08 旧坑区の失い人
「ダウンゼン・コリノ…カヘルの警備兵さんね?私がギルド『マッドシップ』のオーナーであるディガー・ベルツよ」
「え、あ…はぁ」
机を挟み向こう側、朗々と謡う大男ディガーを半笑いで見つめ、次いで訴え掛けるような視線はこちらへと降り注ぐ。場所は宿場泥船の一階ロビー部分、空いた丸机の1つを囲み、ディガー・自分・青年の順で腰を下ろし顔を突き合わせている。
「……は、ははは」
青年ダウンゼンの瞳を見返し曖昧な笑みを浮かべながらも考える…確か簡単に説明はしたはずだ。ここに連れて来る前にギルド『マッドシップ』は正規ギルドとは違う事、あくまで『裏』の冒険者ギルドであるが依頼の受け付けもしてくれると、そうにわか仕込みの知識で説明はしたはずが……よくよく考えて見ればいきなり禿頭の女言葉を操る大男が出迎えてくれるなどと言ってなかった事を思い出す。
「だ、大丈夫なのかい?この人?」
「え、は、う…ん?」
青年のディガーには聞こえないように小声で語り掛けてくる言葉には微妙な相槌で返し…それでもせめてものなぐさめにと強く笑い掛けた。…確かに気持ち悪いし何か怖いかもしれない……もはやそういった表現に「少し」とか「多少」とかそういった庇護を入れる事はやめておこう、正直に流れ出る冷や汗は感じてしまうから。……だが…だが、だからといってその人物像まで否定していいものだろうか?……ディガーはきっと、多分、もしかしたら、いい人かも知れない。その内面や趣味趣向はとりあえず置いておき、人間性としてはいいのじゃないか…そこくらいは素直に信じてもいいだろうとしっかりと笑い掛け。
「あっ、もしかして結構鍛えてる?素敵な二の腕」
「ヒっ、ひいぃっ」
「……」
浮かべた笑みは一瞬で凍りついた。
ディガーの野太い指が伸ばされダウンゼンの腕をしっかりと掴み取ると撫で回す。顔面は青く(青年)冷汗が飛び出し(青年)浮かび上がる満面の笑み(ディガー)に…最早擁護のしようもないと…せめて自分だけは被害を受けないようにこっそりと腰掛けた椅子を離しエールだけは送る。
微かな罪悪感にも似た思いを込めて見つめているとダウンゼンは気丈にも這い回るディガーの指先をしっかりと掴み振り解き…やや硬いながらも精一杯笑みを浮かべてみせた。
「ふ、ふふ、ふ…すみま、せん、余りその、触らないで、頂きたい」
「え、あらそう?」
「…こういう事にその、慣れて……慣れていないもので」
「あら残念」
「……」
青年の引きつく顔付きを正面から見つめれば彼の言葉の空白は無言で訴えかけてくる。『慣れたくねぇ』と、『絶対に慣れたくねぇ』とそう心の中で思い浮かべている事を感じ、深まる同情感に目頭が熱くなってくる。
「ふうん、それじゃ改めて、お話しを伺いましょ」
仕切り直すディガーの言葉に青年だけでなく自分の口からも安堵の溜息が零れ落ちた。
「事の発端は一週間程前の事です、オレの……あ、いえ、私の」
「別にかしこまらなくていいわ」
「…」
語り出すダウンゼンの言葉に耳を傾けながら机の上に乗ったカップへと手を伸ばす。あらかじめリザリアの用意してくれた白いカップの中には見覚えのある黒い液体が波打ち…今回はあらかじめ砂糖が加えられているのか傾けてみるとやや甘く感じられた。緩和された苦みには目が覚めるような思いで一転した飲みやすさから更にカップを傾けると中身を口に流す。
「それでは失礼して…オレの友人の1人に冒険者がいるんですが、それが一週間程前にクエストに出掛けたまま帰らないんです?」
「帰らない?遠方の場所のクエストだったとかでなくて?」
「いえ違います。出発する前に直接話しをして行き先を教えてくれたので間違いはありません」
「…場所は?」
「旧坑区です」
「旧坑区?」
話の途中耳慣れない単語に少し口を挟めば椅子に座るディガーは振り向き微かな微笑みを浮かべると「少し待ってて」と言って立ち上がる、そのまま何も言わずに宿場の奥へと向かってしまい若干慌てていると青年も青年で少しだけ息を吐き、緩めた表情で再確認するように「そういえば君はまだカヘルに来て間もなかったね」と言った。
「…う」
完全に話しの腰を折ってしまった事に恐縮し背筋を縮ませながらしばらく待つとディガーが丸め手にした大きな用紙を取り戻ってくる。
「ごめんなさい、待たせたわ」
言葉と共に硬い質感の紙が机の上に広がって、邪魔にならないようにとカップを手に持ち目を向けてみれば広げられた紙面は上下左右、東西南北を示す方位指針をあしらった地図のようなものである事が分かる。…大分簡略なものなのか山や川などは薄い線で描かれただけの見取り図にも近いが中心に大きく丸で囲まれたカヘルの文字はいやでも目に入った。
「石工都市カヘルの、この周囲一帯の地図よ。少し古いんだけど」
口元で小さく笑い自身もまた避難させていたカップを手に取り口を付けると地図上のカヘルの文字を指先でトントンと叩き。
「ここが私達の今いるカヘル、まぁ見たまんまね…それから、こっち」
…そのまま地図上を切る様に指し示す指が紙面を滑る。目視で見て向かって左下、地図上の南西と示された方向にスライドしていくとある一点、中央に描かれたカヘル程ではないが小丸で囲まれた部分を指差し文字を読む。
「ここが第一坑区…彼の言っていた旧坑区ね。石工都市カヘル成立当時に真っ先に手を掛けられた坑道であり街から最も近く…ただしもう完全に採掘も終了しているから今では廃坑扱いよ」
「ふうん」
滑るディガーの指先は再び地図上を横切って行き、今度は目視で上方、カヘルから見て北部から北西部に掛け連なる様に並んべられた三つの丸を叩き声を上げる。
「それでこっちが今最もホット、新坑区よ。手前から第二坑区に奥に第三坑区…少し離れて第四坑区。現状のカヘルの産出業である鉱石はもっぱらこの三か所から、それとついでだけどモンスターの発生もここに集結してるわね、カヘル近郊でクエストといったらほとんどここ…」
…言って、放った自分の言葉に何故か妙な表情を浮かべながらディガーは指先で地図を叩いた。
「あーホンッ…先を続けても?」
「あっ、はい」
そのまま新坑区の文字を見つめていると、ダウンゼンは小さく咳払いつつ声を上げディガーも浮かべる笑みを取り戻すと小さく頷いた。
「話しの腰を折ってしまってごめんなさい、続けて」
「…わ」
ディガー同様、ダウンゼンも手に持ったカップでもって口先を僅かに湿らせる。
「先程話したように一週間程前です、友人がクエストに出たのは旧坑区…地図上を見てもらえば分かる様に、ここカヘルは鉱山ありきの街で、最初に採掘の手が入った旧坑区は街から最も近郊にある場所です…実際旧坑区のどこに目的地があったのかは知りませんが例え長く掛かったとしても片道で二日弱…往復で四日以上掛かるなんて想像もできません」
「…そうね」
「だというのにもう一週間も…それにクエストの話し自体今考えてみれば少しおかしかったんだ。…ご説明にあった通り旧坑区は現在使われていませんから、そもそもそこに向かう用事が何かあるとも思えません。ここ数年の間はモンスターの発生も新坑区周辺だけで収まっていて、オレ達カヘル警備兵も名前を聞かない限り思い出す事もない…そんな場所で」
「ふむ」
「なのに…帰って来ないんです」
少し俯きがちに言うダウンゼンには何と声を掛けていいか分からずディガーも少し思い悩む様にして口元を指でなぞった。
「カヘル冒険者ギルドには相談した?」
「っ!しましたとも!」
ディガーの言葉に下がっていた顔は急に上がり若干上擦るような声がロビーに漏れ出す。
「ひょっこり戻って来てるかもしれないって、何度も顔を出して受付の人にも聞いて……ええ、今日もそうです。何とか掛け合って貰おうと非番を利用してギルドに向かって…それで彼に会ったんですが」
「…ん?コワードちゃん?ギルドに行ってたの?」
「え!あ、いや…ははは…」
急な矛先の転換に慌てて笑みを浮かべ、何とか手を振りごまかすが、ディガーはジトッとした目で見つめ…それでもあえて何も言わず小さく息を吐くだけで留めた。
「まぁいいわ、それでギルドに行っても聞き入れてはもらえなかったのね?」
「……はい、あくまでもクエスト進行中ですとしか説明されずに…何か事故にあった可能性だってあるんじゃないかって食い下がったんですけど全く…」
「…その時に…窓口はこちらにって特別に指示された?」
「え?ああ、はい…何か冒険者管理専用の窓口だからって…」
「そう」
「………クッ」
言葉と共に次第に曇り出していく青年の表情に地図の上へと置かれた指先は固く握り締められ、僅かに震えて揺れる。
「オレが…出発前に聞いた時に何か変だって気付けば、そうすれば。…冒険者ってそういう変にシビアな世界だって聞いてはいたんです。何度も飲みに行って、その度自慢話みたいに聞かされて……それで…杞憂かも知れない、勘違いかも知れないけど…でも、オレにとってアイツは友達で!すごく心配してるんです…モンスター討伐依頼とかでなくて申し訳ない!でもどうか…何とかアイツを探してみてもらえないか!?」
「っ」
ダウンゼンの真っ直ぐな…何か眩しさすら感じる言葉に思わず頷き掛け…横合いから伸びて来たディガーの腕がそれを止める。
「ひとつ聞いていい?」
流れた声は静かだった。ダウンゼンに向かって注がれる視線にはいつも浮かべているような穏やか気な笑みはなくそこにあるのは酷く無表情な透明なものだった。
「クエストに向かう時でもその前でもいいわ、何か友人に変わった様子はなかった?」
「変わった様子…」
掛けられた質問にダウンゼンは少し顔をしかめ、記憶を掘り起こす様にして細い瞳の上で眉間の皺を伸ばす様に触る。
「何か、少し慌てていたような。そのクエストに向かう以前には北の地方都市センヴェルに行っていたらしいんですが、そこに行くまでは確かすごい意気揚々だったはずなのに」
「…センヴェル」
咄嗟に漏れた呟きは自分の口から。
「…」
流れた音にディガーは特に何も言う事無く静かに視線をこちらに傾け…やがてたっぷりと考え込むような時間を経てからゆっくりと口を開いた。
「事情は分かったわ」
「っ!それじゃあ!」
声と共にダウンゼンは身を乗り出す様にして机に貼り出し押さえつける腕で地図を叩く。
「このクエストの依頼…」
「お断りします」
「えっ」
「…え?」
…驚きの声を漏れたのは青年も自分もほぼ同時…てっきり承諾するものかと、自分もその気でいた反面に衝撃も大きく、急ぎ視線を向け見つめてみれば何とも何食わぬ表情でディガーは椅子の上で両足を組むと傾けたカップに中身を少しだけ啜る。
「貴方に質問があるのだけど、いい?ダウンゼン・コリノさん」
「はい?」
「貴方は…その大切な友人がいなくなって、貴方自身では探しには行こうと思わないの?」
「っ…それ、は」
身を乗り出した状態のままで、ダウンゼンは掛けられた言葉に少しだけ視線を泳がし、次いで口元を歪め絞り出すように声を漏らす。
「いやそれは…オレも、警備の仕事があって…」
「あら!友人よりも仕事が大事?」
「ちがうっ!そうじゃない!…それは!……モンスタ…」
「貴方さっき自身で言ったじゃない、忘れた?ここ最近のモンスターの発生が確認出来るのって新坑区だけだって。…特別に進入禁止でもないのよ?廃坑とはいえ元鉱山ですしね…なのに、行かなかった」
「…」
「…そうね?」
「っ、ディガーさ…」
「静かに」
非常に辛辣な、それでいて無表情な顔から漏れる言葉に思わず声を上げるが短い一言で押し止められる。…青年の方はもう完全に顔を下げ机の上でうなだれるような形になっていた。低く苦悶のように、漏れる唸りだけが流れ…その姿を笑うでも嘲るでもなし、あくまでも感情を匂わせない顔でディガーは見つめ続ける。
「諦めなさい、それが賢明。…何も貴方を責めてる訳じゃないのきっとそれで正しかった。…もし仮に冒険者である友人に何かがあったとしてそれは貴方1人でどうにかできるものじゃないわ」
「ちがっ」
「出来る…話しじゃないの。それでいいのよ?無理な行動は余計な災厄を招くだけ…私達にもね。…正しい正規ギルドに話しが通っているならそれで静かに待っちなさい、案外なにげなく明日辺りにでもひょっこり帰ってくるかもしれないでしょう?」
「ッ!そんな無責任をっ!」
「そういうものよ、こういうの」
「クッ!」
細い目の奥で苦渋に揺れる瞳が瞬き…そして不意に自身を捉えた。
「っ」
ダウンゼンの目はその瞬間に開かれて最後の望みとでも見るように大きく声を上げ腕を伸ばす。
「君なら分かるだろっ?」
「えっ」
手が、伸ばされ腕が肩を掴んだ。強く込められた力に目の前で迫る目の色に縫い止められたように動けなくなり椅子に腰掛けた状態のまま縛り付けられるように動きが止まる。
「確か、にっ、オレは自分で動けなか…でも、だけどな」
「っ、あ」
「オレがアイツを心配してるのは本当なんだ!本当に大切な友人なんだよ!それを…信じてくれっ」
「……」
…少しだけ、目えお反らしディガーの姿を盗み見る。…少し渋い表情、眉根は下がり口はへの字に曲がっているが、それでもあえて何も言う無く腕組みした状態で静かに成り行きを見守っている。
…そこで叱るなり…ダウンゼンを止めるなり…そうしてくれればいいのに、と。 弱い自分が静かに囁いた。
「頼むっ!」
「…」
目の前で懇願するような仕草の青年に少しだけ息が漏れ、口は開く。
――――――――――――。
「すまないな…」
夕暮れもすぐ手前。赤味の差し掛かる景色の中で小さくダウンゼンはそう呟いた。宿場『泥船』を出てすぐの通路で…その表情はどこか厄を落としたような、それでいて残る不安感に静かに笑みは揺れている。
「少し、卑怯だったかも知れない…気紛れに話し掛けた君が余りに話しやすかったから、まるでそこに付け込んだみたいだ」
「いや、別に」
「でも…言わせてくれ」
「ありがとう」
…結局…依頼を受ける事にした。半ば独断で頷いてしまったのをディガーが仕方なく了承したという形だ。…文句の1つも言われるかと少し覚悟したが意外な程に何も言う事無くて……案外見放されたとかそういう類かも知れない。今頃白い目で見られバカにでもされているか。
「いや、まだ何も出来てないから」
少しだけ照れたように見せるダウンゼンの顔も赤く染まり出している。
…思えばありがとうなんて率直に言われなれていない自分がいて、恐らくは夕日の赤に混じって自分自身の顔すらも赤くなっている気がして少しだけそっぽを向いた。
「いいんだ分かってる、だから…とりあえずしっかりと聞いて、それで動いてくれただけで嬉しいんだ」
赤色の青年も少しだけ覇気を取り戻した顔でぐずる鼻先を擦り上げると元来細い目元を更に細く、しっかりとした笑顔を浮かべる。
「アイツの特徴は伝えた通りさ、無駄にバカデカいヤツだからさ遠くから見てても分かりやすいだろう?」
「…いや、実際に見た事はないんですけど」
「ははは」
小さく笑い声を上げ、そのまま背中を見せるように通路の奥へと向けて歩き出しながら微かに手を振る。
「期待してるよ」
「…ふぅ」
宿場泥船の中、窓から見える2人組みの影を目に収めディガーは小さく溜息を吐く。
…心の中の、とても正直な部分だけで言えばディガーはこの依頼の事も…引いてはダウンゼン・コリノと名乗った青年の事すらも若干訝しく思っていた。…それはあまりにタイムリーすぎ、こんなタイミングで丁度良く現れるクエストの依頼にどうしても違和感が先に立ち拭うことが出来ない……例えそこに人命という計りが加わったとして、例え涙頂戴の心痛い訴えがあったとして鼻で笑い疑心暗鬼に思わなくてはいけない立場に自身はいたはずであった。
「…」
窓枠の風景の中で2つの影の片方は離れると通路を歩き出し、残った背の低い方は大きく腕を振るい見送っている。
この場合送る側と送られる側で…見た目からして頼りない小柄な方が命を賭ける冒険者という役割なのだからなんだかおかしな感触が湧いてくる。…コワードと名定めた彼は一体どこまでを深く考え、そして答えを出したのか。
「ふふ」
夕日に赤く染まる彼の姿にディガーは心の中、心の外とで両方に僅かながらの笑みを浮かべた。
「余りに頼りにされた事がなくって、それで真剣に頼まれたからつい受けた…きっとそれだけね」
低く漏らしたディガーの言葉は実の所、確かに的を射ていた真実であり。
逃げ腰の冒険者はそうとは知らず、自らの足で叩き付ける波の中に身を投じて行く事を選んでいた。