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オーバーモンスター・コワード  作者: 心許ない塩分
フレンドインファイア
105/106

23 願い求めし怪物(6)


 雨が降っている――。


 額に掛かり頬を伝い顎先から垂れていく透明な雫。幾分雨足は弱まったとしても降り続ける水の量は依然に多く『暗がり』で先すら見えない空の向こうから止めどもなく降り続ける。



「ヅ、はっ」



 息を吸い、水を吐いた。

 辛うじて動く右足だけを限界近くまで振り上げて、狙いを付けた後に振り下ろす。緩く肌へと触れる風を切る音、冷たい泥に冷めた背中の上で硬い振動が身体を震わせる。


 衝撃。


「──ガッ」


 痛み。


 ……涙を飲んで痛みに耐えても、明確な変化はやって来なかった。暗く見えない視界の中でも分かる節ばった硬い皮、バサバサと揺れる緑の腕。押しても引いてもびくともしないふてぶてしい重圧が……『アレ』に倒された樹木の一つだと理解出来たのは目を覚ましてから大分後の事だった。



「クッ」



 右足は動く、右腕も動く……だけどそれ意外が動かない。右足を覗く下半身は樹木の下敷きとなった左腕は肩から先が折り重なった幹により動かない。交差するように倒れた木々は一つ一つの重さに含んだ水気まで合わせて重く伸し掛かり。雨水に濡れた土が軽度の潤滑剤代わりを果たしても、抜け出す為には後一歩力が及ばなかった。



「くっそ! ぐっ」



 歯を食いしばり叩き付ける足、逃げようともがいても変わらない重み、それでいて足で起こす振動はしっかりとした痛みと変わって四肢を締め付け悲鳴を上げる足首と肩が今どうなっているかは分からない。


 ──悪い循環だ。

 何とかしようと込めた力が余計に苦しめる……出来ればもう、疲れに任せて目も瞑りたくなる衝動に駆られるが。それを許さない変質した理由が草木を越えて辺りの暗闇に響き渡った。



  ヲヲ  オオオオ



「ッ!」



 ヲオオオ  ヲヲ



「ぐっ、こんな……グッ!」



 耳に聞こえる音は遠い。それこそ今すぐにどうにかされるようなものでなく、とっくに通り過ぎて行った爪痕は再び引き返してくるような仕草を見せなかった。……それを純粋に助かったと思える程、心の作りは簡単じゃなかった。


 響く『声』。耳に聞こえる壊れる『音』。

それは全て村のある方角からのもの。正確な場所は暗闇のせいで分からなくても微かに見える光の揺らぎが『アレ』が村にまで辿り着いた事を如実に知らせていた。

 ドクリと、嫌な鼓動を以て胸がなる。



「グッ……どけっ!」


 蹴り付ける足、今だけは痛みを忘れたように震える身体も我慢する。



「がッ! くっそ!」



 衝撃に揺れる足、開いた口の隙間から勝手に漏れようとする叫び。


 ……元々、こんなはずじゃなかった。むしろ逆。

 『モンスター』の発生なんて誰かの意思でどうにかなるものじゃないはずだった。それが、よりによってなんでこのタイミングなのか。

 レックスも、アールも、村の人間も、振り切ったシルドも──何もかも、やるべき事をする為に身体を張っていたはずなのに、ドウシテ



「クッソォ!」



 ざわめきが胸に鳴る。変わらない雨が頬を打つ。

 思い描いた最悪の予感を振り切ってただ目の前の障害を抜ける為に力を振るう。

 こうなったのは、自分のせいなのか。

 考えたくない思考を噛み砕き蹴り付けた足は樹木の表面を滑る……




──────。




「──」


 私は、きっと半ば以上呆然として目の前の光景を見送ってしまっているだろう。意志ある周りの人間からすればきっと思考そのものを放棄でもしたような間の抜けた状態……しかし、それも仕方ない事だと内心で思う。


「──」


 私の目にしているこの光景は、それだけ信じ難いものなのだ。



ヲヲオアアアア

 ──縦横無尽に空を駆る『腕』が迫る。


「……」

──足を地に着け迎え撃つ『武器』が宙を翻った。



 破壊前の残された家々から漏れる光も必要ない、白黒の爪と刃の接触は両者の間に赤い火花を飛び散らせ、人外の存在を雨中の影に浮かび上がらせる。


 貫こうとする歪んだ爪、見返す無感情の目。


 ざわめく風切音は重なり合う帯と変わり、端から見ている部外者の私ですらどちらが立てた音なのか判別も付かなくなる。互いに硬質同士が打ち合う接触甲高い接触、無惨に切り裂かれた雨粒達が巡るように円周上を取り囲み。息飲む間にも満たない拮抗の果てに力で敗れたモノが地へと落ちる。



 ヲア

「……」



 刺し貫こうと飛び込んだ勢いのままに、汚れた土に塗れたのは信じ難い事に人外の『腕』の方だった。

 村人達の抵抗も出来なかった人間の血を吸った白い爪が、私達と同じ人の姿をした『ナニカ』によって叩き伏せられた。



「──ハ……」



 初撃の敗退に間髪入れずに飛び込んでくるのは二本目の腕。先とは違う大回りの道筋を辿り、命と光を刈り取ろうとする狂気の爪は受ける側の『彼』によって当然と見定められ、飛来よりも先に凶器持つ腕が回る。


 伏せた爪へと喰いこんだ状態から剥がれ取られる黒の武器。美しく弧を描き空中を巡る斧の刃、虚空に向けられる黒墨の槍。


 数秒の間も無く、衝突して来た爪と鋭利な矛先とが正面から喰らい合い、甲高く乾いた音は狂ったように辺りに撒き散らされる。再度の火花によって彩られた白、受け流す黒、完璧な瞬間に下から弾かれた爪は目標を見失って虚空を直進し、暗く緑の森の向こう側へと消えると鈍い音を立てて一本の樹木が折れ曲がる。



「――」


 『冒険者達の力を借りた方がいい』。


 そう、言い出したのは確かに私だった。誰もが彼等を利用しようと見ている中でせめて私とレックスだけはと、コワードくん達の味方でいようとしたのは人並みの老婆心からだ……それが、彼等の実力に対する『信頼感』故にというには少し説得力が足りない。


人より上だと思った。

しかし、同じ人間だと思った。


 常識では計れない未知なる怪物に勇敢に立ち向かう人の代表。それが『冒険者』というものだと思い込んでいたがもしかしたら違うのかも知れない。


 彼等こそが人の形をした怪物なのだと……そんなふざけた考えを抱いてしまうのを私は抑える事が出来なかった。



「――ァ!?」



 ……地へと伏せられた『腕』が土の中で蠢く。破片程度にこびりついた毛皮が律動し、しなる鞭のような動きで宙に舞い、歪んだ爪先は再び冒険者を貫きに掛ろうと飛び上がる。


 意表を突かれた、私自身つい声を上げてしまった不意打ちに近い攻撃も……冒険者からすれば予想の範疇だったのか。振り向き構える様は冷静そのもので、見ようによっては『待ち構えていた』と感じられる程のものだった。



「……」



 腰を落とし反らされる上半身、必要最低限の動きを回避に使い。他の部分は手にする武器へと回される。優れた装備があったとしても理解は出来ない顔スレスレの部分を過ぎて行く爪を無表情に見送り、避けると同時に振り回される斧。交錯の瞬間に鋭利な爪の部分を越え、揺れる腕の部分へと埋没する黒い刃。

 引き裂かれた皮膚の内側から、大きく迸る血液は皮肉な事に私達と同じ赤色のものであり荒れ狂う凶行を全て躱して一歩距離を取った冒険者は不愉快そうに小さく呟く。



「浅い……肌でも随分と硬いな」



「――」

 耳に聞こえた言葉は確かな落胆。何が硬いか、何が浅いか。触れて反撃する行為そのものすら私達にとって異常である事なのに……彼はこの異形を殺すつもりで何故いられるのか、私には理解が及ばない。


 ア アアア


 屋根上から初めて、怪物の苦悶らしき声がこだました。

 空を行き交い、赤い尾を引く爪も合わせた二本の腕が黄色く光る瞳の元へと巻き戻され。目を細める冒険者は離れ行く腕に追撃を加える事はなくその場で立ったまま見送っている。



「それで……」


 ……声が聞こえる。


「いつまでそこで呆けているつもりだ」



「……ハッ、ぁ」



 低い呟きに、その冒険者の言葉が私『達』へと向けて掛けられているものだと気付き私もグリッジも息を詰まらせる。……何も不思議な事があった訳じゃない、同じ人間だ、意味の分かる言葉だ……しかし目の前の彼が私達に声を掛けるような存在だと、今の今まで抜け落ちてしまっていたというだけ。



「……行けよ」



 短い言葉と共に――シルドくんは家の前に居座っていた身体を横へとずらす。露わとなった家の戸に、彼が何を言わんとしてるか察し慌ててグリッジは走り出す。



「あ……あぁッ、すま、ない」



大きな図体に似合わない歯切れの悪い言葉が漏れる。

 ……怪物は、受けた傷に慎重になったのか既に破壊済みの遠くの屋根へと移動すると黄色い視線をこちらに投げ掛けるだけで何もしては来なかった。

 家の戸を開け、駆けるグリッジが去り、この場に残されるのは離れた場所から私達を注目する村人達と、私と彼しか残っていない。

 年甲斐もなく頭を急かした指令は何か喋らないといけないという使命感のようなもの、雨だというのに乾き切った喉を何とか動かし、なるべく自然な態度でシルドくんへと笑い掛ける。



「すまない、いや違う。ありがとうシルドくん……おかげで助かったよ」


「……」


「君が居なかったらと思うと……」



 ――ゾッとする。

実際に彼が間に合わなければそうなっていただろう。壊される家と中に居た人間。無表情で変わらぬ顔を横から見て、愛想の失せたその態度も今は非常に頼もしく思えると言ったら都合が良すぎるか。

人に見えなかったという馬鹿げた妄想を振り払い、重ねて例を言う私を遮ってシルドくんは怪物を見上げたまま目を細める。



「感謝も必要ない……どうせすぐに気持ちも変わるだろう」


「……? 何を」



「冒険者様!」



 意図の分からない彼の言葉に吐き出す私の呟きを横から遮ったのは家から飛び出して来たグリッジの声だった。走る息子はシルドくんの手前で足を止めまるで王族にでも対するかのように頭を下げる……グリッジに続いて家の中から他の人間も外へと出て来た、起きたばかりであろうレックスに家族の姿。怪我により足が不自由なのか太い木の枝を杖代わりとしてあの子は土を踏んでいる。



「素晴らしい、これ程力があったとは、ありがとうございます冒険者様ッ。おかげで助かりました」


「グリッジ、お前……」


「すごい、何故それだけ出来て早々に奴を……いやいいです、許しましょう。だからその力でどうかアレを! 『依頼通り』に!」


「……ハ」



 外に対する演技なのか、歯の浮くようなセリフを並べ立てるグリッジに対しシルドくんは目を細めるばかりで何も言わない。向けるその瞳は変わらず怪物を捉えたままであり、手にした武器を『何の気もないように』刃側を下へと下げ、握り締める手の内から微かに軋むような音が耳に聞こえた。



「そうか……依頼、か」


「ええ、いや……ああ、そうだ! だから!」


「……その汚い口を閉じろ、舌を噛むぞ」


「え」



 黒の凶器が、グリッジへと振るわれる。

呆然と立ち尽くす息子の反応を優に越えた鋭い振り、刃ではない鉤爪は容赦なく足元を払い、鈍い音と共にバランスを崩したバランスを崩した影が泥の上を寝転がる。



「ぐ、ガッ、何をキサ──」


「次は頭を下げろ、死ぬぞ」


「グリッジ!」



 迫る風切音。



 ヲアアアアアアアアアアア



 爆発する咆哮。

吠えるグリッジ、見下ろす冒険者、漏らす私の声とがそれぞれ響き、音の合間を切り崩すように歪んだ爪が迫る。


 咄嗟にかわしたシルドくんの横を抜け、飛来した二本の腕はそれぞれ『家の中』へと突き刺さった。今度は止めに入る黒は無く、通り過ぎた暴力は荒れ狂う。


「あ」


 『人』はもう居ない。しかし私達の、暮らして来た家が抗う術なく蹂躙されていく。何かが折れ曲がる激しい音、飛び散る木片、輝く炎の色合いは次々に黒に飲み込まれ、打ち壊された家の戸が蝶番の部分だけを残し他の場所が弾き飛ぶ。



「や、やめろ、おいッ! 止めろ」


「……」


「止めないか冒険者!」



 大声を上げて叫ぶグリッジ、その姿はコワードくんにすら食って掛かったあの時の場面を想像させるが……今は漏らされるのは声ばかりであり、彼に向かって歩みを寄せる足はない。息子もまた、先程見た光景に支配されたままなのだ。


 今までのシルドくんも決して態度が良かったとは言えないのかも知れない。しかしそれでも、十分過ぎる程に『手加減』をされていたと今の私達ならば分かる。

空しく響く声の中、言いたい事の半分も言えてはいないだろう叱責。内部から全てを破壊する家屋を喰う音は止まる事無く、やがて全ての動作を終えると長く彷徨う腕が空へと向かって巻き戻される。



 ヲヲアアァ



 遠い屋根上から見下ろす黄色の眼は短い時の間私達を見ていたが、すぐに興味を失せると残った灯りを探し向き直る。恐らくシルドくんが居るためだろう、新しい領地に飛び移りはせず残りの灯りを削り切る事に目的を集中させる。


 怪物に対抗出来得る怪物紛いの存在は未だここに居る。次に狙われた場所は止める力もなく蹂躙されるだけだろう。



「何をやって……オイ、アレをどうにかしろ! ああいうのを何とかするのが貴様の仕事だろう。依頼はどうした!」


「依頼? 何の事だ」


「ッ、貴様!」


「……村長、お前にはアレが『手長』に見えるのか? 今まで何の問題も無かったモンスターに」


「いッ……ぐ」



「……」


 あれは──私達の知る【手長】とは違う。もっと恐ろしい何かだ。

そう言いたい、しかし言う事は出来ない。それでは『助けて貰えない』のだ。

この場に至り、状況を理解したグリッジは歯茎ごと噛み千切らん勢いで怒りの形相を露にする。

 しかし手は出さない。叱責の言葉も勢いを無くした。

私達には、最早彼に縋る以外の助かる道は見えはしないのだ。



「ぐッ、ク」


「……ふん」



 息を詰まらせたグリッジに代わり冒険者は小さく鼻で笑うように息を漏らした。無表情のままの顔であるのに目だけは強く語るような嘲る視線。

人を助ける意思が失われたような彼の瞳に私は目の前が暗くなるような思いだったが次の瞬間、シルドくんの口から漏れた言葉は予想外のものだった。



「……助けてやってもいい」


「え」


「但し条件がある」


「……何かね」


「……」



 今は冷静になれないだろうグリッジを下げて私が前へと出る。響き続ける破壊と咆哮、時間が無い事も理解しているであろうに何故かシルドくんは僅かに言い淀み……やがて、下手をすれば聞き逃してしまうような小さな言葉でボソリと呟いた。



「コワードを、探してくれ。無傷でだ」


「……」



あの恐ろしい爪と相対していた時ですら無表情に見えたシルドくんの目にこの時初めて微かな動揺のような揺らぎが見えた。

 見方によっては弱々しくとも見えるその揺れに、しかし私は確かな安堵を感じた。


 シルドくんは……決して私の思い違えた怪物などではないのだ。



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