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10 騙される者の戦場


 ルルル――ルルる


 濃い闇の中、襲撃者は喉を鳴らし低く唸った。

黒色の鱗に覆われたその姿にはいくつもの裂傷が走り、広い翼からは千切れた羽が僅かに零れる。胸底に沈む深き怒りを抑え込み自身と同じ黒色の闇の中で静かに傷を癒す。まるで慟哭とも叫びとも取れる唸り声の先…黒い闇の中に小さな幻の姿でも見るように…絶え間なく燻る煙は消える事を知らない。


 グ  グ


 思い出すのは小さな姿。

自身の目の前から逃げ出し何の抵抗も見せようとしなかった姿。

柔らかそうな肉は爪を立てれば簡単に破けそうで細い2本の脚も少し踏めばそれだけで折れてしまいそうな。

…そんな弱々しい姿に似合いの恐々として逃げ出す様に初めは大いに嗜虐心を刺激されたものだが…それも長くは続かなかった。


 ガ   アアアアア!


 一瞬にして膨れ上がった感情を制御し切れず襲撃者は苛立たしげに尾を振るう。自身の寝床と決め込んだ大きな木の洞に空を切る一撃が走り、叩き付けた樹木は細やかな木片を上げ踊る。

 

納得がいかなかった。

何故殺せなかったのか、あんなに弱そうなのに。

何故噛めなかったのか、あんなに柔らかそうなのに。

何故折れなかったのか、あんなに脆そうなのに。

 …未だ、発生から短いとはいえ襲撃者の中には自身に対する確かな自覚が芽生えつつあった。

己は強者であり誕生の瞬間から一方的な殺戮を約束されたモノ。この広い森の中に自身に敵う敵など存在せず黒い闇に紛れるその姿から逃げおおせる者もいなかった。


…敵といえばいささか語弊はある。確かに歯向かう者はいた。実際に今も蝕む彼の体へ傷を付けたのは鎧を着た者の群れであり、鋭い刃は襲撃者にとってしても脅威に成り得た…だが、それとこれとはまた別だ。


 ガ グ グ


 …逃げ出した小さな姿は1人だったのだ。多くの仲間と共に群れを成しなんとか自身を傷付けた鎧達とは違う。抗う訳でもない戦う訳でもない…ただ、逃げた、それだけなのだ。


 ガ ガァアアアアァ!


 唸り声が漏れる、心が激昂する。

 それは襲撃者にとってただの妄想。…しかし最も忌むべき吐き捨てるべき考えだった。

それは…もしかしたら自分は弱いのではないか、と…あんな小さな者すら逃してしまった自分は強者ではなくなってしまったのではないか。

それは、ただ1つ。襲撃者自身が見付け作り上げていた自負が揺らいだ瞬間だった。


 ガ、アアアアア


 だから怒る、だから声高に高く吼える。まるでこの世の理、その全ての悪があの小さな者のせいであると、あれが悪なのだとそう言いたげに。

…そこに明確な理論も理性もありはしない。ただ闇雲に湧き上がる感情を理解できず襲撃者はそれを怒りとして昇化した。その気持ちが、不安や揺らぎだとは気付かずに。




 ア  ァ


 …どれだけそうしていたか。荒れに荒れふと静かになった瞬間に、影の底から響いてくるような音を見付けた。

 …それは小刻みに鳴る蹄の音、規則正しく礼儀正しく整然として音は鳴り、蹄の音に続き何か、土の上をゴロゴロと引きずるような音が響く。


 ―――


 その音を直感的に理解した時、襲撃者の顔には歪んだような笑みが宿る。


 …獲物が来たのだ。




――――――――――――。




「今度こそっ」

 何度繰り返されたか分からない呟きを吐き草むらの中へと腕を突っ込む。鋭利な茨と硬い草、触れる切っ先に引っ掛かり服の袖はボロボロとなり剥き出しの肌にはいくつもの傷が生まれていた。

「ッ」

 滲む痛みと新たな傷に耐えながら何度かそのまま格闘をすると、悔しげに顔を歪め腕を引いた。

「ここじゃない…次っ」

 …数歩歩く。歩き、また別の草むらを見付けると再び手を突っ込んだ。…これの繰り返し。


 …記憶に間違いはない筈…確証もないその思いだけが小さな救いだった。

あの時、あの場所で…見た怖さを思い出すと体は震える。鋭利な牙、赤い瞳、死に直結して感じる予感。……その様が鮮烈だったからこそ助かった。記憶に焼き付いたその風景に周囲の景色まで写り込んでいたからだ。

モンスターの体越しに見えた森を、土色をした道を、少しだけ見えた目立つ石を…。


「次っ」


 ……そう、心の中では偉そうに思ってみるが、今となってはもうただにカンに近い。

場所だけは当たりを付けられるが、後はそれらしい草むらを見付けては腕を突っ込み探して行くの繰り返し。あまりに原始的なやり方に重なる徒労と腕の傷ばかりが増えて行く。


「次っ」


 1つ草むらを潰す度に焦燥が走った。

何時ごろにか高く見えていたはずの太陽は傾き暗い影が辺りを覆う。空に見える星は昼の間の快晴を映すように満天に輝き、深い木々の葉から注がれる月の灯りが強い事だけが頼みの綱だった。


「…次」


 …勝手に零れようとする溜息を必死に飲み込む腕を伸ばす。もしかしたらもうないんじゃないか、既に失われて無くなって…やはりあの話しの通りに二度とは取り戻せないそんな遠くに……立ち止まって考えてしまえば増し押し寄せる不安で動けなくなりそうで。ただガムシャラに腕を振るった


 …だからだろう。


「…つっ……!」


 突き入れた指が何か硬い物に当たった瞬間。森の中だという事も忘れ大きく叫び声を上げそうになった。





「……よし」

 こびり付いた土を払い『クロスボウ』を構える。照準越しに見える視線の先は…しかし矢の先端が睨む場所とは大分変っていた。フレーム全体は歪み、巻き取り器から伸びたワイヤーには欠落が目立つ。張られた弦に見える糸は何本も毛が飛び跳ね…頼もしかったはずのその姿は今は少しくたびれて目に写った。


「…」


…それも仕方がない、全部自分の責任だ。本来なら毎日欠かさず手入れをして然るべきものをこんなに野ざらしに放置して。…それでいてマトモな状態であると思っていた方がおかしい。…全体的な機構自体には問題なく辛うじて発射自体は出来そうだが、その事を喜べる雰囲気ではなかった。


「ごめん」

 小さく呟きクロスボウ本体を撫でる。…今はとにかく早く整備しよう、一刻も早く町に引き返し修理屋に見てもらい、それから……それ…から……。


「それから、…どうしよう」


 半ば呆然と呟きが漏れた。

 …それからどうしよう。

胸の中のもやもやに突き動かされ走り、武器は取り戻せた…でも、それで…一体何が変わるというのか。


「……」


 余りの自分のバカさ加減に腹が立った。握り締めた拳を精一杯に強く握る。

何も考え無しで走り出して…いやそれはいい、クロスボウを取り戻したこと自体には後悔はなかった。それ程時間が経った訳でもないのに手で触れるだけで感じる懐かしい感触に力は不思議と湧いてくる。…だが問題はこれからの事だ。

もう行くべき場所も、帰るべき場所も、目的すらない。…無いものばかりで笑える。

 ふらふらと浮ついた風船のようなもので行く当てもなく…それでいて今いるのはモンスターの森…。


 オォ―――――オオォン


「…ひっ」

 突如聞こえた遠鳴りに震えが走る。

 忘れていた…いい気になって見落としてしまっていた。今いるのはモンスターの森で周りには…それこそ見えていなかったとしても何十匹と危険が潜んでいたとしてもおかしくない場所で。

「…」

 震える右手で腕を抑える。…とりあえずここに居たくはない。顔を上げ辺りを見回し、何かないかと指針を求めて右往左往していると…微かな物音が耳に届いた。


「…ぁ」


 聞こえてきた音は恐らく水流のような音。チョロチョロと断続的に、低く響く水滴の音に忘れていた乾きを思い出し喉が鳴る。


「そういえば、ろくに食べ物も飲み物もないんだっけ」


 …言って自分の顔を自分で顔を覆う。

 バカバカバカと思っていたけどまさかここまでバカだったなんて。非常食も飲料水も確保せずに森に入るなんて!それも1人だ。…そんなバカが何処にいるって言うのか。

いや、いい…ここに居た。



「……はぁぁ」


 漏らすまいと思っていた溜息が零れた。もうなんだか何もかもどうでもよい気分になり、とりあえずと当座の目標地を水の音のした方向へと定めると暗い夜の森を歩き出す。





「………」


 歩き初めてどれくらい経った時か。

邪魔な木を避け注意しながらも進んで行くと耳に聞こえる水音が次第に強くなるのが分かった…強すぎたともいっていい。暗闇に響く音は自分が迷わずに進んでいるんだと自覚させる一方で何か…何か嫌な予感を胸の内にこびり付かせるように、何故か暑くもないのに薄い汗が流れ出す。


 …始めはシトシトチョロチョロと聞こえてたはずだった。しかしその音は次第に近付いていくにつれ音の中身を変えて行く。

まずはチョロチョロはピチャピチャとなった…次いで更に進むとビチャビチャに…綺麗に聞こえていたはずのその音に段々と濁音が混じり始め音程全体も不明瞭なものとなっていく。

…今はもうグチョグチョといった方が近い。

その耳に嫌な音に胸の内の悪寒は強まるが…それでもまた、引き返して去るという勇気が持てなかった。

単純に正体不明のこの音が怖かった。

意味不明の濁音が何か分からずにそのまま引き返し…その時になって音自体が追い掛けて来るような気がして怖かった。何も分からず、気付いた時には抵抗も出来ずに蹂躙される…そんな幻視の未来を見た様な気がし―――だから、確かめようと思った。

「…っ」

 大きな木を三つ避け、いよいよ大きくなった音量に意識して唾を飲み込むと、草むらの影から顔だけを覗かせて…



 ガ――――ア


 グッチョグッチョグッチョグッチョ…



―――――っっ


 …目に見えたその光景に、思わず大きく声を上げそうになり慌てて口を抑える。チラリと見えたその場所は森の中にあって比較的開けておりまるで広場のようで。


低く草が生い茂っているその場所に今、濃く濃厚な錆び臭い匂いが満ちていた。白色の月に照らされる目に入ったのは真っ赤な上に立ち、更に赤く光る一対の瞳。…込み上げるその姿に、沸き立つ怖さに肌が粟立つ。


クチャ クチャ クチャ クチャ


…しかし、遠くに見えたその影はこちらに見向きもせずに一心不乱に下を向き上を向き、牙を鳴らし口の中の音を周囲に響かせる。

…咀嚼だ。

顔を上げた拍子に口から零れ落ちるボタボタとした何か、食い散らかしの破片は漏れ地面に当たると弾け赤色の液体を周囲に散らす。

原型を留めない何かへと足を掛け踏み締める爪で無理矢理に傷を開くと、内部から2つに裂かれた何かの内側が顔を出す、赤く、蠢き脈動している様が非常に気持ちが悪い。


「う…ぷ」


 …吐きそうだった。…濃厚な血の匂いと凄惨な光景に当てられその場へと崩れ落ちそうになりながらも何とか声だけは上げずに耐えた…耐えられたのはきっとその食事の対象が人の物ではなかったからだろう、暗がりに見える力無く投げ出されていたのは四本の足は太く大きくとても人間のソレとは思えなくて。

影の主はその巨大な食物にまるで歓喜する様に飲み込み終えた口を再び開くと何かの腹の内側に一心不乱に顔を差し込む、…辺りに響く肉を裂く音、血管を千切る音。噛み砕き再び上げたその顔からは複数の赤い液体が零れ落ちた。


「あ……ッ」


 目も背けたいその食事風景にくぎ付けになり…その奥にある物まで見えて目を見開いた。何かひどく場違いな物が見えた気がしたからだ。月明かりに浮かぶ茶色の木目は歪みながらも原型をしっかりと留めている…それはきっと壊れた車輪。煌びやかに輝いたいくつもの飾りはあちらこちらに散らばり月明かりを受けて光り…その中央で、四角い大きな箱が横になって転がっている。

破壊されているがいくつか残っている車輪から分かる。それはなんとも豪華な箱車だ。

 …恐らく今食事となっている獲物も元々は車を引くもので動力源だったのだろう。ここからでも見える車のひしゃげた扉は、その中身までは窺わせてくれなかった。


「……お、い」


 嫌な予感が駆け、それと同時に思う。なんでこんな所に…バカだろう、と。

ろくに道も確保されていない森の中を、例えどれだけ豪勢であろうと車が走るなんて正気の沙汰とは思えない。それも…モンスターの蔓延る森の中ならば尚更の話しだ。

車の持ち主はどこまでも酔狂な金持ちか…あるいはもしかしたら自殺願望なのか。豪奢な車の見た目からそれなりに裕福だったんじゃないかと思えるが正直に、こんな所で、いい迷惑だ。


「…ぁ」

 

 そこまで考えが巡った所でようやく思い至る…果たして車の持ち主は無事なのか。

うまく逃げたのか、それならば探さなければいけない。…それくらいの寛容は元…冒険者とはいえある。

…それとももう時既に遅く、目の前で行われている食事風景のその一部分なのか…だったとしたら今更どうしようもない。



 …それとも。

「…」


 グチャ グチャ


 …それとも…もしかして…まだ、あの中にいるのだろうか。




「ハッ」

 ―バカバカしい。

 取り戻した意気に食事から目を背けると踵を返して歩き出す。…バカな奴だとは思った、しかしその反面好都合かも知れない。

ここで『アレ』が食事中ということは気を付けさえすればこの先森の中でアレに出会う確率は低くなる。それはそうだ、目の前で食事に夢中なんだから追ってくるはずがない。…それにもしかしたらひと暴れでもしたのかもしれない。周囲からは既に逃げ出したのか他のモンスターの気配は感じなかった。…考えれば考える程この場面は自分にとって好都合なものに思えた。


「ハ、ハハ……よし、逃げよう」


 笑みを浮かび歩き出す。背後から響く咀嚼の音、硬い肉の千切れる音と壊れる命を聞きながら足音を殺し木々の裏を進む。…本当に、バカな奴だ。こんな所に来ればこうなるかもなんて分かり切った事だっただろうに。


「…」

 十分に距離が離れた事を確認して少しだけ歩く速度を早めると……不意に続いていた咀嚼の音が止まった。

「っ…」


 …まさか、気付かれたかのか…そう思い振り向いてみるが、どうやらそういう事でもないらしい。

食事から顔を上げた影はのっそりと歩き出し転がる箱へゆっくりと近付く。

まるでその歩みすら楽しい様にわざわざと足音を響かせる辺りに趣味の悪さを感じるが、堂々としたその進行姿に記憶の中の襲われた恐怖とが結び付いて背の上を冷たい汗が流れる。

「…っ…クソ」

 …勝手に震え出す体が情けなく小さく舌打ちをうった。


…その間もゆっくりと影は進み、月光の光を浴びながら転がる箱の前へと到達する。…辿り着くと共に振り上げられる爪、空を上る血塗れの爪は鈍く光。


 ガアア


 …振り下ろした。

咆哮に重なる大きな音。ドアがひしゃげ、砕けた破片は宙に舞う。


「く…っ」

…気付かれないよう、早く離れたいと歩を早めた。


 心臓は荒くバクバクと鳴るが、取り戻した武器が役に立った。これを手にする事によって力があるように思えて何もかもがうまくやれるような気がした。

このまま…このままでいい。うまくやって、うまく生き伸びて…今度こそ、失敗はしたくない。

「…」

人を騙す甘言になんて耳を貸さず地に足を付けてマトモにやり直す。出来る事と出来ない事には明確な線引きを行って…もう、無理をして…バカと、笑われる事にも疲れていた。


「……」


 …振り下ろされる。

車体全体がその一撃により大きく歪んだ。残された車輪の1つが投げ出され地面を跳ねると転がる。

「…」

…歩みが遅くなる。……それは気付かれまいと気配を殺したから……そう自分に言い聞かせる。


「ち」

 また、舌打ちが出た。



 ――努力をすれば叶う。

 …それが嘘だという気付くのに時間は掛からなかった。『どうせ』世の中には出来る人間と出来ない人間しかいなく、他の誰かが簡単にやってみせる事もどれも自分にとって最上級に難しい事。


それを笑顔1つでやってしまう人間がいるんだ。…だから、任せればいい。

強く怖いとはいえ、たかがモンスター1匹。…いずれは誰かが、強い誰かがきっと倒してくれる。…それはあるいは自分自身が憧れた英雄という人で……決して自分では手も届かない…。


「ハ」

 口元に笑みが浮かぶ。先程と違い今度は自分に向けた自虐的な笑みだ。…自分が嫌いになる。


 ガアアアアア


 腕が振り下ろされる…窓が割れた。


「…」


 歩みが、止まる。



 …いつもこうだ。いつも、結局自分自身の無力さを味合わせて終わる。

 夢は壊れた。怯える自分を見ては誰かが笑い。それを仕方ないと思った。…いい、それでいい。出来る奴は、出来るんだ…それでいい。


 ガアアアアア


 大きな咆哮が響く。

力任せに振り下ろされた爪の一撃は今度は正確に車を捉え喰らい付く。接合部を止めた金具は叫び声を上げて霧散し、木製の扉は空を飛んで地に落ちた。


「…」


 誰かの

 ……誰かの、叫び声が聞こえた気がした。



「ぐっ」

 腕に力が入る。手の中に見えたのは取り戻した愛器…汚れ歪んでしまっているが手の中にある重みは変わらない。


 変われなかった。

助けたい――本心ならそうしてる助けられるものなら助けている、それがやりたくないなんて誰が思うか、それが…夢だったんだ。

「く…っ」


…しかし、現実は違っている。

出来る事は見え、出来ない事はもっと見え。


 …才能とか、力とか、したかったとか、叶えられなかったとか…。そんな事は結局全部言い訳で…自分がそうじゃなかったから、自分だけが夢と違っていたから。それが悔しくて認めたくなくて、そんな事ばかりが口を出た。

羨ましい、眩しい、そこに居たい…そう思った願いはいくらだって溢れて来るのに。なのにっ……なんで…。



「…」


 頭の中に嫌な記憶がよぎった。

 それは自分を貶めた原因でふざけた理想を擦り込んだ思い出。




『なら…そうだな。君に1つ、魔法をかけて上げよう』

 …かつて居た人はそう言った。それは鬱陶しい暑さが肌に張り付く嫌な季節で


『……魔法?』

 …そう言われ、自分はそう返す。意味を分かっていなかった。だから聞き返す他出来なかった

 それを見て、その人は静かに笑う


『そうだ、君は…自分の言葉じゃもう自分を信じられないだろ?…仕方ない、今はそれでいいんだ。…だから、君じゃなくて私の言葉を信じてほしい』


 …そう言い浮かべた笑みを強くして



『キミは……』



「……」


 それは嫌な思い出、ソレは悪人。


「……る」

 小さな呟きは声にならず歩みは再開した。





―――――――――。



『 キャ アアアアアアア 』


 …意味も分からないその叫びに、しかし襲撃者は大いに嗜虐心を満たした。

 頑丈な箱に覆われ、姿を隠しいい気になっていたのか…覗き込みその姿が見ると小さな影は声を大きく上げ後ずさる。

一体どこへ行こうというのか。囲まれた木の壁に逃げ場はなく見上げた空に見えるのは白い月、赤く輝く襲撃者の残酷な瞳。


 グ グ


 流れる悲鳴をたっぷりと吸い込んだ後襲撃者は楽しげに大きな口を開く。…つい先程まで食事を行っていた口だ、牙と牙の間には残容物が挟まり、赤き液体と残りかすとがごちゃ混ぜに混ざったソレを重力に任せ箱の中に落とす。

びちゃりと音が鳴り砕けた欠片が頬に張り付くと影の叫び声は大きく甲高くなり。


アア アアアア


その…音響すらまとめて食べ尽くす様に襲撃者は一度大きく喉を鳴らすと。

 牙を、振り下ろした。




 アアアアアア


 襲撃者の声が上げる。

…それは、彼の上げ慣れた喜びの雄叫びに似て…しかし全く異なるものだった。痛みが弾け、風鳴りが耳を襲う、弾けた痛みは点となり揺れる衝撃は頭を揺らした。


 ア ア


 襲撃者は見る…そして『それ』を見つけて大きく目を開かせた。

 何かが飛んで来たその方向、痛みを与えたその先に立つのは小さな弱い姿。



『 戦える がんばれる 叶えられる 抗える 出来る 』


 ガ ア アアアア


 その匂い、その姿、その影。

見間違えるはずもない!襲撃者の中でくすぶっていた暗い炎は再び燃え上がり、箱の中の獲物に向けて開かれていた牙を閉じる。


『 クソ 適当なっ 適当な事ばっかり! クソっ』


 何かを、言っている。だがそんな事どうでもいい。『つまみ食い』でごまかしていた怒りの矛先が…自分から目の前に姿を現したのだ。


 アアア ァアア


 歓喜が、広がっていく。鈍く感じた痛みすら忘れ、その咆哮は本来あるべきものへと、一方的に狩り取る力を取り戻し、自負による力を。


『 いいさ もう一度 もう一度だけ 騙されてやる 』

 ガアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああ!

『 っ   こいよおおおおおおおおおおおおおお! 』


 小さな姿、小さな小さな叫び声。

黒色の強者の片道の咆哮。


 二つの叫び声が白い光の下で重なった。



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