三の段其の幕間 朝廷呪術団 VS 大魔女メイア
三の段其の幕間 朝廷呪術団 VS 大魔女メイア
魔法。幻術。魔術に仙術。 妖術。呪術に陰陽術。
そんなものなどありゃしない。それがこの世の常識だ。
科学の発展や技術の進歩と共に、かつては信じられていた神秘や怪異は唯物論と機械文明の下に当然のごとく否定されていった。
今では子供まで、そんなものを信じる人間を馬鹿よばわりする始末だ。
だが、それらの秘術が国家の法によって禁じられていた時代が、確かにあったのだ。
それらの呪法は、国家によって管理され朝廷権力の基盤として機能していた。
時が過ぎ武家が台頭し、実権を失って久しい朝廷が、尚その命脈を保てたのは、歴史の陰で彼らが暗殺集団として機能し、朝廷権力を守護していたからこそである。
朝廷の暗部。
決して表に出ることのないはずの彼らが、勅命により、今、京の都に集結していた。
彼らのみならず、日本で呪術や陰陽術の秘跡を継ぐ術者が、その流派を問わず集められたのは、かつての都の中心でありその霊的中枢でもある朱雀大路の一角。
その数、百を超える術者が整然と各々の配置に着き術を行使する様は、圧巻というより他はない光景であった。
通常、一つの呪法を異なる流派が行う場合、協力して行われる事などなく、足の引っ張りあいすら起こるのが、当たり前。
勅命とはいえ、己の領分を侵されることを極端に嫌う陰陽寮や、貴族の零落で朝廷よりも武家につくことで公家と対立さえした在野の呪法者。
彼らが協力して、呪法を行うなど本来ならあり得ないことであった。
「オン・ナウマク・サマンダ・ソンバ・ニソンバ・アミリテイ・シュチリ・キャラロハ・ヤキシャ・マカラギャ・バゾロ・ウシュニシャ・マユラ・キランデイ・バザラダン・ソワカ」
「たん、からたん おん、じゅおん しして、しし くくり、くくり けがれてけがれ」
「まつろわぬ敵、叛く敵、加護弓、、刃羽矢以てぞ討ち果つ」
「青龍、朱雀、玄武、白虎、四神招応、怨敵覆滅、急々如律令」
「ひ、ふ、み、よ、い、む、な、や、ここの、たり、ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ」
大路に様々な呪式装置を造り上げ、同派が固まり呪力を集結させ、呪詛対象へ死の呪いを送る。
そういった呪力のラインが幾つも絡み合い、より禍々しい呪詛となり、ただ一人の人間のもとへと向かっていた。
唯人ならば、瞬時に身体が腐り落ち、黄泉路を辿ることになるだろう呪い。
常人ならば、数十回は地獄の苦しみとともに、生を呪いながら果て、死した後も呪いに囚われ永劫の苦しみに悶え続けるだろう只ならぬ呪詛。
その向かう先は、悠樹久遠。
農協の主幹であり、朝廷と武家と寺社──日本の征服統治勢力に堂々と否認状を送りつけ、征服統治を拒否し、あまつさえ朝廷や寺社の宗教的権威どころか宗教すら信仰に反すると否定した戦国の世の破壊者だ。
本来ならあり得ない呪術者の協調は、わずか十年余りで依って立つ場所を奪われた武家が、権力の残滓にしがみつき生きることしか知らぬ公家が、信仰に寄生して生きる事でその本質を見失った寺社が、朝廷という古代日本の覇者の幻影を核にしての、最後のあがきであった。
農協に用意された“ 農民や工民などの生産者として生きるという選択肢 ”を選ぶ者もいたが、それらは変わり者と呼ばれたわずかな者達や生産者としての側面を持つ下級の武士や公家のみであった。
生産者である多くの者達を、半ば家畜と同様の目で見ることに慣れた彼らの価値観が、歪んだ矜持となり、その選択を“ 死よりも酷い屈辱 ”と呼ばせたのである。
如何に農協が対等の立場で手を差し伸べようと、彼らにとっては、このうえない増上慢。
その言葉が彼ら自身を指すのだと気づかぬままに、彼等は農協に対する憎しみを募らせていった。
その結果が、この大掛かりな祈祷と呪詛である。
それを率いるのは、壬生国綱。
裏陰陽寮の主魁。
稀代の陰陽師にして呪禁術と密教呪術のみならず、カバラ魔術にまで精通した術師であり、前世界ならば後に南光坊天海を操り幕府を征服統治しようとした傑物である。
本来なら歴史の表舞台に立つことのない彼らが、こうして集い、衆目の目にさらされるのも恐れず秘術を振るうなど、本来はあってはならない事だ。
秘術は秘してこその秘術。
あることを知られるだけでその力を減ずるために秘匿され続けてきたのが、呪術や陰陽術のうち真に力を持つ秘術である。
面と向かえば一人の侍にさえ及ばず、秘すれば万の軍勢を瓦解させ得る。
離れた場所にいるものを物理的な手段を講じずに暗殺する技術とは、そういうものだ。
だが、それは知られてしまえば、諸刃の剣でもある。
戦の駒として考えるなら、そこにあると知れば、敵でなくとも、念のために程度でも潰して置きたくなる代物だ。
故に、その技術は秘匿され隠蔽され偽装される。
だが、今や公家や武家たちはその内で争えぬほどに追い詰められていた。
農協の傘下に入った農地は日本の9割を越え、山岳部を除く平地の8割が農協の巨大構造物内に収められ、山岳部にはもののけと化した巨大な狼や猪などが溢れた。
単に征服統治下にあった農家が自治を始めただけで武家の生活は成り立たなくなる。
そして、なわばりに入りさえしなければ、襲われることもなく、里に下りてこないとはいえ、強大なもののけの存在は、巨大な壁に護られた農協への憧憬を強くしていった。
生活の困窮にくわえ、もののけに対する恐怖から、半農半武の豪族が武器を捨て始めるようになると、生産力を持たぬ上位の武家達の生きる術は、その本業たる暴力による略奪へと傾倒していくのは自明の理。
天変地異を抑えられぬ朝廷や寺社の権威は地に墜ち、朝廷の家臣という題目しか持たぬ古い武家の権威もそれに伴い失墜したため、下剋上には、歯止めがかからなくなっていた。
今まで下剋上の世とはいわれても所詮は武家の常識の範疇でしかなかったそれが崩れ、全国に大悪党と呼ばれるような者達が数多く生まれる。
そして、そうした物質面のみならず精神面でも、彼ら旧勢力はその存在を脅かされていた。
農協は“ 朝廷に既に神を祀る資格なし ”として、その権威を完全に否定し、その根幹を揺るがした。
更に“ 神仏を利用する金儲けは神仏を軽んじ貶める行為だ ”と寺社勢力の存在意義をも揺るがしたのだ。
鎌倉幕府設立より三百五十年、すでに京の公家達に為政者としての能力も資格も失われていることは周知の事実だったが、神事を司る帝を中心にいわゆる宗教指導者としての地位は依然として顕在だった。
もちろん、それは武家社会でのことで農民たちにとっては朝廷など何の意味も持たないほどになってはいた。
だが、だからといってその権威を否定させては武家の権威も否定する事になってしまう。
なにせ表向きは武家は朝廷より授かった権利として農民を征服統治しているのだ。
更に寺社勢力というものの本質を現す指摘で誤魔化す以外に反論のしようがない論駁で、朝廷もまた神の権威に寄生した存在であることを暗に示すことで、結果、朝廷の権威のみならず、公家武家に寺社を含めた全ての武装勢力を、否定した事になる。
当然、不遜極まりないとして、農協は朝敵として挙げられ征伐が命じられたが、既に朝廷に求心力はなかった。
目に見える奇跡を背景にした農協と口先だけで神や仏を騙る旧勢力ではどちらに真の神仏の加護があるように見えるかは、言うまでもなく、既に精神面でも彼等は拠り所を亡くしていたのだ。
そこまで旧搾取勢力が追い詰められたことと、何より秘術の継承者にとっても農協は大きな脅威であったことが、この大呪術儀式が表舞台で行われることになった理由だった。
彼ら術者にとっての脅威とは何か?
それは、これまで彼らが独占していた神秘による恐怖が否定された事だった。
秘術は神や仏の威光がなければ、ただの暗殺にすぎない。
公家や武家を精神面で追い詰めた農協は、同時に秘術を使う者達をも追い詰めていったのだ。
少数による呪詛は既に何度も行われていた。
しかし、その何れもが呪詛を返され死に果てている。
もはや、総力を結集して事に当たるしかない。
壬生国綱の決断と朝廷の意志、そして術者を秘匿していた武家の困窮が重なり、この史上類を見ない大呪術戦は、幕を開こうとしていた。
「あらあら、あの程度が、この国の術者の総力とはね」
しかし、その様子を魔術に頼らぬ‘式樹’ネットワークからの有線映像で見ながら、大魔女メイアは、そう評していた。
転生者、命衣ではなく、完全物質化した生霊である大魔女は、‘ルルドの聖杯’と精霊腕輪とを祭器として、精霊魔術を増幅し、日本の秘術者を数倍する魔力を操り、‘式樹’の演算力で数千倍の効率で、対抗術式を組んでいた。
「呪術攻撃を解析して、秘術者の霊的中枢の演算部だけを破壊するように」
という久遠の言葉がなければ、‘式樹’の出番はなかっただろうが、呪術攻撃を返されて無為に死んでいく術者に再起の道を残すため、その命は下され、奇しくも今日この日に、それは初の成果を上げる。
この日、日本の秘術は仙術科学と大魔女の前に敗北を喫し、壬生国綱を初めとする術者は秘術を失った。
それは、同時に朝廷権力の事実上の終焉をも意味した。
天道暦0012。
日本は、人類に先駆け、武家の搾取システムを破壊した農協の支配を享受する最初の地域へとなろうとしていた。




