所で笑いながら見ているに違いない…。


「クソっ、バカか…そんなはずないだろう!クソ!」


 頭の中に、それらしく体裁を整えた言い訳に反吐が出る程に嫌気が差す。誰がバカなのか分かり切っている…きっと自分自身がバカなんだ。

 少女はこちらに顔を向けていない、半身で地面の上に落ちそのまま砂の上に身を沈め降り掛かる埃を一身に受けて横たわっている。長い飛行を終えた細かい砂塵も徐々に彼女の上へと積み重なって行き、あれでもし意識があるのだとしたら、さぞかし見ているだけの自分を恨むだろう…。


「クソッ!」


 きっとあの男がいけない。変な言葉のせいで顔を出してくる臆病な心を無理矢理抑え込むと駆け出した。…英雄的な行動とは程遠い半ばヤケに近い疾走にチラチラと駆け出しながらも崖上を見る視線がをやめられない。


「っ!大丈夫か!おい!」


 走り寄り、勢いに任せて少女を揺すろうとした腕を慌てて押し留めるとゆっくりと抱え起こす。こうした場合に無理に動かそうとすれば逆効果になる事は分かっている。だからなるべく、ゆっくりと壊れ物を扱うように小柄な背に腕を回すと必死な思いで声を掛けた。


「おい!大丈夫かよ!おいっ…なぁ!?」

 

 若干潤む視界に見える少女の姿はひどいものだった。元から土汚れていた姿が今は砂混じりで更に醜く変わり、見つめてみれば若干の幼さを残したその顔が罪悪感を一層に引き立てさせる。

 擦り傷は擦過痕、切れた頬の跡に傷も目立つが何よりもやはり目に入るのは肩の傷、本来であれば灰色であるらしい彼女の装備を色悪く染め上げているのはこの傷が原因のようだった。崖上から落ちた衝撃からか突き刺さった短剣自体はやや抜けかけていてそこから更なる大量出血が顔を出さかった事だけが唯一の救いに思える。


「しっかり!おいっ!しっかりしてくれよ…頼むからっ…ここに居たら危ないんだよっ」

 裏に自分も早く逃げ出したいんだと匂ってしまう声に視線は上を警戒し続ける。いつ降ってくるとも分からない危険にキリキリと心は痛み悲鳴を上げて。早くここから動きたい…だから目を覚ましてくれよっ…自分勝手に強く握った少女の腕に、掛ける言葉も徐々に荒く強くなって行った。


「…ぅ…っ」

「っ!平気か!」


 少女からの僅かな反応が返り、瞳が動く。…次第にゆっくりと薄く開かれていく目を正面から覗き込み、藁にもすがる思いで口を開き続けた。




―――――――――――。




 ぐちゃぐちゃとした私の頭の中に声が響いている。


 …余りにあっさりとさっさとやられてしまった。その事に私は歯噛みを繰り返しながら思い起こす。少しだけど疑問もあったはずだった、怪しいな、なんでこんな所にいるんだろうってそう思っていたはずなのに。…シャラさんはどこに行ってしまったんだろうか、私がへばってしまったから置いていかれたのか。

 息を整え必死に探しに走った私が見付けたのはギルドで出会いオルイアと名乗っていた男の人だった。


『ふふふ、またお会いしましたね』


 にこやかに笑いながら言うオルイアの言葉に私は何か言いようのない嫌なものを感じていた。元から出会った時から嫌な感じはさせる人物だったけれど今出会ったこの人はそれ以上にこびりつく冷たい泥の思わせる粘りつく嫌な感じ…。形だけ作り上げた三日月の笑みに開かれた口元から覗く赤色が同じ人間であるはずなのに無性に薄ら寒い気がしてきて背筋を悪寒が走っていた。


 そう思っていたはずなのに…警戒だってしたはずなのに、私は結局あっさりとオルイアに倒されてしまった。

 振り向き様に目に写る飛び掛かってくる背の高い男の浮かべた笑み、手に持つ光る緑の刃。…その瞬間、怖さに身を縮こませてしまった私は成す術なく刃を受ける。飛び散る赤色の血飛沫に沸騰する痛さから冷静さは掻き消えて。なんで?どうして?…そんな単純な理解さえ追い付かなく私はその場から一目散に走り出した。ついさっきまで登って来ていた山道を下りカヘルへと向けて全力疾走を…すると傷口から忍び込む冷たさと痙攣が次第に体を蝕んで行く。


 …それが何かの毒だと気が付いた時は全てが手遅れになった後だった。山を駆け下りる私はすぐに動けなくなってしまい木々の合間に身を預けそのまま崩れ落ちる。言う事を聞かない足に痙攣してしまっている身体…だというのにその癖耳はよく聞こえてしまい、背後から迫る足音に、くぐもった笑い声が周囲に満ちていくのを感じた。


『く、ふふふ、ふふふふ!やはり貴方大した事ないですね、くくくく』


 忍び寄る笑い声はそのまま私自身の価値まで見下す様に、必死に否定したくて首を振ろうとしたけど体はうまく動かせなくて…。




「――おいっ!――――――」


 ―――すぐ傍から声が聞こえ、私は反射的に薄く瞳を開けた。


 …ここはどこだろう、妙に薄暗くそれに寒い。

 未だよく動かない身体に浮かぶ視線に、弱い光を受けながら見えてきた砂に汚れた人の顔。…私の事を必死に見つめている瞳は半笑いのようなオルイアの瞳とは違っていた。底の分からない冷たさの代わりに潤う視線から感じる心を砕く雰囲気に何とか反応をしたいけど自分では立ち上がる事も出来ない体が恨めしい。


「…ぅ…っ」

「っ!平気か!」


 …辛うじて呻く事に成功する。すると目の前の誰かは一層顔を近付けて私を覗き込んだ。見られているこっちが恥ずかしくなる程の距離だ。間近で見えたおかげかその顔に微かに見覚えがある事が分かる。

 それは落とされる前にオルイアに立ち向かっていた誰か。顔は向けられず、ろくに会話も聞き取ることが出来なかったけど、彼が牙を剥いたオルイアに向かい武器を向けていたのは見えていた。そう今彼が手に持っている変わった形をした弓だ。…オルイアの刃を受けてすぐさま逃げ帰ろうとした私とは大きく違い彼はオルイアに向かって立ち向かっている様に見えた…だからだろうそんな彼の姿は私には非常に頼もしく見える。…ああきっと彼はとても勇気のある人なんだ。


「…っ…っ」

 …胸にそう思った時今の状態にも見当が付く。私を助け起こす形となっている彼に、妙な安堵感を感じて身を預け胸を撫で下ろす。


 …そういえば彼の方が先にオルイアに突き落とされたはずなのに何故ピンピンしているんだろうか、本当にすごい。


「おい!大丈夫か、頼む…しっかりしてくれよ!」

 俯く私を見て、目の前の人は大きく声を上げる。傷のある肩口を外し、背中を支えてくれる腕から伝わる温かさは周囲の薄ら寒い風とは全く違う。湧き上がる気恥ずかしさに感謝も出来ないこのもどかしさ。私は懸命に喉に力を込めて口を開いてみせた。せめてもの、助けてくれた彼に向かって、心の中の感謝を形にする様に。


「ぁり、が…と……あな、た…恩人…だ、ね」


 …うまく出来ているか分からないけど、それでもがんばって私は薄く微笑んでみせようと努力をする。


「……」


 …しかし、言い終わり私はすぐに後悔をした。彼の表情が歪んだからだ、きっとうまく動けないし喋れていない口で誤解させてしまったんだ。


 元からあんまり口はうまい方じゃない、特別に賢くもない私はよくシャラさんにからかわれた。だけどこんな所でも失敗してしまい他ならぬ命の恩人に嫌な気持ちをさせるなんて心が痛い。


「ぁ、り…ね?…ぁり」

「っ!ク、…わるい……ッ」


 …だけどやっぱりスタートがいけなかったんだろう。彼は私の言葉に顔を歪ませるだけで、何かに耐えかねたのかすぐにそっぽを向いて首を反らしてしまう。

 もう少し見ていたかったと瞳が離れた事に浮かぶ悲しさに、何故彼がそんなにも心苦しそうな表情に顔を歪めさせているのか、今の私には理解が出来なかった。




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