虹とかかし
ある湖のほとりに、魔法のかかしがいました。
かかしのしごとは、湖にうかぶ小島の、窓のない小屋を、岸から見張ることでした。かかしをつくった魔法使いが、さらってきた子どもを閉じ込めるための小屋です。
子どもは暗闇にひとりぼっちにされ、おびえます。魔法使いはその『悲しみ』を魔法のかてに、力とわかさをたもっているのでした。
かかしは、干し草におがくずをつめ、えだをさしただけの粗末なものですが、とてもはたらき者でした。かかしですから、おなかがすくこともありませんし、眠ることもありません。なみだをしらないので泣き声や、助けをよぶ声をきいてもへいきです。朝も夜も言いつけどおり、誰とも口をきかず、湖のむこうからじっと小屋を見張るのでした。
ある夜のことです。
かかしは、ふしぎな音をききました。小鳥のさえずりににていますが、きいていると、ふわふわとふしぎなが感じのする音です。
それは、その日さらわれてきたばかりの女の子、ニーナの歌声でした。
泣き声や助けを呼ぶ声しか聞いたことがなかったかかしは、初めての歌声に夢中になりました。
日に日に女の子が気になって、ある日とうとう言いつけをやぶり、声をかけてしまったのです。
鏡のような湖に、満月がうかぶ夜でした。
「こんばんは」
おどかさないように、声をかけました。
「だれ? だれかいるの?」
「あの……小屋の、小屋の見張り番です。すてきな、声ですね」
「あ、ありがとう。私……もう誰ともお話しなんかできないとおもってた。私はニーナ。ねぇ、見張り番さん。お友だちに、なってくれない? おねがい」
――『人間』が『かかし』と友だちに?
かかしはおどろきました。しかしすぐに、小屋には窓がないことを思い出したのです。
きっと、見張り番が『かかし』だなんて、知らないのでしょう。でもニーナの声があんまりうれしそうなので、かかしは本当のことを言いそびれてしまいました。
それから二人は、魔法使いのいない夜にだけ、こっそりおしゃべりをしました。
湖にふく風が、そっと二人の声をはこんでくれるのです。
「見張り番さんと話してるとね、おひさまの香りがするわ。だから真っ暗でも、ほっとするの。でも、どうしてかしら。ふしぎね」
「そ、それは……ど、どうしてでしょうね」
かかしはニーナの話も歌も、大好きでした。しかし、仲良くなればなるほど、じぶんが『かかし』だと言えなくなっていったのです。
友だちになって三回目の満月の夜。いつものようにニーナの歌声にうっとりしていると、急に歌がゆれて、とてもさみしい声に変わってしまいました。
はじめて聞く、ニーナの泣き声でした。
今まで、どれほど子どもの泣き声を聞いても平気だったのに、母をよぶニーナの泣き声に、かかしの胸ははりさけそうになりました。
でも、小屋をかこむ湖は深くて広くて、かけつけることはとうていできません。
たまらずかかしは、魔法使いのところへとんでいきました。
「ご主人さま! どうかあの子を、母親のもとに返してあげてください。おねがいです!」
「何バカなことをいっている。お前が生きていられるのはあの娘の『悲しみ』を力にした、私の魔法のおかげなのだぞ。わすれたのか」
魔法使いは怒りました。しかし、かかしは、あきらめません。じっと頭を下げつづけます。
すると、魔法使いがふいににやりと笑いました。
「ははぁん。なるほどな」
「ご主人……様?」
「おまえ、恋をしたな?」
魔法使いは杖の先でかかしをつつきます。
「おいおい。おまえはかかしだぞ。かかしが、人間に恋だって? あははは。かりにお前が小屋から助けたとしても、かかしのお前なんかを、人間の娘が好きになったりするものか」
「それでも、かまいません。あの子をどうか」
魔法使いは面白がって、手をたたきました。
「いいだろう。この湖にかける、虹色の橋のざいりょうを七つあつめるのだ。橋を完成させることができれば、娘を自由にしてやろう」
「ありがとうございます!」
かんげきして頭を下げるかかしに、魔法使いはつめたい目をほそめます。
「一つ目は、火だ。明日の夜、ここにもってこい。ただし、どうぐを使ってはならないぞ」
「え! 火……ですか?」
おびえるかかしを見て、魔法使いはせせらわらいました。木とわらでできたかかしが、どうぐも使わずに火をもってくることなんか、できっこないと思っていたからです。
次の夜、魔法使いが湖におとずれると、かかしは松明を持って立っていました。
「どうぐを使ったな! おろかものめ」
怒鳴る魔法使いに、かかしは首をよこにふり、だまって松明をさしだしました。
それはなんと、かかしの左腕だったのです。
魔法使いは大笑いました。そして、上機嫌で、火のついた左腕を湖に投げたのです。
左腕は、赤く細い橋になりました。
それから、かかしは毎晩一つずつ、いわれたとおりのものをさしだしました。
二日目は、カンカンに焼けた鉄のナイフ。ナイフをつかんだかかしの右手は、炭になりましたが、橙色の橋がかかりました。
三日目は、氷のかべの中の古いほね。かべをくだくために使った左足は、こなごなになりましたが、黄色い橋がかかりました。
四日目は、おばけ花のみつ。鼻先ですくったので鼻はとけてなくなりましたが、緑色の橋がかかりました。
五日目は、大ワシの卵。くちばしで両目をえぐられ目玉はなくなりましたが、青色の橋がかかりました。
六日目は、人食いナマズのひげ。ナマズに右足を食われてしまいましたが、藍色の橋がかかりました。
最後のざいりょうが告げられ、七日目の朝になりました。かかしは、もうただのぼろぼろの干し草でした。
「見張り番さん」
ニーナの声に、かかしはおどろきました。
「朝ですよ。話をしているのがきかれたら怒られますよ」
「ごめんなさい。でも最近、あなたの香りがしなかったから、しんぱいで。ねぇ、どこかに行っていたの?」
かかしは、わざと明るい声でいいました。
「ご主人様の命令で、橋を作っていたのです。もうすぐ、あなたは自由になれるのですよ」
「本当に? じゃあ、お母さんにあえるのね」
かかしは心をこめて「はい」と答えました。
夜になり、魔法使いが来ました。
「最後のざいりょうをもらうぞ。いいな」
「はい。どうぞ私の『声』を……」
魔法使いは、杖をふりました。かかしの声は、紫の光になって、湖へと飛んで行きました。すると、それまで六色だった橋が、虹色に輝き始めたではありませんか。
ついに、虹色の橋が完成したのです。
小屋のとびらがあき、ニーナがおそるおそる出てきました。ニーナの目の前には、暗闇に輝くうつくしい橋がかかっています。
「私……自由なのね」
うれしくてニーナは橋を渡りながら、歌いました。もう、さみしい声ではありません。
かかしは、だきしめることも、かけよることも、見つめることも、声をかけることすらもできませんが、とても幸せな気持ちでした。
その時です。信じられない声を聞いたのは。
「ニーナ、こっちだよ」
なんと、かかし自身の声でした。魔法使いが、うばった声でなりすましているのです。
魔法使いは、かかしにささやきました。
「そこで娘が食われる音を、たっぷりときいておけ。しねないおまえの『悲しみ』が永遠に私の力となるだろう」
かかしは、ふるえあがりました。
――いやだ! にげて! ニーナ!
しかし叫びは、声になりません。
魔法使いが、ニーナに手をさしだしました。
「おいで。ボクが見張り番だよ」
歌がやみました。ニーナがたずねます。
「あなたが? ……本当に?」
「本当さ。この声を忘れたのかい?」
かかしは叫びます。とどかぬ声で。
――ニーナ! ぼくはここ、ここにいます!
「さぁ。こっちへ」
魔法使いがおそろしく優しい声でさそいます。
「ええ」
ニーナはそっと手をのばしました。
――ニーナ! ニーナ! にげて!
かかしがありったけの想いを、心の底から叫びました。
その時です。
ニーナの出しかけた手が、止まりました。
「……ちがうわ。あなたじゃない!」
「え?」
ニーナはおどろく魔法使いを突き飛ばしました。
「ちがう! 本物の見張り番さんは、どこ? 見張り番さん!」
あわてて周りを見回します。
風がひとつふきました。ニーナは足を止めました。
「……あ……おひさまの香りがする」
もう一度ゆっくり周りを見回します。ふと、小さな笑みを浮かべました。
「あなた、あなたよ」
そして、足元の干し草をかかえあげたのです。
「ね、見張り番さん」
――ニーナ……
ニーナの腕の中はとてもあたたかでした。
かかしは、もう、なにもいらないと思いました。
と、突然、かん高い音が鳴り響きました。
虹色の橋がはじけとんだのです。
ニーナはたまらず目をとじました。そして、次に目をあけたとき、そばには虹色に輝くかかしと、一人の老人がたおれていました。
『悲しみ』が消え、すべての魔法がとけてしまったのです。魔法使いの体は、しゅうしゅうと煙になっていきます。
「かかし、私が消えれば、おまえだって消えてしまうぞ。早く、娘を小屋に戻すのだ!」
魔法使いの悲鳴に、かかしは黙って首を横に振りました。そしてニーナを抱きしめると
「ふりかえらないでお帰り。なにも心配しなくていいよ。私は虹になってずっと君を見守っているから」
そっと、背をおしたのでした。
子どもをさらう魔法使いがいなくなり、人々に笑顔がもどりました。
ニーナは虹がかかるたび、歌います。
おひさまのような友だちをおもって、いつまでも。