05 臆病と言う名前
「先ずはこれを見て頂戴」
そう言いディガーと名乗った男から手渡されたのは一冊の本。宿場台帳の横に並んだ数冊ある本のうちからの一冊、背表紙には何も書かかれていないその本を手渡されると中身を捲る。
「ここのページから先ね」
「はぁ」
有無を言わせない態度に受け取った本を先からぺらぺらとめくってみればそれは何かのリストのようだった。格子組されたページ一面に人名らしき記述がずらりと並び、名前の横には対応したように記号が並んでいる。…人名の方はどうやら男女の違いもなくバラバラに、パッと見た記号の中にはB~Dの文字が目出ち…極たまにAの表記が混ざっている。
「うん…うん?」
ページを捲っても捲ってもひたすら名前と記号しか並んでない本から顔を上げると次に目の前には新たに差し出される別の本が数冊、押し付けてくるディガーの太い指先から仕方なしに受け取ると机の上に並べる。
「次はこっち、目を通して」
「…あの、これが一体何で?」
「後で説明するわ」
「…」
丁寧な口調ながらもなんらの説明もない事に訝し気に目で見るがディガーは曖昧な表情を浮かべるだけで何も言わない。…そのまま「はぁ」と口を開き溜息交じりに新しい本を広げて中身を見てみるが内容は先程の本と同じように、ただただ人名と記号が並んでいるだけで…ただ少し違う所があるとすれば今度の本に目立つ記号はF~H。たまに目につくのがE。…他の数冊も一応見てみるが全て同じようなものだった。
しばらくそのまま眺めていると男からようやく声が掛かる。
「見た?」
「…はぁ、見はしましたけど何ですかコレ?」
「それは、リストよ!」
「…」
…いや何を当たり前な事をと、男の顔を少し睨むがそこには曖昧な笑みが浮かぶだけで…しかし少しだけ下がった眉根は低く、実に微妙な表情がそこにはあった。
「最初に見せた本はここ数年でカヘルの冒険者ギルドを辞めた…もしくは追放された人のリストよ。逆にこっちはカヘルに来て新しく冒険者登録を行った人物…こっちの方は人数が多すぎて途中で記録するのもやめちゃったわ」
「…冒険者の」
言われて本をもう一度見る。
…リスト、と男は実に簡単に言ってのけるが、実の所それは犯罪なんじゃないだろうか?何故そんな事を知っているのか…目の前でやれやれだわ、と小さく溜息など吐いて見せる男はその内心を全く覗かせずに。
「ん?」
その代わり丁度タイミングよく伸ばされた細い腕が目に入った。
白色の指先に持っているのは湯気の立つ小さなカップ。カップの中の独特だが不快ではない不思議な香りに揺れる黒い湖面を見つめ、差し出された先に目を向ければはにかんだような少女の笑みが目に入った。
「これカッフィっていうの、よかったらどうぞ」
「…あ、どうも」
「少し苦いけど砂糖はいる?」
「いや」
尋ねられたその一言に何となしに首を横に振った。
カップの中身は初めて見る飲み物であったがただなんとなく…砂糖を欲しがるという行為が少しだけ恥ずかしく感じられたから。白いカップに揺れる黒。手に取ったカップを静かに傾け口へと流し込めば途端に広がる熱い香りに、口内を一気に占領した苦さ。…風味自体は嫌いじゃないかもしれないがあまりの苦さに顔をしかめさせかけて、こちらをじっと見つめている小さな微笑みに気付くと慌てて笑みを取り繕う。
「ふふ…これ、どういう事か分かった?」
「…え!?」
「このリストの意味よ」
「え、あー…」
入れ違いに聞こえる男の言葉に口をつけたカップを急いで離し広げられた本の上へと再び視線を戻す。
「…」
チラチラと視界の隅に入ってくる黄色いワンピース姿を無意識に見えないように気を付けて、意識散漫になりながらも目の前のリストをしっかりと見つめる。
辞めた人間…もしくは追放させられた人間の数は全体で数十では収まらず、下手をすればもっと多いかも知れない。同時に新しくギルドに登録した人間の数はもっと膨大で、こちらは軽く百は越えているのが分かった、視線を落とす本の中身もびっしりと名前が刻まれ目が痛い程で。
…つまり収支のバランスでいえば大きくプラス側に、人数でいえば人で溢れているかも知れないが…それだけで収まらない違和感があった。
「その…」
「うん?」
「つまり、カヘルのギルドでは受注クエストのランクが高くなった人間は自動的に追い出されている?」
「…半分正解」
自身の言葉に、それでも一定以上の満足は示したのか小さく笑みを浮かべるディガー、冊子の中の人名欄を太い指先でコツコツと叩くと話しを続ける。
「私の知古でまだギルドに残っている人間だとクエストランクBのじい様が最高ね。それ以外だと出入りがひどく激しくて基本的に一度追放を受けた人間はカヘルは受け入れようといしないわ、例えそれがどこの人間であってもね」
「…」
「…実情までははっきりと分からない…それでもカヘルの冒険者ギルドは意図的に烏合の衆になろうとしているのは確かよ。現実に今のギルドは低ランク冒険者の巣窟と言って大きな問題は無いわ」
「…」
「おかしいと思った?」
「はい……はい?」
男の言葉に、とりあえずは頷いてみるがはっきりとは分からずに、それでも胸の底に疑問が残る。それは御者の言葉であり冒険者の意味であり……確か御者はカヘルという街についてこんな事を言っていたはずだ『モンスター化の傾向が強く、人手不足に悩む様な街、おかげで待遇も良くて仕事が溢れている』…実際に到着して目にしたカヘルの街並みは聞こえた通りに立派なものでかなり栄えているいう事は見て取れた。人も多く、活気もあって、ご飯もおいし―――なんだ、今、何か引っ掛かった――。
「…」
…そんな大きな街のギルドでありながらわざわざ高ランクの冒険者を追放する理由が分からない。…実際にその冒険者が何か犯罪紛いの事をしていた可能性もあるがそれでも高ランクのクエストを受注出来る人間をホイホイと追い出す理由には繋がらない。例え人格的に問題があったとしてもクエストランクが高いということはそれだけ強力なモンスターに対抗できる力である事は変わらずに…そんな実績ある冒険者をどれだけ抱え込んでいるかという事はある意味ギルド全体の評価にも繋がる。そんな優秀な多くの人材をわざわざ放出し続けて何が…。
「悩んでる?」
「は…えっ」
「しっかりと考えて悩む、そういう男の子の顔ってやっぱりいいわー」
…いつの間に、下がっていた視線を声によって上げると視界の一杯に広がる大男の素敵スマイルの大アップ。
反射的瞬間的にゾワリと脈打つ背筋を感じる中で伸びてきた太い指は頬を撫で回し。
「しっかりと考え動けるって事は冒険者にとって大切な事。より考え、もっと考えて…何が一番大切かを考えて…」
「ひぎゃああああああ!」
「あら?」
目と鼻の先から感じる熱い吐息に身体中が危険信号を発し、椅子から転がり落ちるように後ずさる…生憎とすぐ傍が壁であった為に逃走は遮られるもののそれでも壁伝いにずりずりと後退り半ば腰を抜かしながら活路を探す…しかし幸いな事に今回はちゃんとした助けがあった。
「もう!父さんダメでしょ!?そうやってすぐ手を出そうとするんだから、その癖をまず何とかしないと」
「え、そう?ちょっとスキンシップのつもりだったんだけど」
「それがダメなの!」
救いの主である少女は小さく怒ったようにディガーをたしなめると歩み寄る。
その顔に浮かべた優しい笑みに細い腕は服の裾から差し出され。
「ごめんなさい、もう大丈夫。安心してね?」
…その瞬間…少女の姿にまるで後光が差している様に輝いて見えた。背中から生えて見える幻視の白い翼は正に天使か…可憐な微笑みで差し出される腕は震え上がっている自分の指をしっかりと包み。
「ごめんなさい。父さんは嬉しいのよ、それで今ちょっと我慢が効かなくって。若くて元気のいい男の子を見るとつい手を出してしまいそうになるの」
「え…い、いや!それは別に…よくない…全然よくないけど!でも」
「でも?」
「あ、ありがと」
ついそっぽを向いて言ってしまうとはにかんだ笑みが零れた。
「ううんいいの、私も気持ちが分かるからね」
「…はは、そう」
笑みを浮かべる少女の手をそのまましっかりと持って立ち上がると机へ…。
「……」
戻り掛け…。聞こえてしまった言葉に冷静になった頭が整理をする。
『私も気持ちが分かるからね』
「…………」
ギリギリと鳴るような音を上げゆっくりと振り返ると少女を見た。
「ん?なあに?」
目の前にあるあどけない綺麗な顔に指先を繋げあっているせいかやや赤みを差した頬を見て。
…いや…はは……まさ、か…
「あの」
自分もぎこちないながらも笑みを浮かべると返した。
「…女の子、ですよね?」
「え?…ふふふふ」
…質問への答えは含んだ笑みだけだった。
…………………………。
「それじゃ手続きに入りましょう」
木目の机の上、差し出された一枚の用紙へと目を向ける。絢爛な装飾の類は見られないが高級紙を匂わす純粋の白に書体の整った文字、細々とした説明文が並ぶ文章の終わりには名前を書く横欄と小さな丸印があった。
「私達ギルド『マッドシップ』はいわゆる非公認の私設ギルド。この街カヘルの在り方に疑問を抱く志しある冒険者の集まりよ。…まぁ実質追放されたり辞めさせられたりで行き場を失くした人間の集まりでもあるけど」
小さく含み笑いを浮かべるとディガーは続ける。
「基本的な活動は通常の冒険者と同じ、強力なモンスターの報告を受ければコレの殲滅に当たって、正式ギルドのクエストには極力噛み合わないように注意をする…その事だけは気を付けて」
「はぁ」
…いや、そもそもまだ正式に入るとは言ってないはずがなし崩し的に目の前へと差し出された加入申請用紙を見つめ、そのまましばらく考える。
「……」
一度は断られた…これは正式なカヘルのギルドでの話だが、断たれてしまった冒険者の道がこの用紙によって広がっている…かも知れない。
「…」
…かも知れないだ、そこに保障なんて何もなかった。
堂々と『裏』を自称するギルドなんかに本当に在籍していいのか。説明こそはマジメなものであった気もしたがそもそもこのディガーと名乗る男に出会ってまだ一日も経ってないで…そんな人間の言葉を簡単に鵜呑みしてもいいのか…その中に嘘はないのか。
「……」
…目の前の紙を見つめ悩んだ。
視線を少し横に向けて見れば不安そうにこちらを見つめてくるリザリアの顔、何かを悟ったような笑みを浮かべるディガー…どちらを見ても、何を見ても明確な答えは浮かばない。
「…」
それでも。
「…リスタート」
そう、口にした。
再出発と決めた…今度こそは逃げずに誰かのせいなんかにしない自分を…そう思って来たはずの街だった。…だから…そんな自分まで嘘にしたいとは思わない。
『キミは出来るよ』
「…よし!」
少し顔をピシャリと叩き、胸に湧いてきた言葉にペンを取る。とりあえず迷いも疑いも置いておき、それでも信じてみようと力強く握り締め。
「…あ、本名の記載はやめてね」
「え」
…動きが止まった。
「いやほら私達一応『裏』ギルドを名乗ってるでしょ?一応は冒険者という括りですし明確には犯罪でもないんでしょうけど世間体はあまりよろしくないのよ。だ・か・ら、本名のまま登録してしまうとちょっとまずいかなって、そういうの嫌でしょ?」
「え…はぁ、まぁ」
「だから偽名で登録をお願い」
「む、え…むぅ」
…偽名。
「…」
いやそんなのないだろう。偽名で名乗るなんてそもそも考えてすらいなかったのにここに来て何か案など出る訳がない。確かに男の、ディガーの言う通りであって何かしら影響があるというなら出来るだけ受けるのは避けたい。…自分では何もしてないというのにその煽りでそれこそ今度こそ冒険者登録完全無効とでもなってしまえば最悪で……だからといって何か名前も……。
「…」
考えあぐねる自分を見つめディガーは少しだけ困ったように笑みを浮かべると口を開く。
「そんなに悩まなくていいわよ、そうね例えば何かあだ名とかなかった?偽名とはいっても一応は呼ばれなれたものを使った方が案外しっくりくるものよ?」
「……あだ名」
呼ばれ慣れたあだ名。
…そう言われ1つの言葉が浮かび上がる。
「…コワード」
「コワード?」
「あ!いやっ、なんでも!」
言い、つい口を滑らせてしまった事に慌てて腕を振って否定をする。
何をバカな話しをと、今まで言われて散々嫌だった言葉をこんな所まで来て呼ばれたくはなかった。何か別のもっといいもの、いいもの…と頭を捻る。
…むしろ逆の響きはどうだろう?ヒーローとか英雄とかスターとかそう言った感じのいい言葉を名乗ってみたいなとも少しだけは思…
「いいわね!コワード」
「い!?」
ディガーは両手を叩き笑みを浮かべながら微笑んだ。
「いいと思うわ!あまり感じのよくない偽名をねあえて名乗って厄を払おうっていうのはよくある話しよ?だから例えコワードだって全然変じゃないわ」
「へ!?いや!そうじゃなくて!」
「はい決定~」
ディガーは浮かべた笑みのままペンを握り締める自分の腕をそのままむんずと掴み取り、力強いタッチのまま用紙に。記入欄と記された場所に否応も無く叩き付けられるペン先は『コワード』の文字を勝手に刻み、赤インクの中に親指を漬されるとそのまま紙に。
「いや待て!待て!オレはコワードなんて全然!」
「ふふ安心なさい、ここはそうドドーンと泥船に乗った気分で」
「沈む!それは沈むから!」
「はーい押しますよ」
「イヤーー!」
…そのままたっぷりと、押し付けられた指が離されると目の前には署名に指印まで押されたギルド加入申請の完成体があり。
「あ、あ、あ…」
胸に湧く大量の不安に極僅か、か細い光程度である希望。
まだ見ぬ空に胸引かれ臆病者の冒険者、正式名称『コワード』の誕生したその瞬間だった。