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オーバーモンスター・コワード  作者: 心許ない塩分
フレンドインファイア
104/106

22 願い求めし怪物(5)


 『腕』が空を駆けて行く。

 漏れる光を吸い込む白の残滓、捻じ曲がり伸びた鋭い爪は自らを照らし出す人工的な灯りを嫌い宙を高速で横切ると喰らい付く。


 ――接触。


 大きな音を立て、壊され砕けた木造の壁の一部が欠片に変わって崩れ落ちた。

 強引な破壊が生んだ縦へと裂ける小さな穴、地を跳ね繰り返し殺到する二本の爪は僅かな隙間を押し広げて中へと入り込む。

 崩壊、雨に濡れた吐息。

 途切れぬ事のない鈍い咆哮は周囲を埋め尽くし。長く細い『人の』絶叫がこだました。



「あ……クッ!」


 老いた身体に鞭を打ち私は再び走り出した。周囲で同様に巻き上がる人の声、追従する幾人かの村人を除けば、誰もが目の前の光景を『本物』だと思えているのかただ呆然と見送っていた。

 曇天が覆う光のない空。荒れる凶行の主は自らの思う通りに爪を暴れさせ続け……私達に、その蛮行を止めるだけの力はない


「──く」


 駆ける私達の必死な足取りを待たずに一方的な蹂躙は終わりを迎える。


 変わらない咆哮。

 聞こえなくなった人の声。

 輝いていた光は奪われ家屋を暗く閉ざし、一際高い物の弾ける音と共に長い腕の先端が暗がりから引きずり出される。



 何が、どうなっているのか


『う、オェ』


 雨粒の遮蔽を越え、漂って来る濃い鉄錆の匂いに比較的若い村人がその場で膝を付いて蹲る。

 狂乱に近くなった辺りのざわめき、耳を騒がす声にならない声に私は考える、


「……」


 アレは何なのか。これは、どうなっているのか。

 混乱する頭は雨に冷えた風程度では静かにはならず、形にならない後悔と目の前に確かに居る不出来な怪物が声を上げる。


 ヲヲ アヲヲヲオオオオ


「ッ」


 耳を震わせる咆哮。

 長く伸びきった二本の腕を地面に突き立て暗い空へと跳び上がって行く黒の影。得体の知れない黄色の瞳が通り抜ける道中に細い道筋を残し、足場としていた屋根の端から踏み抜き砕けた破材が地の上へと降り注ぐ。


「──」


 見上げる私の遥か上を影は飛び越えて行く。

 膨らんだ巨体は難無く跳躍を果たし、足場をたった今破壊し終えたばかりの新たな家の上に。

 突然の重圧により家屋の壁には深いヒビが刻まれ、尋常でない黄色の瞳は下を睨めつける。


「く」


 覗く光の奥に、私達の姿は見られてなどいなかった。淀み白目と黒目の区別の付かなくなった瞳の先が見るのは地面を走る私達などではなく家々の灯り……それは、次なる潰すべき目標なのだろう。灯りの一つを見定めた怪物は垂れ下げていた長い腕を巻き上げ空へと向かって大口を開く。

 ……果たしてそれがちゃんとした生き物としての動きだろうか、折り畳まれて行く腕の様子は動物達の腕よりもどこか、コワードくんの手にしていた弓を連想させるおかしなものがあった。節々は細かく折れ肩口まで近付いた腕はまるで引き絞られる弦のように、剣呑な光を宿す長い爪はきっとこれから放たれるであろう恐ろしき矢に違いなく。

 勝手に身震いを始める自分の身体を押し留め私は声を上げる。



「今すぐ、村の者全員に外へ出ろと伝えなさい」


「ぇ」


「早くッ!」



 声で伝え、私は走る。



『この野郎がぁ!』



 遠く耳に聞こえたのは、血気盛んな村人の叫び声。向けた目に見えたのは屋根上に君臨する『何か』へと向かって投擲される拳大の石。


 高い放物線を描く原始的な攻撃は……しかし、獲物には届かない。


 ――ア


 例え効力は無かったとしても向けられる意識と咆哮、片側の爪。

 標的を周囲の灯りから石を投げ付けた人間へと移り変えると空を駆ける腕が頭上より振り村人に突き刺さった。


「ガ」


 『埋没』はしない。接触のみによって咲かされる赤い華。もんどり打って転がる人影は短い時間空を飛び、仰向けとなって泥の上に落ちた後はピクリと動きすらしなかった。


 騒音が大きくなる。

 叫びが悲鳴となる。


 突発的な破壊と人の声は今なお家の中に居る多くの人達にも伝わったはずだ。

 静かに佇むだけだった家々の戸が中から開かれて行き、顔を覗かせるのは会議に出席をしていなかった私以上に老いた人間や体力の無い女性ばかり……


「キャアアアア」

「う、うわあああ」


 それぞれがそれぞれの声を上げ、屋根上に巣くう怪物の姿に目を見張る。

 逃げ惑う者、走り出す者、そのまま無かった事にして家の戸を閉じ込めようとする者。各自の思う自由な人の動きは、新たに解き放たれる人外の白の爪と比べれば余りに遅いものだった。



 ――や、来る……



 漏らそうとしていた人の声が耳に届く。

 意識ある人語の上から、全てをすり潰す腕の蹂躙。

 閉じられた戸の守りを何らの障害ともしないように爪は貫き壊し、内部へと没すると荒れ狂う。


「あ」


 私の視界の先で腕が暴れる。

 爪が暴れる。

 私の澄ました耳の先で人の声が消える。

 潰えていく。


「こんな!」


 溢れた悲鳴は暴力を前にして瞬時に終わり、灯りを落とした家は怪物の新たな傘下へと加わった。

 三度空へと飛び上がって行く影の下で『外へ出ろ』と、しきりに喉を張り裂けんばかりに声を上げ続ける。


「出ろ! 出て来るんだ、頼む! 逃げるんだ!」


 とにかく、家の中に居てはいけない。伝えるべきという使命感が私を突き動かし続ける。意味のない壁の奥で逃げ場のない室内ではとても『アレ』から逃げられない。

 早く、一刻も先に外へと出て、それで……それで……



「──ぐ」


 どう、すればいい


「こんなの、こんなもの一体、どうしろと」



 ヲヲ ヲヲヲオオオオ



 影が屋根へと着地する。柱は軋み、咆哮はこだまし、次なる標的を見定める黄色の瞳。

 暗い空に、止められない腕が舞う。


「ぐッ」


 衝撃が肌を、耳を、身体を震わせる度に光は消えていった。家から飛び出し難を逃れた人々は雨中の闇をちぐはぐな方角へと駆け出し不安なままに声を上げる。


「あ、アールさん! どうすれば!」

「……」


 走り出した何人かの者が私の傍へと殺到した……更に多くの者がグリッジの下に集まる。

 怖さに揺れつつも向けられる目に対して、私が明確に返せる言葉はない。

 何を言えばいいのか、どうすれば今より良くなるのか。

 的確に、残酷に、繰り返され続ける破壊の音。壊され砕かれる家々の灯りが全て消された時、私達はどうなるのか。


「わ――」


 ……私には、それすらも分からないのだ。



「アール、さん!」


「ッ! キミ……」



 息急く荒れた声が聞こえ、そちらを振り返ると見覚えのある者が立っていた。先の会議で言い争いの末、倒されてしまった私に手を差し伸べてくれた村人だ。

 決して雨に濡れただけではない大量の汗によって生まれた幾多の雫、激しく肩を上下させる彼は真っ直ぐに私を見つめ口を開く。


「その、ぼ、冒険者の家に行って、それで……」


「あ……こ、コワードくんは!? 彼らはどうした!」


 半ば反射的に私は彼の肩を上から掴んでいた。状況が分からず悲壮感ばかりに苛まれていた頭の中に一筋の光を差し込む語句があったからだ。


 『冒険者』。

 『モンスター』と呼ばれる怪物達と戦う為にいる、彼らだ。


 亡失に寒くなり掛けた私の心に芯を熱くさせる期待が駆け。顔を寄せて彼に近付くと私は居ても立ってもいられずに声を続ける。


「あの子達はどこだ! どこに! 彼らなら、彼らならきっと!」


「いや、あの」


「彼は、冒険者はどこに……ッ!?」



 その時、私は気付く……気付いてしまった。

 俯いたままでいる村人の申し訳なさそうな様子と、汗まみれの彼の背後に。


 ――誰も、立ってはいないという事に。



「それ、が、家に向かった時にはもう」


「そ──」


「暗くて、何度も戸を叩いて呼んだんですが反応が無く、入ってみたらもぬけの空で」


「──」


「誰も、居ませんでした……スミマセン」


「……そん、な」


 失われた微かな期待にくらりと、立ち眩みのようなものが私を襲う。

 居ない? 何故?

 居ると当たり前に……いやそもそもが、こんな『当たり前』が消え去ったような状況で助けになるはずの力が居ないなんて、そんなこと……。

 強い疑問符が頭を巡り、思考が止まり掛けた私を動き続ける現実は許しはしなかった。嫌が応にも意識を呼び戻す大きな叫びが辺りに響く。


 異形の叫び声だ。


「ぁ」


 視界の先で辺りを見渡していた怪物が新たな……非常に見覚えのある一軒へと狙いを定めた。巻き上げられる腕と爪、鈍い黄色の瞳の光。

 標的の先をいち早く察知したグリッジが集まった人垣を掻き分け走り出そうとするのが目に入る。必死なその様子と、ガムシャラに振り回し続けられる腕。


「レックス!」


「――」


 『レックス』。私の孫の名だ。そして狙いとなった輝きは私達の住む家から漏れ出る火の光だった。


「ヤ、メ」


 老いた私は走り出す。

 鈍重な足が地を蹴った。

 届きはしない、間に合わない。気持ちだけが先を行き掲げた腕の先が閉じ込んだ。


 ――頭の隅で私の中の冷静な部分がこれは罰なのかと考えてた。

 冒険者を誘い、嘘で陥れた私達への当然の報い。


 ……何がいけなかった。

 彼らに真実を伝えられなかった事か。

 結果的にコワードくんを煽るような形になってしまった為か。

 彼を傷付けてしまっただろう。

 あまつさえそんな彼らを襲おうなどと、分不相応な事を企てたを止められず。


「ッ」


 なんでもいい


 なんでもいいが、それにしても……


「やめろおおお」


 この罰は……私には重すぎた。




「ツ!」

 遠く、向かう足の先で接触の音が漏れた。


「……?」


 それは、今までの爪に蹂躙された木材とは違う音。もっと高く純粋な、硬質同士が打ち合う高い音だ。



『ふん』



 振り注いだ爪の一つが地に落ちていた。

 震える爪の先を蹴り上げ、影が手にしていた刃を振るう。二射目の爪の接近、接触の瞬間に高い音と舞い散る火花によって勢いを削ぎ落とされ受け流され向かう先は家の壁を擦って彼方の影へと消えて行く。


「あ」


 撃ち貫き降り注ぐ、人外の爪が仮に針だとするならば向かい打つ彼の刃は横薙ぎの黒い風だろう。身震いする程の風切り音が遠くまで轟き、光に晒され滲む影の中心で『冒険者』は私達では敵いもしないだろう常識外の怪物を真っ直ぐに睨み付ける。


「姿が見える分、やりやすいな」


 それはハルバードと呼ばれた黒の凶器。私達が陥れた二人の内の片割れが。口内の唾ごと吐き出すようにそう呟いた。



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