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幕間 うまい酒と嫌いな料理

 ――約束に遅れていた。

 理由は色々あったのだが、その1つ1つを思い浮かべゾート・グリンは1人溜息をこぼす。先ず天候がよくなかった、朝から降り出した弱い雨はしとしと細いながらも辛抱強く降り続け土を濡らしコンディションの悪さからか操る馬の機嫌も今一つ振るわない、おかげに何だか口やかましい客にまで当たってしまうという運の尽き。どうしようもない、と言えば確かにその通りなのだが、それでも零してしまう言葉は仕方がなかった。

「…大丈夫か?」

 一瞬だけ空を見上げ薄雨を切りながら駆ける、肩から膝までを隠す長いマントに弱い雨足は気にもならない程度だがどこかねっとりとして足に絡み…それでもきっと約束した相手は許してはくれないだろう。今は目に見えない友人の姿を思い浮かべれば飛び出してくる罵倒に疲労も加速した気すらする。

 通りにを二つ、角を一つ、顔を上げて見れば見えてくる古びた建物。傾きかけの看板に全体的にくたびれた雰囲気は非常に馴染み深いものであり。変色手前の扉を目指しもう1つ息を吐いた。



―――――――。



「死ねや」

「…はぁ…ハ、ハハハ」


 開口一番、何を聞く訳でもなくそう告げた友人にグリンの口元からは乾いた笑い声が漏れる。夜の帳も下がり、賑わいはじめを見せる酒場『トムソン』には今日も多くの客の姿がある。…全体的に見て客層が若干高いという事はやはり店全体のイメージの為か。流行に乗らない古いタイプの店であったが馴染みの顔1つでも見掛ければ気軽に挨拶も出来、変な言い方ではあるがとても『楽』が出来る店でもある。

 溜息1つ友人の座る席の向かい側の椅子を引くとグリンは腰掛ける。


「悪かったって、どうも今日はツイてなくって。ついな」

「どうだか…」

「ハハ…はぁ…あ、お姉ちゃん、ぶどう酒1つ」


 たまたま近くに通り掛かる見慣れない店員に告げると返ってくる「はーい」という元気な声。……新人を雇える程に余裕があったのかと若干驚きも感じながら机の上に目を向けて見れば視界に入ってくる料理の山。

 まだ温かく湯気を上げる鳥の串焼きに香ばしいバターの香る炒めものに煮込んだ豆、それと空になったジョッキが既に2つ、透明な中身を写しながら机の端で無造作に転がっている。

「…ペース早いな」

「誰かさんが余りに遅くてな。つい、だ」

「…ああ、ああ、悪かったっ!悪かったって!」


 ぐちぐちと言い出す友人に苦笑い零しつつとりあえずと先ずは串焼きに手を伸ばす。クーシュという名の一般的な鳥のモモ肉に香味野菜であるガゼとを交互に挟み焼いただけのシンプルな串焼き。程よい鳥の油に鼻をツンと抜けて漂うガゼの香り、両方を一口に放り込めば合わせ技のように広がるおいしさこそが正しい食べ方…とは、グリンの持論であったが目の前で不機嫌そうに酒を飲んでいる友人は少し違う。彼の前には綺麗にクーシュだけが抜き取られた串が何本も並んでおり見事にハブられたガゼだけが小さな山となっている。

 哀れ、偏食家の前に出された可憐な料理の悲劇な末路か。香味野菜達に小さな黙祷などささげつつもガブリ。口の中に溢れるうまみと食感とを噛み締めればいよいよぐるぐると回り出す胃袋。ああ早く来いよ、厨房の方を熱く見つめながら酒精の味を思い出す。


「おいこら、オレのクーシュを食うな。お前にはホラ、このガゼ串をくれてやる」

「…誰が好き好んで野郎の食い残しなんて食わなきゃいけないんだ、いい年して好き嫌いしてるんじゃねえよ、カッコ悪い」

「アァ!?料理の好き好みに恰好は関係ないだろうが!苦手ならな、一生食わなきゃいいんだ。それだけだ」

「…いや頼んだモノはちゃんと食えよ」

 既にそれなりに酒も回ってるのか、普段よりやや大きな口調で喋る友人を尻目に更に一口。

 …うまい…うまいなぁ。

 ちょっと大口で噛み切ってしまえば、口の中一杯に広がるうまみと苦み、少し鼻に来る独特の香りこそオツだと思うのだが、それが余計にダメなのか?

 もしゃもしゃと食べ進める内に加速していく喉の渇き…辛抱たまらずにそろそろ声など掛けようかなと思っているとタイミングを計ったように先程の女性店員がグラスジョッキを片手に現れる。


「ぶどう酒お持ちしました!」

「おっ!ありがと…」

「ハイ、どうぞ!」

「あ…」


 浮かべた笑顔も眩しく差し出されたジョッキを見つめグリンは一瞬固まってしまう。

 …そうか、新人なら知らなくても仕方がない。

 右手で串を持ち、左肩はマントで隠し、差し出されたぶどう酒を持つ女の子の細い指を見つめただただ苦笑いだけがこぼれて行く。


「何か?えっ……あ」

「あぁ…はははは」


 何かに気付いたような新人店員が青ざめだし、見ているばかりも少しかわいそうに、手に持った串を置くと差し出されたぶどう酒を『右手』で受け取る。

 …別段に女性店員が特別に悪いという事はない。こうした場末の酒場ではむしろ手渡しで渡すという行為は非常に喜ばれる一種のサービスだ。…手で受け取った瞬間についつい触れあったりしてしまう指先に、差し出す事によってちょっと前屈みになった胸元を合法的に見る事も出来…野郎であれば喜ばないはずがない特典ばかりの優良サービスにしかも完全無料と来れば楽しまないやつなどいない憎い演出だ。


「す、すみませんっ」

「いやぁ、ハハハ、何が?」


 謝罪に言葉を返せば、慌てながら去って行く小さな背中。かわいそうに若干小さく見える背を見つめ肩に掛かったマントを羽織り直す。視界を前へと戻せばイヤな感じに笑む友人の姿が目に入り。

「そんな事気にするタマか?ア?」

「冗談」

 串焼きを口に放り、酒で即座に流す。一連のこの流れでようやく完成したような…口内に残るうまみも苦みも一度に流し込める熱い液体に喉の震えがたまらない。




「…ハァ」

 …と、ここまではよかったんだが。ここから先友人は暴れた。…暴れたというのは少しおかしいかとにかく荒い。元々静かに飲むタイプの人間でもなかったが、今日に限っては普段の様子に更に輪を掛けたように荒かった。


「ったく、くだらない!毎日毎日仕事の邪魔ばっかをよ!ドカドカドカドカドカドカドカ!アアなんだよ!?アイツら妨害がしたくてわざわざこんな所まで来たか!お貴族様風情がなんだっていうんだ!」

「ああ、うん?ああ、はいはい」

「…っそれになぁ!」



 友人の目の前には既に空になったジョッキが7杯転がり…いや今8杯に増えた。

もう、ここまで来れば仕方がない。グリンも内心諦め覚悟も決めて、せめて元だけは取ろうかと新しく来た野菜炒めへ手を伸ばす。


 …友人のこの荒れように実は心当たりがあった。恐らくは最近よく見かけるようになったあの豪華な馬車が原因だろう、毎日毎日何かにつけてギルドの前に停車しているのは見掛けるが。

 この友人自体何かのらりくらりとした部分があり何とかかわそうとしている意気込みだけは感じられるのだが…どうにもこちらの意図もお構いなしに勝手に訪れる集団に嫌気も差し始めているらしい。元から職務に忠実な人間でもないが一応は強い思い入れもあるのだろう、なかなか簡単にないがしろに出来ない相手に四苦八苦といった所か。


「ん…」

 そこまで考えてグリンの中にもう1つ。友人が機嫌悪そうにしている原因に思い当り口端を上げて笑みを形作る。


「ア?…何だよ、何笑ってやがる」

「いや、いやいやいや」

「何だ気持ち悪い、言え」

「あー…うん、それにお前さ、あれだろ?」

「?」

「ちょっと寂しいんじゃないか?何だかんだ唯一趣味に付き合ってくれた子もいなくなったからな」

「………」

 一言告げると友人は一瞬目を見開き…やがて大層不機嫌そうな顔でそっぽを向く。

 この、やや口の悪い所の友人であるがその性格通りに少し変わった趣味を持っていた。…趣味といえるかどうかも怪しいが元々超の付く程無愛想顔である癖に人前に立とうとするのだ。友人の実態を知っている者ならわざわざ近付こうともしないし関わり合わないという事は実に聡明な判断だ。…しかしそんな中にも1人だけ、理由は分からないが熱心に友人の元へと通う常連客がいたのだが…その人物も町を去ってしまった。

 その事が少し寂しいのではなかろうかと声を掛けてみたのだが、浮かべて見せた少し難しそうな表情に思い違いであるのかも知れない。


「さびしいか…いや違うな。あれは相当な変わり者だ」

「変わり者?実に普通の子だったぞ?」

「……」

 静かになった友人は声を止め手にしたジョッキを見つめる。

 中身の残る9杯目のジョッキの中は波打つ赤紫色が小さな波紋を広げ…そのまま僅かに傾けたと思えばほんの少し舐める程度で抑えて口を付ける。



「ふん」

 小さく鼻で笑ってみせると友人は伸ばした指先で串焼きを掴んだ。クーシュ肉の残る方の串焼きではなく手元にあったガゼばかりの串焼きだ、手付かずのまま放置されたのか既に冷め出したガゼは物悲しそうに目に写る。


「なんだ?ようやくガゼも食べるようになったか?」

「…ちげえ」

「ん?なら何が」

「…なあべゾート。お前、バカとやる気の違いが分かるか?」

「は?」


 耳に聞こえた言葉は果たして酔っ払いの戯言か。グリンが意味を理解出来ずにポカンとしていると差し出された串の先が眼前に迫った。

「食ってみろ」

「ハ?いやだからな、野郎同士でそういう気持ち悪い事は」

「いいから、食え」

「ん?……はぁ」


 少し悩み、しかし何事か真剣そうな色をしていた友人の目にグリンは諦めて口を開く。

 差し出された串に顔を伸ばし薄白色のガゼだけを噛み取ると口の中に放り込み咀嚼。

 クーシュ肉にガゼ、この二つが合わさってこそ串焼きだと思うのだが…まぁ…片方だけを味わってみてもそれは予想通りガゼだけの味だ。別段驚く事も何もない。


「食ったか?」

「ああ…それで、それがなんだ?」

「そうか…なら先ず、お前はバカだ」

「ハァ?」


 そうか…いよいよ飲み過ぎで頭の中までどうかしたか、そう思って見る目ていると今度は自分で口を開き串を…それはもう見るからに嫌っそうに口に放り入れ、噛み込んだ瞬間ザザッと寄る眉間の皺。…ちょっと笑い出してしまいそうな光景に何とか耐えるが、噛み切りまでした所か慌てた様子でジョッキに手を伸ばし口内の物を無理矢理喉の奥へと流し込む。


「っ!かあっ!ぐぇ…えぇ。…い、いいか!?これがやる気だ。味覚も味も音痴なお前じゃ何も分からないものだ、だからお前はバカなんだ」

「…はぁ?」


 …訳が分からず頭をひねる。

 不機嫌そうな赤ら顔、眉間に皺を増やす友人はそのまま少し俯き、机の上を見つめこぼす。


「…いやなことするってのは我慢が必要だ。それを何も感じなければそれでいいが、分かってしまうなら耐えて我慢せずにはいられない。剥き出した歯を噛み合わせて別の痛みでカバーして少しでも和らげる。…でも、そんな事をするのも結局バカだ。一生懸命くいしばって見ても周りからすりゃ間抜けだろう?それがいい事なんて錯覚すれば笑われるどころじゃなくてひどい話だ。……それでも、お前はまだ食うか?…毎日、毎日だ。無い皺寄せて涙目になりながらそれでも食ってられるか?」

「……」

「…オレは、そこまで行ける奴をな、バカとは言わない。…だから寂しいとかはないな、アレはアレだ。どこへ行っても何とかやるだろ」


 小さく言うと友人は手にした串を投げ落とし新しい酒を求め口の中へ放る。

 …不機嫌そうだな。

 どうも言いたい事が纏まらず、うまく言葉に出来ない事が不満らしい。実際グリン自体友人が何を言おうとしているのか理解できなかった。


「…はは」

 むくれた顔に1つ、酒の肴にと一口飲み込む酒。…酔った頭でも何とか理解は分かろうと努力はしてみるが、さて。

「……」

 ……よくは分からないが…まぁ、なるほど。確かにそれはある意味で拷問か。それを行うとしてマトモな人間らしい神経をしているのか疑問だ。


「なあ…アースト」

「ア?」

「まだガゼ残ってるぜ?食うか?」


 言われ友人は自身の皿を見て、小山となったガゼの群れを前に顔をしかめる。…どう見てもそれは一口食べられる量を越えている。

 嫌いな食べ物の山を前に唸り…やがて諦めたように漏れる小さな溜息がひとつだけ。


「オレは、無理だな」


 そう言ってのける。


「そうか」


 …そうか。かのギルド長を以ってして出来ないか。

 それを聞き、何故か不思議と楽しい気分になってきて、活発になる胃の底が次の獲物はまだなのかとがっつき始めた。


「おーい!おねえちゃんー?」

「ハーイ」

「ぶどう酒こっち2つ、追加ね」

「ハイッ」


 …どうにも今日の飲みは遅くまで掛かりそうだ。

 でもまぁ、それもいいかもなと、べゾート・グリンは口の端に笑みを浮かべ笑っていた。



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