18 願い求めし怪物(1)
「邪魔だッ」
鬱陶しく邪魔をする、木々に掛かる蔦へと向けハルバードを一閃する。
空中を横断し行く手を遮っていた緑の糸は抜き身の刃の通過に合わせて千々と吹き飛ぶ。
風に舞い、やがて落ちて行く破片の最後は確認せず俺は先に進む。
「つッ」
樹木に跳ね間断無く響く歪な咆哮……不安と焦燥を駆り立てる嫌な音色を耳にし駆ける足を加速させる。頭の中に思い描くのは音の出元へと至る最短コースのす。道なき道を邪魔するものがあれば雑然と斬って伏せ、前を目指した。
「邪魔だ」
張り出した木の枝を力尽くで折り払う。
「邪魔だ」
決して走りやすい地面じゃない。足掛けの罠にも似た背の高い草を上からねじ伏せ急ぐ。
「邪魔だ」
吐き出す自らの吐息が黒い影に白く煙った。
次第に熱くなっていく胸の内は怒りに煮え、その対象は自分……ここまで、自分自身が嫌になったのはあの時以来かも知れなかった。
「邪魔だ、邪魔だ、邪魔だァ!」
胸中を駆ける漠然とした不安、予感。二つの悪しき感情が足をせき立て止めさせない。
止む事の無い叫び。遠方から漏れる何かの崩れる破壊音。
抉る土、弾ける水音、微かな地響き。それら全てが最悪な想像の確かな材料として機能する。
まさか──二度も、失うのか。
そんな事、考えただけで気が狂いそうだ。
「クソがああ!」
口を突いて出る悪態は影を巡り自らに返る。
甘い見通し。
何を考えていた。
何が混乱だ。
何が好きにしろだ。
こんな──
「クアっ」
……こんな事になると知ったら通しはしなかった。
「ッ」
自責と重責とが手を組み胸を押し潰す一歩手前となった所で木々の重なる向こう側に目指していた終着点が見えてくる。音の聞こえた方向と何度も調べに走った土地勘が見当を示した場所だ。
闇に慣らした夜目に、開けた空間が見えた。
数本の目隠しする木々の横をすり抜け踏み付けた草花を足掛かりとし広場の中に踊り入る。
「コワード!」
そこは『伐採所』と呼ばれた場所。
広い空間は今まで走った森の道とは大きく異なり。
「な」
そして記憶の中の場所とは全く違っていた。
広場の中に満ちる異質の声。
昼の光がある時に見れば開けた場所を利用して伐採した樹木を積み上げていたはずだが……
「何が」
崩折れた大量の木々、地面のそこかしこには穿たれた大きな穴が顔を覗かせ水平に近かった地形を変えている、煙る白の雨、夜の黒、積み重ねられた倒木は全てが倒壊し。無秩序な雫の下には砕けた破片が広がるばかり。
「……」
────オ ォ
「……チ」
変わり果てた……そう言って問題ないだろう広場の中心に立ち尽くす影がある。
雲に隠され見えるはずのない夜空を見上げる異形。
奏でる咆哮に意味はなく、不細工に膨れた四肢はとてもじゃないが人には見えない。
「……」
それは『化け物』だ。
元が何であったかも容易に分からない立ち姿。
膨れた身体に統一性はなく所々で山と谷が生まれ、浮き出た血管は複雑に絡み合い弾けた一部から汚れた河を垂れ流し。
茫洋と輝く瞳は顔の片側だけだった。本来二つ目の瞳があるべき場所では肉が膨れ何もない。張り裂けた口の端は頬すら通り抜け首の始まりに、生まれたばかりらしき剥き出しの牙には未だに赤黒い粘液が付着している。
「オ、マエ」
変貌の果ての姿。僅かに残る面影は気持ち程度に残った『元の』皮膚と毛皮の縞模様だけだったが、それでも一度は戦った身だ。微かな推察がアレの正体を察知する。
──アレは、手長なのだろう。
「しかし、何だ……何か」
オ オオ
「っ!」
──ヲヲアヲヲヲ!
伐採所の中に狂気に満ちた意志無き高音が響き渡る。
恐らく『モンスター化』、それすらも偶発的に起きたというには余りに出来過ぎた話だったが視線の先の物体は何かがおかしい。
「……」
普通、異形のモンスターと言っても見た目の違いは個々であれそれでも一種の『スマートさ』というのが残るものだった。
巨大化、凶暴化、特異な能力の取得。種類は様々だがそれでもモンスター化以前の『生きる為の機能』が失われる事はない。
食す為の口。
歩き回る足。
周囲を見る目。
正常体には必要な、そんな自然さがコレにはなかった。
子供の落書きを思わせる統一感の無い膨れた身体。
本来上下に生える正常な歯は無くなり、牙というには余りに身勝手な太い針が縦横無節操に伸びている。
全体の大きさは元の体格から一回り上か二回り程度という小柄さだが、凹凸により逆に細くなってしまった箇所もありそのアンバランスさが全体の不釣り合いを引き立てる。
……これは、本当にモンスターなのか。
「ッ……いや」
意識して思考を辞める。危うく深くなってしまい掛けた意識を引き締めハルバードの握り手を強く締める。
何でもよかった。構わないはずだ。
とにかくモンスター化したというならそれだけ。
今の俺にはもっと気にすべき事が他にあるはずだ。
「コワードッ、どこだ!」
見渡す視線を強く変え、暗い広場の中でを巡る。
周囲には大量の障害物があった。夜目だけでは見通し切れない空間の中……少なくとも無傷で立っている人の姿はない。
「クソ! コワードオオ!」
不安が再び首をもたげる。
なけなしの可能性を信じ雨の中へと張り上げた俺の声に。
──ヲヲヲヲ
「チッ」
唯一返って来たのは人外の叫び、意味の分からないモンスターの声。
揺れる光を漏らす片目は音に反応してゆっくりとこちらに向かい、無秩序な牙の増殖に、とても閉じられるような形をしていない口がねじ曲がる。
「先に、お前か」
反応は、あるようだ。
しかし濁った瞳に意志は感じられない。
光はあってもまるで死体のような虚ろな目に、視線が合うだけで込み上げてくるのは嫌悪感だけ。
「あの時……殺しておけばよかったか」
……自分自身でも今更な言葉を吐き、手にするハルバードの先をモンスターの喉元へと合わせ沈める。
「……」
まだ、距離はある。
元の手長の機敏さなんて微塵にも感じられない鈍い動き。
勝手な依頼をしてきた村の人間達の事を考えるとこれからする事も多少不快だが。相手がモンスターであれば叩き潰すのが冒険者の役割だ。
「……」
そして何より『助ける』邪魔をする障害物があるなら排除しなければいけない。
「……殺す」
低く、短い殺害の宣告に前へと飛び出す形で槍を突き出す。
コワードとの、加減をしていた時とは違う命をすり潰す突きの姿勢。揺れる鋭利な針と化した矛先が狙うのは片方だけ残されている一つ目だ。例え見た目が異様であっても頭ごと吹き飛ばされて、生きていける生き物があるはずない。
「い──くッ!?」
疾走へと身体を移す、その一歩目。
踏み込んだ足とほぼ同時に、急速に迫る風の音を肌で感じた。
嫌な音、そして声。
ヲ──
調子外れの狂った音に。
背筋を悪寒が走り、気を抜いたすぐ『目の前で』雨が弾けた。
構えた腕を急速で上へと上げる。
「ガッ」
手に、鈍い音。
咄嗟に反応が出来たのはモンスターの姿を前方に捉えていたからという、それだけの事だ。
掲げた刃に喰らい付き、重い衝撃、赤い火花を散らす白の何か。
「……く」
それが、『手』だと理解するのは常識外の被我の距離もありしばらく時間が掛かった。
目に映るのは退化し、削ぎ落とされた肉と肌。赤く揺らめく紐状の長い腕にぶら下がった爪がハルバードへと触れている……爪自体も大きく変容したのか五つの短い突起は一本へと重なり混じり合い。
まるで白色の歪んだ角のように刺さってくる。
「ぐっ」
利力の果てに音を立て巻き込む風は伸びる腕自体が螺旋を描いて回転している為、力で軋む刃は悲鳴を上げ。受け切る事を断念すると爪へと刃を滑らせる。
「こ、のお!」
大きく甲高い音が一度鳴り、受け流した事により足元の土は爆ぜた。
捲れた土と水柱は視線近くまで飛び上がり。
「ッ!?」
視界を塞ぐ汚れた衣の更に奥から急接近してくる新たな風が音を響かせる。
二本目の爪。
完全には間に合いそうはないと理解しながらも反抗に腕を上げる。
「グ」
命を刈り取れる冒険者の刃へと向こうから寄ってくる白い爪。
黒闇に浮かぶ瞬く姿は稲妻のように早く、受けた腕が重い衝撃に俄かに痺れた。
「ガハっ」
押し負け下がる足は土に滑る。
僅かに崩れた体勢がよかったのか通り過ぎて行く凶器はそのまま抜けて遠くの木々へと突き刺さる。
弾ける破壊の音、幹の中腹に穴を開けられた樹木がゆっくりと傾ぎ倒れ行く様を目にし胸底の危機感が警鐘を打ち鳴らす。
「コイツ」
──ヲヲ
『両腕』による攻撃をした後も光を漏らす黄色の瞳は闇の一点から動いていない。
風鳴り音は遠く、近く。位置も起動も定かではないまま周囲を巡り元へと戻って行く。
変わらぬ奇妙な口と視線が向けられ、即座に次へと備えようとした瞬間……意識の感じられなかった死んだ瞳がその時初めて揺れた。
──ア
「……ん?」
外される視線。
まさかと作為的な動きも疑いながら、横を向いたモンスターの視線の先を追うと……森の奥に、黒の影には不釣り合いな光が灯っていくのが目に見えた。
「チッ」
立ち並ぶ木々の向こう。視界の霞む位置にあるのは村の姿。ポツリポツリと徐々に数を増やしていくのは炎の赤は揺れる人為の光だ。
……モンスターの吐き出す異形の叫びにさすがの村人達も気付き始めたか。
次々と家に灯されていく炎は夜も遅い時間というのに増えて行く。
オオ ア
「ッ! 待っ──」
ヲアアアアア!
「ツっ」
響き渡る声は止める間もなく動きを起こす。
明らかに、興味を引かれたのだろう。モンスターは風裂く腕を巧みに動かし地面に突き刺す。
土が割れ、飛沫が舞う。踏み台とされた泥の上で今まで一切動きのなかった『跳躍』し、高く空を駆けて行く。
「く」
長い腕を始点と終点とした歪な形の這い回り。雨空を横切る影はそのまま森の中へと落ちて行き、周囲の樹木をなぎ倒すと更に連続して飛び跳ねる。
……通り抜けて行った空から落ちてくるのは変化の余波として要らなくなった『余り物』。雨に混じって泥に埋没する血肉の落下が周辺にボタボタと嫌な音を立てた。
「逃がすか……ッ」
咄嗟に呟いたのは冒険者としての義務感からだろう。反射的にモンスターを追おうとした俺は振り上げた足を一歩先へと降ろし
「……」
そしてそこで止まった。
「……」
周囲にあるのは残骸となった『伐採所』跡地。
見える範囲に人の姿は確かにない。
しかしそれは逆に言えば見えない所に人が居る可能性もあるという事だろう。
どこかに倒れ、うずくまっているかも知れない『仲間』が。
「クッ、コワ──」
振り返り、俺の漏らした声は森から響く破壊音によって上塗りされる。
分かりやす過ぎる行進の証。折り重なり響く樹木の倒壊は一直線先に一つの場所を目指している。
今も人が生き暮らす『集落』を。
「クッ」
行き交う瞳は伐採所と遠き村とを交互に見て、破壊音と耳近くの雨音とが答えを急かす。
「……」
長いか、短いかも分からない葛藤の後。俺は息を吐いた。
「いい、気味だ……」
微かな皮肉めいた笑みが浮かび村に背を向ける。
本当に守らなきゃいけないものは実質数が少ない。全部が全部なんて、思い上がりは
「……」
遠く、木々の倒れる音に続いて耳障りだけはいい。かつての『仲間』の言葉と。
「そんな事──」
今の『相方』の言葉が胸に湧き、そして消えていった。