三の段其の弐幕 生物兵器と蛮族争乱の終結
天道暦0011。
筑前国博多は、農協の台頭により弱体化した大名の征服統治下から大商人達の征服統治する自治武装都市へと変貌を遂げていた。
農家から無料で作物を略奪することで組織を維持していたのだから、その存在基盤を失えばそうなるのは自明の理と言えるだろう。
寄生と破壊を存在の根幹に据えた武家が農協の圧倒的な生産と創造の下に敗北した結果、相対的に商家が台頭して、近世の資本主義による武家と商家の逆転現象に近い事が起こったのだ。
口減らしや過酷な農作業についていけなかった農家出身の下働き達の多くが、農協の‘商士’の下へと去ったとはいえ、財を持つ商家のほとんどは下級の武家や地方豪族達の出身であり、そういった人間達が乱世こそが商機とばかりに集まることで、この街は以前以上の活気を呈している。
日本最大の貿易港であった博多は、今や世界最大規模の流通量を誇る街へとなっていた。
その一因となったのは農協の扱う高硬度セラミックや有機合成プラスチックや炭素結晶コーティングのグラスファイバーといったナノマシン技術製品と漫画や小説といった娯楽創作物の輸出だった。
それ故に、儲かればいいという商人らしく農協とは中立の関係にあり、付かず離れずを原則としていたため、博多の食料の供給は農協のみに頼ることを嫌い国外から輸入を行っていた。
年々減りつつある農協以外の耕作地に代わり、その博多の食料供給を担うようになったのは、明の御用商人やスペインやポルトガルの武装商人で、今日も多くの船が博多を訪れていた。
その博多に停泊するスペインの武装商船の船倉。
地方豪族の出身である船長とその部下が深刻な顔で、並んだ樽の中を調べていた。
「…………いったいなんでこんなことに」
ぽつりと船長が真っ白な綿状のカビの固まりになった火薬を見てアラゴン訛りのカスティーリャ語でつぶやく。
「それだけじゃありませんよ。 これを見てください」
そう言って部下がみせたのは油紙に包まれた火縄銃だ。
木造部分はそのままだが、黒い結晶状のカビが鉄を侵食している。
部下が持ってみろというように両手で差し出すが、その途中でボロボロと崩れ落ちる破片を見れば、持たずとも言いたい事は判った。
「どうやらカビらしいんですが、農協が現れてから広まったらしくて土人どもはタタリだと騒いでます」
「タタリ……たしか、邪神やデーモンの呪いだったな」
「はい」
「…………呪いかどうかは判らんが、神の恩寵も効果はないようだな」
そう語る船長の視線は部下の胸のロザリオに向けられていた。
そのロザリオには黒い結晶がこびりついていた。
「ああ、マリア様!」
聖句を唱えて嘆く部下とはうらはらにあまり信心深くない船長はロザリオに手を伸ばし、それをつぶさに調べ始める。
「油が付いた場所から広がっていくようだな。 それで煮炊き用の鍋がやられたのか」
ここ最近、鍋の底を焦げ付かせてしまったという話が多かったが、黒い結晶は確かに見ようによっては、焦げ付いてボロボロになっているように見える。
「ああ、なんで俺達だけがこんなめにあうんでしょうね! 毎日お祈りは欠かさないっていうのに!」
大損害と信教の無力さを嘆く部下の声にロザリオを調べていた船長の手が止まる。
「俺達だけ……じゃあないかもしれんぞ」
いきなり今まで以上に深刻な表情になった船長を部下が驚いたように見る。
「俺達以外にも船はこの街を出入りしている! このカビが広まったらエライ事になるぞっ!!」
その言葉を理解した途端、部下の顔が真っ青になる。
「ど、土人どもにみんな殺されちまう!!」
部下の脳裏には、ガレー船に繋がれた奴隷達がボロボロになった鎖を引きちぎり、銃も剣も失った自分達に襲い掛かる光景や、植民地の原住民達が手に手に大きな松明を持ち港や船を焼き討ちしていく光景が浮かんでいるのだろう。
「ああ。 そうなるかもしれんな。 銃どころか剣もやられれば後は数の勝負だからな。 マカオに帰ってみたら皆、引き上げていたってこともありえるが、そうなれば補給もままならずこんな辺境におきざりだ!」
船長はそう叫ぶと次の瞬間には、部下に出港の準備とカビの廃棄を命じ始める。
「わりと早く気づいたわね」
そうつぶやいたのは、薄い紫──というよりはスミレ色がかった白のワンピースに身を包んだ今年で6歳になる綺麗な少女だ。
あるいは幼女といってもよい年齢だが、幼い顔に似合わぬ知性を宿した瞳が、その見た目を裏切っている。
そして、その仕草は臈たけた女性のもので、既に完成された風格を持っていた。
そう、大魔女メイアの転生体である命衣の生身の姿だ。
「散布から肉眼で確認できるレベルのコロニーを形成するまでの時間と拡散速度は計算通りです。 すでに胞子はヨーロッパに達し、肉眼で確認できるまで成長しています。 以後は爆発的に増殖しますので中世の技術で駆除は不可能です」
‘先視’を通じてその様子を見ていた命衣のつぶやきを計画の失敗を危ぶむものだと判断した‘式樹’が無味無感想な合成音で告げる。
人間と変わらぬ判断力を持つ美亜と違い‘式樹’は自ら判断は行わない。
命じられたことや質問に対する検証分析をを行い、目的を遂行サポートするだけの高度な人口知能でしかない。
だから、ときどきこういったことになるのだが当然ながら‘式樹’に悪意はない。
それどころか、隔意もなければ真意すらもない。
錯覚により、そこになんらかの意志を感じ取るのは人間故なのだろう。
それが、転生した大魔女であろうと。
「……聞いてないわよ」
不機嫌そうに答える命衣に謝ることもなく‘式樹’は答えない。
質問でも指示でもないと判断したからだ。
誤まることはなく謝ることもないからこそ‘式樹’だ。
それらの行為は強い自我や感情があってのこと。
誤まらないから謝らないのではなく、そのどちらもできないのが‘式樹’。
命衣はそう言い聞かせて苛立つ感情を抑える。
久遠達と違い、理性はあっても、感情や自我は存在しないモノの相手になれていない命衣は、どうしてもそうなってしまうのだ。
「それより、肝心のカビといっしょに撒いたのはどうなってるの? そっちも順調?」
「病原体駆除用のウィルス型ナノマシンは、梅毒患者や結核菌及びヘルペスなどの罹患者を通じて広がっていますが、インプットされた病原体を介してしか拡散されず、病原体を破壊しつくすと分解するため、拡散速度は極めて緩慢です。 病原体の感染者が旧世界より多い為に予定拡散速度より、掌握地域では80%ほどの増加が見られます」
ヨーロッパから広がりパンデミックで植民地になった国々に多大な被害を与えた病原体を滅ぼす為に日本に渡来した罹患者に投与された他、知能の高い猿の‘式揮’を内部に組み込んで人間に偽装した‘式機’が、南北アメリカを初めとする植民地化されかけている地域へと派遣されている。
これらのサイボーグタイプの‘式騎’は、日本で行われているのと同じように、国籍や人種にかかわらず犯罪行為をする者を止め、爆発物や鉄を食べるカビを撒き、病原体を駆除するナノマシンを罹患者に投与するように命じられていた。
それらの自律的に動く‘式騎’の多くは、‘式樹’ネットワークのない掌握地域外で行動するため、それを含めれば拡散速度はかなりのものだろう。
西暦1547年、コンキスタドール達を初めとするヨーロッパによる侵略行為は多くの犠牲を経て終結へと向かい、前世界へと続く因果の流れもまた終焉へと向かっていた。




