06 クエスト
『依頼書 とても重い荷物の撃退 対応クエストランク:やる気のある子
行商人から入手した新鮮食材を街の料理屋へ届けよう、迅速な行動で撃退すれば上乗せ報酬だってあるかも! 記述 リザリア・ベルツ』
「っ」
頬を流れる汗を拭う。キラキラと輝く太陽の降り注ぐ黄色い光に目を細めて、肩に掛かる重みを担ぎ直しながら歩いた。木枠の組み合わさった箱の中から香ってくるのは青い生臭い香り…恐らくは魚かなにかか、身体に張り付く異臭に鼻も曲がる思いだったが…それでも魚介類であるならば尚更鮮度が命であり、一分でも一秒でも、ほんの少しでも早く届ける事が依頼主の安心にも繋がるかもしれない。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
荒れる心臓を抑え付け少しだけ速度を上げると駆け出す、真っ直ぐに向かう通りを数本、曲がり角を抜け路地裏へと数歩入っていけば視界に入ってくる一軒の黄色い屋根の家。まだ時間も早く営業を知らせる立て看板すらも出ていなかったが、大きく開いた扉の前で店主らしき恰幅のよい男性が道路に出て掃き掃除を始めている。
息を吐き砂混じりの路地を踏み締めながら足を向ければ店前に立つ店主と丁度目が合いこちらへと向け大きく腕を振る。
「おーいコワードくん!こっち!こっちだ!」
「は、はいっ」
頑張って駆けるが息は上がり、少し気恥ずかしさを感じながら大いに乱しながら走った。駆け抜け様に通りの路地から顔を出した小さな子供は自身の姿に笑みを浮かべ指差し、買い物カゴを下げた奥さんなどは小さく声を上げながら応援をしてくれる。
「はっ、ッ」
一歩、一歩、二歩、二歩、三歩、四歩。
肩に掛かる痛い重さに負けじと駆け抜け切ればにこやかな笑みで店主は出迎えてくれ上下する肩を大いに叩き眉根を上げる。
「よーしよしよし!偉いぞ!」
「おっ、お待、お待たせ、しまっ!」
「…ああああ、いい。少し休めって。こっちの箱はうちの若い者に…おい!ラッセル!ちょっと来い!!…あ、蜂蜜水でも飲むかね?」
「っ、カ、はっ、ありがっ…りがっ」
そのまま重い木箱を地面に置き、乱れる息のままに両手で膝についていると視界の端からヌッと現れる背の高い影。高い身長に見合うガッシリとした体型で浅黒く肌の焼けた青年は伸ばした腕で木箱を掴むと、簡単そうにひょいと持ち上げて店の中へと向かっていく。
「…!」
「グッ!」
…去り際、ちょっと振り向き様に親指だけ立てて見せるグッドサイン。…まだ息も苦しいがそれでも何とか呼吸を整えてこちらも親指を上げて返すと僅か程度に分かる微笑みを浮かべて奥へと消えて行った。
「ははは!いやいつもご苦労さん、ほぉらこれ!」
「はぁっ…ふぅ…はっ…あ、ありがとうございます」
少しずつ正常に戻ってくる息遣いに横合いから差し出された透明なグラスを受け取るとぎこちない笑みを浮かべる。しっかりと冷やされていたのか外の陽気に比べ渡されたグラスには無数の水滴が浮かび手に持った瞬間指も冷えて少し冷たい…しかし、その冷たさが不快かと聞かれればそんな事は全くなくむしろ火照った体には丁度よい冷たさだった。
自然と鳴り出す喉に任せそのままグラスを傾ければ口内一面に広がる身震いする程の冷たさ…その中に単に冷たいだけでなく微量な甘みを残し口当たりも非常にサラサラとしていて飲みやすい。カラカラに乾き切っていた喉にゴクゴクと押し込んでいけばグラスの中身はあっと言う間に空っぽに代わり。忘れ掛けていた息を取り戻すと大きく声が上がる。
「っはぁああああ!おいしいっ!」
「おおいいねいいね!いい飲みっぷりだっ」
恰幅のいい店主はそう言って胸を張りカラカラと笑うと傍らに隠す様に置いてあったボトルを手に取り軽く振るう、一振りごとに鋼色のボトルの中身でカランと涼しい音が鳴り、その響きが余計に喉を刺激して音が鳴る。
「どうだいもう一杯?」
「えっ!…あ……う…」
渡された蜂蜜水同等に甘い店主の言葉は一瞬誘惑に駆られそうになるが、唾を飲み込み慌てて頭を振るうと払い除ける。
「嬉しいですけど…その…まだ荷物が残ってて、スイマセン」
「ん…そうかい?」
「…はい」
頭の中思い浮かんでくるのは未だ宿場『泥船』へと残してきた荷物の山。まだ日も高くはなく時間的に言って焦り出す程でもなかったが…それだと言って大切な荷物を届けるのに早すぎるという事は無い。…実際自分の足にそれ程自慢がある訳でも無しどれだけ頑張ってみても依頼主をビックリさせてしまう程の早さで送り届ける事こそ無理があるが…ただ、それでもできるだけ。
鮮度のよい品を鮮度のよいうちに早く…そうすればその分だけ料理人は心置きなく腕を振るう事が出来るであろうし、それは最終的に出来上がった料理を食べる人達の笑顔にも繋がって行くはず……そう思い、そう思って見れば感じてくるこの苦労も…何て事なくもないのだが、それでも無理じゃない。
「そうか…」
恰幅のいい店主は伝えた言葉に少しだけ、本当に少しだけ寂しそうに微笑み口元のちょびヒゲを小さく撫で回してみせるのだが、それも一瞬、すぐに満面の笑みへと切り替えると大きな手の平で力強く背中を叩く。
「分かった!いい!それでいいんだ!がんばれよ!」
「っツ、いった、いたい、いたいって!」
「ハハハハ!…今度は客として来い、うまいものたっぷりサービスしてやるからな」
「…ハイっ!」
受け取った背中の痛みに押し出される様に前へと進み出す。
数歩歩き出し振り返ってみれば目に写る笑顔の店主、店の中でちょっと分かりにくいけれどそれでも手を振ってくれる青年。近くを通る見知らぬ女性は微笑みながら手を振り、野次混じりの声の高い声援は遊ぶ子供達から。
「よしっ」
一息吐くと再び走り出した。つい先程まで感じていたはずの疲労も今はもう吹っ飛んでいる。
眩しい日の光の下を…出来る限りでしかないけど精一杯駆け出して、そうすれば…胸の底から湧いてくる不思議な充足感。
「ああ…」
勤労っていいな。
―――――――――――。
「ちっがーーーううううう!!」
「え!?ナニ、なに!?どうしたの!?」
張り上げた言葉と共に大きく机を叩き付けると目の前でディガーは驚き目を丸くする。場所はギルド長室…という掛け札代わりの表札が掛かっただけの普通の部屋。少し気取ってみせた大き目の机の向こう側で、深く椅子へ腰掛けた男にもう一度目線を合わせると大きく声を上げて叫ぶ。
「なんで!冒険者になったのに!毎日毎日!雑用ばっか!!」
「…ああ」
ディガーはそう言うと小さく息を吐いた。
裏ギルド『マッドシップ』に登録をしてから早一週間の月日が経っていた。初めこそ緊張しつつもやる気溢れる日々を送ろうとしていたものの…気付いてみればその間に発生したクエストといえば商店への荷物運びクエスト、地区の道路の清掃クエスト、宿場台帳の代理執筆クエスト、付近住人の方々とのお茶会クエスト、元気な挨拶の声掛け運動……とてもではないがまるで冒険者らしさの全くないクエストばかりであり、むしろ宿屋の従業員ですか?と問いたくなる程の毎日を送っていた。……おかげ様で顔見知りとなったお得意様も多く今では仕事でも何でもないのに街を歩くだけで話し掛けてきてくれるような人も増えだしてはいるが……いるが、いやいるんだが……それはいいんだが…。
「なんで!モンスター討伐のクエストがないんです!」
大きく声を張り上げた。
…別に自分自身冒険者となったからといって毎日毎日モンスターと殺し合いをしたいかと言えばそんな事は全く無く、むしろ今だってモンスターに対しては怖さも感じている。しかし…しかしだ、それでも今度こそは頑張りたいと思っているのにこれはあんまりに、ここまで雑用紛いの事を毎日やらされればそろそろ……『あ、自分…何やってるんだろう』…などと思い始めてしまう時期であり、…自身の相棒であるはずのクロスボウなんか最近全くといって出番がなく、夢見の前にちょっと触れておくと何か安心しますよね程度の奉り神クラスにまで昇格しつつあった。…さすがに、これはマズイ。
「クエストといってもねぇ…」
目の前の書類を一旦追いやるディガーは溜息と呟き、眉間の間を揉む様にして目を細める。
「一応ね、やっぱうちってあくまでも『裏』ギルドじゃない?だからやっぱり基本的にモンスター討伐のクエストっていったら正式ギルド(あっち)に優先的に回っちゃうのよね。そりゃね?横から行って掠め取る事だって出来るわよ?…でもそんな事して問題になりたくないし。…何かあっちで対応出来ないレベルのモンスターの出現、もしくは誰かからの直接的な依頼でもあれば話しは別だけど」
「…む」
…目下の問題はこれだった。そもそも、モンスターの討伐というクエストが全く来ていない。
それでも正式ギルドの人間はディガーの言葉を借りればクラスが低いという事だがそれでも組織と言うだけあり人数は非常に多く、一般的にクエストを多く余らせるという事態がほとんど発生していない。それに加えてカヘル近郊で現れるモンスターの質も、その数こそ多いものの大変危険大変凶悪という部類はかなり稀であり…正直あっちのギルドだけで今は事足りている現状で。…ここまで聞くと何か、実は高ランクの冒険者を追い出し続けているのも単に経費削減か何かだけなんじゃないかと、変な勘繰りまで浮かび上がってきてしまうのが尚更始末に悪い。
「まぁね…もし何かクエストが出たら真っ先に話してあげる」
「っ!はい!」
「…でもねぇ」
「?」
言いつつディガーは口元に指を当て表情を少し曇らせながら覗き込む様な視線で自分の体を上から下まで舐めまわす様に見て……少し鳥肌が立った……身ながら何往復かした後再び表情を曇らせると大きく溜息を吐いた。
「な、なんですかっ」
「ん?うーん…」
「うーん…じゃなくって!」
「…うん」
少しどもりつつ虚勢を張って声を上げれば、ディガーの困り顔は更に加速するばかり。近くに置いてあったペンを手に取り手持ち無沙汰気味に机の上をコンコンと叩いていると眉根を下げ少しだけ視線を反らす。
「あのねコワードちゃん?」
「…ちゃんじゃないですけど、はい?」
「例えば…例えばよ?もしギルドの、あ、これは正式ギルドね。…あっちで対応できないクラスのモンスターが現れたとして…貴方だったら倒せる?」
「うッ」
「…もし戦えたとして、それで無事に帰って来れるの?」
「っ」
その一言に喉が詰まった。
「…」
視線が自然と床に下がる。
目の前の大男、裏ギルドマッドシップのリーダーであるディガーに言わせればそれこそ正式ギルドのメンバーは烏合の衆という事だが、それでも今の自分に比べて見れば十分に格上で……なにせ自分で思い起こしてみても自力でのみで達成させる事が出来たクエストと思えば薬草採取だけしかない。それ以外の実際のモンスターの討伐は正直未経験にも等しく。…それでいてじゃあコレを倒してくださいなどと言われ、例えばスケイルバードクラスの怪物モンスターが現れたとしてどうにか出来るかと言われれば、やっぱり答えは詰まるばかりで…。
「い、いやっ」
…それでも、何とか口を開く。
「今は!…確かに勝てないかもですけど先ずは弱いモンスターから討伐していって経験を積んでいけばきっと…!」
「きっと、ね。でもだからね、そういう弱いモンスターのクエストはうちまで回ってこないの。そんな誰でも戦えるような相手あっちがさっさと処理しちゃうわ」
「なっ、そん…」
…それじゃ…冒険者になった意味も。
「っ」
床を睨み強く唇を噛む、眉間に皺が寄り表情は険しくなるが…それでもいい反論も思い付かない。
「…ふぅ」
ディガーはそんな自分の姿を見つめ少しだけ表情を緩めると僅かに笑みを浮かべてみせる。
「焦らなくていいわコワードちゃん、今はゆっくりと待っていれば…そうすればいつかそのうち機会は回ってくるわ。それまではしっかりといざという時の体力作りだけにこだわって今は頑張って」
「…」
「ね?」
「……はい」
…小さく短くそう答えると踵を返し部屋を後にする。
「…」
『いつかそのうちじゃ遅すぎる』とは…口が裂けても言えなかった。
――――――――――――。
「…はぁ」
がやがやと、耳うるさい喧噪に目を向け路地横の手すりへと浅く腰を掛ける。
視線の先に見えるのは巨大な建造物。大きく開かれた建物入口は横に三つ並び、そのどれもから多くの人が出て、多くの人が吸い込まれていく…中に目立つ背負った大きな槌、腰から下げた剣、骨太の長い弓に変わり種でいえば大鎌なども。雑多に入り乱れる人の流れを見つめ小さく愚痴が零れる。
「いいな」
…カヘル正式冒険者ギルドは人で溢れていた。川の流れのような人の群れから離れた場所にはいくつかのグループが出来上がり、これからクエストにでも挑むのか何人かが円陣を組んで固まっている。全体的に見て若めの年齢層ゆえかざわめきの中には時折黄色い声が混じり、遠くから眺めているしかできない今の自分にとっては殊の外耳痛かった。
腰掛けたままやさぐれ気味に肘を突き頬杖をつき、態度わるく人波を眺めていれば心の中に湧いてくるちょっとした悔しさ…形にならない胸の焦燥。…本来であれば自分ももしかしたらあの流れのどこかに居たのかもしれない…それでいて大切な仲間とか、これから向かうクエストの話しとかもして…もしかしたら討伐で大活躍だって。
「……いや、ダメだダメだ。ないないない」
…どうも想像の中だと自分の姿がどんどん美化されてしまう。
格好よく立ち回り並み居るモンスターをばったばったと倒し大活躍、それで集まる尊敬の眼差しに賞賛の言葉。そんな事あり得ないと分かり切っている気持ちの良い想像を頭から振るい落とし大きく首を振って見ていると…その時不意に人混みの中で、1人の人物と目が合った。
「…」
目が合った…というか目を奪われた。
風にたなびく金色の長い髪に切れ上がった鋭い瞳…整った顔立ち。
僅かに赤い唇とは対照的に要所を守る銀色の胸当てに鎧は冷たい輝きを宿し、腰から下げた二本の宝石付きの剣が鈍く光る。
一般的に見て美人な感じの人だろうが。
「あ、れ?」
それ以上に、その姿に焦燥感にも近いざわめき。まるで知らない顔まるで知らない姿…しかし記憶の底を揺さぶられるような胸の締め付けが訪れ…何か理由は分からなかったがもっとよく見ようと目を見開き。
「あれ?君」
その時すぐ後ろ側から声が掛かった。
「っ、は、はいっ!?」
余りの驚きに一瞬手すりから転がり落ちそうになり慌てて立ち上がると声の方へ、そこには動きやすそうなラフな格好をした青年が立っていた。そのまま振り返った自分の顔をもっと近くで見るようにじっと見つめ…やがて両手を打つと顔に笑みを浮かべる。
「あぁやっぱり!奇遇だねオレの事覚えてる?」
「え、あ…はぁ?」
「ほらほらカヘルの入域審査で顔を合わせたでしょ…見て見てこの目!」
そう言って自身の顔を指差して見せた青年の目は非常に糸のように非常に細かった。
――――
「今の…」
小さく口の中で呟き女剣士は遠ざかって行く2人組の背を見送る。少年と、それと少し背の高い青年の後ろ姿。わずらわしく絡まる長い髪を掻き上げ視線を送るがどうにも心の中を引っ掻くしこりは消え去らず、どうしようもなく視線だけを送っているとやがて2人は路地を曲がり視界の外へと消えて行く。
「…」
何とも言葉にならない感情に違和感と。胸を抑えて佇んでいるとギルドの奥から名を叫ぶを甲高い声が響いた。
「……」
最後にもう一度、名残惜しげに雑多な人で賑わう通りを振り返り女剣士は建物の奥へと向かって行った。
何故か主人公が毎回飲み食いしているシーンがある気がする。
いつのまにそんな食いしん坊キャラに…