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12 嘘吐きの足音

 近付く程に詳細がよく分かった。腕を引かれ地面を擦っているのは小柄な少女のようであり身に纏った冒険者らしき灰色の革装備に背負う武器の厚みにより胸がやや浮いている。今の立ち位置から表情がよく分からず、砂のまみれた頬は薄汚れている。


「何をしてるんだ」

 思いの外強い声が漏れたのが自分にしても意外だった。それは目の前の光景の非常性に…それと倒れ引かれている姿が女の子であったからという事もあるのかも知れない。極小の強がりと見栄に男を見れば高身の笑んだ顔は小さく溜息を吐き出し、にこやかに曲げた口を開き一歩進み出る。


「そんな大きな声を出さなくても聞こえてますよ。騒がしい方ですね」


 歩き進む男の歩幅に合わせ腕を引かれる少女も同様に地面を擦った。されるがままにまるで抵抗を見せない姿はまるで人形のようであり、転がる小石にぶつかり跳ね上がった頭を目にすると一瞬視界が熱くなったように感じて背中のクロスボウを抜き取ると構える。

「ッ」

 カシャリと鳴る相棒の頼もしい動作音に合わせ番えられていた矢は一息に絞り込み、狙いを男に絞り握り込む。


「動くな!」

「はぁ」

「っ、う、動けば撃つぞ」


 脅しに声を上げれば、男は何か思案気に瞳を覗き込んだ後に、小さく吹き出すと構う事無く歩みを止めずに前へと進む。

「ツ、だから撃つって!」

 …微かに流れ出した自身の汗に、それと悟られないようにクロスボウを手に強く持ち声を荒げた。



 基本的に冒険者の装備とは冒険者にしか利用は許されない。それはつまり冒険者の装備はあくまでも対モンスター用の物でありそれ以外の用途は許されていないという意味でもあった。発達した武器も防具の技術もあくまで冒険者という存在の範疇の中だけであり人に対して使う事は許されない。…対人にして余りに強力過ぎる為でもある。国の主力である国兵にすら使用を許可されていない主な原因もそこにあり、技術の研鑽の成果が同じ人間に向かう事は在り得ない。


「ク」

 だから、あくまでも恰好だけ。男に対し本当に矢を撃ち出すつもりもなく威嚇の意味を込めて照準を合わせていた。



「ふふふ」

 距離を空け対峙する形となった男は少しの間だけ目を瞑り仰々に肩を竦めると掴んでいた少女の腕を離す。支えを失ったか細い指先はその反動に重力に引かれて地に落ち小さく砂煙を上げて投げ出される。


「そう怖い顔をしないでください、それは貴方の勘違いですよ?…私は何もしていません」

「…勘違い?」

「ええ、何もね。むしろ善意の塊ですから私は」

 すっと弧を描き細まる男の口に。…しかしまだ警戒は解けない。

「動くなって…!」

 威嚇に、男が進み距離を狭められればその分を走り遠ざかる。狙いを付ける先の男は自分を見てわざとらしく肩を竦めて、歩み寄る足は止めない。


「そう警戒しないでくださいよ傷付きますね。私は何もしていないと言ったでしょう、私は正直な人間なのです。ただこの少女の治療しようと山道から苦労して連れ出して来ただけですよ?」

「…治療?」

「ええ、血が出てるでしょ?」


 軽く、事もなげに言う男が指し示すのは地面に転がる少女の姿。

 …血どころじゃないだろう。少女の肩口に深く突き刺さったナイフからポタポタと玉になった赤い雫は零れ、地面と少女自身の姿とを両方染め上げている。


「じゃあそのナイフなんなんだ…信じられるか」

「…ふう」

 騙されるかと警戒は硬くしクロスボウの音を鳴らせば、男は小さく「失礼しますよ」と断りを呟き白色のコートの右側だけを少しだけ開き中を見せた。

 厚手の裏生地にびっしりと取り付けられたポケットが並び、その1つ1つには透明な容器、桃色かもしくは緑色をした容器が所狭しと詰め込められており、自分の注ぎ込む視線を確認した後男は目を細める。


「これは止血剤に傷薬等の治療薬です。私は用意が良いもので…たまたま山の中で傷付けられた少女を発見して治療の為に連れて来ただけ。……別にその場でもよかったんですがね、どこにこんな事をした凶悪犯がいるのかも分からない。だから見通しのいい場所をと思ってここに来ただけです」

「……」

「信じてもらえませんか?」


 浮かべる笑みをやや困り顔に変え近付く男。

「…」

 進む歩幅に合わせ今度は距離を取り離れるようとする事は出来なかった。



 ジクリと胸に湧く猜疑心。目の前の男を疑っていたはずの頭が今度は自分自身を疑い出す。

 …『また』勘違いしたのか?…と。

「…ッ」

 胸の中に小さな自責の念が生まれていた。

 男の言う通りであるならば少女の治療の邪魔をしているのは自分に他ならない。

薄く横目に少女を見れば確かに流血はあるが、死んでしまっているという訳ではない、当然手当も必要になってくる。

 ならなぜ全く動かないのか妙な疑問もあったが、灰色装備の胸元は静かに上下運動を繰り返し汚れた顔の内側では何かを伝えようとしているのが口元はぴくぴくと小刻みに揺れているが言葉となって現れる事は無い。


 …幾分迷いはあったが、結局は自分の自信の無さに心は折れた。手にしたクロスボウの矢先を下げ地面に向かわせれば、代わりに胸を浮かんだのは小さな気恥ずかしさと申し訳なさだった。


「ごめん。何か、勘違いしたみたいで」

「…いえ」


 小さく呟き謝罪を口にする自分に対して男は微笑んで応えた。

 …全くダメダメな事この上ない。

 何を勝手に勘違いしていたのか自分で自分が恥ずかしくて、身動きも取れず引き摺られている少女を見て勝手にナイトでも気取っていたのか。浮かべる妄想だけは逞しい頭に心の中だけで毒づくと湧き上がる嫌気を追い払って頭を左右に振り、クロスボウの構えを敢然に解くと背中にやって背負い直した。


「なんかスイマセン、本当に」

「いえいえいいんですよ。分かってもらえてよかった」


 恐らく男の方が遥かに年上で余裕があるのだろう変わらぬ笑みに恐縮し目を反らす。

 この上は少しでも早く少女の治療を行って挽回を。罪悪感から少女に目をやれば小さな顔が左右に振られているのが目に入る。何か痙攣でも起こしたか、そこまで重体なのか、だらりと投げ出された両手両足は本当に死人を見ているようで少しだけ怖かった。


「それじゃ早く治療をお願いします、手伝える事は…なんでもしますから」

「おお!それは助かります」

 ゆっくりとした動作で更に歩み寄る男の姿に、そういえば確認をしなければいけない事があったのを思い出す。

 そもそも自分はその為に来たんだ。多分山道の中で見掛けたものと同一人物であろう白コートの男に視線を合わせ口を開く。

 いつの間にやら男の姿はすぐ目の前にあった。


「そういえば貴方、もしかしてゴート…」


 カシャリ


「ん?」


 その時。

 偶然か、あるいは背に背負った反動なのか首の真後ろ辺りで音を鳴らした相棒の姿に、何の気なしに首を巡らせる。

 その瞬間、頬のすぐそばを音を上げて過ぎる鋭い風の通りを感じた。


「え」

「……」


 一瞬、呆けたように。呟きに見返す視線の中に写る翻り緑の光。強く砂を踏み込み巻き上げられる風に、空を切り裂きながら振り上げる刃は頂点へ。そのまま最上位まで到達すると反転し振り下ろされる。

「なッ」

 咄嗟に反応出来たのは奇跡に近かった。背後の重さに引かれる様に自然に一歩を引くと目の前を上から下に真っ直ぐに振り下ろされる刃が視界を縦断した。


「おや?」

「な…ハっ!?」


 やや間延びして耳に入る言葉に全力で後ろへと後退り距離を取る。…逃げ足には自信があったが、目の前で起こった事は信じられずに目を剥き、組みもつれそうになる足を叱咤して背後に下がった。

「ふふ、ふふふふ」

 漏れ出る笑い声に細まった瞳。

 陽光に光る短剣を振り下ろした体勢のままだった男はゆっくりと切っ先を持ち上げると姿勢を正し上半身を上げた。

「なんて運がいいんですか貴方。…それとも貴方もまたあの薄気味悪い冒険者という人種の仲間なんですか?」

「なッ!何をするんだアンタ!」

「…とてもそうは見えないのですけど」

 若干上擦いてしまった声に男はくつくつくつと、くぐもった笑い声に肩を震わせて手の中のナイフを弄ぶようにクルクルと回す。緑に光る刃の細工は遠くに見える少女の肩に突き刺さったモノと同一に目に写り、吹き出た汗が冷たく頬を伝う。


「動くな!!」

「おや」


 大きく声を張り上げる自身の口、慌てつつも取り下ろしたクロスボウに再び手を掛けると男を狙い構える。動作音の先に見える微妙な微笑みに心臓の早鐘を打つ音も高らかと鼓動は跳ね上がり息は漏れる。既に番え終えた矢の先で、男は恐れの欠片も見せる事なく静かに歩み寄りを再開する。


「動くなって!」

「ふふ」

 踏み出した男に対し、自分は三歩も四歩も、足を滑らせながら遠ざかり構えるクロスボウで睨み付ける。


「そう怯えないでくださいよ」

「怯えてない!」

「落ちついて話しましょう?」

「来るなって!」


 …状況がおかしかった。

 距離は離れている。狙いを付けているのは自分であって明らかに有利であるはずなのも自分。だというのに男は悠然と笑んで躊躇もなく進み、にやつき粘着いた光を灯す瞳に身体中に悪寒が走って後ろへと下がる足が止まらない。

 遠く血を流し救いを求めているはずの少女の姿はどんどんと遠ざかりだし、「大丈夫か!?」と助けに走る事も男に対抗する事もなく距離を取った。


「ッ」

 一歩大きく後ずさる足首に何かが当たり地面を転がった小石が蹴り上げられる。コロコロと転がっていく小さな石粒は縁となった坂を進み、やがて大きく口開く穴の底へと落ちて行く


「…うッ」

 気を取られ背後を振り返って見れば亀裂の縁はすぐ後ろまで迫っていて、唸りを上げる風が獣の雄叫びのように耳を打ち、溢れ出た汗を冷たくする。


「気を付けてください、落ちてしまいますよ?」


 言葉の台詞とは裏腹に弾む声で述べる男に目を向けた瞬間に振るわれる緑に目を奪われる。…まだ大分距離はあった。しかし手の中でくるりと回した柄を掴んだ男は胸を張り僅かに振り被ると中空へと向け短剣を投げ放つ。


「ああ!?」

 投擲された刃が自分に向かって投げられたものかと頭を抱えその場で蹲ると、視界の端を通り過ぎる短剣は見当違いの方向へと走り消えて行く。……恐らくはかなり適当に投げていたのだろう、徐々に力を失い穴の底へと落下していった姿を呆然として見送った。


「ふ、ふくくくっ」

 半ば、気を取られていた中に響く笑い声、蹲る姿から慌てて立ち上がりクロスボウを構えると男は隠す素振りすら見せずに肩を震わせて。上半身を屈めて腹を抱えると高く遠くまで響く音で笑い声を上げた。

「くっ」

 悔しさに唇を噛んだ。…つまり、バカにされたんだ。


「ク、くハハハ、ひひひ!じょ、冗談ですよ!何を必死に避けているんですか格好の悪い!ひっ、ひひひ、あははは」

「グ、お前…!」

 爆発する笑い声に表情を歪み。甲高い音色は無性に胸を抉った。

長く経験していた惨めな自分を思い起こさせるような物音にクロスボウを強く握り締める。


「笑うなっ、笑うな!撃つぞ!」

「く、くくく!くくくくっ」

 威嚇ではない…心の中だけでは撃つぞ撃つぞと頻繁に叫びを繰り返す。…もう自分は変わったはずなんだ、あんな前とは違うっ……笑いの余韻を引く男へ一歩踏み出すと、未だ哄笑を漏らす男は気付き、必死に堪えるように耳触りな声を引き込めると謝罪を口にする。


「ひ、ひひ、いえすいません、つい!つい、なんです!くく」

「…このっ!」

「いやいやいいんですいいんです勘違いしないでください!実にいいんですよ貴方!大変好感を持ちます。…その怯えを必死に隠そうとする目、自分を取り繕う態度、まるで自分に自信のない表情。見ていて実に楽しいです。薄気味の悪い気色の塊である冒険者などよりずっといい」


 ハハハハと声を漏らす男は口元を隠し掲げた手の平で顔の半面を覆う。…指の隙間から注ぎ込まれる強い視線は自分を貫き目は細められる。


「ふ、くく、貴方なんなんですか?教えて下さいどうしてここに居るんです?名前は?趣味は?職業は?俄然貴方に興味が湧いてきましたよ!」

「…ぅ」

 爛々と光る強い眼差しに引き気味に足は下がり掛けるが、すぐ後ろは亀裂。胸底に渦巻く反感心だけを強くし足を踏み留めると口を開く。


「オレは冒険者だ!手を上げろ!止まれ!降参するんだよ!」

「ふふふ」


 精一杯の虚勢。上擦る声をごまかし何とか言葉にすれば男は「そうですか、そうですか」と薄く笑んだ口の中で呟き。微塵も従う態度を見せなかった。

「ッ」

 自分の最大限の精一杯なのに全く聞く耳も持たない男の態度に胸の底を込み上げる憤りを感じ。バカにされた、見下された、細まる瞳の光に悔しさと怖さをないまぜに歯を噛み締める。

 添えた指先はトリガーをしっかりと持っている。いつでも撃ち出せる。

男とのこの距離、手にした相棒の頼もしさに少しだけ気を強くする。いくら下手だと言われようともそうそうは外れない…大して男は無手。未だ隠し持っている緑の短剣はあるかも知れないが、それだとしても近寄らせさえしなければ切られる心配は無い。

 打算と計算に強く思い浮かべ男を見る。

「近寄れば、撃つ」


「……ほう」


 男の浮かべる笑みが少しだけ引き、代わりに浮かんだ能面のような表情。皺を寄せた額の中心に向け狙い構えると、ふっと気の抜けた薄い笑い顔が男の口元に張り付いた。

「撃つのですか?」

 男は動かない。代わりに開いた口から漏れる声が自分に纏わりついて来る。


「それはクロスボウですね、分かりますよ?私も多少なりとも知識がありますから。しかし貴方は本当に酷い方だ。そんな凶悪な武器で人を、…この私を撃とうというのですか?なんと恐ろしい」


 小さく言い男はゆっくりと歩み出す。トリガーに掛ける指先に力が込められるがそれよりも先に男の口は開く。


「貴方はもしかして存じないかもしれません、だから教えてあげましょう。クロスボウとは非力な人間の力でも運用出来る事を考慮した武器です。バネ仕掛けの力を利用して少ない力で弓を引き、人の腕力では及ばない射出も可能にして相手を気軽に『殺せる』のです…ある意味兵器といった方がいいですかね。その力があれば人間だって簡単に殺せるんですよ」

「……」

 男の掲げる指先が数度こめかみを叩いた。

「そのまま額に照準を当てて引き金を引けば、皮膚の下の頭蓋骨を砕き、矢の先端は有り余る余力をもって脳ミソを搔き乱します。程よくシェイクされた血と肉と皮と骨が残骸となり進入口の反対側から飛び出すのです。空気を汚す赤い花、飛び散る肉、作り出す死体……見たいでしょう?ええ、見たいでしょう!貴方に見せて上げたい、心の底から、さあ」

 腕を広げる男が迎え入れるように笑む。


 トリガーに添えた指先はいつでも、撃ち出せる位置で力を絞り。

「ク」

 …しかし狙う矢口は少しだけ下がった。


「…次は胸ですか?なら肺です。中央を穿って心臓を見たい?下腹部を狙ってどこの主要器官を壊したいのです?…殺したいのでしょう?潰したくなります…分かりますよ、貴方はそれだけの力を持っているんです。さあ恥ずかしがらずに叫びなさい、破れる皮膚を見たいって?飛び出す血潮を見たい?蠢く中身を踏んでみたいですか?いけませんいけません、そんなに目を見開いて何を期待しているのです?いいんですよ全部見てしまって!死体になった直後であれば人体なんて生きている内と大差はありません。少し尖った石でも手に持って無理矢理引き裂いて中身を鑑賞するんです!」

「……っ」

「く、ふふふ、ふふふふ」

 


 …いつ、でも…撃ち出せる、よう…



「!」

 一際大きく踏み出した足音がすぐ近くで鳴った。明らかにわざと、大きく踏み鳴らす男の足が地面を踏み込み、揺れ掛けた意識が取戻し指先に力を込めると、トンと弓の先から振動が伝わった。目にしてみれば構えるクロスボウの先。笑みを浮かべた長身の男の下腹部の部分にクロスボウが触れている。


「さあ勇気を持ちましょう、その力で、貴方は人を殺すのです」

「…ぁ」


 カチカチカチと音が鳴っていた。


 音の出元を見れば自分の指の先からトリガーの中に納められた指先は微動を繰り返し爪が鉄輪を弾き音を上げている。


 …震えているのは全身。

 背が高く何もしてなくとも高低差のある男の顔がゆっくりと下げり目の前一杯に広がると。

「さあ!」

 歪んだ笑みを見せ付けていた。



 心の中で鳴る警鐘に怖さに引き金に手を掛けて。


「……く」


 しかし、絞り込めなかった。

 震えが伝わってむしろ誤射をしてしまう事すら恐れて指先はトリガーから離れ引いてしまう。

 …これじゃ、これじゃダメだ。これじゃ…自分が…



「臆病者」



 ザクリ、と。

「…ヅ!」

 …嫌な感触が胸から込み上げた。

 鈍重に落ちる視線に目に写るのは自身の胸元、そこに生える緑色の刃。刀身の半ばまでを埋め込んだ短剣は、厚手の革を突き破り刺さっている。

 

 湧き上がる痛みに衝撃。そのまま身体は押し出される様にして数歩後退し…やがて踏み締めるべき地面は無くなり。


「あ」


 漏れる小さな呟き。全身を覆った浮遊感。


 重力に引かれる身体はそのまま抵抗も無く暗い穴の底へと落ちて行った。




―――――――――。




「他愛もない」

 白いコートの男はそう漏らすと小さくくつくつと笑う。亀裂の底へと消えて行った闖入者を、その姿をしっかりと見送り踵を返した。

 男にとってその人物の登場は実は全くの想定外であり、明確に表情に現れる事は無くとも心の中では慌てていた部分もあったのだ。…しかしどうだろう。そんな男の心配は余所に突如現れた闖入者は余りにも弱く、そしてとても情けない人物だった。

「く、くく」

 肩を震わせて笑う。思い浮かぶのは闖入者のやり取りとその怯えた様を見せてくれた姿。多くの『嘘』混じりに言葉を交わした男であったがその中には真実の部分も見え隠れし、本当の意味で男は闖入者におかしな好感を抱いていたのだ。

 それは彼の嫌う冒険者とは真逆の存在。粗野で野暮で恐れも知らず英雄たらんと溺れる、そんな人間の成れの果て。それとは全く対極の位置にいる人物に思えた…まるで彼自身に近い様に。

「しかし…名前も聞けなかったのはうっかりしていましたね、ここまでどうして来たのかも聞き出す事をすっかり忘れていました」

 自分でも意外な落ち度に男は自嘲めいた笑みを浮かべるが、安心し切り思い出に浸る前にまだやるべき事が残っていた。


「お待たせしました、待ち遠しかったでしょうか?」

「……」


 地面に仰向けに倒れる少女に近付きにやついたままに声を掛ける。心なしかさっきまで倒れていた場所より動いている…少しでも動けると言うなら山道にでも向かって転がった方がまだマシであっただろうに何故かその位置は闖入者を追い詰めた方向へ向いている。

「自分の身もあるというのに他人の心配でしょうか?本当に薄気味の悪い」


 男にしてみれば可能ならば唾でも吐き掛けたい気持ちであったが、既に『呼び餌』も染み込ませた後である。下手な対応を恐れ投げ出される腕を無造作に掴むと地面の上を引き摺りながら歩き出す。


「ふふふ、さっきの彼も、そして真っ先に落ちて行った貴方のお仲間も既に下ですよ。……最もあの女が貴方程度を仲間と思っているとは思わないですけど」

「……っ」


 少女の方から小さな反応が返る。

 こうした細々とした『思い遣り』が実の所男にしてみれば大好きな事であり、その態度に心の中だけ何度も頷き笑みを浮かべる。


「…おや」


 そんな男の視界の端にその光が見えたのはそんな時だ。

 まだ高い陽の光を吸い金色に輝く何か。男は少女の手を無造作に離し光へと向けて歩み寄ると身を屈ませる。


「これは」


 手に乗る大きさの硬い感触。場所は闖入者の落ちて行った縁の傍であり真新しく転がった輝きは他にも目に入った。


「ふふ、ふふふふ」


 男は手に取った小さな『金貨』を握り締めると愉快気に肩を震わせて笑むのだった。



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