04 朝
この小説は、18禁では、ありません。
ザ ザザ ザ
「…」
夢。
ザザ ザ
夢の中にいる。
「…」
それが夢だと分かるのは目の前に広がる嵐から…視界一杯に広がる砂色の覆いに時折混じる黒色の砂鉄、荒れ狂う風の中で混じりあいながら飛び交う…右を見ても左を見ても目に入ってくるのは砂の嵐だけであり一寸先すらも定かに見えなかった。
「…」
呆然として見つめる先に砂の中に僅かな線が浮かび上がってくる。白色の細い棒のように見える線は砂嵐の中で翻弄されながらしっかりと蠢き合い形を作りながら…こちらに。ゆらゆらと揺れる『指先』は誘う様に誘って手招きを繰り返す。
「…」
それは元は手だったかも知れない何かの骨。…そう気付きはしたが不思議と怖さは沸かず、むしろ肉身に皮すら捨て去ったその有様に魅入られたように指を伸ばし。
「…っ」
少し触れてしまった砂の壁に阻まれ伸ばした指は跳ね飛ばされた。
「はッ」
急激な息苦しさを感じて腕を伸ばす。
虚空に向かい直上、白色に見えた天井へと向かって伸ばされた指先は…しかし何も掴む事無く空を切った。伸びきった自身の腕と自由に動く指の先を見つめ、不意に風を感じて振り向く。
「…」
いつの間にか流れ出ていた汗が風の柔らかな肌触りを余計に感じさせ、風の出元へと目を向けてみれば少しだけ開かれた窓が目に入る。
「こ、こ…」
…ぼんやりとした頭がようやく動き出した。見覚えのない景色に見覚えの部屋、チュンチュンと鳴る鳥のさえずりが響き…頭が、ひどく痛い。
「…ツっ…ッ…何だ、コレ」
鈍い痛みに頭へと触れると奥底から湧くようなジクジクとした痛み。頭全体を覆い、特に後頭部へと掛けて集中する痛さは朝駆けのぼやっとしていた意識を急速に引き締める。
「っ痛…何だ、ここ、ッタ……確か、昨日…酒場、でッ」
唸る痛みで呟き現状を把握しようとするが…。
「で…酒場で……」
…その先が全く思い出せない。
ポカリと切り取られた空白の内側に…何とかどこかの酒場に居た様な気だけはするのだが、それ以上は何も出てこなかった…。経験のない痛みにこれがきっと二日酔いだろうかと当たりを点けてみるが明確な事は何一つとして出てこなかった。
「っ!」
そこまで考え、そこでハッとして気付く。現状の…というか今の自分自身についてだ。
見慣れない部屋に見慣れないベッドの上…目に入る小さな机1つに備え付けの窓にカーテンが揺れていて…いや、これはいい。
「…」
入口の扉らしきドアの横に自分の荷物が並んでいる。『誰か』によって整理されたのかキチッと行儀よく整列をし…いや、これもいい。…それよりももっと問題は、自分の体であって。
「なんで…裸なの」
自分の姿を見下ろして見てみた。ベッドの上で、はだけたシーツの下に広がる肌色一色…かろうじて下半身だけは服を着ているが上半身に限っては上着やシャツの類もなくそれどころか肌着一枚すら身に着けずに糸まとわぬ状態で…
「あら、起きた?」
………声が聞こえた。
「……」
耳に聞こえた音に…そっと首を横へ向ける。……自分自身の体であるはずなのに何か生理的な反発心を感じるような、油切れの玩具が如くギチッギチッと音を立てゆっくりと首を横へ向けるてみると…。
「オ・ハ・ヨ」
筋骨隆々の…上半身裸の男が目に映った。しかもハゲ、スキンヘッドである。
「……」
身体が固まった。口を開けて瞬間固まった。
「…はっ!」
数秒に満たない硬直が解けたその瞬間、行動を取り戻した身体は腰掛けるベッドへと向かい全力で頭を叩き付けろという冷静に命令を下した。無論拒否などしません、これもきっと夢…多分夢の続きなんだ。
「あああああ!」
震える体で柔らかなクッションへダイブし、何度も何度も頭を叩き付けながら懇願する。早く起きろ早く目を覚ませ、さあ早く早く早く…そう繰り返し、なんとかこの悪夢から逃れようと切に願ったが。
…しかし、ひどく残酷な事に何度往復を繰り返してみてもマッパ男の幻影は消えなかった。…しかも夢だというのにすごく痛い。
乱暴にぶつけた頭は更に記憶をごちゃ混ぜにし意識を混濁をさせ。
「ちょ、ちょっと!ねえ、どうしたの!?」
声が響き。
「ッ」
(上半身裸の)大男が心配そうな眼差しを浮かべたまま(太い)腕を伸ばし暴れる自分を難なく取り押さえると。
その手の中で抱き留めた。
「大丈夫?」
「ひ」
朝焼けの中。
「ひぎやああああああっ」
耳うるさい叫び声は小さな部屋の中でこだました。
―――――――――。
「まずは自己紹介ね」
そう切り出したスキンヘッドの大男は机越しに居住まいを正すとコホンと小さく咳き込んでみせる。一般的な丸机の反対側に腰掛ける自分の目に写るのは、当の本人である大男ともう1人、背丈の低い黄色のワンピースを着込んだ少女の姿。
「私の名はディガー・ベルツ。ここ宿場「泥船」のマスターにして現宿主。こっちの子は私の娘のリズね」
「リザリア・ベルツです、よろしく!」
言葉と共にはにかんだ笑みを浮かべる少女…そのすぐ隣に座る巨漢のせいか普通の笑みすらも何か儚げな綺麗な物に見え。
「………」
「…あ、あら?」
反対に、自分の表情はひどく暗く、重かった。
とりあえず落ち着いて朝食でも取りましょうと言われ男に連れてこられた……もちろん服も着たし、何故か同様に裸だった男にもすぐに着てもらったが……連れてこられたここはどうやら建物の一階であり。全体に比べ少しこじんまりとした印象を受けるロビーのようだった。中央に立つカウンターには男の言葉通り宿場台帳らしきものが整然と並び、カウンターから伸びる通路を挟み両隣に机が二つ。残りは数人通るだけで一杯になりそうになってしまう程度の広さだったが手入れ自体はよく、木目の見える床にはチリ1つも目に入らない。
2つしかない机の1つを占領し目の前に広げられたのは温かな朝食の姿、平皿に乗った焼いた丸パンに刻んだ野菜の浮かぶスープ。気持ち程度に乗ったパンの上では溶けかけたバターが香ばしい香りを上げている。
「……よ…よろ……うっ、よろ…っ」
…暗い表情ながら何とか返答を返そうと口は動くが、述べた声は言葉にもならずに後半にかけては、何か零れた呻きのように変わってしまった。
頭は今も痛い。昨夜の事もうまく思い出せないが…思い出せないなりにもここまで歩いてくる間にいくつか思い出せた事があった。…それは確かな記憶というよりもその時感じていた感情の欠片程度に過ぎなかったが。
「…」
お互い上半身裸でいた朝のその前夜…その時感じていたはずの感情だけを抜き取って思い出すと。
「…ぐす」
…きっと、う、うれしかった。しあわせ、だった……んだ、と思った。
どれだけ思い起こそうと頑張ってみても蘇ってくるのは暖かな気持ちに柔らかい感情。何か甘みすらも感じる『喉越し』に優しい『口どけ』…もっともっとを、とせがむように動いていた腕の感触。…焦がれ待ちわびたものへと手を伸ばせば…ちょっとした幸せが感じられて、胸の底の下の辺りに何か膨れ上がるような満足感が思い浮かび―――
「…」
そこまで考え、思い出すのをやめた。…絶望したのだ。
…昨日の、きっと…何か悪夢めいた出来事へと思いを寄せ、正確ではなくても胸いっぱいに腹いっぱいに感じてしまった喜びと自分自身に対する恐怖。
…きっと酒だ、何もかも酒のせいなんだ!
「うっ、ううう、ウウウウ」
…そう、言い聞かせてみても込み上げてくる涙が止まらない。
もう汚れてしまった、最早汚れてしまったんだ自分…そう思い抱くと悲しみが止まらない。
「ちょ、ちょっと君!大丈夫?」
「う、ぐす、う、うう…はい」
涙ぐむ自分に向かい、たしかリザリアと名乗った少女が手を伸ばすが、その手が触れあう前に横から伸びてきた男の腕によって止められる。
「父さん?」
「…」
見返す少女に男は、無言で首を振った。…しばらくしそのままにし静かに立ち上がると視線を細め言葉を零す。
「事情は…分かってるつもり。悔しかったのね?」
「う…ぅッ」
…分かってるも何もアンタが原因だろう!…そう言ってやりたかったが唇を噛みしめ溢れ出そうとする気持ちを押し付ける。
胸に誓った熱い闘志が…一晩のうちに厚い胸板に。極大のやる気は極太の腕に取って代わってしい…その事が確かに悔しく…それ以上に何だか幸せな気持ちを感じてしまった自分自身が憎い、本当に憎い!もう、こうなったらいっその事…!
「いいの、いいのよ…男の子だものね、少しくらいは悔しがりで丁度いいのよ?その涙…恥ずべき事はないわ」
「っ」
「…ついてきなさい」
―――嫌だ。
目の前の朝食も置いて、立ち上がったまま男は背中越しに眺めて促すと背を向けて歩き出す。…嫌だ、嫌だ。もう十分に汚しただろうが、これ以上何をするっていうんだ。
「…」
一縷の望みを賭けて少女へと目を向けるが、その顔には気遣わし気な笑みだけが浮かび上がり。両手で揃えたグーを胸の前に握り。
「がんばって!」
…と小さくダメ出しする。
「……」
その瞬間に、悟ってしまった。…そうか…もう…逃げ場すらないか。
無邪気に邪悪な笑みに送られながら能面のような顔で立ち上がると男に続いて歩き出した。
男の進みんで行く先はカウンターの隣。横にある階段の影に隠れる様に取り付けられた扉を潜り抜けて行けばそこはロビーの反対側に……
「…」
…なるはずなのだが、目の前には先程まで居たロビーと全く同じ様な光景が広がっていた。横目に見えるカウンターの造りも形もさっきの部屋にあったものと同様、やや狭く並ぶ机こそはこちら側にはないが、代わりに広めに作られた出入口と、入口横に立てられた大きな立て看板。…擦り切れ手前の文字で『マッドシップ』と書かれているのが目に見えた。
「事情は聞いていたわ。だから本当は分かってたの、貴方じゃこのカヘルで冒険者にはなれない、登録しようとしても邪魔されるのは目に見えたわ」
背中を見せていた男はそう言って振り返った。
「…」
…そうか、夕べそんな事まで話してしまったか…そんな事まで言ってしまう程中が良くなってしまったのか。
いよいよ行く場所も逃げ道も塞がれた様に感じられもう…諦めていっその事を骨を埋めて眠るしか…。
「でもね」
そう思っていた所、男は腕を広げた。長い両腕で天井を仰ぐように、真摯に見つめる視線の内に片方だけの目でウインクを瞬かせ。
「私達カヘル『裏』ギルド、『マッドシップ』は貴方の事を心から歓迎するわ」
「…………へ?」
「一緒にがんばりましょう!」
屈みこみ…大分背の高い男の方へと手を取られにこやかな笑みのまま盛大に腕を振るわれる。
「…え」
自分の首が頷く。
それは了承したと言うよりも男の力が余りにも強すぎて勝手に首が上下に動いてしまっただけだった。