幕間 ある研究員の記録
アルフレッド・カークス
□の月。○○。
今日この日、私は胸の底から湧き上がる衝動に筆を執る事を決めた。こういう細やかな事に関して何事も長続きしない私であるが、どうしても書き残したくなったのだ。
事の起こりは数日前、以前から願い出ていた配置転換の希望が受理されたのだ。しかもだ、新設される最近研究所の一員としてだ。未熟な私にとってそれは正に夢のようであり、それからというもの落ち着かない毎日を過ごした。
最早子供でもあるまいに夜も眠れずに目が冴えきってしまう。勝手に膨れ上がる期待に希望はまるで幼い頃に読み聞かせられた寝物語のように、早く先を早く続きをと心の底が望んでやまない。
未だ未完成とは聞いた。王都からもかなり距離があり遠いのだが、完成より先に目に留めておきたいという欲求から私は旅に出る事に決めた。旅費にも日程にもかなり厳しいものとなったが、その労苦すら今の私にとっては極上のスパイスに他ならない。
旅の車にうまい事合流する事が出来、私の旅が始まった。
□の月。○△。
旅に出るという行動は書物で読んだ事以上に過酷なようだった。息苦しい空気に座りすぎて硬くなってしまった腰を撫でて理解する。
元より研究一辺倒であった私に他の人間と心躍る会話をするような技能はなく、箱車の隅の一角を陣取ると無言の時間を甘受した。喉の渇きや空腹でも感じればそれこそ物乞いのように同乗者に寄り沿い食物を手にする事も苦痛だ。
それでも私の心に宿った赤い炎はその程度では微塵も揺らぎはしないのだが。
そうだな。もし機会があればもっと陸路を補正するように願いたい。どうにも道がひどすぎる。
□の月。○×。
その日たまたま同乗した親子に、子供の方が熱を出して寝込んでしまった。どうやら都でも流行り始めている熱病の一種らしい。感染症の類だったらどうするつもりなのか、そもそもそんな状態で旅に出るなど何と恥知らずで情けない事か。その事を強く諭してやったのだがどうにも母親の方は暗い表情をするばかりで今一つ理解しましたという反応がない。
心なしか同乗者達の目まで冷めたものになった。全く何だというのか、私は何一つ間違った事など言っていない、正しく正論なのだ。
最終的に心苦しい表情で私に向け頭を下げた母親が子供を看てやってほしいと頼んできた。確かに私は学者であるがどうにも病理学というものはからきし専門外だ、だがこの際仕方ないだろう。私にだって見栄の1つくらいはある、受けてやる事にした。
□の月。○◇。
子供の熱病が悪化する。低く呻くような声は止まらず、額など火のように熱くなった。
これは無理かもしれないな。せめて余計なショックなど受けてしまわないように母親にそれとなく話してやった。せめてもの配慮というやつだ。だというのにこの母親、何を狂ったか私に向かって手を上げてきた。全く何と恥知らずな連中だろうかこれだから知識のない人間と言うのは嫌いだ。何かにつけて自分の視野しか持っていないのが気に食わない。
もう知った事か。どうにでもなるがいい。私は匙を投げた。
□の月。○▽。
今日、たまたま乗り合わせた商人が解熱用の薬を持っていると言い出し、例の母親はこれを手放しで喜んで買い求めた。買ったのだ、無償などではない。
だというのにまるで商人をまるで神か天使でもあるように、それでいて私を前世の仇とでもいうように目を向ける。
一体何を勘違いしているのか。私が何か金銭を求めたか?あくまで無償だ、善意から来る行動だったのだぞ。それだというのに余りに恩知らずな。何とも、つくづく度し難い。
□の月。○□。
面白くもない。書く事など何もない。
□の月。○◎。
ついに目的地へと辿り着く。早々に旅の一味から離れ私は1人で研究所に向かった。深い森の中の一角に十分に整備された道があり、皮肉な事だが旅中の凸凹した道並みより余程よかった。簡易的なキャンプには多くの人間が動き回り建設中の研究施設を、その土台だけだが見る事が出来た。
胸が躍った。
世の最先端の全てをひたすらに詰め込んだ研究施設。近年増加の傾向が見られる特異個体を専門として研究する施設だ。将来的に訪れるだろうここでの活動を思うと今から胸が熱い。下らない馬車の中の出来事など全てが霧散するようだった。私を待つ栄華、誰一人として手を掛ける事の出来ていない神秘の解明、世界とそして人々への貢献。
ああ、楽しみでたまらない。早くその日が来ないものか。今から待ち遠しくて堪らない。
正確には「幕間 ある研究員の記録①」となります。